わたしはかもめ2002年鴎の便り(5月)

便

5月1日

千葉ロッテ3x−2福岡ダイエー(千葉マリン)

ロッテは、2−2の同点で迎えた9回裏、四球と死球、バント内野安打で無死満塁とすると、1死後、喜多がセンター前にサヨナラ打を放ち勝負を決めた。喜多はプロ入り初安打初打点。今季ダイエー戦初勝利。先発・加藤は5回まではパーフェクトピッチング。

123456789R
福岡ダイエー0000011002
千葉ロッテ000010011x3x

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喜多がサヨナラ打

ドラ1巡目・喜多がプロ初スタメンで、プロ初安打がサヨナラ打という最高にド派手なデビューを飾った。ロッテ新人のサヨナラ安打は、1997年6月8日西武戦で小坂が中前打を放って以来。

喜多
「どんなボールでも食らいつこうと必死でした。多少、甘かったからバットで拾えた。」

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D1巡目・喜多が殊勲のサヨナラ打…鷹戦連敗5で止める[サンスポ]

D1巡目の喜多(慶大)は、飯島のシンカーにやや上体をスエーさせたが、体の軸は崩さずにバットを振り抜いた。打球は中前に飛んだ。三塁から諸積が小躍りしながらホームを駆け抜けた。

4月24日のオリックス戦に続く今季2度目のサヨナラ劇。プロ初安打がサヨナラ打となった喜多めがけてナインは突進。初体験の手荒い祝福にヒーローは悲鳴を上げたが、細い目を一層細くしてなるがままだった。

喜多
「それまで4回も打席に立っていたので(9回の打席は)いつも通りに入れた。シンカーが甘く入ってきたので必死に食らいついたら、巧く拾えました。」

慶大4年の昨秋、東京6大学史上最高打率となる.535をマーク。即戦力と期待されて入団したが、12月11日に球団が行ったメディカルチェックで左くるぶし骨折が判明。原因は10月27日の早慶戦で外野フェンスに激突した際の不運だった。この骨折が響き、キャンプは2軍スタート。オープ戦で1軍に合流したものの、万全の状態には程遠く再び2軍落ち。前日(4月30日)に1軍に合流したばかりだった。

喜多
「自分がいないチームは見たくなかったので、テレビで(1軍の試合は)見なかった。これから怪我の遅れを取り戻したい。新たな1頁の始まりです。」

ダイエー戦の連敗もルーキーの活躍で5で止まった。山本監督は「6大学でもまれてきただけあって、大したもんだ。これで4月までのこと(7勝17敗1分け)は忘れたよ」と、こちらも会心の笑みだった。

喜多隆志(きた・たかし)
昭和55年2月6日、奈良県生まれ、22歳。智弁和歌山高から慶大を経て、平成14年にドラフト1位でロッテ入団。智弁和歌山高で甲子園優勝、慶大でもリーグ制覇を果たし、6大学新記録の打率.535で首位打者も獲得した。1メートル82、78キロ。左投げ左打ち。今季年俸は1500万円。

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喜多、プロ初安打はサヨナラ打[スポニチ]

無我夢中だった。待っていたのはストライクだけ。喜多の目いっぱい長く持ったバットと、描いていた白球の軌道が一致した。9回1死満塁。同じルーキーの飯島が投じた5球目。116キロのシンカーを体勢を崩しながら執念で中前へ運んだ。劇的な幕切れに球場は地鳴りのような大歓声で満ち溢れた。

喜多
「チームの勝利が1番ですから何とか食らいついていこうと必死でした。12球団一のロッテ・ファンがあってこそだと思っています。」

サヨナラ打は99年6月2日、慶大時代の新人戦(3位決定戦の東大戦)以来。15年目の野球人生で2度目の殊勲打に、ナインから手荒い祝福を受けた。サヨナラの“儀式”を終えた喜多を山本監督はグラウンドまで出迎えて握手を交わす。

打席に入る直前、指揮官は「勝ちたい、打ちたいという気持ちを抑えて楽にいけ」と耳打ちした。最高の結果をもたらしたルーキーに山本監督は「さすが6大学で経験を積んできただけある。逃げたい気持ちが出る場面だけど、よく立ち向かっていった」と手放しだ。チームの連敗を4で止め、対ダイエー戦の連敗も5でストップだ。

昨秋の東京6大学リーグで.535の最高打率をマークした。しかし、昨年10月27日の早大戦で左足くるぶしを骨折した影響から出遅れた。「2軍にいるときは、ほとんど1軍の試合を見なかった。自分がそこにいないのが悔しくて…」。ファームでの調整を経て、開幕してから1ヶ月後の4月30日に1軍に昇格し、6打席目でプロ初安打。智弁和歌山でも慶大でも全国制覇を経験した男は「このまま勝ち続けて優勝目指して頑張りたい」と話す。だからまだやることはある。ヒーローインタビューを終えた喜多はバットを振るためにベンチ裏に消えた。

◇加藤、好投も

先発・加藤が好投を見せた。この日まで開幕から5連敗を喫しているダイエー戦。その強力打線を5回まで完全に封じるなど、8回を4安打2失点に抑えた。それでも6回、ボークで同点にされ「ピッチングは良かった。もっと野球を勉強しなくちゃいけない」と小野投手コーチ。3月6日に脳梗塞で倒れて入院している祖母・照子さんの元へ3個目のウイニングボールを届けられず、加藤も「次の登板で頑張るだけ」と話していた。

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