オープン戦表彰選手、小宮山がルーキー大賞獲得。
4月7日が雨天中止で8日開幕。村田兆冶が5年連続13度目の開幕投手を果たした。
村田は、9回に1点を許したものの完投勝ちを収めた。開幕戦先発はこれが13回目で、金田正一(国鉄→巨人)、鈴木啓示(近鉄)の14回にあと1と迫った。これと同時に村田は、実働記録も22年(昭和43〜57年、59年〜)となって、米田哲也、石井茂雄による投手の永年出場記録にも肩を並べるに至った(打者は野村克也の26年)。
4月28日に川崎球場で行われたロッテ−西武戦で、5回裏に西村が打った右中間を抜く当たりは、今季両リーグを通じて初のランニング本塁打となった。西村にとっては昭和59年7月5日の西武戦(西武)以来、自己2本目。
まだこの球場を大洋が本拠地としていた昭和52年の7月21日にヤクルトの渡辺進が打って以来、13年ぶりでもあった。
西武3回戦(川崎)で1年振りの大入り満員(30000人)。
近鉄3回戦(藤井寺)で、9回堀の1号初V打で勝利。小宮山が2回1/3を抑え、プロ入り初勝利。
村田は5月15日の西武戦(西武)で、1回2、5回1と、計3暴投を記録した。パ・リーグで11回目のタイ記録だが(日本、セ記録も3)、村田は昭和62年5月28日の阪急戦と同年6月14日の近鉄戦に続き3度目。1試合3暴投を1人で3度もしているのは村田だけ。
これで村田の暴投は既に6個目。パ記録である昭和51年の村田自身と61年荘(ロッテ)の13暴投を更新しそうだ。通算も137暴投で、2位の権藤正利の70に大きく差をつけ独走。
佐藤和史は5月20日の近鉄戦(秋田)で、プロ入り11年目の初安打を放った。
宮崎の日南高から昭和55年に投手でロッテ入りし、途中から内野手に転向。昨年までは3試合に出場しただけで、打席に立ったのは61年に1度あるだけで、このときは三振している。今年も3打席に立ったが、結果は三振、投ゴロ、遊ゴロ。その佐藤が20日、プロ入り初めて1番打者でスタメンに起用されると、三振、四球、一邪2本続けた後の9回裏、2死一塁で、阿波野から11年目の初安打を左前へ打った。
この試合でロッテは、9回表1死三塁で白武に代え村田をリリーフに送った。村田の救援はヒジの手術をして“試運転”中だった昭和59年9月7日の南海戦以来、6年ぶり。
村田が10年振りのセーブを挙げる。
西武8回戦(川崎)でサヨナラ勝ち。先発・小宮山をリリーフの村田が12年振りの救援勝利。
金田監督は西武10回戦(西武)の7回裏、高木球審のボークの判定を不服とし、暴力をふるい今季10人目の退場となった。同監督の退場は7回目で、故藤本定義監督と並ぶ最多記録。
所属 | 年月日 | 相手 |
---|---|---|
国鉄 | 昭和29年8月8日 | 阪神 |
巨人 | 昭和40年4月12日 | 中日 |
ロッテ | 昭和48年7月27日 | 日拓 |
昭和49年4月27日 | 太平洋 | |
昭和51年5月13日 | 日本ハム | |
昭和53年4月7日 | 近鉄 | |
平成2年6月23日 | 西武 |
なお、25日、出場停止30日間(7月23日まで)、制裁金100万円の処分が科された。代行監督は徳武ヘッドコーチ。
4年目の森は、1軍で投げたのは昨年6月27日の日本ハム戦の1打者だけだったが、6月24日の西武戦(西武)に先発すると、10回裏の辻のサヨナラ本塁打で負けたものの、完投した。
しかも、クリーンアップトリオを無安打に抑えたばかりか、8奪三振。西武の3〜5番がノーヒットは6月3度目で全てロッテ戦。
順 | 選手 | 打 | 安 | 振 |
---|---|---|---|---|
6月6日対ロッテ | ||||
3 | 秋山 | 3 | 0 | 1 |
4 | 清原 | 3 | 0 | 1 |
5 | デストラーデ | 2 | 0 | 2 |
6月22日対ロッテ | ||||
3 | 秋山 | 3 | 0 | 3 |
4 | 清原 | 2 | 0 | 1 |
5 | デストラーデ | 2 | 0 | 1 |
6月24日対ロッテ | ||||
3 | 秋山 | 4 | 0 | 3 |
4 | 清原 | 2 | 0 | 1 |
5 | デストラーデ | 3 | 0 | 3 |
打 | 大久保 | 1 | 0 | 1 |
近鉄8回戦(日生)で、白武が球団創立以来通算1300勝目の白星。
新人・林博康(鹿児島実)は、6月29日のダイエー戦の6回、代打に起用されると、右翼へ本塁打を放った。27日のダイエー戦に代走で起用されたのが初出場で、プロ入り初打席で本塁打。
初打席本塁打は今年4月7日の開幕日に中日のディステファーノも打っており、林は27人目。ただし、高卒新人では、
以来で、10年ぶり4人目。
村田兆冶投手は近鉄10回戦で19人目の通算300被本塁打。
ディアズ外野手は7月28日のダイエー14回戦(平和台)で、6回途中から守備位置を一塁から捕手に替わった。外人の捕手は広島にいたギャレットが昭和52年に11試合、53年に1試合守ったとき以来で、12年ぶりになる。
村田が西武14回戦で昭和40年の大洋・及川と並ぶ、シーズン14暴投を記録。
近鉄15回戦(藤井寺)で、伊良部が148球を投げ9安打2失点のプロ初完投で4勝目。金田監督通算400勝。
パ・リーグは8月14日、東京ドームの日本ハム−ロッテ戦に5万人、西武球場の西武−オリックス戦に5万人、平和台のダイエー−近鉄戦に3万1000人を集めて合計13万1000人。昨年8月12日の12万3000人(東京ドーム5万6000人、西武5万人、平和台1万7000人)を更新する1日の入場者の新記録を樹立した。
村田は8月15日の日本ハム戦(東京ドーム)の1回裏2死三塁で、ウインタースの4球目(フォアボール)の投球を暴投し、三塁走者・広瀬を生還させた。これは村田の今年15個目の暴投で、昭和14年の菊矢吉男(ライオン)と40年の及川宣士(大洋)の14暴投を更新するプロ野球新記録。村田の暴投は通算146個目で、2位の権藤正利の70個に大差をつけ、断然トップ。
年間暴投記録 | ||
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暴投 | 投手 | 年 |
15 | 村田(ロ) | 平2 |
14 | 菊矢(ラ) | 昭和14 |
14 | 及川(洋) | 昭和40 |
13 | 村田(ロ) | 昭和51 |
13 | 荘(ロ) | 昭和61 |
12 | スタンカ(南) | 昭和36 |
12 | 村田(ロ) | 昭和62 |
[注]ラ=ライオン
西武16回戦(西武)で村田が600試合登板。
ロッテはパ・リーグ新となるチーム最多暴投53、最多捕逸24を記録。9月11日対西武、従来の昨年のロッテの52暴投、42年の西鉄の23捕逸を更新した。
ダイエー25回戦(川崎)で上川誠二内野手が239人目の通算1000試合出場達成。
西武最終戦(川崎)、村田の引退試合。5回降雨コールドながら4安打完封勝利で10勝目を挙げた。
村田は昭和24年11月27日生まれでこの日40歳10ヶ月。40歳台で2ケタ勝利は、若林忠志(阪神)が昭和23年に40歳で17勝、翌24年に41歳で15勝して以来、プロ野球史上2人目。
近鉄最終戦(藤井寺)でパ・リーグ公式戦終了。西村が首位打者を獲得。愛甲が全試合出場を果たす。