黒木知宏が2年連続開幕投手を務めた。先頭打者の秋山(福岡ダイエー)に先頭打者本塁打を浴びた。開幕戦の先頭打者本塁打は1950年以降で15本目、パ・リーグでは8本目。
4月28日の西武戦(西武ドーム)に2−5で敗れ、開幕以来3勝17敗で勝率.150。1973年の近鉄と並ぶ20試合目のパ・リーグ最低勝率記録に並んだ。
5月12日のオリックス戦(神戸)で8回2死まで4失点で退いたが、小林雅、ウォーレンの救援を仰いで勝利投手になった。リリーフを含め8試合目で今季初勝利。
開幕戦先発投手の初勝利 | ||||
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投手 | 月日 | 相手 | 試合 | |
佐々岡 | 広 | 03-31 | 巨 | 1 |
石井一 | ヤ | 03-31 | 中 | 1 |
小林 | オ | 04-01 | 近 | 1 |
松坂 | 西 | 04-07 | オ | 2 |
上原 | 巨 | 04-08 | ヤ | 2 |
星野伸 | 神 | 04-14 | 中 | 3 |
川村 | 横 | 04-23 | 中 | 4 |
野口 | 中 | 05-02 | 巨 | 6 |
岩本 | 日 | 05-06 | 西 | 6 |
黒木 | ロ | 05-12 | オ | 8 |
福岡ダイエー・西村は右ヒジを痛めて1試合で戦線離脱。大阪近鉄・ウォルコットは防御率6.39、0勝2敗で4月20日に登録抹消。
5月21日の日本ハム戦で、小野と立石が9回まで無失点。延長に入っても後続投手が得点を許さず、12回で0−0の引き分けとなった。0−0の引き分けは両リーグを通じ、1996年の5月17日に千葉で行われた同じカード以来で4年ぶり。
6月10日、西武戦(西武ドーム)で、先発・松坂から6回表、2本塁打を含む6安打、3四球で9点を奪った。松坂のイニング最多失点は4失点だったが、これを大きく更新。イニング9失点以上はパ・リーグ史上でも10人目。西武の投手としては西鉄時代までさかのぼってもいない。ロッテ戦はこの試合の前まで8試合に登板し、6勝1敗1Sで、防御率1.24だった。
1イニング9失点以上 | |||||
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失点 | 投手 | 年月日 | 相手 | 回 | |
11 | 池之上格 | 南海 | 76-07-25 | 近鉄 | 9 |
10 | 野口二郎 | 阪急 | 51-10-05 | 大映 | 7 |
10 | 住友一哉 | 近鉄 | 85-09-18 | 南海 | 4 |
10 | 津野浩 | 日本ハム | 87-04-21 | ロッテ | 3 |
10 | ミラッキ | 近鉄 | 97-06-27 | 西武 | 1 |
9 | スタルヒン | 大映 | 50-04-09 | 近鉄 | 4 |
9 | 植村義信 | 大毎 | 58-07-08 | 南海 | 4 |
9 | 山内孝徳 | 南海 | 84-05-23 | 近鉄 | 3 |
9 | 小宮山悟 | 千葉ロッテ | 98-08-21 | 福岡ダイエー | 5 |
9 | 松坂大輔 | 西武 | 00-06-10 | 千葉ロッテ | 6 |
6月15日のオリックス戦(千葉)では、両チームが投手を7人ずつ起用し、合計14人が登板した。ロッテは先発・後藤が1/3回でKOされた後、河野、竹清、ロバーツ、小林雅、藤田、ウォーレンと続き、オリックスは、先発・杉本友が2回で退いた後、高橋功、カルロス、牧野、小倉、岩下、戎を繰り出した。
9イニングの試合に計14人は、
に並ぶタイ記録だが、翌16日の近鉄戦(千葉)でも14投手が登板した。ロッテは、吉田、竹清、ロバーツ、小林雅、河野、和田、藤田の7投手で、近鉄は、ウォルコット、エルビラ、盛田、杉山、酒井、柴田、奈良の7投手だった。
7月2日のオリックス戦(函館)で、小林雅が、3−4とリードされた8回2死一塁で登板。打者・小川に対し、2級目に暴投したが、一塁走者のイチローは三塁を欲張ってアウトでチェンジ。直後の9回表にロッテが5−4と逆転し、その裏はウォーレンで締めくくって勝った。勝利投手は8回裏の最後を投げた小林雅だが、打者と対決していないので、打者数ゼロ。これまで1球勝利投手は11人、2球勝利投手は今度の小林雅を含め、延べ32人いるが、打者数ゼロで勝利投手になったのは史上初めてのこと。
7月15日の西武戦(千葉)で延長10回の末7−6と勝利し、このカードで21年ぶりの5連勝。21年前の西武は球団発足の年で、開幕から12連敗を喫した年。
1979年 | 2000年 | ||||
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回戦 | 月日 | スコア | 回戦 | 月日 | スコア |
1 | 04-21 | △9−9 | 12 | 06-10 | ○10−3 |
2 | 04-22 | ○1−0 | 13 | 06-11 | ○8−2 |
3 | 04-22 | ○5−3 | 14 | 06-11 | △4−4 |
4 | 05-05 | ○11−2 | 15 | 06-27 | ○5−4 |
5 | 05-06 | ○8−4 | 16 | 06-28 | ○3−2 |
6 | 05-07 | ○7−1 | 17 | 07-15 | ○7−6 |
小野が7月30日の日本ハム戦(札幌)で4回まで6失点で敗戦投手になり、4月23に以来の日曜日9連勝、7月20日の海の日を含めた休日10連勝の記録がストップした。1985年に村田兆治が4月14日の日曜日に初勝利を挙げてから7月7日まで8連勝し、「サンデー兆治」として有名になったが、村田を超えた「サンデー晋吾」であった。
サンデー晋吾の10連勝 | ||||
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月日 | 相手 | 投球回 | 失点 | 勝敗 |
04-23 | オ | 5 | 3 | ○ |
04-30 | 西 | 7 | 1 | ○ |
05-07 | オ | 9 | 0 | ○ |
05-14 | オ | 9 | 2 | ○ |
05-28 | 西 | 6 | 3 | ○ |
06-04 | ダ | 7 1/3 | 0 | ○ |
06-11 | 西 | 6 0/3 | 1 | ○ |
06-25 | ダ | 5 | 6 | ○ |
07-09 | 日 | 6 0/3 | 1 | ○ |
07-20 | ダ | 6 0/3 | 2 | ○ |
8月1日のオリックス戦(千葉)で、24日ぶりの先発の黒木が23打者から11三振を奪ったが、7失点で4回1/3で降板。
2番手・ロバーツは1回1/3で5奪三振。オリックスで打席に立った12人のうち、三振しなかったのは代打本塁打を放った佐竹だけで、計18三振。プロ野球史上、1995年4月21日にオリックス・野田に9回まで19三振を奪われたロッテに続く三振数となった。
三振時、捕手に刺殺がつくので、最後までマスクをかぶった橋本は18刺殺のパ・リーグ信記録を樹立した。
10月16日にパ・リーグ全日程が終了。日本プロ野球の20世紀最後の公式戦だった。
この試合で、小野は160球で9回を完投し、13勝5敗。最優秀勝率投手となった。前日まで、規定投球回以上での勝率1位はオリックス・戎(8勝2敗)の.800で、以下、.706の小野(12勝3敗)、.687の西口(11勝5敗)、.677の松坂(14勝7敗)の順であった。しかし、パ・リーグの表彰規定は「勝率1位は13勝以上」とある。これにただ1人達していた松坂が自動的に勝率1位になるところだったが、最後に小野が13勝目を挙げ、勝率.722で松坂を抜き、逆転1位となった。