小宮山悟が4年連続4度目の開幕投手を務めた。(5回6失点でKO)
伊良部秀輝が日本ハム戦で、プロ入り7年目で初完封を果たした。8回を除いた毎回出塁を許しながら、得点を与えなかった。昨年まで完投は12試合あるが、完封はなかった。4月10日の日本ハム戦と16日の福岡ダイエー戦に完投していたが、いずれも1回早々に失点。しかも打線が無得点で完投負けとなっていた。
伊良部秀輝が、4月16日の福岡ダイエー戦、4月22日の日本ハム戦、4月28日の西武戦に続き、5月3日の福岡ダイエー戦で2ケタ奪三振をマークし、4試合連続の2ケタ奪三振。史上4人目の記録。
西武戦で、榎康弘が今季初登板。6回途中まで投げ、プロ初勝利を記録。その後、榎は西武戦に4試合登板して4連勝し、西武キラーとなった。
なお、この試合は、西武が7本、ロッテが5本の計12本の二塁打が飛び出し、1試合最多二塁打のパ・リーグタイ記録となった。
5月31日、6月1日の仙台での福岡ダイエー戦に連敗し。1991年6月1日に小宮山が西武を完封して勝利したのを最後に、仙台で10連敗となった。
年月日 | 勝敗 | スコア | 相手 |
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1991-06-01 | ○ | 1−0 | 西武 |
1991-06-02 | ● | 1−2 | 西武 |
1991-07-03 | ● | 1−4 | 福岡ダイエー |
1992-06-02 | ● | 2−7 | 西武 |
1992-06-03 | ● | 2−11 | 西武 |
1992-09-01 | ● | 3−4 | 福岡ダイエー |
1992-09-02 | ● | 2−11 | 福岡ダイエー |
1993-06-08 | ● | 1−2 | 近鉄 |
1993-06-09 | ● | 1−7 | 近鉄 |
1994-05-31 | ● | 5−7 | 福岡ダイエー |
1994-06-01 | ● | 1−5 | 福岡ダイエー |
オリックス戦で、延長10回裏2死満塁から、イチローが振り逃げ(三振&捕逸)し、サヨナラ負け。サヨナラ捕逸をした捕手は定詰雅彦で3人目。振り逃げも絡むと史上初めて。
伊良部秀輝が、日本ハム戦で延長11回を投げ抜いて完投勝ちをおさめた。投球数は200球に及んだ。200球以上投げたのはパ・リーグでは14人目。(勝利投手は4人目)
開幕3連敗を喫し、ホール、ミューレンも不調の中、
と、何とか少ない借金できたが、7月3日の対日本ハム戦から13日の対近鉄戦まで9連敗、オールスター明けは、24日の対西武戦から29日の対福岡ダイエー戦まで6連敗と、大型連敗を喫してしまった。
過去9年間、7月、8月に5連敗以上の大型連敗が恒例となっている。
ロッテは、1992年の就任以来、6位、5位で、8月1日現在も勝率.400で5位の八木沢監督の休養を発表した。2日から中西太代理監督が実戦指揮を執ることになった。中西代理監督は、1980年に阪神でブレイザー監督から、1984年にヤクルトで武上監督から、各々、シーズン途中にバトンタッチされた経験を持つ。なお、中西代理監督になってからは、21勝22敗。
オリックス戦で先発した加藤高康が、3回2死満塁から、勝呂に四球、イチローに死球、福良に四球を与え、3連続押し出しで降板した。連続押し出しの記録は1947年4月20日の大阪戦で、阪急の溝部武夫が記録した4であるが、2リーグ制になってからは4人目になる。
3連続押し出し | ||
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角三男(巨人) | 対阪神戦(8回) | 1979-06-03 |
東瀬耕太郎(大洋) | 対中日戦(7回) | 1992-05-02 |
山崎慎太郎(近鉄) | 対オリックス戦(7回) | 1979-07-28 |
10月10日にパ・リーグ全日程が終了。伊良部は15勝10敗で最多勝をマーク。奪三振239で最多奪三振のタイトルにも輝いた。2ケタ奪三振が10試合、奪三振数が投球回数を上回った試合は15試合もあった。