日本ハムは先発の岩本が6回2/3を被安打4、奪三振5、1失点と力投し、2002年4月12日以来の勝利で、今季初の4連勝を飾り貯金を1とした。日本ハムは995日ぶりの先発となったロッテ黒木から2回、高橋信が3ランを放ち3点を先制。5回にロッテ・諸積の2年ぶりとなる本塁打で1点を返されるが、7回に3点を追加し勝負を決めた。黒木は6回を被安打2、奪三振5、4失点と好投しながらも打線の援護がなく負け投手となり、ロッテは2002年開幕11連敗以来となる10連敗を喫し、借金を5とした。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
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千葉ロッテ | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 |
北海道日本ハム | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | x | 6 |
おかえり!ジョニー。黒木知宏投手が、01年7月27日以来、995日ぶりに1軍のマウンドを踏んだ。2回裏に3ランを浴びたが、6回0/3を2安打4失点と好投。かつて名勝負を繰り広げた日本ハム岩本勉投手との投手戦で、東京ドームを沸かせた。試合は岩本に736日ぶりの白星を献上し、チームは10連敗を喫したが、黒木は完全復活を感じさせる内容で、先発ローテ入りを確実にした。
観客が1番良く分かっていた。7回裏。黒木は先頭打者に四球を与え、交代を告げられた。ゆっくりとマウンドを降りるその時。自然にファンが三塁側ベンチ上付近に集まってきた。誰からともなく席を立ち上がり、球場全体がスタンディングオベーションで力投を称えた。
「あれには感動しました。でももっと良いものを見せたかった」。黒木は謙遜したが、スタンドの反応がこの日の好投を物語っていた。初回に坪井のピッチャー返しをグラブで叩き落とす気迫を見せた。2回に3ランを浴びた高橋信からは、5回に138キロ内角直球で空振り三振を奪った。真っすぐは141キロ止まり。だが30キロ以上の球速差があるカーブを交ぜて相手打線を2安打に封じた。「同時期に同じような成績を挙げ、ライバル心があった」という岩本との投げ合いで、力だけじゃない「ニュー・ジョニー」を披露した。
この日、観客席には裕子夫人と愛娘の芽依ちゃんの姿があった。2人は3月下旬、京都・清水寺へ旅行に出かけた。「娘が『2つお願いをしていい?』って聞くんです。何で?と問うと、自分のためと、もう1つは『パパが活躍できますように』だったんです」(裕子夫人)。01年7月7日、日本ハム戦以来の勝利はならなかったが、「ケガをしている間は、投げる姿すら想像できませんでした」という2人の目に、黒木はその姿を焼き付けた。
打線がかみ合わず、中継ぎ陣も打たれて、ロッテは10連敗。だがジョニーの好投がナインを勇気づけたのは間違いない。バレンタイン監督は試合後「素晴らしかった。チームを活気づけてくれると思うよ」と絶賛した。次回登板についても「オフコース!先発で投げさせるよ」と断言した。黒木も「暗い雰囲気でやってたら絶対ダメだかた。次はやりますよ。予定は、おそらくマリンじゃないですか」と自ら「予告」した。最下位に低迷するロッテのカンフル剤として、23日からのオリックス戦(千葉マリン)での復活の1勝を誓った。
ロッテが10連敗を喫した。黒木の好投を評価したバレンタイン監督も、試合後のベンチでは大荒れ。顔を真っ赤にして、叫び声をあげながらいすを蹴り飛ばした。この日の黒木、14日に先発した小野と、投手陣ではケガ人が復帰。それだけに「投手は良い状態になってきているんだが、チャンスであと何本かヒットが出ないんだ」と、底抜けに明るいボビースマイルは影を潜めた。
不調の打線を活気づけるため、この試合では「メジャー時代にもやったことがない」という、一、三塁のコーチボックスに立った。オープン戦では、オリックス伊原監督を「何でマイナーリーグでもないのに、監督がコーチャーに立ってるんだ」とからかった同監督。だが「連敗で選手が硬くなっていたから、リラックスさせたくて」と前言撤回した。それでも結果には結びつかなかった。
1日から就任した瀬戸山新代表が観戦に訪れた。試合後はロッカー室でバレンタイン監督と会談。「トレードについてはこれまでも常々、話し合ってきたこと。新外国人獲得は監督が『必要ない』と言っています」と早急な外国人補強については否定した。
里崎智也捕手が左ひざを手術することになった。13日の試合前練習中に違和感を訴え、16日に再び痛みに見舞われた。この日、検査を行い、半月板損傷と診断された。18日に出場選手登録を抹消される。全治まで最短でも1ヶ月はかかるため、ロッテは橋本、辻の捕手2人体制を余儀なくされた。
三塁ベンチへ向かう黒木がスタンディングオベーションで迎えられた。7回先頭・木元への89球目が四球となって降板。右肩を痛めた01年7月27日のオリックス戦(GS神戸)以来995日ぶりの復帰戦は白星で飾れなかったが「ジョニー」コールは右翼席の相手ファンからも降り注がれた。
「やっとスタートラインに立てましたね。第2の野球人生のスタートです」。早朝の自宅でタイの尾頭付きと赤飯で祝った自らの開幕戦は6回0/3で被安打2。雄叫びは封印し、最速は全盛期に及ばない141キロながら、緩急をつけて好投した。2回2死一、三塁で高橋信に被弾も「マウンドで理想の黒木が見えた。3回からイメージと投球が重なった」と手応えを得た。
ただ、その力投を生かせない現実がある。三塁コーチを務めるオリックス・伊原監督を「2軍でもないのに」と評したバレンタイン監督。「選手の緊張をほぐそうと」となりふり構わずベースコーチに立ったが、不振脱出の糸口は見えずに10連敗を喫した。「投手はいいから正しいところに安打が出れば」。黒木に白星を贈れなかったこの日の敗戦に、チーム状態の深刻さが浮かび上がった。
里崎智也捕手は17日、都内の病院で精密検査を受け「左外側半月板損傷」と診断された。近日中に再検査を受け、手術を受ける見込みだが、復帰までに1ヶ月はかかる見通し。里崎は13日の西武戦(千葉マリン)と16日の日本ハム戦(東京ドーム)で先発メンバーに入りながら、試合前に左ひざの裏に違和感を訴えて交代していた。バレンタイン監督は「大きなダメージ」と話した。
自然と沸き起る「ジョニー」コール。帽子を脱ぎ、一礼してマウンドへ向かう黒木に、4万2000観衆の視線が注がれた。平成13年7月27日以来、3年、995日ぶりの1軍登板。
「すごい声援だったね。込み上げてくるものがありました」。セットポジションに入り、大歓声が静寂に変わる中、投じた第1球はカーブだった。「ニュー黒木を見せたかった」という言葉通り、変化球主体の緩急をつけたピッチング。2回に高橋信に1発を浴びたが、7回途中まで被安打はわずかに2。ブランクを感じさせなかった。
右肩を傷めたのが平成13年7月27日。翌14年は太ももの肉離れを併発し、登板なし。昨年5月に2軍戦で実戦復帰。その後、再び違和感を覚え、ファームで1年を過ごした。「辞めた方がどんなに楽だろう…」。弱気になったとき、支えとなったのが最愛の家族だ。
先月、夫人の裕子さんと長女の芽依ちゃんが京都旅行に出掛けた。芽依ちゃんは清水寺で「2つお願いしていい?」と母に尋ねた。自分の願い事のほかに「パパが野球頑張れますように」とお願いしたという。故障当時2歳だった愛娘は5歳になった。物心ついた娘に、グラウンドに立つ父の姿を見せたい。その目標を果たせた。
平成10年、プロ野球ワースト記録を更新した、17連敗目の試合。先発して、9回に同点アーチを浴びて降板し、涙を流したのが黒木だった。またも連敗はストップできなかったが、不思議な巡り合わせに、黒木の持つ“ドラマ性”を感じる。
「自分が起爆剤になれればいい。次は絶対、やりますよ」。30歳になったジョニーが、チームとリーグに、さわやかな風を吹き込んだ。
平成10年、7月7日のオリックス戦(GS神戸)。16連敗中の重圧を背負って黒木が先発。3−1と2点リードで迎えた9回裏、2死一塁の場面で、オリックス・プリアムにまさかの同点2ラン。あと1人で連敗脱出というところからの被弾に、黒木は茫然自失。マウンドで泣き崩れた。その後、ロッテの連敗は18まで伸びた。
ついに連敗は10と2ケタに突入した。バレンタイン監督は「選手が硬くなっているので、ほぐそうと思った」とメジャー時代も経験のない、一塁、三塁いずれのコーチスボックスに立つなど必死。「ピッチングスタッフはいい状態なんだけど…」。最近5試合で打率.171と低迷する打線に奮起を促していた。
ロッテの10連敗は、平成14年3月20日の西武戦から4月13日のオリックス戦にかけての11連敗以来で2年ぶり。球団最多は平成10年に喫した18連敗(1分けをはさむ=プロ野球ワースト記録)。
月日 | 相手 | 勝敗 | スコア | 責任投手 |
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04-06 | 日本ハム | ● | 1−4 | 戸部 |
04-07 | 日本ハム | ● | 1−6 | 薮田 |
04-09 | オリックス | ● | 4−7 | 小林雅 |
04-10 | オリックス | ● | 7−9 | 川井 |
04-11 | オリックス | ● | 3−11 | 渡辺俊 |
04-12 | 西武 | ● | 0−4 | 小林宏 |
04-13 | 西武 | ● | 5−9 | 小宮山 |
04-14 | 西武 | ● | 3−5 | 小野 |
04-16 | 日本ハム | ● | 1−2 | 清水直 |
04-17 | 日本ハム | ● | 2−6 | 黒木 |
敵も味方もない。4万2000人の観衆が総立ちで、マウンドを降りる男を称えた。黒木は帽子を取り、三塁側に、左翼席に深々と頭を下げた。「感動しました。でも、もっといいものを見せたかった」脳裏に、右肩痛に苦しんだ2年半の月日が駆けめぐる。7回途中で降板。だが、投げ込んだ89球が復活を証明した。ジョニーが帰ってきた。
連敗がついに2ケタに突入したチームの、一筋の光明だった。2001年7月27日のオリックス戦(神戸)以来995日ぶりの1軍マウンドは、6回0/3を4失点ながら許した安打は2回の2安打だけ。MAXは全盛期にはほど遠い141キロながら、自ら言う“新しい黒木”が、変化球を有効に使って好投。失投は高橋信に3ランを浴びたフォークの1球だけだった。
支えてくれた家族の笑顔が見たい一心で、崖っ縁からはい上がった。三塁側席で裕子夫人と芽依ちゃんが雄姿を見守った。母子で3月に京都旅行したとき、清水寺で娘が「2つお願い事がしたい」と言ったという。「自分のお願い事と、パパが野球で頑張れますようにって。怪我したときはまだ物心がついてなかったのに…」夫人が目頭を押さえた。
「とてもよかった。次も先発だろう。あとはヒットが出ればね…」バレンタイン監督自らコーチスボックスに立ってナインを鼓舞したが、結局は打線の不調が復活勝利を阻んだ。だが、ジョニーは「次は絶対にやります。千葉マリンでしょう、次は…」と前を見据えた。最短で24日のオリックス戦が濃厚。涙をこぼすには、まだ早い。ホームで本当の復活を飾ってみせる。
左ひざの違和感を訴えていた里崎智也捕手が17日、東京都内の病院で検査を受け「左ひざの外側靱帯損傷」と診断された。全治のほどは不明だが、手術を受ける見込みで、前半戦絶望の可能性もある。里崎は、13日の西武4回戦(千葉)開始前に左ひざの痛みを訴えて先発出場を回避したほか、16日も試合前練習を終えた後に痛みを訴えていた。
黒木知宏投手が01年7月27日以来の復帰を果たした。7回途中まで2安打4失点で、チームの連敗を止めることができなかったが、「投げていて楽しかった。次は勝ちにこだわりたい」と表情は明るかった。
4万2000人を集めたスタンドからは割れんばかりの「ジョニー・コール」が響き渡った。「込み上げてきた」と話す黒木はダッグアウトを出ると、脱帽して一礼し、マウンドに歩を進めた。
投じた1球目は、112キロのカーブ。球審の「ストライク」のコールに、場内は大声援に包まれた。再三、肩の故障に泣かされ続けた、かつてのエース黒木の「もう1度投げたい。もう1度花を咲かせたい」との思いをぶつける舞台ついに実現した。
1回、小笠原を見逃し三振に仕留めるなど上々のスタートを切ったが、「まだ、理想の自分と、いまの自分が別に投げていた」。2回の2死一、三塁、高橋信へのフォークボールは快音とともに左中間席へ消え、3点を失った。
それでも、3回から7回途中に降板するまで無安打。チームの連敗も止められなかったが、表情に暗さはなかった。次に乗り越える目標、それは01年7月7日以来の白星しかない。