昨秋入団テストに合格したロッテ新外国人外野手のハフマン(前カージナルス3Aメンフィス)が成田空港着の航空機で来日した。偶然にも西武・ウィリアムスが同便、隣の席に座り「日本の野球を教えてくれた。いい話ができたよ」。ライバル球団の助っ人左腕と呉越同舟となったが、14時間のフライトを有効利用し、情報収集にいそしんだ。
ただ、直接対決となれば「思い切り勝負に来て欲しくないね」と苦笑い。それでも、すぐに表情を引き締め「チームの望んでいるところで期待に応えたい」と日本での活躍に意欲を見せた。また、昨季途中からチームに加入したブラゼルもこの日、来日した。
隣席の見知らぬ男は敵だった−。ロッテの新外国人、チャッド・ハフマン外野手(28)が27日、成田空港着の航空機で来日。機内で西武のランディ・ウィリアムス投手(38)が隣に座っていた“奇遇”を明かした。全く面識のなかった2人。会話をするうち、お互いが今季、日本のプロ野球でプレーする、という事実に仰天。ライバル球団の打者と投手が、機内で早くもゴングを鳴らした。
太平洋の上で、ハフマンの目が点になった。ヒューストン発成田行きのユナイテッド航空機。ビジネスクラスの隣に座った大男が突然、話しかけてきた。
信じがたい偶然に2人は一瞬、声を失った。
日本が近づくにつれ、互いの正体が明らかになっていった。ハフマンは「『ロッテの選手だ』と自己紹介したら、(ウィリアムスも)同じリーグだったんだよ!!」と声を上ずらせた。隣に座った男はライバル球団・西武のリリーフ左腕。右打者のハフマンにとっては、打ちのめすべき相手だった。相手を知れば知るほど、運命のいたずらに驚いた。
奇遇、奇縁を受け入れた2人は、最後は互いの健闘を誓い合った。日本で成功を期すハフマンは、来日3年目のウィリアムスから情報を入手。「彼は『日本の野球や環境が好きだ』と言っていた。日本のことを、色々教えてくれたんだ」と感謝した。ロッテ対西武の初戦は4月1日(QVC)。この日、わずか1メートル足らずの距離で会話を重ねた2人が、今度はバッテリー間の18.44メートルを経て、ぶつかり合う。
ロッテの新外国人チャッド・ハフマン外野手(28=カージナルス3A)が27日、成田着の航空機で来日した。
偶然にも西武の左腕ランディー・ウイリアムスと同便、しかも隣の席でのフライトだったという。「左投手なら、相手になることもあるだろうけど、あんまり思い切り来て欲しくないなあ」と、ジョークで報道陣を笑わせた。
ウエート場に、1人最後まで残っていた。トレーニングの合間に素振りを行い、最後に入念にストレッチ。1日の練習が終了した。外は冬の星空が綺麗に光っている。ロッカールームに戻っても、もう誰も残っていない。プロ21年目を迎える大ベテランの福浦和也内野手(38)はいつも最後まで練習をしていた。ちょっと、疲れた表情を見せてロッカーの椅子にもたれかかると、静かに語り出した。
「この年になると正直、しんどいよ。同級生もどんどん引退してユニホームを脱いでいるのを見ると辛いね。俺だって『もう辞めます』と言ったら、どんなに楽だろうかと思うことだってある。でもね、まだ俺の心は『それでもまだやりたい』と叫んでいる。もう若くないから、1度でもしんどいから嫌だと思って心が折れてしまうとそれで終わり。毎日、奮い立たせる日々だよ」。
昨年、同期入団の小野晋吾が引退。自身も慢性的な腰痛を抱えるなど、これまでのプロ20年間の激闘によって蓄積された肉体の痛みは尋常ではない。それでも、やり残した事がある。どうしても到達したい目標がある。それはプロ通算2千本安打。あと161安打と迫っている記録を支えてくれた人達に見せたい。その思いは強い。
「お世話になった色々な人のためにも最後に恩返しをしたい。ショボイ結果の打席もいっぱいあった。そんな時でも応援してくれたファンの人に記録を作ることで恩返しをしたい」。
報告したい人もいる。00年に病気のため亡くなった母だ。1軍に上がりたての頃、毎日のように習志野市内の自宅からマリンに試合を見に来てくれた。97年のマリンでの初安打からずっと優しく見守ってくれた。福浦にとってはかけがえのない存在だった。
「99年のシーズン中に医者から『余命は1年くらい』と告げられた。それからだね。母親に何とか自分がオールスターに出ている姿を見せたいと思ってガムシャラにバットを振ったのを覚えている。結果を残して母親を喜ばせようと思った。ボーッとしていた自分が変わったのも、ちょうどその時だと思う」。
必死の日々は報われて00年にオールスターに初出場。残念ながら母はそれより前に亡くなり、直にその姿を見せる事はできなかった。しかし、思いは伝わったはずだと思っている。翌年には初の首位打者のタイトルを獲得。01年から06年までは6年連続3割をマークするなど、母の想いを胸に福浦はヒットを重ねていった。
今も大事にしているルーティンがある。試合前にその日に使うバットのグリップエンドに妻と2人の息子の名前を書く。そして母の名前を書く。丁寧に気持ちを込めて名前を書き込んでいる。「家族のために闘うという気持ちを忘れないために。そしていつもマリンに見に来てくれていた母にいつも見守って欲しいという思い」。そう福浦は話す。
福浦は新年、母のお墓参りに行った。毎年、開幕前にも必ず足を運ぶ。そして今年も1年、チームの為に頑張ると母に誓う。2千安打まであと161安打。近い日に何とか、その報告をしたいと思っている。若かりしあの日、いつも弟2人を連れてマリンに足を運んでくれた母に最高の報告をしたいと思う。球場の駐車場を出ると、真冬の冷たく澄み切った空気を大きく吸い込んだ。瞬く星達がいっそうきらびやかに見えた。「あれがオリオン座かな」。ベテランはずっと星を眺めていた。偉業達成の願いを、星に込めるように、真夜中の空をずっと眺めていた。
(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)