ロッテはブリュワーズからFA宣言していたフリオ・フランコ内野手の獲得を発表。95年以来3年ぶりのロッテ復帰。
小宮山悟が2年連続6度目の開幕投手を務めた。この試合、4回に山本和範から三振を奪い、プロ野球101人目の1000奪三振を達成した。
礒恒之がオリックス戦で先発登板し初勝利。パ・リーグの新人投手の白星第1号となった。
西武ドームでの西武戦は、13:01に開始され、延長10回裏に西武が高木浩のサヨナラ安打により8−7で勝利したが、このときの時刻は18:13。試合時間5時間12分は、1969年10月10日の近鉄−ロッテ戦(日生)のダブルヘッダー第1試合目の5時間15分に次ぐパ・リーグ史上2番目の長い試合となった。5時間台は4試合目だが、過去3試合は、いずれも12回以上を戦っている。
長時間試合 | |||
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5時間15分 | 近鉄4−1ロッテ | 1969年10月10日第1 | 延長13回 |
5時間12分 | 西武8−7ロッテ | 1998年5月2日 | 延長10回 |
5時間10分 | 西武3−3福岡ダイエー | 1995年7月31日 | 延長12回 |
5時間5分 | オリックス5−5近鉄 | 1994年8月13日 | 延長12回 |
6月26日、近鉄戦に敗れ、1978年以来20年ぶりの10連敗を記録した。7月5日、福岡ダイエー戦に敗れ、16連敗のプロ野球記録に並んだ。16連敗は、1936年の大東京、1970年のヤクルトに次ぐ3度目。パ・リーグでは、1955年の大映、1969年の南海、1978年のロッテの15連敗を更新する新記録。
16連敗中(1引き分けを挟む)、得点は66と1試合平均3.9点をあげ、5点以上も約半分の7試合あるが、失点が113点で、1試合当たり6.6点だった。
7月7日、オリックス戦で延長12回にサヨナラ負け。連敗は17となり、プロ野球新記録となった。3−1とリードしたロッテは、9回2死一塁、カウント2−1と、勝利まであと1球のところまできていたが、先発・黒木がプリアムに同点弾を打たれ延長へ。勝利のなくなった12回、つないだ藤田、近藤が打ち込まれ、最後は広永に代打サヨナラ満塁弾を打たれた。
7月8日、オリックス戦に4−6で敗れ、連敗記録を18に更新した。
18連敗 | ||||
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日 | 対戦相手 | 球場 | スコア | 責任投手 |
06-13 | オリックス | 千葉マリン | ●4−6 | 小宮山 |
06-16 | 近鉄 | 藤井寺 | ●8−12 | 竹清 |
06-17 | 近鉄 | 藤井寺 | ●5−9 | 近藤 |
06-18 | 近鉄 | 藤井寺 | ●5−7 | 竹清 |
06-19 | 日本ハム | 東京ドーム | ●0−7 | 小宮山 |
06-20 | 日本ハム | 東京ドーム | ●2−3 | 黒木 |
06-21 | 日本ハム | 東京ドーム | ●10−11x | 黒木 |
06-23 | 西武 | 富山 | ●0−4 | 薮田 |
06-24 | 西武 | 富山 | ●5−6 | 竹清 |
06-26 | 近鉄 | 千葉マリン | ●1−3 | 藤田 |
06-27 | 近鉄 | 千葉マリン | ●1−3 | 武藤 |
06-28 | 近鉄 | 千葉マリン | ●2−6 | クロフォード |
06-30 | 西武 | 福井 | △5−5 | |
07-01 | 西武 | 金沢 | ●4−7 | 礒 |
07-03 | 福岡ダイエー | 千葉マリン | ●3−4 | 小宮山 |
07-04 | 福岡ダイエー | 千葉マリン | ●7−10 | 礒 |
07-05 | 福岡ダイエー | 千葉マリン | ●3−10 | クロフォード |
07-07 | オリックス | GS神戸 | ●3−7 | 藤田 |
07-08 | オリックス | GS神戸 | ●4−6 | 薮田 |
7月9日、オリックス戦に9−6で勝利し、6月12日のオリックス戦以来の勝利。連敗を18でストップさせた。この試合は、両チームの併殺打(オリックス2、ロッテ5)が飛び出し、ゲーム併殺打のリーグタイ記録であった。
7月10日、11日の日本ハム戦は、福浦、初芝のサヨナラ本塁打で連勝した。15連敗以上したチームが、連敗ストップ後に3連勝したのはロッテがはじめて。
福岡ダイエー戦の6回、3番・フランコから6番・福浦まで4者連続二塁打。イニング連続4つの二塁打はリーグタイ記録。
堀が日本ハム戦で、7回に1000本安打を達成した。両リーグ192人目
なお、堀は、オフの10月29日、FA宣言することを表明し、11月5日、FA資格を行使した上でチームに残留することになった。(3年契約で年俸11000万円+出来高普Eい、再契約金7000万円)
近藤昭仁監督の解任が発表された。後任には山本功児2軍監督が昇格。
10月12日にパ・リーグ全日程が終了。1998年は、7月27日の時点では日本ハムが2位・近鉄に9.5ゲーム差をつけて首位を独走していたが、9月23日の時点で、日本ハム、西武、福岡ダイエー、近鉄の4球団が1ゲーム内にひしめく混戦であった。(10月7日に西武が優勝決定)
西武ドームでの西武戦は、西武・松井稼頭央(42盗塁)と小坂誠(43盗塁)の盗塁王争いが焦点の試合であったが、両チームが相手を走らせないため、ゲームを無視したかのようなプレーを連発。最終的には両者がタイトルを獲得したが、後味の悪い最終戦となった。
3回裏に松井が三盗に失敗すると、小坂も4回表に三盗塁失敗。7回1死後、小坂が安打で出塁し、芝崎が一塁牽制球で悪送球をするが、小坂はコーチに制止されて進塁せず。その後、芝崎が露骨なボークで小坂は渋々二塁に進塁。ショート松井が二塁ベースに張り付いて、小坂のリードを許さず、結局、小坂は三盗を試みて失敗した。7回裏、和田、松井が連打。西武は右の金村が代打に出て捕手の三塁送球をしづらくしてから重盗。松井の盗塁数が1つ増え、小坂に並んだ。