わたしはかもめ2010年鴎の便り(11月)

便

11月7日

日本シリーズ第7戦

◇中日7−8千葉ロッテ(ナゴヤドーム)

ロッテが今シリーズ3度目の延長戦を制した。7−7の延長12回に2死二塁から岡田の三塁打で1点を勝ち越した。1点リードの9回に小林宏が打たれて延長に持ち込まれたが、最後は伊藤が締めて振り切った。中日は投手陣が4点のリードを守れなかった。土壇場で追い付いたものの、浅尾が4イニング目につかまった。

123456789101112R
千葉ロッテ2001301000018
中日3120000010007
渡辺俊
「日本一になったので、いいです。長かった。疲れた。」(2回4失点で降板も)
成瀬
「初めての日本一なので、嬉しい。今日は打線が打ち勝つ感じがした。負ける雰囲気はなかった。」(05年は2軍暮らし)
薮田
「いつもと一緒。与えられたところを抑えるだけ。嬉しい。」(2回無失点の好救援)
伊藤
「めちゃくちゃ投げたかった。投げられてラッキーと思った。」(最後を締めくくり)
金泰均
「今まで優勝したことは1回もない。こんなにいいものだと初めて知った。」(7回に適時打を放って勝利に貢献)
大松
「最後に勝って、すかっとした。嬉しい。」(第1戦で戦線離脱も)
西村徳文監督
「最高です。選手にはいつも同じ言葉しか掛けられない。今年は全員で1つになって戦った。選手がよくやってくれた。選手だけではなく、スタッフ、コーチ、そしてファンと1つになって戦うことができた。」
瀬戸山隆三球団社長
「前回の日本一に比べても格別だ。色んな苦労があったので、分かっている選手がみんな頑張ってくれた。」
加藤良三コミッショナー
「緊迫感があって日本シリーズらしい熱闘だった。ロッテには勢いがあった。(リーグ3位からの頂点だが)ルールが決まっていて正々堂々とチャンスをつかんだ。米国でもワイルドカードからの優勝はある。」
ロッテ・マリーンズ球団史
パ・リーグ発足の1950年に毎日新聞がオリオンズを創設。同年に別当らの活躍でパの初代王者と日本一に輝く。57年には大映と合併し、大毎が誕生した。60年に西本新監督が指揮し、山内、榎本らのミサイル打線でリーグ制覇。62年には本拠地の東京スタジアムが完成し、64年に東京オリオンズに改称した。69年にロッテと業務提携してロッテオリオンズに改め、70年にリーグ優勝。71年にロッテが経営権を獲得。73年には仙台を準本拠地とし、金田監督2年目の74年に有藤、村田らの活躍でリーグ制覇と日本一を達成した。78年から川崎球場を本拠地にして落合らを輩出。92年から千葉に移転し、千葉ロッテマリーンズとなる。2005年にバレンタイン監督の下、西岡、今江らの活躍で31年ぶりにリーグ優勝と日本シリーズ制覇を果たした。今季は西村新監督が率い、クライマックスシリーズを勝ち抜いて史上初めてリーグ3位から日本一に輝いた。

◇表彰選手

最高殊勲選手
今江敏晃内野手(27=ロッテ)
敢闘賞
和田一浩外野手(38=中日)
優秀選手
内竜也投手(25)、清田育宏外野手(24)=ロッテ、大島洋平外野手(25)=中日

◇今シリーズの記録

最高殊勲選手2回以上
今江(ロッテ)=史上7人目

◇第7戦の主な記録

シリーズ補回試合
12回=10試合目
[新記録]
ゲーム最多安打4を3度
今江(ロッテ)
[タイ記録]
ゲーム最多安打4
今江(ロッテ)=史上22人目、26度目

◇7試合シリーズの主な記録

[新記録]
シリーズ最多出場人員(投手)15
中日
シリーズ最多打数36
西岡(ロッテ)
[タイ記録]
シリーズ最多得点8
和田(中日)=史上6人目
シリーズ連続試合安打7
井口(ロッテ)=史上19人目
シリーズ最多二塁打5
森野(中日)=史上2人目
シリーズ最多犠飛2
荒木(中日)=史上4人目
シリーズ最多暴投2
清水(中日)=史上4人目
シリーズ最多失策(二塁手)2
井口(ロッテ)=史上4人目
シリーズ最多併殺(投手)2
高橋(中日)=史上4人目

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ロッテが3位から日本一の下克上/日本S[ニッカン]

ロッテが中日との2試合連続の延長戦を制して日本一に輝いた。7−7の延長12回、岡田幸文外野手(26)の適時三塁打で勝ち越し、対戦成績を4勝2敗1分けとして5年ぶり4度目のシリーズ制覇を達成した。西村徳文監督(50)は史上9人目となる就任1年目での日本一。レギュラーシーズンは3位に終わったが、クライマックスシリーズ(CS)と日本シリーズで計10勝4敗1分け。言い続けてきた「和」が結実し、リーグ3位から史上初の快挙を成し遂げた。

ロッテ西村監督が3度、宙に舞った。CSファイナルステージ突破を決めた時に続く2度目の胴上げは格別だ。「よくここまでたどりついたというところです。昨日に続いて長かったけど、選手を信じてました。みんなの力です」。緊張から解き放たれた表情は、いつも以上に穏やかだった。

下克上が完結した。レギュラーシーズン3位からの日本一は史上初。ロッテの新人監督としては50年の湯浅禎夫以来60年ぶりの快挙だ。崖っぷちに何度も立たされたがチームワークを結集して乗り越えた。どんな苦境でも「いつも一緒。全員で力を合わせてやるだけです」。口癖のように繰り返した言葉が、西村野球そのものだった。

運命的な下克上だ。相手は落合中日。82年に鹿児島鉄道管理局からオリオンズに入団した時の主力が落合監督だった。独特な練習方法と独特な野球観を持つ先輩は憧れの存在だった。バレンタイン監督の下、ヘッドコーチを6年間務めたが、監督としては1年生。監督という孤独な立場で自身の選択が正解か、戸惑う局面もあった。そんな時、近い関係者に「落合さんに電話して聞いてみようかな」と、漏らしたことがある。落合監督の目指す緻密な野球に答えがあると考えるのも自然なことだった。ただ「今は、お互いに監督だから」と、結局は電話しなかったという。敬愛する先輩を倒しての日本一に、優勝会見でも「挑戦するだけでした。偉大な方でしたから」と多くは語らなかった。

頂点まで上り詰めた原動力が「和」だった。宮崎の福島高から鹿児島鉄道管理局を経てプロ入り。無名の選手からプロ野球の監督で日本一を勝ち取った。日本シリーズ前の宮崎合宿。雨天に泣かされ、グラウンドを求め故郷の宮崎・串間に行った。2年の夏に甲子園にも出たが、1年の時には「野球をやめようと思ったことがあって、1週間ぐらい練習にいかなかった」こともあった。すると「家の前で部員のみんなが待っていて、親にも説得されて、戻ったときには下手なことはできないと思って。バイクが好きだったけど、僕を野球に戻してくれたのは仲間だった」。日本シリーズ直前に原点の地に帰ったのは偶然とは思えない。

CS以降15試合。消耗戦だった。5日、名古屋行きの新幹線を待つ新横浜。待合室のイスに座ると「疲れるな」とポツリ。「決断の連続。気を使うよ」と激闘による疲労を明かした。新幹線に乗ると、5分とたたずに寝息を立てた。遠征ごとに新幹線の隣に座る梶原広報は「監督が寝るのは初めてです」と話した。最後まで諦めずに全員でつなぐ野球を貫き、4点差をはねのけた。「勝つことだけを考えてました」と、一寸のスキも許されない159試合が終わった。今はただ、大好きな芋焼酎に酔いしれたい。

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内が3回7K斬り、優秀選手に/日本S[ニッカン]

奪三振ショーのロッテ内竜也投手(25)が勝ち投手に等しい好リリーフで、シリーズ優秀選手に輝いた。「いつもと一緒。気持ちで負けないように。疲れも感じなかったし、思い切って腕を振りました」。前夜2回22球の熱投に続き、同点の6回から56球のロング救援。4番和田から148キロ直球で空振り三振を奪うなど、9アウトのうち7個が三振だった。約4分の1の15球が空振りで「0に抑えることが全て」との公約通り、シリーズ無失点で日本一の功労者になった。

シリーズは4試合、計8回を投げ13奪三振。「1年間(1軍に)いることができなかった。1年を通したら不本意なシーズン」だったが、ポストシーズン(PS)に入って急成長。140キロに迫るスライダーと150キロ台の直球で勝ち試合のセットアッパーに昇格した。

03年のドラフト1巡目でプロ入り。だが右肩痛の持病に悩まされ、同年6巡目入団の成瀬に実績で大きく離された。「使ってもらえるからには、結果を残したかった」。野手でも同学年・清田の活躍も刺激になり、クライマックスシリーズは救援で2勝を挙げた。成瀬に並ぶ3勝目こそ逃したが、85年コンビでPS計5勝。FA権を持つ小林宏の去就次第では、来季は守護神の「本命」に躍り出そう。出遅れた大器がようやく、大舞台で才能を開花させた。

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つないだ救援陣、伊藤初胴上げ/日本S[ニッカン]

リベンジに成功したロッテ伊藤義弘投手(28)が胴上げ投手に酔いしれた。「今日は投げる前から、イメージが良かった。めちゃくちゃ投げたかったです」。同点の11回から6番手で登板し、打者6人を完全救援。12回に奪った勝ち越し点をその裏、9球で守り抜いた。同じく延長戦となった3日の第4戦で、2イニング目の11回につかまり敗戦投手。この日は4点差を追いついた5回には「ラッキー」と叫んで出番を祈った。08年5月以来、約2年ぶりとなった12回のプロ通算2打席目でも、1−0からの2球目を一塁に転がして犠打成功。中日バッテリーに重圧を与え、岡田の決勝打を引き出した。

JR東海出身で、本社があった名古屋は「準地元」。多くの知人が声援を送る中、内、薮田らとともに短期決戦で、ブルペンの屋台骨を支えた。西本投手コーチは「内も伊藤も、日本シリーズが大きな自信になったはず。自分のボールを信じて投げてくれた」と賛辞を惜しまなかった。

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つながった打線、12回岡田決勝打/日本S[ニッカン]

年俸440万円の伏兵が日本一を決めた。ロッテの岡田幸文外野手(26)が、7−7の延長12回2死二塁から右越え決勝三塁打を放った。育成選手からはい上がった2年目の苦労人が、第1戦で右太もも裏を肉離れして離脱した大松に代わって得たチャンスで大仕事を果たした。ルーキーのロッテ清田、中日大島ら新戦力が活躍した今シリーズを象徴する幕切れとなった。

イチ、ニのサンで振り抜いた打球が、右中間にはずんだ。快足を飛ばしたロッテ岡田は三塁に滑り込むと、左手を大きく振ってガッツポーズ。上川三塁コーチとハイタッチをかわした。延長12回表、死闘に終止符を打つ適時三塁打。中日浅尾を打ち崩す、会心の一打だった。

史上最大の下克上とも言われる逆転劇を完成させたのは、今季、育成からはい上がった男だった。「大先輩がたと同じ立場で、このグラウンドに立てるのを嬉しく思うし、正直、信じられません」。去年の今頃は千葉マリンでプレーするのを夢見てバットを振っていた。それが、日本一を決める立役者となった。信じられないのも無理はなかった。

岡田は悔しさを秘めて戦っていた。10月9日のCSファーストステージ初戦の西武戦でのことだ。同点に追いついた直後の9回1死、西岡の打球は左翼へのライナーとなった。しかし、ギャンブルスタートのサインが出ていた三塁走者の岡田は、大きく飛び出した。そこから戻ってホームを突いた。セーフのタイミングだったが、ブロックされアウトになった。

本来ならギャンブルのサインが出ていたため、責められることはない。対戦相手の西武の選手も、むしろ岡田の俊足に驚いたほど。しかし、試合には勝ったものの、翌日のミーティングでやり玉に挙がったのは岡田の走塁だった。ミスだと言われた。だが、岡田は理不尽ともいえる指摘をされてもめげなかった。「僕の武器は足なんで、ああいうプレーでもセーフにならないとダメだということだと思うんです。高いレベルを求められたんだと思います」と、プロ野球選手として、さらにレベルアップすることを誓った。

チームのためにも、やり返す機会をずっとうかがっていた。日本シリーズに入って、大松のケガにより、レギュラーメンバーとしてスタメンに名を連ねるようになった。きっかけは歓迎すべきものではなかったが、勝利に貢献して見返したい気持ちはずっと変わらなかった。試合後、日本一を喜ぶ左翼スタンドのファンから岡田コールを送られると、歓喜のバック宙でこたえた。史上最長の激闘シリーズ。最後の最後に岡田の見せ場は来た。悔しさをぶつけた分だけ、打球は飛んでいった。

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05年に続きまた今江がMVP/日本S[ニッカン]

ロッテの今江敏晃内野手(27)が最高殊勲選手(MVP)に選ばれた。3点を追う5回に適時打を放ち、安打で出塁した7回には勝ち越しのホームイン。延長12回には先頭打者として四球を選んで出塁し、決勝のホームを踏んだ。日本シリーズ史上初となる3度目の1試合4安打を記録するなど、通算27打数12安打6打点。05年に続く文句なしの2度目の栄誉となった。

金色に輝く盾を堂々と受け取った。ロッテ今江の笑顔は晴れやかだった。05年の日本シリーズに続き、出場したシリーズで連続して最優秀選手に選ばれた。「日本一にならないともらえない賞なので、チームメートに感謝したい」。だれが選ばれてもおかしくないほど、チーム力で勝った。だが、その中でもシリーズ男の強運は健在だった。

何かを持っている男だ。CSでは失策を犯してもチームは勝った。西武戦では4点を献上する失策も犯したが逆転した。ソフトバンク戦でも同様だった。失策をしても、チームは勝ち進んだ。その度に「ついてる。ついてる」と前向きにとらえて切り替えた。

この日も、1回1死一、三塁のたたみ掛けたい場面で、一塁走者だった今江は、谷繁がボールをはじいたスキに二盗を試みたもののアウト。流れが中日に傾きかねないプレーだったが、4安打の活躍で取り戻し、チームを日本一に導いた。「持ってる?持ってるものといえば仲間ぐらいですよ」と、強運は仲間のおかげだと言い換えた。

第1戦の前夜には、根元と共に食事に出かけた。名古屋コーチンに舌鼓を打ち、美味しい料理でストレスを発散した。「メリハリって大事だと思うんです。こうやって息抜きができる分、試合になった時に力が出せるんじゃないかな」と話していた通りになった。

試合では誰よりも積極的だった。ファーストストライクを見逃すことはほとんどなかった。キャンプではボール球にも手を出してしまう自分に悩んでいたが、シリーズではその積極性が生きた。PL学園の先輩、清原和博氏が、短期決戦の極意を「積極的に振っていくこと」と話していたのを聞き「いつも通りやればいいんだ」と自信を持った。そうやって打った一打、一打がチームを上昇気流に乗せた。

大きく成長できたシーズンだった。「今まで納得のいく年はなかったけど、今年は充実した年でした」。シーズンの打撃成績は過去最高。開幕時の9番から、2番や6番も打ち、最後はクリーンアップを任された。打順を固定したい西村監督が、色んな打順で使ったのは、どの打順でも順応できる能力の高さを買っていたからだった。パ・リーグ3位に終わったチームは、日本シリーズを勝ち抜いた。今、日本一強いのはロッテだ。その中心に、今江がいた。

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日本最後?西岡「1番嬉しい」/日本S[ニッカン]

最後の打球は主将のところに飛んできた。延長12回裏2死。代打藤井のゴロを西岡剛内野手(26)はキッチリさばいた。ゲームセットを見届けると、両手をあげてマウンドに駆け寄った。福岡でのCSファイナルステージでは、遊直を捕って涙を流しうずくまったが、この日は晴れ晴れとした笑顔だった。

今季は西村徳文監督(50)直々に主将に命じられ、フルイニング出場を自分に課した。159試合。ついに完走してみせた。「1年間、優勝だけを目指して、取れるもんだと思ってやってきた。監督を1年目で、こういう形にできたことが、プロ野球人生で1番嬉しい」と笑顔で話した。

シリーズの打率は1割6分7厘と、シーズン通りの打撃ではなかった。それでも、この日も1回に安打を放ち、先制のホームを踏むなど、チームに貢献してきた。このオフには、ポスティングシステムによるメジャー移籍を希望している。この日は来季の展望を口にしなかったが、8日以降に球団と話し合う。石川球団本部長は「従来通りのスタンスです」と話し、西岡から話し合いを求められればテーブルに着く意向はあると話した。夢を実現した男は、新たな夢に突き進むことになる。

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成瀬「頭真っ白」独占手記/日本S[ニッカン]

嬉しくて頭が真っ白って、このことなんですね。初めての日本一。格別です。05年のときは2軍にいたので。テレビで「わーすげー。どんだけ楽しいんだろ。この輪に入れたらいいな」と思って見てましたから。昨日自分で日本一は決められなかったけど、実際に今ここに自分がいるのが信じられない気持ちです。

CSも日本シリーズも、投げるのが楽しかった。厳しい試合でも楽しく投げられたのは、段階を踏んできたからこそです。僕にとって07年のCS、日本ハム戦が大きかった。あの時も、頭の中が真っ白になりましたね。あの白さ、野球人生で1番でした。日本シリーズを懸けた戦いで負けて…ベンチ戻って…勝手に涙が出てきて。ロッカー室に戻っても、みんなから「お疲れ」って。その声がまたつらくて泣いて。周りも優しかった。(現横浜清水)直行さん、(西岡)剛さんの言葉がぐっときて、また泣いて。結構放心状態でした。ホテルも出たくなかったです。すぐには元気になれなかった。2ヶ月ぐらいはすごく怖かった。でもそれがあったから、今は勝ったときの嬉しさが分かる。上を目指そうと思ったら、壁にぶつかる。嫌でもその壁を乗り越えないといけないと思うんです。

今季は苦しい場面でも(西岡)剛さんからよく声をかけてもらいました。年齢が1つ上で、兄貴みたいな存在。CS期間は食事に行きましたけど、野球の話になると冗談でプレッシャー与えてくるんです。CSファーストステージの時は「お前、これで負けたらしゃれにならんぞ」って言われましたけど、今考えたら「お前なら大丈夫だろ」っていう意味をこめて言ってくれていたと思います。「お前が崩れたらあかん」ってよく言ってくれるので、何とか期待に応えたいって強く思いました。それぐらい自分に求めてくれると思うと、しっかりゲームをつくりたい、先発の仕事をしたいって思う。だからこそ今季は1年間ローテーションを守って200イニング以上(203回2/3)投げられました。そういうところにつながってくると思います。

(西岡と)結婚の話もしましたよ。以前「恋人は野球です」って母校の中学で言ったらブーイング浴びたので、それはやめときます。新婚の剛さんから「誰かのために頑張るってのはいいぞ」って言われたときは「ですよね〜」って思いました。少しお酒も入ってましたけどね。結婚したいとも思うけど、今年は野球でいっぱいいっぱいでした。もちろんずっと独身よりも、できるものなら早く結婚したいなとも思いますね。本当に自分の愛する人のために頑張りたいって状況が来たらいいと思います。

今はまだその時じゃないというか、もう少し野球に向き合っていたいところもありますね。野球人としてもっと成長したい。年下の世代へのつなぎ役になりたいんです。いい先輩の中でも怒る先輩も必要だと思う。本人のためになれば僕は嫌われてもいい。(小野)晋吾さん、(渡辺)俊介さん、(小林)宏之さん達先輩方に色々教えてもらって、ここまでこれた。いいことはいい、だめなことはだめと言える人間になりたい。環境で人は変わるものだと思います。僕はロッテで本当によかったと思ってます。夢だった日本一という形で恩返しができて、本当に最高です。

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ロッテがFA3選手と近日中に交渉[デイリー]

日本シリーズが終了し、今季国内FA権を取得したロッテ・里崎智也捕手(34)、渡辺俊介投手(34)、吉見祐治投手(32)に対し、球団は近日中に球団との交渉の場につく予定だ。また、ポスティングシステム(入札制度)によるメジャー挑戦の意思を持っている西岡剛内野手(26)についても、本人から正式な申し入れを受け次第、球団が話し合いの場を設ける見込みだ。

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西本投手コーチ“育成強化”で来季2軍[デイリー]

ロッテ・西本聖1軍投手コーチ(54)が、来季から2軍同コーチに配置転換されることが7日、明らかになった。今季、日本一にこそ輝いたが、シーズンを通し先発投手陣のコマ不足に悩まされ、近年は2軍からの若手投手の台頭が少ないこともあり、西本コーチを配置し、さらなる育成強化を図る狙いだ。後任は、井上祐二ブルペンコーチの就任が濃厚となっている。また、1軍外野守備走塁コーチには、山森雅文スカウト(49)が就任する方向だ。

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ロッテ5年ぶり日本一!球史に残る下克上[サンスポ]

ミラクル日本一!史上最大の下克上がついに達成された。王手をかけていたロッテ(パ・リーグ3位)が日本シリーズ第7戦で、延長12回の末に8−7で中日(セ・リーグ優勝)に勝利。4勝2敗1分けで2005年以来4度目(前身の毎日時代を含む)のシリーズ制覇を果たした。リーグ3位チームの日本一は史上初。就任1年目の西村徳文監督(50)は、日本一に導いた史上9人目の新人監督となった。

その瞬間、西村監督の険しかった顔が一転、柔和になった。指揮官が喜びを爆発させる選手の輪にゆっくりと向かう。2試合で10時間39分の死闘。日本シリーズ進出を決めたときと同じ、3度宙に舞った。2008年の西武・渡辺監督以来、就任1年目での快挙。応援してくれたロッテファンに何度も頭を下げた。

「よくここまでたどり着けました。みんなの力ですね。最初から選手を信じただけ。チームスローガンの和のとおり、みんなが1つになれた」。「信は力なり」。帽子のつばにもこの言葉を書き記していた。指揮官が尊敬する高校ラグビーの名将・伏見工高の山口良治総監督(67)の言葉だ。無名の公立高校を、全国制覇の常連校にまで育てたあげた苦労人。事あるごとに携帯電話で連絡を取り合い、この言葉の重みを再認識してきた。

何度も訪れた崖っぷちにも負けなかった。開幕後スタートダッシュに成功したが、5月には唐川ら主力選手の故障が続出。夏場には7連敗を喫し、シーズン残り3試合は1試合でも負ければ4位の危機だった。それでも窮地に追い込まれるたび繰り返したのは「選手を信じて戦います」。この言葉だった。

遠征先ではホテルの部屋で1人、食事を済ませることが多くなった。1日に何杯も飲んでいた大好きな焼酎が、1杯しか飲めない日が続いた。ストレスだった。そんな指揮官を支えたのは、周囲の人達だ。

宮崎・福島高1年の頃、たった1度だけ野球をやめようと思ったことがある。練習を休んで1週間。遊んで家に帰ると、ユニホーム姿のチームメートが自宅の玄関前にいた。辞めないよう説得された。「あの時みんながいなかったら、私は今ここにいないね。人に感謝することを初めて知った」と振り返る。当時の同級生達とは今でも親交があり、地元・宮崎で行った直前合宿では、練習場を手配してもらうなど陰ながら支えてもらった。そんな周りの人達がいたからこそ、辛いことにも耐えられた。

「1ヶ月前、負けたら終わりの状況からよく選手達はやってくれました。日本一は強い気持ちを持ってプレーしてくれた結果です」。選手を信じ、人に感謝し続け迎えた最高のフィナーレ。リーグ3位から史上初の日本一へ。自ら掲げたチームスローガンの“和”が、結実した瞬間だった。

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ロッテ・岡田、延長12回ミラクル決着打[サンスポ]

岡ちゃんが決めた!ロッテ・岡田幸文外野手(26)が延長12回、決勝の適時三塁打を放ち、チームを日本一に導いた。育成枠からはい上がった2年目の苦労人が、大舞台で光り輝いた。

ファンの、チームの夢を乗せた白球が高々と舞い上がった。ボールは右翼手・野本の頭を越えて弾んだ。日本一の扉をこじ開けたのは26歳の伏兵・岡田のバットだった。

延長12回2死二塁。浅尾の149キロの速球を仕留め、決勝の右越え適時三塁打。ヒーローは三塁ベース上で、上川三塁コーチと抱き合って喜びを表した。「真っ直ぐだけ狙って、1、2、3で振りました。前進守備だったので思いきり振ろうと強い気持ちで打席に入った。正直信じられません…」。

こんな日が来るなんて夢にも思っていなかった。左ひじ痛で日大を中退後、全足利クラブでプレー。50メートル5秒6の俊足を見込まれて08年秋の育成ドラフト6位で入団し、昨春に支配下登録されたが、昨年は1度も1軍出場機会がなかった。

しかし、2年目に運が開けた。今年のドラフト1位、荻野貴らが故障離脱するのと入れ替わるように6月に1軍へ。金森打撃コーチの「愛のムチ」により課題の打撃が磨かれていった。

「お前が打つ場所はない!」。打撃不振の夏、特打の参加を禁じられたが、このままでは終われない。三塁ブルペンで打撃マシンを10メートル程度の至近距離に置き、1人で黙々と速球を打ち込んだ。

その成果が大舞台で表れた。大松が第1戦で右太もも裏肉離れのため離脱すると、その穴を埋めた。7試合で25打数8安打。最後に球界屈指の速球派・浅尾の直球をとらえてみせた。

主力と並んで記者会見に臨んだ岡田は「大先輩と同じ立場にいることが信じられない」と顔を紅潮させた。夫人の由美子さんは栃木県足利市役所で働く、球界では極めて珍しい共働きプレーヤー。年俸440万円の育成出身の男のサクセスストーリーが幕を開けた。

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ロッテ・西岡、メジャー移籍へ感動締め![サンスポ]

ボールが目の前に転がってきた。落ち着いて一塁に送球し、ゲームセット。日本シリーズ進出を決めたソフトバンクとのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージ第6戦では男泣きした西岡が、この日は満面の笑みを浮かべて歓喜の輪に加わった。「この優勝だけを目指してここまでやってきた。1年間野球のことだけ考えてきた。人が変わった?普通の人間になっただけ。元々低レベルな人間でしたから」。

今季から主将を務め、チームを先頭に立って引っ張ってきた。206安打、打率.346をマークし、最多安打と首位打者のタイトルを獲得。プロ8年目で初となる全試合フルイニング出場も果たした。今オフには、ポスティングシステム(入札制度)を利用して米大リーグ移籍を目指しており、近日中にも球団と話し合いを行い容認してもらえるようお願いするつもりだ。

石川晃球団運営本部長(49)は「新しい遊撃手が育っていないのが現状だけど、夢をかなえてあげたいという気持ちもある。自分の気持ちが折れるような言葉が聞ければ考えたい」と容認する余地があることも明かしている。日本一という最高の結果で今季を終えた西岡。今後の動向が注目される。

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シリーズ男!ロッテ今江、ミラクルMVP[サンスポ]

オイシイところは、またもこの男が持っていった。延長12回に四球で出塁し、満面の笑みで決勝のホームを踏んだ今江が、打率.444でMVP。2005年に続く2度目の受賞に、誇らしげにお立ち台に上がった。「またMVPをもらえて、本当に嬉しい。日本一にならないとMVPにはなれないので、チームメートに感謝です」。

第7戦を4安打で締めくくり、今シリーズ通算12安打。6打点もサブロー、清田と並ぶトップタイで、第1戦の決勝適時打に始まり、第5戦にも決勝の逆転適時打と勝負強さは際だっていた。

福祉活動に力を入れる今江は、毎年、千葉県内の養護施設や病院を訪問し、恵まれない子供達を勇気づけている。その子供達が、シリーズ中の千葉マリンで激励のメッセージが入った色紙をプレゼントしてくれた。「活躍すればみんなが見てくれる。日本シリーズくらいしか地上波の放送はないから」。このMVPは、逆に勇気をくれた子供達へのささやかな恩返しだ。

「05年から納得のいく年はなかったけど、今季は西村監督の1年目で、自分も一からスタートのつもりだった。充実したシーズンが過ごせた」。レギュラーシーズンで自己最高の打率.331をマークするなど、飛躍の1年を最高の形で締めくくった今江。有藤氏の背番号8を受け継いだ男は、もう立派な“ミスターロッテ”だ。

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ロッテ歓喜の祝勝会3200本で乾杯!![サンスポ]

5年ぶりの日本一だ。歓喜の祝勝会が名古屋市内のホテルで行われ、恒例のビールかけで選手たちが喜びを爆発させた。午前1時ごろに、選手会長のサブローの「日本一、おめでとう」の音頭で始まり、用意されたビール3200本があっという間に泡と消えた。

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ロッテ・小林宏、海外FA行使の可能性も[サンスポ]

ロッテの小林宏之投手(32)は7日、今年4月に取得した海外移籍も可能なフリーエージェント(FA)権を行使する可能性を示唆した。

試合後には「まだ分からない。これからじっくり考えます」と話すに留めたが、かねてからメジャーでプレーすることを熱望している。

今季から抑えに転向し、29セーブをマーク。シーズン中はメッツなどのメジャースカウトがネット裏から調査を続けてきた。石川晃球団運営本部長(49)は「宏之(小林)がいなくなるのはしようがない。新しい守護神として、韓国や中南米などの外国人を探しているところ」と説明。右腕のメジャー挑戦を想定し、早くも新戦力の補強に動いている。

FAの申請期限は今月16日まで。ロッテ一筋14年の右腕の動向が注目される。

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ロッテ・清田が優秀選手賞!感極まって涙[サンスポ]

新人のシリーズタイ記録となる6打点を挙げ優秀選手賞に輝いた清田は、感極まって涙を流した。「野球で泣いたのはいつ以来ですかね。でも、勝って泣いたのは初めてです」と試合後も目はまっ赤。シンデレラボーイ的な活躍で注目度はグンとアップしたが、「正直、疲れました」と本音も漏らした。

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史上最大下克上舞い!ロッテ連夜の死闘制し日本一[スポニチ]

日本シリーズ第7戦は7日にナゴヤドームで行われ、ロッテが8−7で中日を下し対戦成績を4勝2敗1分けとし、5年ぶり4度目の日本一に輝いた。今シリーズ3度目の延長戦に終止符を打ったのは12回、伏兵・岡田幸文外野手(26)が放った勝ち越し打。胴上げでは就任1年目の西村徳文監督(50)が、力強いナインの手で3度、宙を舞った。MVPは今江敏晃内野手(27)が受賞。「史上最大の下克上」レギュラーシーズン3位からロッテが頂点を極めた。

万感の思いがこみ上げる。粘りに粘ってつかんだ5年ぶり日本一。就任1年目の西村監督は歓喜の抱擁を繰り返すと、そのままナインの手に身を委ね、3度宙を舞った。「最初から選手を信じてやってきました。スローガン“和”の通り、1つになれたということ。その力が凄く大きかったですね。選手が強い気持ちを持って戦ってくれた結果です」。

1つにまとまれば絶対に勝てる。昨年10月8日の監督就任と同時に取り組んだ意識改革。スローガンに「和」を掲げたのは、選手個々の能力は他球団に引けを取っていないにもかかわらず、まとまりを欠いてチームとして機能していなかったからだった。

ロッテ一筋29年。チームのことは誰より理解できる。日替わりオーダーを撤廃して個々の役割を強く意識させた。自由だったユニホームの着こなしや髪形も指導。バレンタイン前監督のメジャー流調整法も一掃して猛練習を課した。戸惑う選手から不満の声が出るのは覚悟の上。グラウンドを動き回ってコミュニケーションを図り、食事に誘っては自らの考えを伝えた。控え選手、裏方とも食事会を開催。一丸となる重要性はチーム全体に広がり、その中から俊足が武器の岡田や清田ら若手が台頭した。

シーズン終盤からミラクル劇の連続で上り詰めた頂点。指揮官は「本当によくここまでたどり着いた。全員の力が1つになった勝利だと思う」と言った。王手をかけてから2試合27イニング、10時間39分を和の野球で戦い抜き、かつて同じロッテのユニホームを着た落合監督率いる中日を撃破。「史上最大の下克上」をテーマに掲げて臨んだ日本シリーズで、西村ロッテが歴史に名を刻んだ。

1年目監督のVは9人目
ロッテの西村監督は就任1年目でシリーズ制覇。新人監督の日本一は08年渡辺監督(西)以来9人目。チームでは50年湯浅監督以来60年ぶり2人目の快挙になった。ロッテは昨年5位に終わったが、新人監督が前年5位以下のチームを日本一に導いたのは前記渡辺監督(前年5位)に次いで2人目だ。

◇3度目の延長制してロッテの日本一決定

第7戦は今シリーズ3度目の延長戦。シリーズ延長戦の最多は62年東映−阪神、92年西武−ヤクルトの4度だが、3度は95年ヤクルト−オリックスの第2、3、4戦で記録して以来15年ぶりだ。試合時間4時間56分は、第6戦の5時間43分に次ぎ史上2番目の長さ。第6、7戦を合わせた試合時間は10時間39分。連続した2試合の合計では、95年第3戦4時間25分、第4戦4時間38分の計9時間3分を大幅に上回った。なお延長戦で日本一が決定するのは92年の西武以来7度目だが、ロッテは4度の日本一のうち05年を除く50、74、10年の3度が延長戦での決定となった。

◇野球よりバイクのあの頃、西村監督の原点「あれがなければ今はない」

「人間は1人では弱いけど、何十人と結集すれば強くなる」。ロッテ・西村監督の原点となったのは宮崎・福島高1年の冬。厳しい練習に嫌気がさし、野球部を退部しようと思った時期だ。バイクに夢中になり1週間練習に出なかったが、チームメートが連日、自宅の前で待ち構えて両親の前で説得された。「周りに感謝です。人とのかかわり合いは大事。あれがなければ今はない」。強い信頼関係で結ばれた仲間と野球を続け翌76年夏の甲子園に出場。プロへの扉は開いていった。

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愚直なまでの「つなぎ」5回同点劇が今季を象徴![スポニチ]

試合の流れを引き寄せた5回の同点劇が、ロッテ打線の今シーズンを象徴していた。

3点を追う5回に4安打で3点を挙げ同点。3回までに投手陣が6失点する劣勢をはね返したシーンに、「冷静な観察力」と「打法」「つなぎ」の3つがミックスされていた。

中日のマウンドは2番手の河原。1死から6人続いた右打者への投球は極端な傾向が出ていた。内角を突いたのは1死走者なしからの清田の2球目と、死球を与えた6番・金泰均への4球目の計5球だけ。右打者6人に対して25球中20球が真ん中から外寄りの球だった。

金森打撃兼野手チーフコーチは「シュートもあるでしょ」としたが、河原の軸となった球種は直球、スライダー、フォーク。内角への恐怖心はなく対応しやすかった。これが「観察力」。そして1点を返しなお2死満塁から同点の中前2点打を放った里崎をはじめ、清田、サブロー、今江の全てが中堅から逆方向への打球。今季のチームに植え付けられた、ポイントを体に近づけて直球と変化球に対応する「打法」でコンパクトにはじき返した結果だった。

「この攻撃は今年1年の原点とも言える攻撃だった」と里崎。日本一に輝く最後まで、打線は愚直なまでに「つなぎ」に徹した。

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今江、史上初の初出場からの連続MVP![スポニチ]

高々と両手を掲げると、さらにVサイン。ロッテの今江はナインからの羨望の眼差しの中、お立ち台に向かった。05年に続くMVP受賞。初出場からの連続受賞はシリーズ史上初の快挙となった。

「2回目もMVPを獲れるなんて本当に嬉しい。こんな経験滅多にできない。でも日本一にならないとMVPにもなれない。みんなに感謝したい」。3点を追う5回2死一、三塁で中前適時打を放つなど4安打。勝ち越した延長12回も先頭で四球を選び、日本一を決めるホームを踏んだ。27打数12安打、打率.444、6打点。5番としてチームを引っ張った。

2つの誓い。1つは亡き母に捧げた。05年シリーズの活躍を見守ってくれた母・寿美子さんは昨年2月25日に膵臓がんで死去(享年50)。節目の儀式。シリーズ前に遺影に向かって手を合わせた。「おかん、産んでくれてありがとう」。天国から応援してくれる母のためにも、スタンドで見守った幸子夫人と長男・陸斗くん(5)のためにも打った。

もう1つは障害を抱える子供達にささげた。07年から養護施設への訪問や寄付を続けており、シリーズ中には子供達から激励のメッセージが書かれた色紙がたくさん届けられた。「注目される場所で活躍すれば、その子達にいい影響を与えられる。僕も励みになる」。夢を与えると同時に勇気をもらった。そんな姿も大舞台で強さを発揮できる理由である。

シーズン3位からの日本一に今江は言った。「パの代表としてパの選手に恥をかかせないように試合に臨んだ。ロッテはみんなが1つになって最後まで諦めないで戦うチーム。だから今日みたいな試合ができた」。シリーズMVP男はプレッシャーをはねのけ、シリーズを楽しみ、またMVP男となった。

◇谷繁も困惑した今江の笑み「お前、本当に楽しそうやな」

天性の打撃センスで中日を震え上がらせた。ロッテ・今江は直球を待って、変化球にもタイミングを合わせてしまう。狙い球やコースを絞ることもしない。「僕みたいなバッターはデータが通用しない。谷繁さんも困った感じでした」。シリーズ序盤。ファウルを打った際、悔しがるそぶりも見せずに笑った。すると谷繁から「お前、本当に楽しそうやな」とあきれ顔で言われたという。中日の頭脳を困惑させていた。

◇今江、色々ありましたシリーズ新記録

ロッテ・今江が05年に続き2度目のMVPを獲得した。シリーズMVP2度以上の受賞者は

(1)
4回・長嶋茂雄(巨人)
(2)
2回・別所毅彦(巨人)堀内恒夫(巨人)工藤公康(西武)秋山幸二(ダイエー、西武)古田敦也(ヤクルト)今江敏晃(ロッテ)

で、今江は7人目。初出場からの連続受賞は史上初の快挙となった。

また、今江はシリーズ最多タイ記録の1試合4安打。05年の第1、2戦に続き自身通算3度目で、黒江透修(巨人)駒田徳広(巨人、横浜)の各2度を抜く最多記録。これでシリーズ通算打率は.524(42打数22安打)。40打数以上の打者では、大塚光二(西)の.397を大幅に上回る新記録だ。

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最後までつなぎの4番!サブロー「和が勝因」[スポニチ]

サブローが最後までつなぎの4番に徹した。初回に2点目の中犠飛をきっちり放ち、5回2死一塁から同点の足がかりとなる中前打。5年ぶりに味わう日本一の歓喜に「(勝因は)和です。16年やってるけどここまで監督と腹を割って話したのは初めて。選手全員が気持ちよくやれた」と西村監督へ感謝の意を口にした。今季は開幕から6番で9月には右太腿裏肉離れで離脱。それでも負ければBクラスだった28日の楽天戦(千葉マリン)から4番で勝負強い打撃を披露した。試合後は満面の笑みでナインと抱き合っていた。

◇井口「日本一になって嬉しい」

普段はクールなロッテの井口も、日本一の瞬間は満面の笑みを浮かべた。初回無死一、三塁から先制の左翼線二塁打。不動の3番が結果をきっちり出して「今年も絶対優勝したいという気持ちでやった。その結果として日本一になって嬉しい」と喜んだ。リーグトップの二塁打44本で、98四球もリーグ断トツ。つなぎの意識で下克上を成し遂げて「日替わりヒーローでみんな助けあって1年間できた」と充実感を漂わせていた。

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清田号泣歓喜!抜群の存在感で優秀選手賞[スポニチ]

ロッテのルーキー清田が優秀選手賞を獲得した。NTT東日本から4位で入団した24歳はこの日も2番左翼で先発。初回無死一塁から三塁内野安打し、続く井口の左線先制二塁打をお膳立て。5回にも1死から右前打で3点差を追いつく同点劇の口火を切った。試合後は感極まり号泣したが「正直疲れました。来年もこういう結果になればいいですけど、荻野もいるし(ドラフト1位の)伊志嶺も入ってくる。これからも競争です」。10月30日の第1戦(ナゴヤドーム)では長嶋茂雄(巨人)以来の新人開幕アーチ。シリーズ6打点で新人の最多打点記録にも並んだ。抜群の存在感を見せた背番号1が、チームの栄冠に花を添えた。

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里崎好リードに起死回生の一打で充足感[スポニチ]

ロッテの里崎が、起死回生の一打でチームを救った。

2点差の5回2死満塁から中前へ同点打。CSファイナルS中に左肩にガングリオン(腫瘍)ができ「神経に触って茶碗も持てなかった」ほどだったが、痛み止めを打って強行出場。日本一を懸けたこの日も、ここ1番の勝負強さを見せつけた。守備でも6人の投手を好リード。試合後は西村監督と歓喜の抱擁を交わし「シーズン中は迷惑をかけたけど、ポストシーズンに入って監督の期待に応えられた」と充実感を漂わせていた。

◇金泰均、感激初V

来日1年目での日本一にロッテの金泰均は「日本で優勝を経験したかった」と感慨にふけった。同点の7回2死三塁から一時は勝ち越しの中前打。シーズン終盤に不振を極めた時にサブローから「気楽にセンター返しすればいい」とアドバイスを受けた通りの打撃。第5戦で4安打するなど大舞台で輝いた。次は韓国代表として今月、中国・広州で開幕するアジア大会の王者を目指す。

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福は内!投手陣もつないで勝利呼んだ[スポニチ]

緊張もしない。満足もしない。ロッテ・内の投球を支えたのは、西村監督に掛けられた一言だった。「気持ちで負けるな!」。

前日は2イニング、この日も同点の6回からマウンドに上がり、3イニングを無失点に封じた。自身初の日本シリーズでの4試合はおろか、西武とのCSファーストSから8試合連続、12回1/3で得点を許さなかった。まさに中継ぎ陣の屋台骨を支えた。「何も考えず、とにかく腕を振ろうと思っていました。1年間を見たら不満足ですけど、最後にいい形で日本一を味わえて良かったです」。

連夜の延長戦。3番手の薮田が2回完全投球で流れを呼び、延長11回からは伊藤が2回を無失点で胴上げ投手となった。誰もが連投。前日は延長15回で投手7人で238球、この日は6人で213球を投げた。自分を、仲間を信じて。「つなぎ」のロッテ野球。それは決して打線だけの代名詞ではない。

「0点に抑えることが全てなので」と胸を張った内。優秀選手に選ばれ、少しだけ照れた。まだ25歳。150キロの直球に、覚えたての縦スラが持ち味だ。来季へのステップとなる、内の56球だった。

◇内が短期決戦で成功した要因は「ヨコからタテ」

03年のドラフト1位でロッテに入団した内。先発で起用されたが、結果は出なかった。07年には右肩の手術を受けた。中継ぎで再出発した昨年に、ようやくプロ初勝利。今季は夏場まで2軍暮らしも、シーズンでは負けたら終わりの最後の3試合で2勝を挙げた。今やセットアッパーとして欠かせない存在となった。

7年目の今季、スライダーの改良に踏み切ったことが、短期決戦で生きた。「ウイニングショットになる球がなかったので」と、これまでの横滑りする軌道を、握りを変えることで縦変化にした。術後最長となる3回を投げたこの日は、7三振を奪った。「いつかはクローザーをやってみたい」。三振を取れる球種を自らの武器とした。

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ロッテ真夜中の祝勝会、ビール3200本が泡に[スポニチ]

ロッテの祝勝会は名古屋市内の選手宿舎屋外駐車場で行われた祝勝会で行われた。延長戦の決着とあって日付が変わって午前1時からスタート。ナインは日本一を記念しておそろいのTシャツで登場すると、報道陣にも特製のレインコートが支給された。選手会長のサブローの「日本一おめでとう!」の乾杯の音頭を合図に、用意されたビール3200本は瞬く間に泡と消えた。西岡は「いつも西岡は何かを持っていると言われてここまできました。それは…ロッテガムです!」と絶叫して、ポケットからロッテガムを取り出すパフォーマンス。今季2度目のビールかけを味わっていた。

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同タイプの代役が次々活躍したロッテ、決めたのは育成選手出身26歳[スポニチ]

今シリーズ3度目の延長戦。決着をつけたのは西村野球の申し子・岡田だった。12回2死二塁。50メートル走5秒6の快足を買われて今季途中に1軍初昇格した2年目の26歳が浅尾の直球を右中間にはじき返した。勝ち越しの三塁打。育成選手出身では初となるシリーズ決勝打に「とにかく思い切り振ろうという強い気持ちでした。正直、信じられないですね」と戸惑い交じりの笑みを浮かべた。

ただ打つだけでは勝てない。西村監督がこだわったのは機動力と守備。自らの意思で獲得した新人・荻野貴の活躍が開幕ダッシュにつながった。荻野貴、早坂が負傷離脱しても代役には岡田、清田と同じ俊足タイプを起用。徐々に試合慣れした清田は今ポストシーズンで大ブレークし、最後は岡田が試合を決めた。

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ナゴヤはキツかったけど…渡辺俊「日本一になったので何でもいいです」[スポニチ]

中4日で登板したロッテの渡辺俊は2回4失点で降板。千葉マリンの第3戦(2日)に1失点完投勝利を挙げたが、傾斜のきついナゴヤドームでは制球に苦しんだ。

だが打線が奮起しての劇的な逆転勝利に「日本一は日本一なので気分はいい。日本一になったので何でもいいです。クライマックスシリーズから長かったですね」と穏やかな笑みを浮かべた。今シーズン取得したFA権の行使については「(球団と)これから話し合いをします」と話して勝利の余韻に浸っていた。

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西岡、主将の重圧から解放!「しんどい1年だった」[スポニチ]

ロッテの西岡が不動のリードオフマンとしてチームを優勝に導いた。今シリーズは打率.167と苦しんだが「この1年は休みの日も含めて、常に野球のことを考えたシーズンだった。日本一はスローガンの“和”を胸に戦った証」と満足顔で振り返った。祝勝会では主将として音頭をとるなど大はしゃぎ。「ホンマにしんどい1年だった」。重圧から解放されて充実感に浸った。

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西岡独占手記、チーム全員がボクをキャプテンにしてくれた[スポニチ]

野球人生の中でも1番嬉しいです。レギュラーシーズンは3位通過だったけど、日本一になれるのは1チーム。それを目標にやってきたし、05年とはまた違う喜びがありますよね。

シーズン終盤は白髪が増えました。今までにないぐらいずっと集中してプレーしていたので、試合後の疲れは凄かったです。去年までだったら試合後に外食して、それから飲みに行く元気もあったけど、今年はそれがなかった。まだ26歳ですけど、年とったのかなあと。ちゃんと野球と向き合って、野球に集中できたし、本当に頑張ったら遊ぶ気力もないんだなあというのを感じましたね。

ケガがあった8月を乗り越えて全試合フルイニング出たことは凄く嬉しかったです。ただ、個人記録に関しては本当に意識していなかった。猛打賞の記録なんか、日本記録が何回なんて知らなかったし。200本安打も「あと1本、あと1本」って思っていたら打てていなかったと思う。考えていたのは優勝するためにどう貢献するかということだけ。だから自然体で試合に入れたのかもしれない。その後に200本安打と首位打者がついてきた感じですね。

キャプテンとして、西岡は変わったとか、チームを引っ張ったと言われる。でも、それは僕の力だけじゃない。チーム全員がキャプテン像をつくってくれたと思っています。先輩方も僕を前面に押し出してくれたし。もしチームの成績が伴っていなかったら、今年の西岡は頑張ったね、だけで終わっていますから。

去年は球団と監督の(対立)問題とか、(球団批判する一部の)ファンとのこともあって、野球をやめようかなと思うぐらい落ち込んでいた。今年はまたファンの方が応援してくれるのかなと恐怖心を抱きながらシーズン最初から最後まで戦ったのでホッとした部分はあります。それに妻(徳澤直子)には、恩返ししてあげたかったですね。お付き合いさせていただいたのが去年の1番苦しかった時。1番支えてくれたので。苦しい時っていけてないと思うし、家に帰っても気が抜けたような感覚だった。そういう時って女性は離れていく方が多いと思うんですけど、見放さずに、横にずっと居て、黙って僕のことを見守ってくれていたのは感謝したいな。

メジャーはFA権を取った訳ではないし、行けるとしたらポスティング制度。今年1年は本当にロッテのことしか考えていなかった。ただ少年野球の時からメジャーリーグって凄いところだなって思っていた。今までいい選手が海を渡っている。まずプロに入って成績を残してっていうのは日本のプロ野球選手の誰もが夢見ていることだと思う。行けるか行けないかは分からないですけどね。僕はその辺は凄く自由人なので、少しゆっくりしてもし行きたかったら球団に一言言うかもしれないし、行きたくなかったらずっとロッテにいる。その時の直感であったり、今まで生きてきた自由な部分を出して、天真爛漫な人生を歩んでいきたいと思います。

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清原氏、清田絶賛「新人がこんな打撃をするのか」[スポニチ]

フジテレビで中継された第7戦は、元オリックスの清原和博氏がゲスト解説を務めた。試合前にはグラウンドでPL学園の先輩にあたるロッテの金森打撃コーチや、清田らと談笑。その清田が5回に右前打を放つと「練習から右方向にしっかりと強い打球を打っていた。インサイドアウトで打っていて、ルーキーがこんな打撃をするのかと驚きました」と絶賛。第3戦で自身が86年に記録して以来となるシリーズ新人決勝打を放った24歳に高評価を与えていた。

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全てはこの人から、おんぶされた大松「嬉しい」[スポニチ]

◇大松、第1戦で負傷も大喜び

ロッテの大松は仲間におんぶをされて、歓喜の輪に加わった。第1戦(ナゴヤドーム)の2回、先制二塁打を放った際の走塁中に右太腿裏を肉離れ。チームを勢いづけた一打の代償は大きく、以降はバットで貢献できなかった。それでも心では一緒に戦い、この日もベンチ裏で戦況を見守っていた大松は「出たい気持ちはありましたけど、チームが勝つのが1番。嬉しいです」と笑顔をみせていた。

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小林宏はFAでメジャー挑戦!西岡は入札で[スポニチ]

5年ぶりの日本一となったロッテだが、今オフは投打の主軸が流出する可能性が高い。

西岡剛内野手(26)は、ポスティング・システム(入札制度)で、メジャー移籍を目指す意向を固めており、近日中に球団フロントと話し合う予定。3年契約が今季で終了することもあり、球団も容認する方向で調整している。首位打者と最多安打のタイトルを獲得した西岡には、ジャイアンツなどが興味を示している。

また、今季海外FA権を取得した小林宏之投手(32)もメジャー移籍を目指す。石川球団運営本部長は「引き留めたいが、FAは選手の権利なので尊重しないといけない部分がある」と、本人の意思を尊重する方針。交渉が不調に終わった場合は国内移籍に切り替える可能性も残るが、まずは夢に挑戦する。

◇9回追いつかれ…「助けられた」

ロッテの守護神・小林宏は1点リードの9回に登板したが、先頭の和田に左中間三塁打、続くブランコに中犠飛を許して追いつかれた。それでも10回は無失点で切り抜けて勝利につなげた。今季は抑えに配置転換され、29セーブをマーク。胴上げ投手を逃したが「みんなに助けられた。そういう実感しかない。逆転されなくて良かった」とホッとした表情だった。

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ロッテ、ムニス、コーリーと来季契約せず[スポニチ]

ロッテは、来日2年目のフアン・カルロス・ムニス外野手(34)と来季の契約を結ばない方針を決めた。先発で4勝を挙げたブライアン・コーリー投手(37)も退団の見込み。先発で12勝を挙げたマーフィーには来季の契約を打診済みで、日本シリーズ第5戦で勝利投手となったペンも契約を結び直す方向。金泰均は来季が3年契約の2年目で、新外国人について球団関係者は「調査を進めます」とした。

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連覇へ首脳陣入れ替え、成本コーチ1軍へ[スポニチ]

ロッテが連覇に向けて早くもコーチ陣の入れ替えを断行することが6日、分かった。西本聖投手兼バッテリーチーフコーチ(54)は来季、2軍投手コーチに配置転換。代わって成本年秀2軍投手コーチ(42)が昇格する。今季は攻撃陣はともにリーグトップのチーム打率.275、708得点を記録した一方で、投手陣はリーグ5位のチーム防御率4.10と安定感を欠いた。来季は投手陣の整備が不可欠で、球団関係者は「西本コーチに唐川、大嶺に続く若手の育成を託したい」と説明した。また、山森雅文スカウト(49)を1軍の外野守備走塁コーチに抜擢し、諸積兼司外野守備走塁コーチ(41)は2軍コーチで若手育成に取り組む。

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西村監督「和」の中心で3度舞う!ロッテ史上初3位から日本一!![報知]

「和」が「俺」を退けた。ロッテが2試合連続3度目の延長戦を制して、4勝2敗1分けで05年以来4度目(前身の毎日時代を含む)の日本一に輝いた。4回にシリーズ初打点を挙げた岡田が12回2死二塁、今季最長の4イニング目に入った中日・浅尾をとらえ、右中間へ決勝三塁打を放った。リーグ3位チームの日本シリーズ制覇は史上初。就任1年目の西村監督は、日本一を達成した史上9人目の新人監督となった。

喜びをかみしめるようにグラウンドに踏み出し、西村監督は歓喜の輪に飛び込んだ。「シーズン終盤から負けたら終わりという状況が続いた。勝つことしか考えてなかった。よくここまでたどり着けた」。史上初となるリーグ3位からの日本シリーズ制覇。就任1年目でチームを日本一に導いた史上9人目の指揮官は、ナインの“和”の中心で3度、宙に舞った。

粘りに粘って「和」が「俺」を退けた。1点リードの9回、守護神の小林宏が同点とされた。延長10回にも2死一、二塁とされたが、続投させた。ブレない信頼感で持ち込んだ12回、育成からはい上がった岡田が右中間へ決勝の適時三塁打。“負けたら4位”のシーズン最終3試合から勝利をもぎ取り続け、セ王者の中日に「実力のパ」を証明した。

ロッテ一筋29年。現役時代は閑古鳥が鳴いていた川崎球場で泥にまみれた。敵地でも観客席がチームカラーの黒一色に染まる現在では考えられない不人気。だから「ファンあってのプロ野球。ずっとユニホームを脱がずに、お世話になっている球団にも感謝の気持ちを常に持っている」という。

バレンタイン前監督から政権を引き継いだ今年1月、つぶやいた。「去年までのチームは選手の力を見ると、優勝する力はあった。何が足りなかったのか。気持ちを1つにする。心を一つにして優勝しようというのが欠けていたんじゃないか」。ヘッドコーチとしてボビーを支えながら、選手の自主性を尊重するあまり、一体感が薄れていると感じていた。だからスローガンを「和」に決めた。「選手を信じる」と言い続け、2軍から上げた若手も積極的に起用。清田、岡田、内、古谷…。開幕時にいなかった新顔達が、故障者続出のチームを救った。

「和」の心の原点は、宮崎・福島高野球部時代にある。厳しい練習が嫌になって、バイクに逃げた。1週間、グラウンドに顔を出さなかった。さぼって8日目、帰宅するとユニホーム姿の仲間が待っていた。「やばいと思って逃げた」が、両親が見ている前で「もう1回、一緒にやろう」と説得され、チームに戻った。翌年、甲子園に出場した。「人に助けられた。人間は1人では弱い。でも力が結集すれば強くなる。1つにまとまれば、勝ち進んでいける」。17歳で確信した信念は、50歳になった今でも人生のモットーだ。

快進撃の裏で心身は痛んでいた。千葉マリンの監督室に焼酎を並べるほどの酒好きだが「疲れて酔うのが早くなった。12時を過ぎて飲むことがなくなった」。現役時代、70キロだった体重は82キロに増えた。「ストレスかな。こんなにお腹が出たのは初めて」。シーズン中、ユニホームは1サイズ大きくなった。

今季初の7連敗を喫した8月5日の楽天戦(Kスタ)では2度の微妙な判定に激高し、審判への暴力行為で人生初の退場処分を食らった。「暴力行為は反省しないと。でも、あれでチームが息を吹き返したのは間違ってなかった。チームや選手を守るのが仕事だから」。そこからチームは3連勝し、上位争いに踏みとどまった。「コーチや選手と接するとき、指揮官が弱いところを見せる訳にいかない」。笑顔の裏で歯を食いしばった。

日本シリーズ最長の5時間43分で引き分けた第6戦と合わせ、10時間39分の激闘を戦い抜いての栄冠。「最初から選手を信じるだけでした。“和”で1つになれた」。昨年10月、就任あいさつで「やるからには優勝を狙いたい」と所信表明した。ブレないリーダーは公約を果たしてみせた。

千葉ロッテマリーンズ
1950年、「毎日オリオンズ」としてパ・リーグに参加。初代監督は湯浅禎夫。同年、81勝34敗5分けでパ初代王者。第1回日本シリーズで松竹を4勝2敗で下した。57年11月、映画会社の大映と合併し、「大毎オリオンズ」に。60年に“ミサイル打線”で2度目のリーグ優勝。64年「東京オリオンズ」に改称。69年に岸信介元首相の仲介でロッテと業務提携し、「ロッテオリオンズ」となる。70年、3度目のパ制覇。金田正一監督のもと74年に中日を破り、24年ぶり2度目の日本一。91年に川崎から千葉へ本拠地移転を決定、「千葉ロッテマリーンズ」に名称変更。バレンタイン監督が指揮した05年に31年ぶり3度目の日本一、初代アジアシリーズ王者に輝く。

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05年に続きまた!シリーズ男・今江がMVP…ロッテ[報知]

最高の笑顔で今江はホームベースを駆け抜けた。三塁ベンチ前に飛び出した仲間たちと、ハイタッチで感激を分かち合う。「日本一にならないとMVPにはなれない。日本一になれてよかった」。延長12回、“シリーズ男”が踏みしめたホームは、日本一を決める1点をスコアボードに刻み、長かったシリーズに終止符を打った。

最高の働きで、05年に続く2度目のシリーズMVPに輝いた。第7戦は3点を追う5回2死一、三塁から中前適時打を放ち、里崎の同点打へつなげた。そして延長12回、先頭打者で四球を選ぶと岡田の右中間適時三塁打で決勝のホームを踏んだ。1、7、9回にも安打を放ち4安打。今シリーズ通算27打数12安打、6打点の活躍でチームを日本一へと導いた。

05年の第1、2戦に続く3度目の日本シリーズ4安打は、61年目を迎えた頂上決戦では史上初の快挙。2度の日本シリーズで計42打数22安打とした。「ケガで苦しんだ時期もあったし、本当にうれしい。大舞台は注目される。ワクワクしながら臨みました」と顔をくしゃくしゃにした。

勝ちたい理由があった。07年から千葉県内の児童養護施設の子供達と交流を続けてきた。施設を訪れ子供達と遊んだ翌日は、不思議とヒーローになることが多かった。シリーズがはじまる前には、子供達から激励のメッセージを集めた色紙が届いた。幸子夫人と家で見て、「頑張らないといけないね」と話した。グラウンドでの活躍が、恩返しになると信じていた。

シリーズ中には、あまりの笑顔に谷繁から「お前、楽しそうだな」とつぶやかれた。誰よりも大舞台を楽しみ、シーズン3位から一気に、自身2度目の日本一へと駆け上がった。

今江敏晃(いまえ・としあき)
1983年8月26日、京都府生まれ。27歳。幼稚園から軟式野球を始め、中学時代に京都田辺ボーイズで全国制覇。00年、PL学園高2年夏に甲子園出場。01年ドラフト3位でロッテに入団。05年にレギュラーを獲得し日本一に貢献。06年の第1回WBCに日本代表として出場し世界一に。ベストナイン1度、ゴールデングラブ賞を4度獲得。年俸1億500万円(推定)。180センチ、88キロ。右投右打。

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小林宏、海外FA権行使でメジャー挑戦!…ロッテ[報知]

ロッテ・小林宏投手(32)が今季取得した海外FA権を行使し、メジャー移籍を希望していることが7日、分かった。代理人としてオクタゴン社のアラン・ニーロ氏と契約。田口壮、岩村明憲らを担当してきた大物代理人のバックアップを得て、ロッテの守護神が海を渡る。

小林宏はこの日、「今日は楽しんで、(権利行使は)明日ゆっくり考えたい」と明言を避けたが、あるメジャー関係者は「小林に関してはアラン・ニーロが代理人だと聞いている」と明かした。同氏は05年に当時ソフトバンクの城島(現阪神)の移籍を担当。3年19.8億円の大型契約を結ぶなど、日本球界とのパイプも太い。

小林宏は今季から初の抑えに転向。6月まで防御率0.00をマークするなど好調をキープ。シーズン終盤は疲労などで調子を落としたが、57試合に登板しリーグ3位の29セーブ。防御率2.21と安定した数字を残した。

球団では権利行使の場合、慰留しない方針を固めているとみられる。球団幹部は「彼が出て行くことに備えて、外国人投手をリストアップしている。シコースキーみたいなのが見つかれば。秋季キャンプで2人テストする」と明かした。

小林宏が、初めてメジャーへの思いを明らかにしたのは07年の契約更改の席上だった。球団にポスティングを打診したが答えは「NO」。自身も08、09年の2年間で47試合で9勝25敗と不振に陥っていたが、今季は守護神転向で見事に復活。4年越しの大願成就へ、8日にも球団にFA権行使の申請手続きをする見通しだ。

小林宏之(こばやし・ひろゆき)
1978年6月4日、埼玉県生まれ。32歳。春日部共栄高から96年ドラフト4位でロッテ入団。05年から3年連続2ケタ勝利を挙げるなど、先発の柱で活躍。06年WBC日本代表。通算328登板、74勝69敗、防御率3.54、29セーブ。今季年俸は1億7000万円(推定)。183センチ、80キロ。右投右打。

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西岡、ポスティングは球団と話し合いへ…ロッテ[報知]

ロッテ・石川球団運営本部長が7日、ポスティングによるメジャー移籍の可能性が浮上している西岡剛内野手(26)について、話し合いの場を持つ意向を示した。

「西岡本人の方から話し合いをしたいと言ってくれば、話をする」と同本部長。西岡はCS最終S終了後に「やっぱり野球ができた発祥の国。野球選手をしていたら、誰もが憧れる場所だとは思う」とメジャー移籍への憧れを語っている。シーズン中にもテレビのメジャー中継に熱視線を送ってきた。

石川本部長は「僕としては、ポスティングはダメと言いたい。いなくなった場合の戦力ダウンは想像がつかない。ただ僕が決められることじゃないので、(瀬戸山球団)社長と相談します」と語った。

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岡田、決勝打に「正直、信じられない」…ロッテ[報知]

決勝打を放ったロッテの岡田は「とにかく直球を狙っていた。相手が前進守備で、思い切り振ろうと思った」。浅尾からの右中間への三塁打に、してやったりの表情だった。第1戦で負傷した大松の代役を十分に果たし、日本一に貢献。育成選手出身の26歳は「正直、信じられない」と興奮冷めやらない様子だった。

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ロッテが祝勝会!ビール3200本が泡に[サンスポ]

5年ぶりの日本一に輝いたロッテの祝勝会が名古屋市内のホテルで行われ、恒例のビールかけで選手たちが喜びを爆発させた。午前1時ごろに、選手会長のサブローの「日本一、おめでとう」の音頭で始まり、用意されたビール3200本があっという間に泡と消えた。

渡辺俊
「日本一になったので、いいです。長かった。疲れた。」(2回4失点で降板も)
成瀬
「初めての日本一なので、嬉しい。今日は打線が打ち勝つ感じがした。負ける雰囲気はなかった。」(2005年は2軍暮らし)
薮田
「いつもと一緒。与えられたところを抑えるだけ。嬉しい。」(2回無失点の好救援)
伊藤
「めちゃくちゃ投げたかった。投げられてラッキーと思った。」(最後を締めくくり)
金泰均
「今まで優勝したことは1回もない。こんなにいいものだと初めて知った。」(7回に適時打を放って勝利に貢献)
大松
「最後に勝って、すかっとした。嬉しい。」(第1戦で戦線離脱も)
井口
「本当に嬉しい。僕が打てなければ違う人と、日替わりでヒーローが出た。スローガンの和の通りだった。」
里崎
「(同点打は)シーズンで打てなかったので何とかと思った。ポストシーズンに入って投手が本当に頑張った。」
清田
「結果は最高だった。色々な人に感謝。今までに勝って泣いたことはない。」
「今日も何も考えずにいつも通りを心掛けた。(日本一になって)良かった。」

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来日1年目の歓喜…金泰均“初優勝”に感慨深げ[スポニチ]

来日1年目で日本一を味わったロッテの金泰均は「今まで1度も優勝を経験していない。いいものだと初めて知った」と感慨深げだった。シーズン終盤は不振にあえいだ。日本シリーズの後半にようやく復調。この日も適時打を放ち「チームの助けにならずに苦しんでいたが、これでつらい気持ちはなくなった」と話した。

金泰均
「打席では何も考えていなかった。とにかく球にバットを当てようと。そういう単純かつ基本的な考え方が、最高の結果になった。」(同点の7回に適時打)

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育成出身が大殊勲打…岡田、してやったり[スポニチ]

決勝打を放ったロッテの岡田は「とにかく直球を狙っていた。相手が前進守備で、思い切り振ろうと思った」。浅尾からの右中間への三塁打に、してやったりの表情だった。

シリーズ初打点となった4回の適時打についても「とにかく二塁走者の里崎さんをかえそうという気持ちだった」と精神面を強調した。

第1戦で負傷した大松の代役を十分に果たし、日本一に貢献。育成選手出身の26歳は「正直、信じられない」と興奮冷めやらない様子だった。

岡田
「(延長12回は)とにかく真っ直ぐ狙い。相手が前進守備で、とにかく思い切り振ろうと強い気持ちで打席に入った。」(決勝打)

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大松、仲間におんぶされて歓喜の輪に[スポニチ]

ロッテの大松は仲間におんぶをされて、歓喜の輪に加わった。第1戦で右太もも裏の肉離れで戦列を離れ、ベンチ裏で戦況を見守っていた。「最後に勝って、すかっとした」と喜んだ。レギュラーシーズンで不振だったが、ポストシーズンに入ってからは好調だっただけに、ケガが痛かった。ただ、大松は5年ぶりの日本一に「嬉しい」と繰り返していた。

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内3回無失点…粘ったロッテ救援陣[スポニチ]

ロッテの救援陣が粘った。6回から登板した内は「監督から気持ちで負けるなと言われた。腕を振ることだけを考えた」と3回を無得点に抑えた。クライマックスシリーズ・ファイナルステージのソフトバンク、今シリーズの中日と、強力な投手陣を誇る相手と互角以上に渡り合った。延長11、12回を完璧に抑えた伊藤は「めちゃくちゃ投げたかった。投げられてラッキーと思った」と笑顔がはじけた。

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シリーズ初失点も…抑えで貢献の小林宏[スポニチ]

ロッテの小林宏は9回に今シリーズで初失点したが「何とか逆転だけは避けたいと思った」。2回を最少失点でしのぎ、12回の味方の勝ち越しにつなげた。前回の日本一では先発。今季から抑えに転向し、違った形で貢献した。「みんなに助けられたという実感しかない。もう少ししっかりやりたかった」と言いつつも、笑顔で充実感も漂わせた。

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「和」結実の日本一!粘ってつないでロッテ逆転[スポニチ]

涙はない。ぐっとこらえ、一歩一歩マウンドに近づく。何よりも大切にしてきた選手の手で、3度宙に舞った。ロッテの西村監督は「全員で1つになった」。ずっと言い続けてきた「和」が、結実した瞬間だった。

5回に価値ある2点適時打を放った里崎の言葉に全てが凝縮されている。「つなぐことしか考えていなかった。今年1年の原点とも言える攻撃だった」。3点差で迎えたこの回に、死球を挟んだ3連打、しかも全て単打で、同点とする。

7回に金泰均の適時打勝ち越すも、9回に抑えの小林宏が同点とされてしまう。迎えた延長12回2死二塁、指揮官が失敗を恐れず、我慢強くチャンスを与えてきた岡田が決勝の三塁打。「信頼し、使わないと大きくならない」。若手をはぐくんだのは、監督のこの方針にほかならない。

昨年は、バレンタイン前監督の解任をめぐっての騒動など、ごたごたの連続。「個々の力はすごいけど、1つになっていない」と振り返った当時のヘッドコーチ、西村監督の頭にあったのは、自身の高校時代だった。市内に1つしかない田舎の公立高校で甲子園にまで出場した。「個人の力はない。中学からの仲間で、チームワークならどこにも負けなかった。1つになって戦うのが団体競技」。これが出発点となった。

プロとしては青臭くても、とにかく「和」を前面に出した。西村監督の描く理想が今、かなった。

西村徳文監督
「最高です。選手にはいつも同じ言葉しか掛けられない。今年は全員で1つになって戦った。選手がよくやってくれた。選手だけではなく、スタッフ、コーチ、そしてファンと1つになって戦うことができた。」

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リーグ3位でも日本一、07年のCS創設で可能に[スポニチ]

パ・リーグが2004年に始めたプレーオフを受け、セ、パ両リーグが2、3位も日本一達成が可能な方式を協議したのは4年前。当時の根来泰周コミッショナーは、優勝チーム同士の対決だった日本シリーズの価値低下を招く恐れを指摘していた。しかし12球団は「消化試合の減少」「新事業によるファンの獲得」「球団の収益増」を狙いとし、クライマックスシリーズ(CS)創設に07年、踏み切った。

まず2、3位が対戦し、その勝者がリーグ覇者に挑む。試合を行うのは上位球団の本拠地。07年にセを制した巨人の敗退が発端となり、08年からは1位に1勝のアドバンテージが与えられた。今年、首位と2.5ゲーム差のリーグ3位となったロッテは、このCSを全て敵地で戦い、不利な条件も乗り越えて日本一につなげた。

ある球界首脳は「ロッテが、セ優勝の中日と互角以上の戦いをした。現時点で制度を見直そう、との声は聞いてない」。今年のCSの観客動員は1試合平均で3万7千人を超えた。真剣勝負の場として定着した上、導入の狙いもほぼ達成されている。

それでも「3位が日本一」という事態を重くとらえ、再び制度改革の動きが出るのか。昨年セであった「2位にもアドバンテージを」との議論が再燃する可能性はある。

◇史上最大の下克上だ!ロッテ死闘制し、5年ぶり日本一

プロ野球日本シリーズは7日、ナゴヤドームで中日−ロッテの第7戦が行われ、ロッテが延長12回の激闘の末に8−7で勝利、対戦成績を4勝2敗1分けとして5年ぶり4度目(前身の毎日時代を含む)の日本一に輝いた。リーグ3位チームのシリーズ制覇はセ、パ両リーグを通じて初めて。

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海外FA権を行使、小林宏は大リーグ挑戦へ[スポニチ]

ロッテの小林宏投手(32)=本名小林宏之=が今季取得した海外フリーエージェント(FA)権を行使し、米大リーグ移籍を目指していることが7日、分かった。複数の球界関係者によると、小林宏はかねて米球界入りを希望しており、8日にも球団にFA権行使の申請手続きをする見通し。

日本シリーズ終了後、小林宏は「まだ分からない。これからゆっくり考える」と話すにとどめた。球団は権利を行使した場合は、慰留しない方針を固めているとみられる。

小林宏は1997年に埼玉・春日部共栄高からドラフト4位で入団。昨季までは主に先発を務めていたが、今季から抑えを任され、57試合に登板し、3勝3敗29セーブ、防御率2.21の成績を残した。通算で328試合に登板し、74勝69敗29セーブ。

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森田県知事も大喜び「感動と元気与えた」[スポニチ]

プロ野球日本シリーズでロッテが優勝したことを受け、本拠地のある千葉県の森田健作知事は7日「長い戦いの中で、マリーンズが見せてくれた勝利を諦めない姿勢は、大きな感動と元気を与えてくれた」などとする祝福のコメントを出した。千葉市の熊谷俊人市長も談話を発表。「監督、選手、ファンが一丸となって勝ち取った栄冠。日本一という最高のプレゼントをいただいた」と喜んだ。

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ロッテ・今江、2度目のMVP「いい経験」[サンスポ]

勢いで駆け抜け、MVPに輝いた2005年から5年。確かな技術と精神力を備えた。ロッテの今江は日本シリーズ史上初となる3度目の1試合4安打を記録するなど、通算27打数12安打6打点。文句なしの2度目の栄誉に「本当に嬉しい」と満面の笑みだった。チームの攻撃を象徴する堅実な打撃を連発した。まずは3点を追う5回に適時打。「次につなぐ気持ちだけだった」。

さらに同点の7回、同僚が力負けしてきたネルソン攻略の糸口となる安打を放つ。延長12回には先頭で浅尾から四球を選び、決勝のホームを踏んだ。「みんなが1つになって勝てた」。自ら決めるのではなく、攻撃の起点となれるように徹する打撃や、その言動で成熟ぶりを示した。

前回は自分でも説明できないほどの感覚をつかんだ。しかし、その後は故障もあって伸び悩み、08年の開幕前には「当時の打撃を追求した時期もあったが、あの感覚は2度となかった。今は忘れて、新しい自分をつくりたいと思っている」と過去との決別を誓っていた。

今度こそ確かなものをつかんだのか。「本当にいい経験になった」。お立ち台でそう言った表情に答えがあった。

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今江が2度目のMVP!ロッテはSKと対戦[サンスポ]

ロッテが8−7で中日に競り勝ち、4勝2敗1分けで2005年以来4度目(前身の毎日時代を含む)のシリーズ制覇を果たした。リーグ3位チームの日本一は史上初。

ロッテの今江が05年に続き2度目の最高殊勲選手(MVP)に輝いた。就任1年目の西村監督は、日本一に導いた史上9人目の新人監督となった。ロッテは中日と1974年以来2度目の顔合わせで2度目の勝利。

ロッテは7−6の9回に登板した抑えの小林宏が同点を許したが、12回2死二塁で岡田が三塁打を放って決勝点を奪った。

ロッテは日韓クラブチャンピオンシップ(13日・東京ドーム)の出場権を獲得。韓国シリーズ覇者のSKと対戦する。

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ロッテ・今江、史上初3度目4安打[サンスポ]

ロッテの今江が日本シリーズ史上初となる3度目の1試合4安打を記録した。2005年のシリーズで2度マークしている27歳はこの日、9回に4本目の安打を放った。中でも5回の安打は価値ある適時打。「次につなぐ気持ちだけ。5回の得点もそうだが、2死からは大きい。みんなでつないで粘っての攻撃ができた」。ほかも全て単打だったが、ロッテ打線を象徴する堅実な打撃を連発した。

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ロッテ5年ぶり日本一!リーグ3位から史上初[サンスポ]

一時は2−6と4点のリードを奪われたロッテは5回に集中打で同点とし、7回には金泰均の適時打でついに勝ち越し。9回裏に同点とされたが、延長12回表、岡田が決勝打となる適時三塁打を放ち、2005年以来5年ぶりの日本一に輝いた。シリーズ3位からの日本一は史上初の快挙となった。

勝って日本一を決める!!ロッテナインの強い気持ちが、1回の攻撃につながった。先頭の西岡が、吉見の初球を中前に運んだ。2番は前日6日の第6戦の1回に犠打を失敗した清田。この日はバスターエンドランを決め、無死一、三塁とチャンスを広げた。この好機に井口が左越え適時二塁打。サブローも犠飛で続き、1点を追加した。

「先制できたのは大きい。今日は1点ずつしっかり取って、みんなの力で勝利できるように頑張りたい」と井口。この一打で第1戦から7試合連続安打。通算13安打とし、毎日時代の1950年に別当薫氏が記録した球団のシリーズ最多安打「12」を更新した。

第6戦は延長15回の末、2−2の引き分け。対戦成績は3勝2敗1分けで優位に立っていることには変わりないが、ナインの疲労はピークに達している。清田は「体もしんどくなってきているし、今日決めます」と気合を入れた。

だが、直後に渡辺俊が3点を奪われ、逆転を許した。流れは一気に中日へ傾き、3回無死一、三塁の守りでは、井端の平凡な二ゴロを井口が野選。無死満塁とピンチが広がり、荒木の儀飛などで4点差をつけられた。

それでもナインは諦めなかった。4回2死から里崎、岡田の連打で1点。続く5回は今江の中前適時打で2点差とし、2死満塁から里崎の中前2点適時打で試合を振り出しに戻した。

同点で迎えた7回、2死から今江が左翼フェンス直撃の一打。中日のミスも重なり2死三塁のチャンスを作ると、続く金泰均が会心の中前打を放ち1点を勝ち越した。しかし、9回裏に小林宏がこの1点を守り切れず、同点とされ連夜の延長戦に突入した。

試合を決めたのは26歳の岡田だった。延長12回表、四球で出塁した今江を二塁に置き、前進守備の頭を越える適時三塁打。この1点が決勝点となり、ロッテが05年以来5年ぶりの日本一に輝いた。

西村徳文監督
「最高です。選手にはいつも同じ言葉しか掛けられない。今年は全員で1つになって戦った。選手がよくやってくれた。選手だけではなく、スタッフ、コーチ、そしてファンと1つになって戦うことができた。」
瀬戸山隆三球団社長
「前回の日本一に比べても格別だ。色んな苦労があったので、分かっている選手がみんな頑張ってくれた。」
中日・落合監督
「よくこの1年間戦ったと思う。セ・リーグで勝てても、この舞台では何かが足りない。それを探していかないと。勝負事は勝つことも負けることもある。それは監督の責任。強さを感じさせないのが相手の強いところ。」
中日・白井文吾オーナー
「悔しいよ。応援してくれたファンに申し訳ない。」

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西岡取れると思ってた/日本S[ニッカン]

ロッテの主将・西岡剛内野手(26)が、日本一の喜びに浸った。優勝会見では「1年間、優勝を目指してやってきた。とれると思ってやってきました」と、栄冠を手にして晴れやかな顔で話した。「今季は変わった」という声が多かったと指摘されると「いや〜、変わったというか、多分、普通の人になっただけ」と、ジョークで切り返した。

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今江「注目…楽しい」/日本S[ニッカン]

ロッテ今江敏晃内野手(27)が最優秀選手に選ばれた。05年の日本シリーズに続く受賞。この日も4安打の活躍で逆転劇を演出した。打席に立つ前、ロッテのドラえもん風船ガムをプクッとふくらませる姿が、ロッテファンからは頼もしく映った。日本一の立役者となり「注目されるのは楽しい。ワクワクしながらプレーしていました」と、大舞台での活躍を振り返った。

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5年ぶり日本一/日本S[ニッカン]

レギュラーシーズン3位のロッテが、中日を4勝2敗1分けで破り、5年ぶり日本一に輝いた。2試合連続の延長戦となった死闘は12回、岡田の適時三塁打が決勝打となった。MVPはロッテ今江敏晃内野手(27)で、5年前に続いて2度目の受賞。敢闘賞が中日和田。優秀賞にはロッテ清田、内、中日大島と、ルーキー2人が選出された。

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今江、里崎で同点/日本S[ニッカン]

3点を追う5回に、ロッテが同点に追い付いた。2死一、三塁から5番今江俊晃内野手(27)の中前適時打で1点を返すと、金の死球で2死満塁とチャンスを広げ、7番里崎智也捕手(34)が中前に同点の2点適時打を放った。今江は「打ったのはスライダー。3点差あったので次につなぐ気持ちだけ。その前の回の得点もそうだけど、2アウトから得点できているのは大きい。みんなでつないで粘っての攻撃が出来ていると思う」。

里崎は「打ったのはシュート。みんながつないでくれたから。自分もつなぐだけしか考えていなかった。日本シリーズも第7戦まで来た。今、必要なのはやはりチームスローガン通り、和。みんなで気持ちを1つにしてつないで勝ちたい。この攻撃は今年1年の原点とも言える攻撃だったと思う」と力強かった。

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岡田の適時打で3点差/日本S[ニッカン]

4点を追う4回、ロッテが2死走者なしから1点を返した。7番里崎が中越え二塁打で出塁し、続く8番岡田幸文外野手(26)が中前適時打を放った。「打ったのはフォークです。とにかく二塁走者の里崎さんを返そうという気持ちでした。打席では速い球に遅れず、なおかつ低めのフォークボールには手を出さないように意識をしながら、自分らしいスイングをしようと心がけていました。自分の中での最高のスイングが出来たと思います」と喜んだ。下位打線の連打で、追撃態勢に入った。

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俊介「全て甘かった」/日本S[ニッカン]

ロッテ先発の渡辺俊介投手(34)が2回5安打4失点で降板した。打線が2点を先取した直後の1回裏、3安打2四死球などで3失点し、逆転を許した。2回はさらに1失点。「立ち上がりからボール球がはっきりして、ストライクゾーンの球は全て甘かった。結果的にそれを修正できないまま、終わってしまった。とても大事な試合なだけに悔いのが残るし、悔しい。最悪です」と肩を落とした。

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井口「フォークかな」/日本S[ニッカン]

日本一に王手をかけるロッテが、先制攻撃を決めた。1回無死一、二塁から3番井口が左翼線に先制適時二塁打を放った。「打ったのはフォークかカットボール。昨日はああいう試合展開だったから、先制できたのは大きい。今日は1点ずつをしっかりと取って、みんなの力で勝利できるように頑張るよ」。続く無死二、三塁のチャンスでは4番サブローが中犠飛を放ち、1回に2点を先取した。

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小林宏がメジャー挑戦へ![ニッカン]

ロッテの小林宏投手(32)が今季取得した海外フリーエージェント(FA)権を行使し、米大リーグ移籍を目指していることが分かった。複数の球界関係者によると、小林宏はかねて米球界入りを希望しており、8日にも球団にFA権行使の申請手続きをする見通し。

日本シリーズ終了後、小林宏は「まだ分からない。これからゆっくり考える」と話すにとどめた。球団は権利を行使した場合は、慰留しない方針を固めているとみられる。

小林宏は1997年に埼玉・春日部共栄高からドラフト4位で入団。昨季までは主に先発を務めていたが、今季から抑えを任され、57試合に登板し、3勝3敗29セーブ、防御率2.21の成績を残した。通算で328試合に登板し、74勝69敗29セーブ。

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第8戦は唐川「今日決着祈る」[ニッカン]

第8戦が行われた場合、ロッテで先発することが予想されるのは唐川侑己投手(21)だ。試合前練習では「チームの一員として、今日、終わることを祈っています」と、あくまでも今日の勝利で日本一を決めたいと話した。コンディションについての質問には「元々不安はない。大丈夫」と話した。

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ロッテ優勝、徳澤直子「とにかく嬉しい」[サンスポ]

シーズン3位から“ミラクル日本一”を飾ったロッテ、西岡剛内野手(26)の妻で人気モデルの徳澤直子(26)は、日本シリーズ第7戦が行われたナゴヤドームで生観戦。チームの主将を務める夫を頼もしげに見つめ、サンケイスポーツに喜びのコメントを寄せた。

主将としてチームを引っ張ってきた夫の頑張りを間近で見守ってきた新婚の妻。勝利の瞬間に立ち会い「本当におめでとうございます。千葉ロッテマリーンズファンの1人として、勝利の喜びを味わえて、とにかく嬉しいです」と大興奮だ。

前日6日は、仕事があり、名古屋へ行くことができなかった。そんな徳澤に神様が“第7戦”をプレゼント。都内で用事を済ませて新幹線に飛び乗り、さらなるミラクルを夫婦で分かち合うことができた。

結婚前、料理は得意ではなかったが、今年に入って月数回ペースで料理教室に通いレパートリーを増やした。カロリー計算の勉強も始めアスリートの妻になる準備を進めてきた。

後半戦がスタートした7月27日に入籍。結婚後も、専属モデルを務める「CanCam」の仕事と主婦業を両立させながら、西岡選手をバックアップ。夫の首位打者獲得と日本一は、愛のパワーで勝ち取ったと言っても過言ではない。

勝って兜の緒を締めよ。最後に「日韓チャンピオンシップが終わるまで、もう一踏ん張り乗り越えてくれることを祈っています」と夫を叱咤激励した。

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