わたしはかもめ2014年鴎の便り(3月)

便

3月10日

伊東監督が1本立ちまでアジャガード![ニッカン]

一本立ちするまでアジャをガードせよ。ロッテ伊東勤監督(51)が10日、面白キャラでも注目を浴びているドラフト5位の井上晴哉内野手(24=日本生命)に対する、過剰な取材依頼を制限するよう球団に依頼したことを明かした。「スターを作ることは大切だし売り出すことは大事。だけどちょっと出過ぎかなと。大事な試合を控えている。シーズンに入って結果を残してからでも十分」と説明した。

もちろん本業の報道は従来通りで、芸能バラエティー系について配慮することを求めた。実際に時期尚早と思える企画が舞い込んだこともある。広報も了解し「行きすぎないようにバランスを考えるということ。確かに取材依頼は圧倒的に多いですから」と話した。

伊東監督は西武時代、清原や松坂という人気者を目の当たりにしてきた。「周囲がしっかりガードしていたけど、かわいそうな面もあったよ」と振り返る。アジャも人気先行にならないよう、まずは本業で勝負させる。

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アジャ「アジャ箱入り息子化計画」伊東監督、球団に「取材は野球だけ」要請[報知]

ロッテの伊東勤監督(51)が10日、「アジャ箱入り息子化計画」を掲げた。ドラフト5位で現在オープン戦打率トップの「アジャ」こと井上晴哉内野手(24)=日本生命=について、野球と関係のない取材対応を控えるよう球団側に依頼。自惚れから本人を守り、あくまでもプレーでスターに育て上げる方針だ。

井上の野球人生を考えた親心だ。「新人で何も始まっていない。(もてはやされて)勘違いして消えていった選手も見てきている」。体重115キロ。アジャ・コング似の顔から「アジャ」の愛称が定着した井上には、有名人との対談など、企画オファーがメディアから殺到。取材申請数はチームで断トツだ。

球団関係者が「大嶺祐が入団した年(07年)以来じゃないか」と言う程の反響だが、井上は「結果を出してから出るようにした方が、確かにいいですね」と指揮官の意見に同調。グラウンドでの活躍で目立つつもりだ。

オープン戦7試合で打率4割7分8厘と実力でも存在感を見せる井上に、指揮官は「シーズンで選手として活躍して、取り上げられれば(チームの)顔になる」と、スターの素質を見いだしている。箱入り息子が孝行息子に変わった瞬間、QVCにスター選手が生まれる。

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ロッテのアジャ井上、天狗はダメ!取材オファー殺到も規制へ[スポニチ]

アジャを天狗にさせない。打率.478でオープン戦首位打者、球界で日本人最重量115キロの話題もあって、ロッテドラフト5位・井上に取材や企画出演のオファーが殺到。

このフィーバーを受けて伊東監督は球団に「今後は取材は控えるように」と指示した。理由は「シーズン前でまだ何も結果を出していない」。野球に専念させたいという親心もある。日々の取材は問題ないが、レギュラー定着までバラエティー色の強いものはNGとなる。

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[千葉魂]「精一杯」の積み重ね、荻野忠6度目手術から再起目指す[千葉日報]

2月1日キャンプインの日。荻野忠寛投手(31)はQVCマリンフィールドのブルペンにいた。一塁側ブルペンに向かうと、ホームプレート手前に椅子を置いた。まだ膝は痛む。だから椅子に座って黙々とネットに向かって投げ続けた。いま、背番号「0」ができる精一杯の投球。誰もいない球場に1人残ってのリハビリが始まった。

「1人のマリンはやっぱり寂しいです」。

気持ちとしては全てを受け入れている。しかし、それでも2月1日のキャンプインの日に1人、自分だけは石垣島ではなく、病院に通院するため千葉にいる。プロ野球選手としてその現実に寂しさがないと言えば嘘になる。

悪夢が襲ったのは昨年11月だった。6月に右肩を手術したばかり。まだ、肩も完治していない状況で、今度は左膝を痛めた。病院での診断結果はまさかの左膝全十字靭帯の断裂。医師には「ジョギング再開まで5ヶ月」と告げられた。頭が真っ白になった。

「診断結果を聞いた時のことは忘れない。尋常ではないほどの汗が噴き出してきた」。

大学時代を入れると6度目の手術だった。10年に2回、11年に1回。12年、ようやく調子を戻し、マリンのお立ち台にも上がった。「調子もよくて来年こそはという気持ちだった」という13年。4月に肩の違和感を訴え、6月に手術した。そして肩が直り切らぬ12月に左膝を手術。翌年1月中旬まで松葉づえ生活を余儀なくされた。連続した悲劇に周囲も言葉を失った。

「ショックでした。でも、やってしまったものは仕方がない」。

肩と膝、同時に2ヶ所のリハビリが始まった。黙々と軽い負荷を体の至るところに加えることを繰り返すことしかできない単調なリハビリ生活。グラウンドに姿を見せるのは15分程度。あとのほとんどを室内で過ごす。そんな時間の合間に1人、色々な事を考えた。悩み苦しんで導き出した結論は極めてシンプルだった。

「とりあえず今日を頑張ろうと。そう考えるようにしようと思った。先は長いので、あれこれ考えても仕方がない。今日できることを精一杯やって、それを積み重ねていく。僕に限らず、野球選手に限らず、人間、生きている人全員がその日を頑張るということには変わりはない。先は見えないけど、僕は頑張るしかない。1日1日を積み重ねて行こうと思った」。

最初は落ち込んでいた気持ちも、日々を一生懸命生きようと考える中で、変化が生まれてきた。マイナスな気持ちがスッと消えていき、ポジティブにとらえるようになった。

「今はキャンプに行けなかった事も前向きにとらえている。肩も直っていない状態でみんなと一緒にキャンプインをしていたら焦って投げ急いでいたかもしれない。結果的には自分のペースでリハビリが出来ている。この経験も長い人生の中で生きると思えてきた」。

ある取材で色紙に『全力』と書いた。リハビリしかできない今、できることを全力で取り組みたいという思い。そして全力で投げる事が出来る日を信じて書いた。

「何とか後半戦ぐらいに投げる事が出来るようになりたいと思っています。色々と心配をかけている人の為にも頑張ります」。

かつて守護神を務め、その背番号から『ミスター0』と呼ばれた男の地道なリハビリの日々は今も続いている。苦しい、辛いはいつだって言える。だから、朝、目を覚まして自分に言い聞かせる。今日も精一杯頑張る。その先に全力投球ができる日が来ることを信じている。QVCマリンフィールドのファンが、マウンドが、荻野忠の帰ってくる日を楽しみに待っている。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)

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