4月8日が雨天中止で9日開幕。村田兆冶が4年連続12度目の開幕投手を果たした。村田は対西武1回戦を完封(平成第1号)で199勝目。
昨年までの救援から先発に転向した牛島が、4月12日のオリックス戦(川崎)に先発してきた。牛島にとっては中日時代の昭和60年10月24日の広島戦以来の先発で、通算29試合目だったが、11打者に4安打、3四球で、2回に無死満塁とされたところで退いた(失点6)。
牛島の年度別先発数 | |||
---|---|---|---|
年 | 試合 | 先発 | 完投 |
昭和55 | 9 | 4 | 0 |
昭和56 | 51 | 5 | 0 |
昭和57 | 53 | 0 | 0 |
昭和58 | 37 | 9 | 0 |
昭和59 | 50 | 0 | 0 |
昭和60 | 38 | 10 | 6 |
昭和61 | 35 | 0 | 0 |
昭和62 | 41 | 0 | 0 |
昭和63 | 38 | 0 | 0 |
平1 | 1 | 1 | 0 |
計 | 353 | 29 | 6 |
村田は4月16日近鉄戦(川崎)で通算200勝に挑戦したが、延長11回を完投するも、6−7で負け、史上21人目の記録達成はお預けとなった。過去20人の200勝投手で、王手の次の登板で勝ったのは8人しかいない。
王手から200勝まで | ||||
---|---|---|---|---|
名前 | 1 | 2 | 3 | 4 |
金田正一 | ○ | |||
米田哲也 | ○ | |||
鈴木啓示 | ○ | |||
別所毅彦 | ○ | |||
若林忠志 | ○ | |||
野口二郎 | ○ | |||
村山実 | ○ | |||
江夏豊 | ○ | |||
スタルヒン | − | ○ | ||
皆川睦夫 | − | ○ | ||
稲尾和久 | − | ○ | ||
小山正明 | ● | ○ | ||
山田久志 | ● | ○ | ||
平松政次 | ● | ○ | ||
杉下茂 | ● | ○ | ||
堀内恒夫 | − | ● | ○ | |
東尾修 | − | ● | ○ | |
梶本隆夫 | − | ● | − | ○ |
中尾碩志 | ● | ● | ○ | |
藤本英雄 | − | − | ● | ● |
[注]−は勝敗無関係
ロッテは5月5日のダイエー戦(平和台)に17−4と大勝したが、この試合に出場した9打者全員が安打と得点を記録した。8回まで得点のなかった愛甲とディアズも、9回、高橋が満塁本塁打を打ったために得点することができた。
全員得点・安打は、パ・リーグでは
に次いで13年ぶり3度目になる。
全員得点・全員安打 | ||||
---|---|---|---|---|
ロッテ | 打数 | 得点 | 安打 | |
右 | 横田 | 5 | 2 | 2 |
三 | 水上 | 4 | 2 | 1 |
一 | 愛甲 | 6 | 1 | 2 |
指 | ディアズ | 4 | 1 | 1 |
中 | 高沢 | 5 | 2 | 1 |
左 | 高橋 | 5 | 3 | 3 |
二 | 上川 | 6 | 3 | 3 |
捕 | 斉藤 | 6 | 1 | 2 |
遊 | 森田 | 4 | 2 | 1 |
計 | 45 | 17 | 16 |
福岡に遠征中のロッテナインが早朝、宿泊先のホテルで火事(ボヤ騒ぎ)に見舞われた。ナインを含む約150人の宿泊客は全員無事だった。
村田は5月13日、山形県野球場の日本ハム7回戦(山形)に7−5で完投勝ちし、プロ21人目の通算200勝を達成した。
4月9日の西武との開幕戦に完封勝ちして200勝に王手をかけた村田だったが、次の4月16日の近鉄戦は延長11回の末に6−7で負け、4月30日の日本ハム戦にも4回でKOされて敗戦投手になっていた。
史上21人目の200勝投手だが、22年もかかったのは村田のほかにはいない。昭和43年の初登板から57年5月7日までに156勝した村田だが、そこで右ひじを痛めたため、通算157勝目は60年4月14日。約3年もブランクを置いたため、22年かかった。
要した年数 | |
---|---|
投手 | 年目 |
稲尾和久 | 7 |
野口二郎 | 8 |
杉下茂 | 9 |
金田正一 | 9 |
スタルヒン | 10 |
若林忠志 | 11 |
別所毅彦 | 11 |
米田哲也 | 11 |
小山正明 | 12 |
村山実 | 12 |
鈴木啓示 | 12 |
藤本英雄 | 13 |
梶本隆夫 | 14 |
中尾碩志 | 14 |
山田久志 | 14 |
皆川睦夫 | 15 |
堀内恒夫 | 15 |
江夏豊 | 16 |
東尾修 | 16 |
平松政次 | 17 |
村田兆治 | 22 |
6月7日の西武−ロッテ戦(西武)の先発投手は、西武が郭、ロッテが荘だったが、この台湾出身の2投手が最初から投げ合うのは、これが初めて。両投手とも来日は昭和60年で今年が5年目。これまで同じ試合に登板したのは
で、いずれも試合の途中から。初の先発対決は両投手とも完投。6回表に愛甲が打った本塁打の1点を守りきった荘が完封勝ち。
村田は6月14日の近鉄戦(仙台)で延長12回を1人で投げきったが、4−4の引き分けに終わり、208球の投球は報われなかった。
200球以上投げたのは、パ・リーグ史上延べ11人目。日本ハムの木田が昭和58年9月21日の西武戦で209球を投げたとき以来、6年ぶり。最多記録は米川泰夫(東映)が昭和29年10月10日の近鉄戦で投げた265球だが、この試合は22回の延長戦だった。
6月22日のロッテ−近鉄戦(川崎)は5−5で9回裏に入ったが、ここで4番手の吉井が制球を乱し、先頭の西村四球、次の初芝は犠打で1死二塁。さらに、愛甲四球、高沢死球の1死満塁にディアズが、カウント1−3からサヨナラの押し出し四球。4四死球によるサヨナラ試合は昭和60年10月16日の阪急(相手投手は西武の西本)以来。
ジュニアオールスターが大阪球場で行われ、3−2で全イが勝利。MVPは大村巌。
ジュニアオールスターの出場資格は、3年目以下なら無条件、4、5年目でも昨年まで1軍での打席が60打席、投球回数が30イニング以下。今年ファームの試合に全然出ていない打者の苫篠(ヤクルト)、鈴木(日本ハム)、小川(オリックス)、投手の石井(西武)、野村(大洋)、伊藤隆(オリックス)、渡辺(阪神)らは、2年目以下の選手なので出場。
2年目の大村は、こうした1軍要員ではなく、全イの9番を打って4打数3安打、2打点。1軍経験の全くない選手がMVPに選ばれたのは、昭和57年の金村(近鉄)、60年の白幡(西武)に続いて、12年間で3人目。
オールスター第1戦(神宮)は本塁打攻勢で全パが圧勝。MVPは村田。村田は3回を被安打2で投げ、球宴登板16試合目で初の勝利投手。39歳7ヶ月の村田は、山田久志(阪急)が62年第1戦でマークしていた38歳11ヶ月の最年長登板と最年長勝利投手の両方を更新した。
投球回数が3イニングまでと制限されている投手がMVPになったのは、昭和59年第3戦に8連続三振を奪った江川(巨人)以来、13試合ぶり。
ロッテは8月31日の日本ハム戦(東京ドーム)に1回表、先頭西村が打った左前打1本で勝った。
試合は8回まで0−0。9回表、ロッテは四球の西村が内野ゴロで二進後、愛甲が一塁左へゴロ。捕球した大島からの球をベースカバーに入った河野投手が逸らす間に西村が生還し、これが決勝点となった。
1安打勝利は24回目で、パ・リーグでは9回目。 河野のように完投した1安打敗戦投手は14人目で、パ・リーグでは4人目。ただし、先頭打者に打たれた1本で負けたのは、昭和50年5月5日のロッテ・村田(安打の島野が盗塁と内野ゴロで三進後に暴投で生還)に次いで、河野はプロ野球史上2人目。
1安打勝利(パ・リーグ) | |||||
---|---|---|---|---|---|
チーム | 年月日 | 相手 | 1安打打者 | 回 | 完投敗戦 |
阪急 | 昭25-05-31 | 大映 | 植田 | 2 | 姫野 |
近鉄 | 昭31-03-21 | 高橋 | 原 | 3 | − |
南海 | 昭33-08-31 | 阪急 | ※野村 | 7 | − |
近鉄 | 昭37-06-10 | 西鉄 | ※島田 | 2 | − |
南海 | 昭37-06-30 | 阪急 | 広瀬 | 1 | − |
南海 | 昭41-05-28 | 近鉄 | ※野村 | 4 | − |
南海 | 昭50-05-05 | ロッテ | 島野 | 1 | 村田 |
日本ハム | 昭55-05-13 | 西武 | ※柏原 | 6 | − |
ロッテ | 平01-08-31 | 日本ハム | 西村 | 1 | 河野 |
[注]※は本塁打
牛島は9月9日の西武戦(釧路)で、1回3四球で満塁のピンチを招いたが、これを切り抜けてからは7回までノーヒットの快投。四球も、その後は5回に2個出しただけだった。しかし、8回、先頭の辻に初安打されてから、石毛の二塁打に続き森の犠飛で1点を許した後、2死後に2四球、さらに9回に3四球を出し2死満塁としたところで伊良部の救援を受けた。ここまで10四球。1試合10四球は、セ・リーグに4人、パ・リーグでも
に続き、3人目のタイ記録。ただし、1リーグ時代には、昭和17年4月22日に、黒鷲の小松原博喜投手が巨人戦で出した14四球がある。
なお、この記録は10月7日、ダイエーの村田投手が西武戦(平和台)で、7回で退くまでに11四球を出し、パ新記録を樹立した。
今野は9月20日のオリックス戦(川崎)で、5−5の同点の8回表から登板したが、1球目を門田に左前打されると直ちに交代。この門田の出塁が決勝得点となったので、今野は1球で敗戦投手となった。1球敗戦は11人目12回。
荘は9月28日のダイエー戦(平和台)に、完投で10勝目をあげ、昭和60年の来日以来、5年連続2ケタ勝利を挙げた。外国人の5年連続10勝以上は、バッキーが阪神で昭和39年〜43年に記録して以来2人目。ただし、バッキーは来日1年目の37年は0勝、38年は8勝なので、1年目から5年連続は荘が初めて。
西武25回戦・最終戦(川崎)はダブルヘッダーで7時間49分。
公式戦全日程終了、村田が最優秀防御率(13年ぶり3回目)、西村が盗塁王(4年連続4回目)を獲得。愛甲が全試合(全イニング)出場を果たす。39歳の村田は投手部門では史上最年長のタイトルホルダーとなった。
有藤監督が辞任し、12年ぶりに金田正一が監督に復帰する。
パ・リーグは「THE MAN賞」を発表。ロッテからは愛甲が選出された。
高沢、水上と高橋、白武、杉本(広島)の2−3の大型トレードが成立。