≫わたしはかもめ≫1961年
鴎の闘い
出来事
- 02-13
- イースタン・リーグ再発足。
- 04-01
- 大毎・永田オーナーが東京・南千住に新球場の建設を発表。
- 04-08
- パ・リーグ公式戦開幕。
- 04-20
- 阪急・戸倉監督が近鉄戦(日生)で審判の判定を不服として1時間17分の抗議。
- 05-05
- 小野正一が100勝達成。
- 05-20
- 沖縄・奥武山球場で初の公式戦(西鉄−東映)。
- 08-08
- 山内和弘が200号本塁打達成。
- 09-27
- 山内和弘が阪急戦(後楽園)で106打点のパ・リーグ新記録を達成。
- 10-11
- 西鉄・稲尾和久が1シーズン42勝のプロ野球新記録。
- 10-15
- 南海がパ・リーグ優勝。
- 10-17
- 東映戦(駒沢)で、榎本喜八が、初回先頭打者で敬遠される。これは、東映・張本と首位打者争いをしていたため。榎本は、2打席目も敬遠されて交代し、その後、代打で登場した張本が本塁打を放ち、首位打者を決定づけた。
- 10-29
- 日本シリーズ第4戦(後楽園)で円城寺主審の判定をめぐり南海選手が大暴れ。
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