ロッテは先発の上野が8回無失点で2勝目。2回以外は毎回走者を背負う苦しい投球だったが、要所で粘った。打線は0−0の9回2死無走者からカスティーヨの3号ソロで均衡を破り、連敗を3で止めた。西武の連勝は3でストップ。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
千葉ロッテ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
埼玉西武 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
頼れる4番の活躍で、ロッテが後半戦初勝利をつかんだ。0−0で迎えた9回2死、ホセ・カスティーヨ内野手(30)が試合を決めた。高めに抜けたフォークをフルスイング。弾丸ライナーが左翼ポール際に突き刺さった。「最近は変化球ばかりで攻められていた。甘い球がきて良かった。チームの勝利に貢献できて最高だ」。決勝の3号ソロ。9回まで三塁すら踏めなかった苦しい試合を、一振りで決めた。
これぞ4番の仕事だ。西村監督は「気持ちを出してチームを引っ張ってくれている」と大絶賛した。3回2死満塁のピンチでは一塁側のカメラマン席に体を投げ出し、中村のファウルフライを好捕した。前日には平凡な内野ゴロで一塁へ気迫のヘッドスライディングも見せた。「あれはラテン特有のプレー。何でもいいからプレーで勝利に貢献したかった」。走攻守に渡ってチームを鼓舞する途中加入の助っ人は、今やロッテにとって不可欠な存在だ。
ロッテ・上野が8回無失点で2勝目、チームも連敗を3で止めた。プロ入り初先発で完封勝ちを収めた17日の前回登板と違い、制球がまとまらず「蒸し暑い中、だらだらした投球を見せて申し訳ない」と5度も三塁まで走者を進められた。それでも要所を締め「いつか点を取ってくれる。粘って投げていこうと思った」と真っ向勝負で勝ち星をつかんだ。
新主砲が爆発だ。ロッテのホセ・カスティーヨ内野手(30)が28日の西武13回戦(西武ドーム)で、0−0で迎えた9回2死、左翼席へ3号ソロを放ち、チームの連敗を「3」で止めた。前日27日には金泰均(キム・テギュン)内野手(29)の退団が決定。主砲の離脱で連敗し、4位転落寸前だったチームの危機を救った。
これぞ4番の仕事だ。0−0で迎えた9回2死。カスティーヨが平野の甘いフォークを強振。決勝の3号ソロを左翼席へライナーで突き刺した。「最近変化球で攻められていたけど甘い球がきた。チームの勝利につながって嬉しいよ」。
6月下旬にロッテに入団。1軍に合流した今月5日の日本ハム戦(QVCマリン)からチームの4番にすわる新大砲は、その責任をかみしめてグラウンドに立っている。
「キムさんがいなくなった。責任をもって仕事をしたい」。腰痛で韓国に帰国していた金泰均が退団。理由の1つに「カスティーヨが打っているし、日本でやっていく自信がなくなった」とあげたのを知り、決意を新たにした。そして、いきなり決勝弾を放ってみせた。
来月15日にはベネズエラから家族が来日予定。長男・ルイスくん(8)の元気な顔にも会える。「彼は今(ベネズエラでの)野球大会に出場してるよ。ショートとサードを守ってがんばってる。すごく励みになるんだ」。笑顔の新大砲が、豪快スイングでチームに猛チャージをかける。
右ひじ手術のため米国に一時帰国していたロッテのヘイデン・ペン投手(26)が28日、成田着の日航機で再来日した。今後については未定。
プロ2度目の先発となったロッテ・上野が、9安打を浴びながら8回無失点。2勝目を手にした。
8回1死満塁のピンチも、直球勝負で内野ゴロ2つで切り抜けるなど気迫の投球を見せた。これで今季は3試合、19回1/3を投げて無失点と抜群の安定感。ヒーローインタビューでは「蒸し暑い中、ダラダラした投球をして申し訳ない。次はビシビシ抑えられるように頑張ります」とファンに約束していた。
弾丸ライナーだった。0−0の9回2死。ロッテ・カスティーヨが鋭く振り抜いた打球は、あっという間に左翼席で弾んだ。「変化球、変化球で攻められていたので甘い球を打てて良かった。手応えはあったよ。勝利につながって嬉しい」。仕留めたのは139キロスプリット。1ボール1ストライクからの3球目が浮いたところを逃さなかった。
期するものがあった。27日に主砲・金泰均の今季限りでの退団が事実上決定。6月末に加入し、ここまで出場した19試合全てで4番に座るカスティーヨにとっては、一塁の定位置を奪った形になる。「そのこともあって4番の責任を感じてプレーしている」と言った。
だから一塁の守備でも体を張った。3回2死満塁で、中村の一塁ファウルゾーンへの飛球をフェンス際で捕球。カメラマン席へ倒れ込んで左膝を強打したが、ビッグプレーで大ピンチを切り抜けた。西村監督は「打つだけではなく、気持ちの面でも引っ張ってくれている」とうなずいた。
横浜でプレーした昨季は大振りが目立ったが、今季は違う。今月上旬の福岡遠征で、元同僚で仲の良いソフトバンク・内川と再会。食事を共にした際、コンパクトに打つよう助言を受け、実践している。チームはこの日敗れると、球団44年ぶりの同一カード4連戦全敗の危機だったが、一振りで救った。真夏の反攻へ、頼もしい男は金泰均のためにも4番に座り続ける。
ロッテのカスティーヨが0−0の9回に決勝の3号ソロを放った。試合を決める一振りに「(4番の)責任感を持って、プレーしている」と胸を張った。
守備でも見せた。3回2死満塁で中村の邪飛をカメラマン席に飛び込みながら、つかんだ。左膝を強打したが「チームに貢献したい」と痛みを感じさせなかった。
8月中旬にはベネズエラから家族が来日予定。8歳の息子が野球の全国大会に出場中で「毎日活躍して、励みになっている」と目尻を下げていた。
ロッテは先発の上野が8回無失点で2勝目。2回以外は毎回走者を背負う苦しい投球だったが、要所で粘った。打線は0−0の9回2死無走者からカスティーヨの3号ソロで均衡を破り、連敗を3で止めた。
0−0の8回2死満塁。上野は「やるしかない」と開き直って直球を投げ込む。代打平尾を外角高めで二ゴロに打ち取った。直後にカスティーヨが3号ソロを放ち、ロッテが連敗を3で止めた。
プロ入り初先発で完封勝ちを収めた17日の前回登板と違い、制球がまとまらない。「蒸し暑い中、だらだらした投球を見せて申し訳ない」。8回無失点だが、5度も三塁まで走者を進められた。
ただ、3回1死満塁で中島、中村を抑えるなど要所を締めた。緊迫した投手戦にも「いつか点を取ってくれる。粘って投げていこうと思った」と過度に気負うことはなかった。
今季、19回1/3を無失点。しびれる展開で投げ勝ち「自信になった」と笑顔を見せた。
ロッテ上野大樹投手(24)が、8回無失点で今季2勝目を挙げた。西武打線に9安打を浴びたが「走者を出してから集中できていた」と要所を締めた。8回1死満塁の大ピンチも浅村、平尾を気迫の直球勝負で内野ゴロに打ち取った。試合後は、熱心な声援を送ってくれたファンに「蒸し暑い中でダラダラしたピッチングをしてしまった。申し訳ない」と反省したが、チームの連敗を止める快投だった。
ロッテの4番ホセ・カスティーヨ(30)が一振りで決めた。両軍無得点の9回、2死から西武平野の失投を仕留めた。左越えにライナーで3号決勝ソロを運び「抜けたフォーク。それまで変化球で攻められていたので、甘いボールがきてよかった。チームの勝利に貢献できて最高だ」と胸を張った。後半戦4戦目で初勝利の西村徳文監督(51)は「4連敗は避けなければいけない試合で、よく頑張ってくれた」と劣勢をはね返したナインをたたえた。
ロッテ、阪神や米大リーグのヤンキースで投手として活躍、日米通算106勝を挙げた伊良部秀輝さんが、米ロサンゼルス近郊の自宅で死去していたことが28日、分かった。42歳。ロサンゼルス郡保安官事務所当局者が明らかにした。同事務所は自殺とみている。
連絡が取れないことを心配した友人らの通報を受け、同事務所が27日に自宅を調べ、遺体を発見した。
香川・尽誠学園高から1988年にドラフト1位でロッテ入り。97年にはヤンキースに移籍して活躍した。2003年に阪神で日本球界に復帰し、18年ぶりのリーグ優勝に貢献したが、04年に戦力外となった。
ロッテ、阪神や大リーグのヤンキースなどで活躍した伊良部秀輝(いらぶ・ひでき)元投手が27日(日本時間28日)、自宅がある米カリフォルニア州ロサンゼルス郊外で死亡した。42歳。死因は不明で、一部には自殺との情報もある。 近年は事業の失敗など激動の人生を送っていた日本屈指の剛速球右腕が短い生涯に幕を下ろした。
関係者によると、伊良部氏は米国時間27日に、ロサンゼルス郊外の自宅で死亡しているのを知人が見つけた。ロサンゼルス市警の検視官が死因などを調べているという。自殺との情報もあり、同関係者は「最近は思い悩んでいるようだった」と話した。
04年阪神退団後は、ロスでうどん店を経営していた時期もあったが、野球への未練を断ち切ることができず、09年6月に米独立リーグで電撃現役復帰。同年8月には、四国・九州アイランドリーグの高知に入団したが、右手腱鞘炎のため、わずか2試合で退団した。昨年1月には自身のブログで「アスリートとして“老い”というものが現実に迫ったと受け止めるしかない。第2の人生を考えていきたいと思っています。今後、野球界に何らかの貢献をする機会に恵まれたなら、全精力をつぎ込んで取り組んでいきたい」とコメントしていた。
伊良部氏は87年ドラフト1位でロッテ入団。1年目から1軍のマウンドを経験し、西武・清原和博との対戦は「平成の名勝負」と言われ、93年5月3日の対戦時に当時の日本最速となる球速158キロをマークした。
96年オフのメジャー移籍の際にはFA権を持たずに、ヤンキース入りを直訴。パドレスとの三角トレードでヤ軍入りしたが、ルール無視の行動に日米球界を巻き込んだ騒動となった。ポスティング・システム(入札制度)が生まれたのもこの一件が契機となった。ヤンキースでは2年連続2桁勝利を挙げるなど活躍。トラブルも絶えなかったが、練習法や投球フォームへのこだわりは強く、理論派としても知られていた。
ロッテ、阪神や米大リーグのヤンキースなどで活躍した伊良部秀輝さん(42)の米ロサンゼルスの自宅で、伊良部さんと思われる日本人男性の変死体が発見されたことが28日、分かった。遺体は現地の警察の遺体検視所に安置されており、警察が身元の確認を急いでいる。
衝撃的な出来事が起きた。日本を代表する剛腕投手で、日米通算106勝27セーブ(104敗)をマークした伊良部さんと思われる遺体が、ロサンゼルス近郊の自宅で発見された。親しくしている知人によると、第一発見者は伊良部さんが現在、指導している現地のアマチュア野球チームの関係者3人だったという。27日に大勢でバーベキューを楽しむ予定だったが、会場に来なかったため、自宅に向かった。すると、カギが1ヶ所あいていたので入ったところ、すでに死亡しているのを確認。現地の警察に通報した。
また、ある関係者は、伊良部さんがここ4日間ほど音信不通になっていたこともあり、心配していたという。身元確認を急いだが、日本時間28日の夜まで夫人ら家族と連絡が取れない状態が続いた。さらに、自宅で首をつった状態だったとの情報もある。
伊良部さんは03年に阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導いた後、04年限りで退団。その後、09年に米独立リーグで現役に復帰した後、同年に四国・九州アイランドリーグ(IL)の高知でプレー。話題を集めたが、右手首痛のため同年9月に契約解除となった。10年1月18日、自身のブログで、患部の回復が難しい状況であることを明かし「今回はボールを置いて、第二の人生を考えていきたい」と引退を宣言。以後は生活の拠点を米国に置いていた。最近は地元の少年らに野球を教えるなどしていたようだが、関係者によれば、ふさぎ込むようなことがあったといい、日本に帰りたい、とも漏らしていたという。