わたしはかもめ1995年

鴎の出来事

[4月1日] ペナントレース開幕

伊良部秀輝が初の開幕投手を務めた。セ・リーグ開幕は4月7日で、両リーグが別々に開幕するのは1985年以来10年ぶり。

[4月21日] 野田に19三振

オリックスの野田浩司が、千葉マリンで、従来の1試合17奪三振を更新する19奪三振のプロ野球新記録を樹立。ただし、野田は、9回裏に1点を失って同点で降板し、勝利投手にはなれなかった。

小宮山悟も10奪三振をマークし、両チームで29三振。従来の28三振を更新するプロ野球新記録となった。

1試合17奪三振以上
三振投手チーム年月日相手チーム
19野田オリックス1995-04-21千葉ロッテ
17足立阪急1962-05-24南海
17野茂近鉄1990-04-29オリックス
17野田オリックス1994-08-12近鉄

[4月23日] 強風中止

千葉マリンのオリックス戦が、最大瞬間風速33.1メートルという強風のため中止となった。パ・リーグでは初めて。

風疹が流行

5月4日、初芝清が風疹の疑いで試合を欠場。翌5月5日、小宮山悟、猪久保吾一も同様の症状で自宅静養。さらに、堀幸一、西村徳文、フランコが、風疹の疑いで試合を欠場。その後、5月12日に河本育之も緊急入院し、7人の選手が風疹に罹った。球団関係者では10人。

ベストメンバーが組めない中、5月7日には定詰雅彦が退場して捕手がいなくなり、五十嵐章一が急遽捕手を務める珍事も。

[5月9日] 仙台での連敗がストップ

仙台で行われた日本ハム戦に5−4で勝利し、仙台にける1991年6月2日以来の12連敗をようやくストップさせた。

[5月19日] 伊良部が4試合連続2ケタ奪三振

伊良部秀輝が福岡ダイエー戦で8回に降板するまでに、自己タイの14三振を奪い、4月29日以来、4試合連続の2ケタ奪三振を記録。伊良部は1994年にも開幕直後に4試合連続2ケタ奪三振を記録しており、自己2度目。

1995年
月日相手チーム投球回三振勝敗
04-29西武914
05-06オリックス910
05-13西武811
05-19福岡ダイエー814
1994年
月日相手チーム投球回三振勝敗
04-16福岡ダイエー912
04-22日本ハム914
04-28西武711
05-03福岡ダイエー810

[6月30日] 黒木が初勝利初完封

黒木知宏が日本ハム戦で毎回の12三振を奪って完封で初勝利。新人投手が毎回奪三振で完封勝利をあげたのは、1961年6月4日の権藤(中日)、1962年7月11日の尾崎(東映)、1987年4月18日の阿波野(近鉄)についで、8年ぶり4人目。

7月に5割は8年ぶり

7月2日から12日にかけて、5年ぶりに6連勝し、勝率を5割とした。7月に入って勝率5割は、有藤監督時代の1987年以来8年ぶりとなる。さらに、7月13日のオリックス戦には負けたものの、14日・15日の近鉄戦に連勝して37勝36敗2分とし、この時期の貯金は1985年以来10年ぶりのことである。

クリーンアップは、3番堀、4番フランコ、5番初芝と、3人共3割をマークし打点も3人で205。

5割最後の日
年月日試合
1987-08-1783
1988-06-0746
1989-04-112
1990-05-1624
1991-05-2132
1992-05-2234
1993-05-2232
1994-04-2614

[8月15日] 犠打新記録

オリックス−千葉ロッテ戦で、オリックスが3犠打、千葉ロッテが5犠打の合計8犠打を記録。1試合8犠打はパ・リーグ新記録。

[8月29日] 待望の2位

2位の西武に勝ち、待望の2位に浮上。9月に入っても、4連勝、6連勝。3度ほど3位になるものの、9月4日以降は2位を持続した。

脅威の胴上げ阻止

9月15日からは神戸でマジック1となったオリックスと3連戦。負ければ目の前での胴上げという状況だったが、伊良部、小宮山、ヒルマンの3本柱をぶつけて3連勝。

3人の打点王

10月4日にパ・リーグ全日程が終了。今季最終戦の西武戦で80打点目をあげた田中幸雄が、既に日程を終えている初芝清、オリックスのイチローに追いつき、打点王が3人となった。2リーグ制になってから1打撃部門で3人が同時受賞するのは初めて。ただし、80打点はパ・リーグの打点王としては最低記録。

また、伊良部秀輝が、9月28日の最終戦に登板し、4回1/3を無失点で防御率を2.53とし、それまで1位だった郭(西武)の2.54を抜き、防御率トップに立った。

[10月17日] バレンタイン監督電撃解任

ロッテは、10年ぶりの2位躍進に貢献したバレンタイン監督の電撃解任を発表。同時に江尻亮ヘッドコーチの監督就任も発表した。

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