ロッテの新人の小林がプロ初勝利を挙げた。3度目の先発で7回2安打無失点と好投した。薮田が3試合連続セーブ。打線は1回にカスティーヨの左前打で先制し、7回には渡辺正の三塁打で加点し3連勝とした。西武は千葉で10連敗。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
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埼玉西武 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 |
千葉ロッテ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | x | 2 |
ベンチのロッテ小林敦投手(25)は、高まる興奮を抑えきれなかった。9回2死。守護神薮田が後藤を追い込むと、自然と口元が緩んできた。最後は空振り三振でゲームセット。その瞬間、表情はくしゃくしゃになった。「ホッとしました」。プロ入り5試合目。3度目の先発でメモリアルの1勝をつかんだ。
宮城県に拠点を置く「七十七銀行」出身の初のプロ野球選手。仙台市内の県庁支店で窓口勤務をしていたという異色の経歴の持ち主だ。入行してまず最初にしたことは数字の書き取り。「0から9まで、ドリルで練習しました」と笑う。
銀行マン時代に培った地道な作業の積み重ねが、この日の投球に生きた。「前回までは球が高めに浮いてしまった。1球1球、低めに投げることを考えた」。2回、中村を低めに落ちるフォークで空振り三振。「点差は考えず、1人1人を抑えようと思った」と最後まで丁寧に低めに球を集め続けた。その積み重ねの100球が、7回2安打無失点の快投につながった。
銀行時代の同僚とは今でも連絡を欠かさない。「飲み会の席とかでみんなが電話に出るから、30分ぐらいは終わらないんです」と嬉しい悲鳴だ。銀行のヒーローからロッテのヒーローへ。復興に向かう仙台に、また1つ明るい話題だ。
ロッテD3位・小林(七十七銀行)が7回2安打無失点、3度目の先発でプロ初勝利を挙げた。
「1人1人、1球1球先のことを考えずに集中して投げました」。無心で投げ続けた結果だった。唯一のピンチは3回、1死二塁。栗山を中飛、原を左飛に仕留め、小さくグラブをたたいた。両リーグトップ25本塁打の中村にも気後れせず、内角を見せ球に、低めの変化球で3打数無安打に抑えた。
エース・成瀬と同学年。東海大相模高時代は、横浜高の成瀬と激戦区の神奈川で覇を競った。2003年夏の県大会準決勝では直接対決。小林が敗れたが「野球でも、プライベートでも助言をくれる。内容は秘密ですけど」と大学−社会人経由でプロ入りした自分には頼もしい存在だ。
チームは4月以来、今季2度目の同一カード3連戦3連勝。3位・オリックスにゲーム差なしと肉薄したロッテに、新たな力が加わった。
ロッテのルーキー小林敦投手(25)が西武打線を7回2安打無失点に抑え、3度目の先発で嬉しいプロ初勝利をつかんだ。「ボールを低めに集めることに集中していた。(初勝利は)ホッとしました」。1軍昇格当初は中継ぎだったが、故障者が相次ぐ台所事情で先発に抜擢され、結果を残した。西村監督も「本当に素晴らしいピッチングだった」とルーキーの快投をたたえた。
真夏の海風を感じて、本拠地のお立ち台に上がった。ロッテのドラフト3位・小林が7回2安打無失点。ジャスト100球でプロ初勝利を手にした。心地よい疲労感。大歓声が何より嬉しかった。
「ホッとしました。初回から1人1人と思って先を考えずに投げた。体力的にへばってしまいました」。肩の可動域が広く、テークバックが大きい独特のフォーム。タイミングを微妙にずらし、ミスショットを誘った。唯一、得点圏に走者を背負った3回。2死三塁で原に3ボールとしたが、直球を6球続け左飛に仕留めた。一発のある中村にも臆せず内角を突きスライダー、フォークで3打数無安打だ。昨秋のアジア大会(中国)に阪神・榎田、横浜・須田らと出場。日本代表の抑えとして銅メダル獲得に貢献した度胸満点のスタイルを貫いた。
宮城・七十七銀行から創部30年目で初のプロ選手。社会人時代は宮城県庁支店で窓口業務を行っていた。東日本大震災では野球部、支店関係者に被害はなかったものの「大変な地域もある。僕が頑張ることで励みになれば」。この日は母校・東海大相模も初戦突破。「(球場に)行くより、活躍する方が激励になる」。プロ初勝利で、野球人生で関わってきた多くの人にエールを送った。
同い年の成瀬とは高校時代に横浜、東海大相模のエースとして競った。「プロでは向こうの方が全然実績がある。いつか追いつきたい」。25歳の目指すところははるかに高い。
ロッテのカスティーヨが先制打で小林を援護した。初回2死二塁から左前打。135キロの内角直球に鋭く反応し「頭にあったので狙い通りの打撃ができた」と胸を張った。
緊急補強で6月末に来日した助っ人はこれで9試合に出場し、安打を放った6試合は全勝。ルーキーと共にお立ち台に上がり「小林の投球がチームに勇気を与えてくれた」と称えていた。
アイシング姿の小林は、もう笑っていた。薮田が9回を締めると、ハイタッチを交わしながらナインの祝福に頭を下げ続ける。初めてのお立ち台では、「試合より緊張します」と初々しかった。プロ3度目の先発で7回2安打無失点。文句なしのプロ初勝利だった。
仙台に本店を構える七十七銀行出身では初のプロ野球選手。震災当日の3月11日、野球部は鹿児島でキャンプ中だった。直接被害は免れたが、仙台空港に止めていた部員の車は津波で流された。野球部は2ヶ月の活動休止。それでも、宴会中に酔ってかけてくる電話に、励まされるのはいつも自分の方だった。「僕が頑張ることで励みになれば」。仲間たちにささげる白星だった。
スタンドからは両親も観戦。ウイニングボールは「両親にあげます」と笑った25歳ルーキー。温かく見守ってくれる周囲の人達へ、プロで成長した姿で恩返ししていく。
ロッテ渡辺正人内野手(32)が7回2死一塁で、貴重な2点目をたたき出す右翼線への適時三塁打を放った。「三振を2つもしていたので、何とかつなごうと思っていた。食らいつきました」。5回の守備で一塁へ悪送球し、無死一塁のピンチを招いた。小林が後続を抑えて事なきを得たが、このミスが渡辺正を奮起させた。「小林の初勝利がかかっていたのは分かっていたし、申し訳ない気持ちだった。小林には試合中にお礼を言ったけど、もう1度言っておきます」と照れくさそうに笑った。
ロッテのホセ・カスティーヨ内野手(30)が1回2死二塁、先制の左前適時打を放った。「打ったのはスライダー。インコースのスライダーは頭にあった」と狙い打ち。連夜の打点をたたき出した。この日は千葉移転20年目を記念するオールドユニホームデー。ピンクユニホームに袖を通し「自分の好きな色だから気にいってる」と上機嫌だった。
プロ野球12球団のオーナー会議が14日に東京都内で開かれ、2013年春に予定されるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での日本側の収益増を米側に求めていくための交渉団の結成が決まった。
前回09年のWBCは約1800万ドル(決算のあった昨秋のレートで約15億円)の収益があったが、日本野球機構(NPB)への分配は13%(2億円弱)。一方、大リーグと大リーグ選手会は66%(約10億円)とNPBの5倍を手にしていた。
オーナー会議議長の島田亨・楽天オーナーは「日本代表チームや日本のスポンサーの貢献度に対してリターン(分配)が十分でないという認識だ」と説明。今後は島田オーナーとNPBの加藤良三コミッショナーを中心に、WBCの運営会社と交渉を行っていく。
このほか、オーナー会議では財務状況が悪化するNPBの事業収入の拡大策などが話し合われた。