わたしはかもめ2010年鴎の便り(6月)

便

6月12日

千葉ロッテ2−4阪神(千葉マリン)

効果的に加点した阪神が2連勝。2回にブラゼルの18号ソロで先制。4回には城島の10号、7回に金本の6号と2本のソロ本塁打などで加点した。先発の久保が8回1失点で5勝目。9回は藤川球が締めた。ロッテは反撃及ばず2連敗。

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千葉ロッテ0000000112

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ロッテ打線元同僚久保打てず5安打で1点[ニッカン]

ロッテ打線が元チームメートに封じられた。阪神の先発は久保康友投手(29)。08年までロッテに在籍し、40勝を挙げた右腕に千葉マリンを逆に利用された。8回に今江敏晃内野手(26)の4号ソロで一矢報いたが、自慢の打線が5安打で1点しか奪えず。満員3万38人のファンも、ロッテ側は静まりかえった。

6〜8メートルの風で変化が増した。4回にはサブロー、福浦がフォークで連続三振。石貫スコアラーは「フォークの変化は一定じゃない。内に外に落ちたりする。久保もよく分かってたんじゃないか」と分析した。同期入団で1安打を放った大松も「風もあってフォークも低めに制球されていた」と相手をたたえた。

痛い連敗で4年ぶりの交流戦優勝が消滅。西村監督は「あくまで目標はシーズンですから」と前を向いた。

◇今江パパ猛打賞

今江が父親として意地の3安打だ。前日11日の練習は志願して参加。休日返上の効果が3安打1本塁打の結果として出た。8回には久保の外角直球をとらえ4号ソロ。この日、長男の幼稚園の参観日に参加できず、バットで応えたい思いもあった。「昨日の夜から『パパ頑張るから』と言ってたんで、父親の面目は保てたかな」と家族へ贈る1発だった。

竹原
「球児かよ〜って感じでしたけど。うまく対応できました。自信になります。」(この日1軍昇格し、9回に代打で中越え適時二塁打)

◇義援金

ロッテが阪神3回戦(千葉マリン)の試合後、監督、選手の野球用具オークションを行った。合計128万3000円が集まり、口蹄疫被害の義援金として宮崎県へ全額寄付する。

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ロッテ交流戦Vが消滅、先発吉見3失点[サンスポ]

2006年以来の交流戦の優勝が消えた。先発・吉見は点の取られ方が悪かった。2本のソロ本塁打を浴びるなど、3失点。その内、2点は二死走者なしから奪われた。西村監督は「あくまでも(大事なのは)シーズンですから。明日は当然勝って、いい形で交流戦を終えたいですね」とさばさばと話した。

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ロッテ、連敗で交流戦V逸…[スポニチ]

ロッテは、連敗で交流戦優勝の可能性も消滅した。

先発の吉見が5回3失点。4、5回は2死無走者から追加点を献上し「簡単に2死までいっただけにもったいない。細心の注意を払わないと。防げる失点だった」と猛省した。終盤追い上げた打線も元同僚・久保を打ち崩せず阪神には今交流戦3戦3敗。西村監督は「投手がもう少し踏ん張らないと」としたうえで交流戦V逸には「あくまでシーズンですから」とした。

今江
「負けたので悔しい。でも0点で終わるのと点が入るのでは違うし、明日につながると思います。」(8回の4号ソロ含む3安打も実らず)

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連敗で4年ぶり交流戦V逃す[ニッカン]

ロッテが連敗で4年ぶりの交流戦優勝を逃した。元チームメートの阪神久保から8回まで1得点と打線が沈黙。投げても先発の吉見祐治投手(32)が5回3失点と踏ん張れず、2敗目を喫した。西村監督は「投手が踏ん張ってくれないと。明日の勝利に全力?当然みんなそういう気持ちで臨みます」と切り替えていた。

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ロッテ、交流戦V消滅…吉見、2被弾3失点[サンスポ]

ロッテは2006年以来の交流戦の優勝が消えた。西村監督は「(大事なのは)あくまでリーグ戦ですから」とさばさばと話した。

先発の吉見は点の取られ方が悪かった。2本のソロ本塁打を浴びるなど、3失点。その内、2点は2死走者なしから奪われた。2敗目を喫した左腕は「防げる失点だったと思う。最善の注意を払えば良かった」と悔やみきれない様子だった。

今江
「今日は息子の幼稚園の父親参観日。行けなくて寂しい思いをさせるけど、頑張るからと(息子と)約束していた。」(8回に4号ソロ)

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吉見リズム作れず5回3失点[ニッカン]

ロッテ吉見祐治投手(32)が、5回8安打3失点で降板した。2回はブラゼルに18号ソロ、4回には城島に10号ソロ、5回には金本に右前適時打を浴びKOされた。「ブラゼルのホームラン以外すべて2死からの失点。リズムを作りたかったけど、それができなかった」と、もったいない失点を悔やんだ。

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[疾走!千葉ロッテ荻野貴司日記]リハビリの効果[毎日新聞]

◇動かせるよろこび

退院して1週間たった。手術も入院も初めての経験。これまでの人生では小さい頃に手首を骨折したのが1番大きなケガだった。ひざの半月板損傷で動き回れない、走れない日々が続いている。

思えば、物心ついた頃から走っていたように思う。幼稚園に通う前から毎日、朝ご飯を食べる前に、1周600メートルほどある家の周りを兄と一緒に走っていた。両親が「健康のために」と横に並んで一緒に走ってくれたのがきっかけだった。僕達だけで走れるようになってからは、自分達で何周するかを決めて走った。3周の時もあれば5周の時も。寝坊したら周回を減らす。朝7時ぐらいなので、近所の人達がポストの朝刊を取りに、玄関から出てくることも多かった。「おはようございます」と挨拶をさつを交わして駆けて行ったことを今でも覚えている。

これまで野球の練習で「苦しいな」と思うこともあった。でも、ためになることならやれる。走るのが好きだから、ダッシュやランニングの練習は苦にならなかった。リハビリの結果、普通に歩けるようになり、今では負荷をかけてバイクをこぐトレーニングもしている。まだ走ることはできないけど、思うように足を動かせるようになってきたのが嬉しい。(まとめ・荻野公一)

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