ロッテは、1回、許からボーリック、メイの適時打で2点を先制。さらに、4回に初芝の適時打、7回に福浦の遊ゴロ間で2点を追加。小野が8回途中まで被安打7奪三振5無四球無失点の好投で、7月6日以来の白星を飾った。ロッテは西武との3連戦で今季初めて勝ち越した。西武は、6回と8回にチャンスを作るが、あと1本が出ず、自力優勝を逃した。しかし、ナイトゲームで2位ダイエーが引き分けたため、西武は西鉄時代も含めて4年ぶり19度目のリーグ優勝を決めた。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
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西武 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
千葉ロッテ | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | x | 4 |
マジック1のまま千葉マリンに乗り込んだ西武だったがロッテに敗れ自力優勝を逃した。しかし、ナイトゲームで2位ダイエーが引き分けたため、西武は西鉄時代も含めて4年ぶり19度目のリーグ優勝を決めた。
優勝決定日の敗戦は、両リーグを通じて1974年後期のロッテ以来28年ぶりで、2リーグ制後5度目の珍しいケース。1974年ロッテは阪急に0−1で敗れ、2時間9分後に2位南海が日本ハムと引き分けたために優勝した。また、昼間に試合を行い、夜に2位チームの結果待ちで優勝が決ったのは、1980年広島以来。広島はデイゲームで阪神に勝ってマジックを1とし、ナイトゲームで2位ヤクルトが中日に敗戦。広島ナインは甲子園から広島へ移動する新幹線の中で優勝の瞬間を迎えた。
優勝決定日に敗れたケース(2リーグ制後) | ||||||
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年月日 | 優勝 | スコア | 相手 | 2位 | スコア | 相手 |
1953-10-06 | 南海 | ●0−2 | 西鉄 | 大映 | ●0−3 | 阪急 |
1960-10-02 | 大洋 | ●1−6 | 阪神 | 巨人 | ●1−2 | 広島 |
1967-10-07 | 巨人 | ●1−2 | 阪神 | 中日 | ●5−9 | サンケイ |
1974-09-26 | ロッテ | ●0−1 | 阪急 | 南海 | △4−4 | 日本ハム |
2002-09-21 | 西武 | ●0−4 | ロッテ | ダイエー | △1−1 | 日本ハム |
[注]1974年ロッテは前後期制の後期。
1回2死3塁、カブレラへのカウントが0−3になると、ベンチはマウンド上の小野に「ムリに勝負をするな!」の指示を出した。ところが小野は、「昨日の試合を見ていてクリーンアップは“自分で決めてやる”の意識が強く感じられたので、取りあえず1つストライクを取って、そのあとボールダマを振らそうと思った」と指示を無視した。
その読みはズバリ当たった。カブレラは5球目の内角ボールダマをファウル。そして6球目、ストライクゾーンから外角に流れるスライダーを空振りした。
これでカブレラに自信を持った小野は、6回1死一、二塁の場面で迎えても、動揺はしない。ボールになるタマで誘い、2−1からフォークボールで勝負。空振りの三振に打ち取った。
7月6日以来の小野の3勝目は、フロント・営業を盛り上げた。この西武戦が始まる前は、西武の胴上げ後の試合を予想して、スタンドに“閑古鳥が鳴く”と諦めていたが、結果は前日(20日)の3万人につづいて、この日は3万2000人と上々の入りだった。
ロッテの営業関係者はさすがに落胆の色を隠し切れなかった。ダイエーが引き分けて西武Vが決定。22日の試合は消化試合に…。チケット収入だけで約2000万円、飲食売店代とグッズの売り上げを含め約5000万円と目論んでいた収益も皮算用に終わり、手塚康二営業部部長は「選手に助けてもらって神風が吹いたみたいだったのに…」と肩を落とした。
それでも、ナインは意地を見せた。先発・小野は“伝家の宝刀”シュートを駆使。初回2死3塁ではカブレラを0−3から勝負に出て最後は136キロのスライダーで空振り三振。ベンチは勝負を避けるように指示したが「僕の中で色気が出た」と笑った。打線の援護に応えて7回0/3を無失点。球宴期間に地元・静岡の三島大社で行った厄払いが実ったのか、7月6日以来、77日ぶりとなる3勝目だ。
「このまま終わったらカモになってしまうからね」と山本監督。意地は来季への光明でもあった。
20日に鼻骨などを骨折したの井上は21日、千葉県習志野市内の病院で精密検査を受け、脳などに異常がないことが分かった。井上の出場選手登録は21日に抹消された。