わたしはかもめ1994年

鴎の出来事

[4月9日] ペナントレース開幕

小宮山悟が4年連続4度目の開幕投手を務めた。(5回6失点でKO)

[4月22日] 伊良部が7年目の初完封

伊良部秀輝が日本ハム戦で、プロ入り7年目で初完封を果たした。8回を除いた毎回出塁を許しながら、得点を与えなかった。昨年まで完投は12試合あるが、完封はなかった。4月10日の日本ハム戦と16日の福岡ダイエー戦に完投していたが、いずれも1回早々に失点。しかも打線が無得点で完投負けとなっていた。

[5月3日] 伊良部が4試合連続2ケタ奪三振

伊良部秀輝が、4月16日の福岡ダイエー戦、4月22日の日本ハム戦、4月28日の西武戦に続き、5月3日の福岡ダイエー戦で2ケタ奪三振をマークし、4試合連続の2ケタ奪三振。史上4人目の記録。

[5月22日] 榎がプロ初登板初勝利

西武戦で、榎康弘が今季初登板。6回途中まで投げ、プロ初勝利を記録。その後、榎は西武戦に4試合登板して4連勝し、西武キラーとなった。

なお、この試合は、西武が7本、ロッテが5本の計12本の二塁打が飛び出し、1試合最多二塁打のパ・リーグタイ記録となった。

[6月1日] 仙台で10連敗

5月31日、6月1日の仙台での福岡ダイエー戦に連敗し。1991年6月1日に小宮山が西武を完封して勝利したのを最後に、仙台で10連敗となった。

年月日勝敗スコア相手
1991-06-011−0西武
1991-06-021−2西武
1991-07-031−4福岡ダイエー
1992-06-022−7西武
1992-06-032−11西武
1992-09-013−4福岡ダイエー
1992-09-022−11福岡ダイエー
1993-06-081−2近鉄
1993-06-091−7近鉄
1994-05-315−7福岡ダイエー
1994-06-011−5福岡ダイエー

[6月12日] 定詰がサヨナラ捕逸

オリックス戦で、延長10回裏2死満塁から、イチローが振り逃げ(三振&捕逸)し、サヨナラ負け。サヨナラ捕逸をした捕手は定詰雅彦で3人目。振り逃げも絡むと史上初めて。

[7月2日] 伊良部が200球完投

伊良部秀輝が、日本ハム戦で延長11回を投げ抜いて完投勝ちをおさめた。投球数は200球に及んだ。200球以上投げたのはパ・リーグでは14人目。(勝利投手は4人目)

夏バテ大型連敗

開幕3連敗を喫し、ホール、ミューレンも不調の中、

4月
8勝10敗
5月
11勝13敗
6月
10勝11敗

と、何とか少ない借金できたが、7月3日の対日本ハム戦から13日の対近鉄戦まで9連敗、オールスター明けは、24日の対西武戦から29日の対福岡ダイエー戦まで6連敗と、大型連敗を喫してしまった。

7月
5勝17敗

過去9年間、7月、8月に5連敗以上の大型連敗が恒例となっている。

1985年
5連敗
1986年
5連敗
1987年
(9月にかけて)7連敗
1988年
6連敗
1989年
5連敗×2回
1990年
6連敗
1991年
(6月から)9連敗
1992年
5連敗×2回
1993年
7連敗&9連敗

[8月2日] 監督交代

ロッテは、1992年の就任以来、6位、5位で、8月1日現在も勝率.400で5位の八木沢監督の休養を発表した。2日から中西太代理監督が実戦指揮を執ることになった。中西代理監督は、1980年に阪神でブレイザー監督から、1984年にヤクルトで武上監督から、各々、シーズン途中にバトンタッチされた経験を持つ。なお、中西代理監督になってからは、21勝22敗。

[8月16日] 加藤が3連続押し出し

オリックス戦で先発した加藤高康が、3回2死満塁から、勝呂に四球、イチローに死球、福良に四球を与え、3連続押し出しで降板した。連続押し出しの記録は1947年4月20日の大阪戦で、阪急の溝部武夫が記録した4であるが、2リーグ制になってからは4人目になる。

3連続押し出し
角三男(巨人)対阪神戦(8回)1979-06-03
東瀬耕太郎(大洋)対中日戦(7回)1992-05-02
山崎慎太郎(近鉄)対オリックス戦(7回)1979-07-28

[10月10日] 伊良部が最多勝&最多奪三振

10月10日にパ・リーグ全日程が終了。伊良部は15勝10敗で最多勝をマーク。奪三振239で最多奪三振のタイトルにも輝いた。2ケタ奪三振が10試合、奪三振数が投球回数を上回った試合は15試合もあった。

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