黒木知宏が初の開幕投手を務めた。
ボーリックが千葉マリンでのオリックス戦で、史上38人目(外国人では14人目)の初打席本塁打を記録した。急遽1軍昇格したボーリックは7回から一塁の守備についていたが、8回1死一塁で来日初打席に立つと決勝2ランを放った。
外国人選手の初打席本塁打 | |||
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打者 | チーム | 年月日 | 相手チーム |
ハドリ | 南海 | 1962-05-01 | 西鉄 |
スチュアート | 大洋 | 1967-04-19 | 阪神 |
バチスタ | ロッテ | 1975-06-03 | 南海 |
ミッチェル | 日本ハム | 1976-04-27 | 近鉄 |
ハンプトン | 近鉄 | 1981-06-05 | 日本ハム |
デシンセイ | ヤクルト | 1988-04-08 | 巨人 |
イースラー | 日本ハム | 1988-05-19 | ロッテ |
呂明賜 | 巨人 | 1988-06-14 | ヤクルト |
ディステファーノ | 中日 | 1990-04-07 | 大洋 |
ブラッドリー | 巨人 | 1991-04-06 | 中日 |
シュルジー | オリックス | 1991-05-29 | 近鉄 |
マーシャル | 日本ハム | 1992-04-04 | 西武 |
ミッチェル | 福岡ダイエー | 1995-04-01 | 西武 |
ボーリック | 千葉ロッテ | 1999-04-14 | オリックス |
ボーリックが本塁打を放った試合は驚異的な勝率で「ボーリック神話」と呼ばれた。
ボーリックが本塁打した試合 | |||
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月日 | 相手 | HR | スコア |
04-14 | オ | 1号 | ○6−4 |
04-15 | オ | 2号 | ○5−4 |
04-17 | 近 | 3号 | ○8−1 |
04-22 | 西 | 4号 | ○2−1 |
05-02 | 近 | 5号 | ○8−2 |
05-21 | 西 | 6号、7号 | ○7−1 |
05-22 | 西 | 8号 | ○5−3 |
05-25 | ダ | 9号 | △3−3 |
05-26 | ダ | 10号 | ○6−5 |
06-05 | 西 | 11号 | ○10−3 |
06-12 | 西 | 12号 | ○9−7 |
06-15 | オ | 13号 | ○12−2 |
06-20 | 日 | 14号 | ○8−4 |
06-23 | 近 | 15号 | ●9−10 |
06-26 | オ | 16号 | ○6−1 |
07-04 | 近 | 17号 | ○3−0 |
08-07 | 日 | 18号 | ○5−3 |
08-08 | 日 | 19号 | ○4−3 |
08-11 | オ | 20号 | ○2−0 |
09-02 | ダ | 21号 | ○6−2 |
09-05 | 日 | 22号 | ○4−1 |
09-07 | 近 | 23号 | ○2−0 |
09-09 | 近 | 24号 | ○4−3 |
09-10 | オ | 25号 | ●4−6 |
10-11 | オ | 26号 | ○5−2 |
5月30日の近鉄戦に勝利し、21勝21敗1分で勝率を.500とした。5月末に5割をキープするのは、1985年以来14年ぶりである。
6月26日のオリックス戦に勝利し、31勝27敗1分で6月の勝ち越しが決定した。6月末に5割をキープするのも、1985年以来14年ぶり。
年 | 5月末の成績 | 6月末の成績 | ||
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1985 | 20勝17敗2分 | .541 | 27勝26敗2分 | .509 |
1986 | 15勝17敗2分 | .469 | 20勝38敗3分 | .345 |
1987 | 13勝19敗4分 | .406 | 20勝30敗6分 | .400 |
1988 | 20勝21敗0分 | .488 | 27勝31敗1分 | .466 |
1989 | 14勝22敗0分 | .389 | 26勝31敗2分 | .456 |
1990 | 15勝18敗0分 | .455 | 22勝30敗1分 | .423 |
1991 | 16勝20敗0分 | .444 | 20勝42敗0分 | .323 |
1992 | 19勝22敗0分 | .463 | 27勝32敗1分 | .458 |
1993 | 17勝22敗0分 | .436 | 23勝33敗1分 | .411 |
1994 | 19勝23敗0分 | .452 | 29勝34敗0分 | .460 |
1995 | 20勝24敗1分 | .455 | 29勝34敗2分 | .460 |
1996 | 23勝25敗1分 | .479 | 33勝35敗2分 | .485 |
1997 | 19勝23敗1分 | .452 | 25勝37敗2分 | .403 |
1998 | 20勝21敗0分 | .488 | 23勝37敗1分 | .383 |
1999 | 21勝21敗1分 | .500 | 31勝27敗1分 | .534 |
6月28日、近鉄が、ウォーレンを不正投球の疑いでリーグに告発していたことが明らかになった。近鉄側はウォーレンが紙ヤスリでボールに故意に傷をつけて変化させているのではと疑問視。傷のついたボールを試合後にコーチが発見し、証拠品として提出した。これを受けて審判員がウォーレンを数日後に抜き打ち調査したが、証拠物件は確認できなかった。
6月29日、福岡ダイエーは、ウォーレンが必要以上に滑り止めのロージンをつけていると抗議したことが明らかになった。投球の度にロージンの粉が飛んで煙のようになり、ボールが見づらくなるという。
東京ドームでの日本ハム戦に5−4で勝利し、福岡ダイエーが敗れたため首位に立った。ロッテが7月以降に首位に立ったのは18年ぶりのこと。なお、この試合で、1998年6月5日以来の東京ドームにおける連敗を11で止めた。
貯金1の2位で前半戦を終えたものの、オールスター明けにいきなり6連敗し、5位に転落。直後に6連勝したが、また6連敗。7月以降は勝ち越せず、結局借金7の5位に終わった。
10月12日にパ・リーグ全日程が終了。小坂誠が西武・松井に1盗塁及ばず、盗塁王を逸した。
小坂は、10月7日の大阪近鉄戦で、5回に二盗に成功し、31盗塁とした。西武・松井は32盗塁で既に日程を終了し、ロッテは4試合を残していた。しかし、9日は出塁できず、10日は二盗失敗。11日は、1回に諸積が出塁すると代走に起用されて出場したが、8回に盗塁死した。12日も、2回に佐藤が出塁すると代走に起用され出場したが、6回、8回と2度盗塁死した。