わたしはかもめ2004年鴎の便り(10月)

便

10月9日

帰国延期

ハワイへ帰国予定だったロッテのベニー・アグバヤニ外野手は成田発の飛行機が台風で欠航となり、帰国を10日以降へ延期。

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新球団設立までトレード凍結[ニッカン]

◇古田会長要望、団交で約束されていた

労組プロ野球選手会(ヤクルト古田敦也会長)が各球団に対して、トレード交渉の一時凍結を依頼していたことが9日、分かった。8日までに各球団に対して文書などで通知した。9月23日にスト回避を決めた協議交渉委員会の席上で交わされた約束事の確認。11月2日のオーナー会議で承認される見込みの新球団の設立を待ち、分配ドラフトや9日の合同トライアウトをへて新球団が形になるまで、トレード交渉を控えて欲しいという要望だ。

通常はレギュラーシーズン終了の翌日からトレードが解禁される。トレード先を探す時に、新球団を候補に入れて欲しいという意図があるようだ。ヤクルトでは、通知が来たことから、選手会の古田会長にも内容を確認。トレード要員となった飯田の移籍先探しも、約束に従って先延ばしとなった。全ては新球団が来季、戦える陣容を整えられるようにという善意の処置。自由契約の選手についても、9日に西武球場で行われる合同トライアウトまでは、各球団が接触しないことが決まっている。

◇根来提案進展なし

根来コミッショナーが提唱し、設立を目指している「有識者会議」のメンバー人選について、いまだ進展がないことを明かした。9日、宮崎で行われたファーム日本選手権を視察し「人選はまだまだです」と話した。会議はプロ野球の将来像や協約などについて有識者から意見を仰ぎ、球界活性化につなげることを目的とするもの。人選はコミッショナーや各球団オーナーから推薦を受けて決定し、来年1、2月の発足を目指すとしている。

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明日、フェニックスで宮崎入り

大塚が本格的な復活を目指して、フェニックス・リーグに参加する。2002年シーズン終了後に右肩を手術。担当医から「元どおりに筋力が復活するまで2年かかる」と言われていたが、以来2シーズン、その右肩痛との苦闘の連続だった。今シーズンもバレンタイン監督から1軍合流の命を受け、4月に1軍に登録されたが、6月に再びその右肩に違和感を覚え登録を抹消。そのままシーズンが終了した。 このオフでメスを入れてから2年が経過した。昨年、今年と無理をしてゲームに出たために、若干回復は遅くなっているが、手術前の90%のところまで筋力が戻ってきた。バレンタイン監督も「大塚は1年間通じて出来る体をこのオフに作るように」と古賀2軍監督に厳命している。

大塚とともにフェニックス・リーグへの参加を志願したのが清水将。今シーズンはいいところなく、出場した試合も25試合に終わった。「今までで、1番悔いが残るシーズン。このままでは終われない」と今日もマシン相手にバットを振った。フェニックス・リーグは若手中心で臨むため、清水将の出番は限られる。それでも参加を志願した。「こちらに残ってもマシン相手に打つこととウェイトぐらいしか出来ない。だったら、同じ練習をするのでも、ゲームの緊張感の中でやっていたほうがいい」と志願した理由を説明した。

大塚
「今、バッティングの状態はどん底です(笑)。何がどうなって、どこが悪いのか自分では全く分からない状態。でも、右肩は9割程度戻っています。このオフが1つのポイントになると思っています。」
清水将
「今シーズンは、今までで1番悔いが残るシーズン。このままでは終われないですよ。この時期、やることは分かっているから。ただ、今シーズン結果が出なかったことは何かしら問題があったから。それを考えながらやっていかないと…。とにかく、1から出直すつもりで頑張るだけ。」

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ライブドア逆転、お先に東北6県制覇[報知]

東北6県制覇は堀江社長が“逆転勝ち”へ−。ライブドアの堀江貴文社長が、連休明けの12日に青森、岩手、福島の3県を訪問することが9日、決まった。これで東北6県全ての知事に挨拶をすませることになり、ライバルの楽天・三木谷浩史社長より先に「東北制覇」となる。

東北行脚合戦は当初、三木谷社長がリードしていた。9月24日に三木谷社長が宮城県・浅野史郎知事を訪れ、夜に堀江社長が追いついた。28日に三木谷社長が岩手、福島を行脚してリード。両社長は30日に秋田、7日に山形を訪問。3県の堀江社長に対し、三木谷社長が5県でリーチをかけていた。

三木谷社長は14日に青森訪問を予定していたが、その日はNPB(日本プロ野球組織)審査小委員会の第2回公開ヒアリングが入ったため、断念し、14日の前後で調整を進めている。

12日に行くことになれば、ライブドアと“同着”となるが、楽天広報部では「競争ではありませんので、12日にこだわるつもりはありません」と話している。

◇楽天事務所、仙台仮オープン

楽天野球団準備室の事務所が9日、仙台市内に仮オープンした。楽天では既に9月30日から篠崎隆広取締役ら専属スタッフを3人駐在させているが、これまではホテルでの作業が続いていた。このほど、オフィスビルの1室を借り、拠点としたもの。

ライブドアも定期的にスタッフを出張させてはいるが、事務所はまだ出来ていない。楽天では、来週以降に三木谷社長の訪問を待って、正式に事務所開きを行いたい方針だ。

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堀江社長、仙台争奪戦も服装も「自然体」[報知]

ライブドアの堀江貴文社長が9日、スポーツ報知の独占インタビューに初めて応じた。同社長はプロ野球に新規加盟申請して以来、新聞社のインタビューを先送りしてきたものの“IT時代の革命児”だけに、今回は電子メールによる質問に素早く反応。画期的なメール・インタビューが実現した。本拠地・仙台を巡って楽天・三木谷浩史社長とし烈な争いを展開中だが、巨大組織を相手にTシャツ姿同様、自然体で挑むことを強調した。

≫本業の方も忙しいようですが、今、睡眠時間はどれくらいですか。体力は大丈夫?
堀江社長
「睡眠時間は7〜8時間です。最近はもっと短いときもありますが、睡眠をとらないと、いい仕事はできない、という主義です。忙しくても時間の使い方によって、眠ることはできます。」
≫新規参入に名乗りをあげて正解でしたか?
堀江社長
「皆さんから応援をしていただけるということが大変嬉しく思います。」
≫東北での“堀江ブーム”についての感想を。
堀江社長
「大変ありがたく思います。予想はしておりませんでした。」
≫何が東北人のハートをとらえたと思いますか?
堀江社長
「東北に久しぶりのプロ野球団誘致を宣言したことだと思います。」
≫後から東北本拠地を表明した楽天・三木谷社長については?
堀江社長
「特に感想はありません。裏舞台で戦うのではなく、野球の試合場で戦いたかったなと思います。」
≫あの時(今年6月)に近鉄買収に名乗りをあげていなければ、来季は1リーグになっていたと思いますか?
堀江社長
「分かりませんが、そう(1リーグに)ならない一因を作ったとは思います。」
≫長期戦を通じて野球への愛着が増していますか?
堀江社長
「それとこれとは別ですが、チームが出来れば頑張りたいと思います。」
≫“老害世代との対決だ”とおっしゃっていますが、言いたいことは遠慮せず、黙っていられないタイプ?
堀江社長
「黙っていられない、というよりは自然体です。」
≫NPB(日本プロ野球組織)のヒアリングなどで、球界トップの印象は変わりましたか?
堀江社長
「特に変わりません(良い意味で)。」

[注]堀江社長は近著「プロ野球買います!」で7月1日付スポーツ報知を引用し、「まず、やり玉にあがったのは、信じられないことに僕の服装である」と記している。

≫最初の近鉄買収会見でTシャツ姿を批判され、怒った?
堀江社長
「特に…。慣れの問題でしょう。」
≫ベストジーニスト受賞、おめでとうございます。堀江スタイルが市民権を得たということ?
堀江社長
「こちらは業務とは直接関係ありませんので割愛をさせていただきます。」
≫。
ライブドア広報部
「。」
≫ネクタイはいつ以来していませんか。また、今後、例えば加盟決定会見など、着用される予定はありますか?
堀江社長
「友人の結婚式で蝶ネクタイをして以来です。今後は…。」
≫監督選びは人気、実務どちらを優先させますか?
堀江社長
「両方です。」
≫理想の監督のタイプは?
堀江社長
「30〜40代の方です。」
≫球界参入は何度でも挑戦する?
堀江社長
「失敗したときのことは今は考えていません。」
≫ライブドアにあって、楽天にないものは何?
堀江社長
「比較すること自体、ナンセンスだと思います。」
≫最近のスポーツ新聞などでのライブドアVS楽天の過熱報道をどう思いますか?
堀江社長
「球界発展につながるのであれば、いいと思います。」

≫今後も紙面を騒がせてください。

堀江貴文(ほりえ・たかふみ)
1972年10月29日、福岡県生まれ。31歳。96年4月、東大文学部在学中に、インターネット専門の有限会社オン・ザ・エッヂを設立し、代表取締役に。97年7月に株式会社に組織変更。00年4月、東証マザーズに株式上場。04年にライブドアと社名変更。6月に近鉄買収を表明し“Tシャツ社長”として一躍有名に。タレントの西村美保と交際中。

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