わたしはかもめ1991年

鴎の出来事

[4月6日] ペナントレース開幕

小宮山悟が初の開幕投手を務めた。西武・清原が1回裏、小宮山から第1号、6回裏には平沼から第2号。清原は昨年の開幕戦も2本塁打で、2年連続の開幕戦2本塁打は、プロ野球史上初めて。

[4月28日] 6球場が満員

4月28日の日曜日、東京ドームの日本ハム−西武戦は5万6000人、川崎のロッテ−ダイエー戦は3万人、藤井寺の近鉄−オリックスは3万2000人、神宮のヤクルト−広島戦は4万8000人、横浜の大洋−巨人戦は3万人、ナゴヤの中日−阪神戦は3万5000人で、合計23万1000人。

これは、

62年5月4日
23万6000人
1年8月29日
23万6000人
1年4月29日
23万3000人

に次ぎ史上4位だが、6球場全て満員は初めて。

[4月29日] パ・リーグ最長試合

ダイエー戦(川崎)で4時間24分のパ・リーグ最長試合。

[5月10日] 退場新記録

金田監督は5月10日の日本ハム6回戦(東京ドーム)で審判に暴言を吐き、今季両リーグを通じ初の退場を命じられた。金田監督の退場歴は、国鉄の投手時代の昭和29年、巨人の投手であった40年に各1度、ロッテの監督で48、49、51、53年に平成2年とあり、8度目。藤本定義監督(巨人1、大映3、阪急1、阪神2)の7度を上回るワースト新記録となった。

[5月29日] 高沢がUターントレード

広島は、高沢秀昭外野手のロッテへの金銭トレードを発表。Uターントレードとなった。

[7月17日] 西村が盗塁球団新記録

日本ハム15回戦(川崎)で、4回、西村が通算285個目の盗塁を決め、弘田の記録を抜き球団新記録。

[7月31日] 千葉移転を公式表明

西武16回戦が千葉マリンスタジアムでのパ・リーグ公式戦第1戦。千葉移転を公式表明。

[8月14日] 7本目の被サヨナラ本塁打

ロッテは8月14日の西武戦(西武)で2−2の9回裏、小宮山がデストラーデに本塁打を浴び、今年11試合目のサヨナラ負け。このうち本塁打によるのは

4月18日
対ダイエー(吉永)
5月22日
対西武(秋山)
6月4日
対ダイエー(湯上谷)
6月5日
対ダイエー(ウィリアムス)
6月7日
対近鉄(ブライアント)
6月18日
対ダイエー(岸川)

に続き7本目。従来の6本(4チーム)を更新するプロ野球新記録。

[10月2日] 平井が首位打者に浮上

平井は10月2日、西武24回戦で規定打席に達し、.319で首位打者に浮上。しかし、浮上する日が近づくにつれ不振になり、9月14日以降は2安打した試合すら1試合。規定打席に達したその日も3打数無安打、打率は.319となり2位の松永(オリックス)との差は7厘。

平井は4、5日の2試合に7打数1安打で.316にまで落としたが、松永は5日の日本ハム戦に3の2で.314となって2厘差。松永は6日の最終戦に打席に立たなかったので、平井は残る7試合に賭けることになった。最終規定打席に20も不足している平井は、休む訳にはいかない。

[10月8日] 西武球場2000人

10月8日のロッテ戦の観衆はわずか2000人だった。予備日使用で、雨の中強行されたためだが、従来の昭和58年10月11日と24日の近鉄戦、60年10月21日のロッテ戦の3000人を更新する西武球場の最低入場者数新記録となった。

[10月16日] 最少安打の首位打者

平井が打率.3144で、2位の松永(オリックス)に.0004の差で首位打者になった。

10月16日のダイエー戦(川崎)で3打席立ち、2打数0安打でも最終規定打席に達し、打率1位をキープできる平井は、投前犠打、三振、遊飛で目標を達成。当然ながら最終日のダイエー戦ダブルには打席に立たなかった。規定打席ちょうどの首位打者は、昭和50年の白仁天(太平洋)、56年の藤田平(阪神)に次いで3人目。353打数111安打の平井は、昭和51年に吉岡悟(太平洋)の118安打を下回る2リーグ制史上、最少安打の首位打者。

[10月17日] 観客動員100万人達成

パ・リーグ全日程終了。ダイエー25・26回最終戦(川崎)で観客動員100万人達成。平井が首位打者を獲得。愛甲が全試合出場を果たす。川崎球場が37年間のフランチャイズ球場としての幕を閉じた。

[11月19日] 愛称は「マリーンズ」

ロッテの新球団名が「千葉ロッテマリーンズ」に決定、発表された。

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