わたしはかもめ2000年鴎の便り(8月)

便

8月1日

千葉ロッテ3−10オリックス(千葉マリン)

オリックスが、初回、1死満塁から小川の適時打で2点を先制。5回には谷の二塁打で1点を加えた後、1死満塁から小川が満塁本塁打を放ち、計5点を挙げ、一方的な展開とした。

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オリックス20005101110
千葉ロッテ0000000033

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黒木10敗目

約3週間ぶりの先発となった黒木は、初回に2点を取られたものの、2回途中から4回途中まで好投していた。2回の塩崎の遊ゴロを除き、全て三振に取り10奪三振。95年に野田(オリックス)が記録した日本記録の19三振を上回る勢いだった。しかし、4回2死からナナリーのライナーが右肩付近を直撃。治療後、三輪から11個目の三振を奪ったが、影響は5回に出た。谷にタイムリー二塁打を打たれた後、小川には痛恨の満塁ホームランを浴びた。結局は4回1/3を投げて7失点。これで4連敗の10敗目となった。

黒木
「風が味方になり、いい投球はできていたと思う。ボールが当たるアクシデントがあったが、投げることができたのでそのまま投球しました。しかし、結果的にボールが高めに抜けるようになり、あのような形になってしまった。チームには迷惑をかけ申し訳ない。」
山本監督
「肩の影響があったのかもしれない。」

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橋本が刺殺のパリーグ新記録達成

橋本が、1試合における刺殺のパリーグ新記録を達成(18個)。三振はキャッチャーの刺殺としてカウントされる。

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黒木4回1/3、11KでKO

黒木の奪三振ショーに沸く千葉マリンのスタンドが一瞬にして凍りついた。4回2死からナナリーの打球が黒木の右肩を直撃。それまでは2回1死からの塩崎の遊ゴロを除いて全て三振に取り10奪三振。初回に2点を失ったものの、95年に野田(オリックス)が記録した日本記録の19三振を上回る勢いだった。

黒木
「ボールが当たるアクシデントがあったけど、投げることができたのでそのまま投球しました。でも、ボールが高めに抜けるようになり、あのような形になってしまった。」

治療後、不屈の闘志で再びマウンドへ上がり三輪から11個目の三振を奪ったが、続く5回は1死一、二塁から谷に左翼線二塁打。さらに1死満塁から小川に中越え3号満塁アーチを浴びてKOされてしまった。

7月8日の日本ハム戦で9敗目を喫して出場選手登録を抹消された。ロッテ浦和球場でミニキャンプを張り、ボールを一切握らずランニング、遠投の毎日。練習パートナーを務めた荘2軍投手兼トレーニングコーチが「信じられない量」という練習をこなした。満を持しての復帰登板だったが、終わってみれば4回1/3で7失点。KO直後のベンチ裏では「肩は大丈夫なんだけど…」とうつろな目で漏らした。

石井トレーナーは黒木の症状を「右上腕三角筋下部の打撲。右肩の外側部分です。病院には今のところ行く予定はないが、明日状態が悪かったら行く」と説明。5月24日にシドニー五輪出場が正式決定したばかりだが、状態次第ではキャンセルの可能性も出てきた。

前日には黒木に代わって前半戦を支えて来た小野が右ひじ痛で戦線離脱。山本監督も「黒木は肩の方が響いているのかもしれない。明日様子をみてみないと」と沈痛な表情で言葉少なに語った。

青波18三振
オリックスは1日のロッテ戦で18三振。1試合最多三振はロッテが95年4月21日のオリックス戦で記録した19個だが、この日のオリックスはそれに次ぐ歴代ワースト2位。また、この試合で橋本(ロ)は捕手として1試合最多刺殺18のパ・リーグ新記録。パの従来の記録は62年松並(阪急)90年山下(近)94年高田(オ)の各17でセでは55年藤尾(巨)の18刺殺が最多。

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小野は長期離脱へ

右ひじの故障で出場選手登録を抹消された小野の長期離脱の可能性が高まった。試合前に監督室で小野と話し合った山本監督は「前回(7月30日の日本ハム戦)も本人がいけると言って駄目だった。今度は慎重にいく。いつに復帰するという期限はつけず、しっかり治してもらう」と語った。一方の小野は「そんなに痛くはないんですが…」と言葉少なだった。

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石井がノック

7月9日の日本ハム戦で左手首を骨折し、全治2ヶ月の診断を受けた石井がアメリカンノックを開始した。この日、千葉マリンで高橋外野守備走塁コーチのノックを約30分間、右手にグラブをはめて捕球。汗だくになって「順調に回復している。終盤戦には間に合わせたい」と話した。

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