わたしはかもめ2010年鴎の便り(5月)

便

5月31日

育成で球団初、岡田1軍昇格

岡田が育成枠出身者として初めて1軍に昇格した。荻野貴が右ひざ負傷で手術を受けてリハビリチュウ、30日の横浜4回戦では早坂が左ひざを負傷して登録抹消となり、1軍登録された。社会人野球の全足利クラブから08年育成ドラフト6位で入団し、昨年支配下選手登録された25歳は「できることをしっかりやる。足と守備でアピールしたい」。

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球団初の育成1軍登録・岡田で交流戦V狙う…ロッテ[報知]

ロッテが4年ぶりの交流戦制覇に向け、秘密兵器を投入する。昨年、育成から支配下登録された岡田幸文外野手(25)が31日、1軍に合流。「こんなに早く上がれるなんてびっくり。思い切った守備、走塁をアピールしたい」。50メートル5秒6の俊足を武器に、1日からの巨人2連戦(千葉)で大暴れする。

今季イースタンで40試合に出場。打率2割8分8厘、そしてリーグ2位の14盗塁をマークしている。西村監督は「足の速さと守り。(故障離脱した)荻野と早坂の穴を埋めるのは、岡田」と大きな期待を込めた。

日大では巨人・長野の同級生。だが左ひじを痛め、わずか数ヶ月で中退した。しかし、野球を諦めきれず、社会人の全足利クラブに入団。「足利ガス」で60キロのプロパンガスを1日60本、朝から夕方まで運び、夜から練習に参加する日々が続いた。プロ入りの際は安定した生活を望む妻・由美子さん(37)から反対されたが、「2年だけやらせてくれ」と夢を追った。

ロッテで育成出身者が1軍登録されるのは、初めてのケース。掛け値なしの“雑草男”は「できることをしっかりやりたい」と語った。

岡田幸文(おかだ・よしふみ)
1984年7月6日、栃木県生まれ。25歳。作新学院高では3年夏に県4回戦敗退。日大を中退し、04年3月に全足利に入団。08年育成ドラフト6位でロッテ入団。09年3月に支配下登録。177センチ、70キロ。左投左打。家族は妻と2女。

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マーフィー、気合の丸刈り頭を披露…ロッテ[報知]

中継ぎから先発に転向して3連勝中のロッテの左腕・マーフィーが、1日の巨人戦(千葉)に向け、気合の丸刈り頭を披露した。「中途半端に伸ばすより刈った方がいいと思ってね。巨人はパワーもスピードもある打線。持ち味を出して攻撃的に攻めたいね」。武器は縦に大きく割れるカーブ。「坂本、阿部はいいバッター。ビデオを見て研究しておくよ」と助っ人は不敵な笑みを浮かべていた。

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ロッテ「代役の代役」は“子連れ”入団の苦労人[スポニチ]

「ポスト荻野貴」として2008年育成ドラフト6巡目で入団したロッテ・岡田が、1日の巨人戦(千葉マリン)で出場選手登録されることになった。ロッテで育成ドラフト出身の選手が1軍登録されるのは初めてとなる。

西村監督は31日、右ひざ半月板損傷で離脱中のドラフト1位・荻野貴の代役として、「荻野貴、早坂の代わりができる選手として期待している」と岡田を指名した。岡田は、由美子夫人(36)と長女・真優ちゃん(3)、次女・凛乃ちゃん(2)を栃木県足利市に残して単身、プロ入り。夫人から猛反対されたが「2年間、やらせてくれ」と説得した。2年目の今季は2軍で「1番・中堅」に定着。売りは荻野貴と同じ50メートル5秒6の快足だ。チームは荻野貴の離脱後、打線が低調。離脱前46試合で38併殺打だったが、離脱後7試合で14併殺打。足を使える選手が少なくなったことで、拙攻が目立っている。1軍に合流した岡田は「ミスを恐れず思い切ったプレーをしたい」と意気込み、「育成の巨人」に一泡吹かせる。

岡田幸文(おかだ・よしふみ)
1984年(昭59)7月6日、栃木県生まれの25歳。作新学院では甲子園出場なし。左ひじ故障で日大中退後、足利ガスの契約社員として働きながら全足利クラブでプレー。全足利クラブ引退後は足利ガスで正社員の予定も08年育成ドラフト6巡目でロッテ入団。翌09年3月30日に支配下選手登録された。50メートル走5秒6、遠投100メートル。家族は妻と2女。1メートル77、70キロ。左投げ左打ち。

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“丸刈り”マーフィー、本拠地巨人戦先発へ[スポニチ]

ロッテ先発では3戦3勝中のマーフィーが1日の巨人戦に先発する。

自前のバリカンで丸刈りにして本拠地での練習に姿を見せた助っ人左腕は「理髪店でお金を払わなくていいし、2004年から自分で刈り上げているんだ」。中継ぎからの配置転換に応えて、結果を出し続けており「(ケガ人が多い分は)みんなでカバーしていかないと」と話した。

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大嶺が2週間ぶりに1軍合流[ニッカン]

ロッテ大嶺祐太投手(21)が31日、1軍に合流した。ファームで再調整中だったが、28日のイースタン・巨人戦で5回1失点と好投。2週間ぶりの1軍復帰となった。この日行われたチームの全体練習では、ランニングやバント練習を行い汗を流した。状態に関しては「体のバランスが悪かったけど、よくなってきた。下半身が使えるようになってきた」と手応えを感じていた。

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ケガ人続出のロッテ、先発右腕が合流、6・6復帰濃厚[スポニチ]

ロッテ・大嶺が千葉マリンでの1軍練習に再合流した。5月16日の巨人戦(東京ドーム)で3回4失点KOされ自身は3連敗。翌17日に2軍落ちしたが、同28日のイースタン・リーグの巨人戦(ロッテ浦和)で5回3安打1失点と復調の兆しを示していた。

「走り込んで下半身がしっかりしてフォームのバランスが良くなった。直球も勢いが出てきたと思う」と大嶺。負傷離脱者続出で先発の台所事情も苦しく、西村監督は「どこかで先発として投げさせる」。6月6日のヤクルト戦(神宮)で先発復帰することが濃厚だ。

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ロッテ・吉見、意地と恩返し!新天地で復活[サンスポ]

水を得た魚だ!横浜からロッテに移籍した東北福祉大出身の吉見祐治投手(31)が、存在感を見せている。古巣の横浜相手に先発した5月29日の試合(千葉マリン)では6回をピシャリと抑えて2勝目。再起なった左腕は7月初旬に行われる楽天戦(Kスタ宮城)の“凱旋登板”を心待ちにしている。

古巣への初マウンドは10年間の思いをぶつけた『意地と恩返し』の72球であった。

「見返したいというのはもちろん、活躍することが恩返しだと思っていました」。6回を3安打無失点の鮮やかな復活投で、“ロッテの吉見”を強烈にアピールした。

02年に11勝も、ここ5年間は05年の4勝が最多勝ち星。10年目の今季は復活が期待されたが、開幕5戦目の巨人戦(横浜)に先発して2回途中でKO降板。翌日から2軍生活を送っていたそんな左腕に目をつけたのがロッテだった。

開幕ダッシュに成功したものの、先発陣から小野、川越が故障で戦列離脱。成瀬のほかには左の先発がおらず、吉見に白羽の矢が立った。

5月9日に金銭トレードが決まると、横浜関係者には涙ながらに別れを告げた。そしてロッテでの心機一転は投球フォームの改造。西本投手コーチのアドバイスでそれまでプレートに軸足を掛けていたのを、沿わせて立つようにした。

これが成功した。「ためができ制球がよくなった」(吉見)というように、球威が復活。横浜時代のチームメートの村田も「腕が振れて直球が伸び、差し込まれた」と証言している。

今の状態なら毎年の交流戦で楽しみにしていた“第2の故郷”での先発も有力。仙台を訪れた際は、02年8月に他界した東北福祉大の恩師・伊藤義博監督(享年56)の墓参りを欠かさない。

「今の自分があるのは伊藤監督のおかげ。しっかりやらんとしかられます」。ロッテは7月6日からの楽天3連戦(Kスタ宮城)など、あと3度の仙台遠征がある。生まれ変わった自分を見せたい。今年は吉見の墓前報告が増えそうだ。

吉見祐治(よしみ・ゆうじ)
1978(昭和53)年5月21日、和歌山県生まれ、31歳。星林高から東北福祉大に進み、4年時にシドニー五輪出場。01年ドラフト2位で横浜入団。02年に11勝を挙げ、03年には開幕投手を務めた。今季5月にロッテへトレード移籍。1メートル88、86キロ。左投げ左打ち。既婚。年俸2900万円。背番号12。

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