わたしはかもめ2014年鴎の便り(3月)

便

3月18日

ノーゲーム:千葉ロッテ−東北楽天(QVCマリン)

ロッテ対楽天は強風で試合中止となった。球場表示では最大風速14メートルを記録。審判団が「危険をともなうため」と説明し、1回裏2死一、二塁のロッテの攻撃中にノーゲームとなった。

123456789R
東北楽天00
千葉ロッテ3x3

◇強風ノーゲームは初

QVCマリンフィールドの公式戦が強風で中止となった例は1995年、97年、2002年と3度あるが、強風で試合途中にノーゲームとなるのはロッテの広報担当によると公式戦、オープン戦を通じて初めてという。

試合開始時に球場の表示で13メートルだった風速はすぐに14メートルに達した。小林和球審は「投手の球が抜けて、打者も立っていられない状態だった」と説明した。長年ロッテでマスクをかぶり、この日も先発出場だった里崎は「ここまで強いのは初めて」と驚いていた。

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春一番風速14m…ロッテ巨漢アジャ揺らぐ[ニッカン]

春一番にやられた。ロッテ対楽天は1回裏2死一、二塁の場面で強風によりノーゲームとなった。試合中に風速14メートルを計測。風の強いQVCマリンでも試合前に中止が決まったことはあるが、公式戦、オープン戦を通じて、強風ノーゲームは初めてという春の珍事だった。

115キロの巨体も強風には勝てなかった。1回1死一、二塁。アジャ・コングことロッテのドラフト5位、井上晴哉内野手(24=日本生命)は打席で体が前に揺れた。「人生で初めてタイムを取りました。体重は重いから大丈夫だと思っていたけど揺られました」と驚いた。この後、あと30センチで本塁打という右翼フェンス直撃の適時二塁打。それでも「強風を打ち破るくらいの打球を打たないといけないな」とは、さすが大物ルーキーだ。

昨年8月31日の日本ハム戦でも最大14メートルの強風が吹いた。その試合で左飛が風に戻され、満塁の走者一掃打となった里崎が、「16年やってきて、ここまで強いのは初めて。急に強くなったりするから、風に慣れたことはないね」と、半ばあきれた表情で話した。初体験といえば新外国人のチャッド・ハフマン外野手(28=カージナルス3A)も同じだ。「体で覚えるしかない。しっかり練習して慣れないといけないね」と中止後は、捕球練習を井上ら内野陣の後に行った。

伊東監督は「(涌井を)もうちょっと見たかったけど、しょうがないね。マウンドの姿を見ていると気の毒だったからな」と審判団の判断を受け入れた。シーズン本番に備えて、新戦力にとっては、貴重な強風の予行演習日となった。

強風中止メモ
公式戦では、QVCマリンで過去に95年4月23日ロッテ−オリックス戦、97年5月8日ロッテ−オリックス戦、02年4月17日ロッテ−西武戦の3試合が中止となっている。02年は千葉市内の最大瞬間風速が29.7メートルと大荒れで、開始予定の午後6時15分に中止が決定。95、97年も開始前に中止が決まった。セ・リーグの公式戦では50年3月12日、平和台で予定されていた中日−広島戦と阪神−西日本戦、60年5月29日、川崎の大洋−広島戦(ダブルヘッダー)が中止。オープン戦でも98年3月20日、ひたちなかで予定の巨人−日本ハム戦、横浜の横浜−近鉄戦が試合開始前に中止となった。

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アジャ先制打も吹き飛んだ…春一番でマリン初の試合途中ノーゲーム[サンスポ]

アジャも吹っ飛ぶマリン風!!関東地方に「春一番」が吹いた18日、QVCマリンで予定されていたロッテ−楽天のオープン戦が最大14メートルの強風で、1回のロッテ攻撃中にノーゲームとなった。公式戦を含めた強風による中止は同球場では2002年以来、12年ぶり4度目だが、試合が始まってからのノーゲームは初。ドラフト5位・井上晴哉内野手(24)=日本生命=も114キロの巨体が打席で風に揺られ「人生初のタイム」をかける異常事態となった。

ロッテの1回攻撃中だった。3点を奪った2死二塁から、なおも里崎が四球を選び一、二塁となったところで、審判団が緊急協議。直後、小林和球審がマイクで場内にコールした。試合開始から41分後だった。

「これ以上の試合続行は、選手にけがの危険が及ぶと判断し、ノーゲームとします」。中堅から本塁方向に吹き荒れる通称『マリン風』。気象庁が関東地方の「春一番」を発表した電光掲示板の風速表示は最大14メートルを記録した。実は1回表、楽天の攻撃終了後にも審判団は試合続行か否かを協議していた。

今季でプロ16年目。“幕張のレジェンド”と呼ばれる里崎は「上空だけなら、いままでもこれぐらいの強風はありましたが、グラウンドにまで下がってきて吹き付ける風は初めてですよ。プレーに影響?なけりゃ、試合やってるでしょ!!」ともっともな証言だ。

QVCマリンでの強風中止は2002年4月17日の西武戦以来、12年ぶり4度目だが、過去3度はいずれも試合前に決定。球団関係者によれば、プレーボールがかかってからのノーゲームはオープン戦も含めて史上初の事態だという。

女子プロレスラー、アジャコング似で話題の井上も驚いた。「4番・DH」で出場した1死一、二塁で、9球粘ったカウント3−2から右中間フェンス直撃の先制適時二塁打。あと約30センチでスタンドインの“辛島撃ち”だったが、打席では「公称114キロ」の巨体が風で大きく振られ、タイムをかけた。

「自分でも久々に“いったぁ!!”という感触でした。風がなかったら入っていたと思います。打席でタイムをかけたのは人生初ですね。最初、どうやってタイムをかけていいか分からず、ジェスチャーで『タ、タイム』みたいな…。(球審に)分かってもらえてよかったです」。

春一番にプロ初本塁打を阻止された“アジャ4番”。早々に受けたマリンの洗礼もノーゲームの中の収穫だった!?

伊東監督
「投手がマウンドで立っていられない程の強風では(ノーゲームも)仕方ありません。試合前、審判団が『本当にやるんですか?』と確認に来た程ですからね。」
NPBの小林和球審(責任審判)
「頭部への死球などの危険も感じましたし、ジャッジする我々も立っていられない程でした。審判団で話し合い、ノーゲームの判断としました。」

◇関東と四国に昨年より17日遅い「春一番」

気象庁は18日、関東と四国に「春一番」が吹いたと発表した。いずれも昨年より17日遅い。最大瞬間風速は東京都心で21.5メートル、千葉市で24.2メートル。都心で最高気温が20.3度を記録するなど、各地で4月中旬から5月上旬並みとなった。

京浜急行電鉄によると、東京都品川区の北品川−新馬場の架線に飛来物が付着し、泉岳寺−京急川崎の上下線でダイヤが乱れた。JR千葉駅では、屋根の支柱部分に取り付けられたケーブルを覆うカバーの一部が落下し、男性客に当たった。ケガはなかった。

最大瞬間風速22.1メートルを記録した羽田空港(東京都大田区)では計4便が欠航、計269便が30分以上遅れた。

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ロッテ・涌井、強風で暴投&1四球…帽子飛ばされる場面も[サンスポ]

ロッテ先発の涌井は1回を1安打1四球の無失点。強風で帽子が飛ばされ、暴投も記録し「中止になるくらいだから、(投球に)影響があるに決まってますよ」。ノーゲームが決まるとブルペンで約50球、さらに外野で遠投も行った。前回12日の巨人戦(QVCマリン)では5回9安打8失点。「これでは困る」と怒りをあらわにした伊東監督も「1回だけだけど、今日はよかった」とひとまず安心。次回は25日のイースタン・リーグ、日本ハム戦(鎌ケ谷)に登板する。

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アジャ井上、本拠1号が「風に負けた」…初の珍事!春一番ノーゲーム[スポニチ]

QVCマリンに春の嵐が吹き荒れた。18日のオープン戦、ロッテ−楽天戦は、強風のため1回途中でノーゲームとなった。球場のある千葉市では最大瞬間風速24.2メートルを観測。同球場では強風による中止が公式戦では過去に3度あるが、試合途中でノーゲームとなるのはオープン戦を含めて初の珍事だ。

春の訪れを告げる「春一番」がQVCマリンを混乱に陥れた。定刻通り午後1時に試合は始まったが、1回裏にロッテが3点をリードしてなおも攻撃中に審判団が集まり試合続行について協議。その後、里崎が四球を選び、2死一、二塁となったところで続行は不可能と判断し、同41分にノーゲームが決まった。小林和公球審は「投手の球も抜けて危なかった。打者も立っていられない状態で、野球にならないと判断した」とノーゲームを決めた理由を説明した。

強風により本塁打と思われた打球が、ことごとく押し戻された。この日、ロッテの4番に座った「幕張のアジャ」ことドラフト5位の井上は、初回1死一、二塁で楽天・辛島の高めの134キロ直球を完璧にとらえた。打球は右翼席に飛び込むかと思いきや、フェンスを直撃する適時二塁打。風で待望の本拠地第1号を逃した井上は「“これはいった。やった!”と思ったら、届かなかった。体重が115キロから4キロ落ちたので、打球が風に負けちゃいましたね」と苦笑い。その後、ハフマンの右中間への大飛球もフェンス手前で失速し、二塁打になった。

球場周辺には午前中から強風波浪注意報が出ていた。1分間平均の風速を示す球場表示は最大で15メートルを表示していたが、気象庁によると千葉市の最大瞬間風速は、試合中の午後1時27分に24.2メートルを計測。風には慣れているはずのロッテの選手もさすがに驚いた様子で、16年目の里崎は「上空で10数メートルでも、グラウンドレベルでは吹いていないことはよくあるけど、今日は下も吹いた。立っていられないぐらいの風は初めて」と空を見上げた。

この日の入場者は約4000人で、チケットは即日払い戻された。オープン戦の平日デーゲームということもあり、営業面の打撃はほとんどなかった。球団関係者は「シーズン中の休日なら大きな痛手になっていた」とホッと胸をなで下ろした。ノーゲーム決定後、野手陣は飛球の捕球練習を行い今後のいい予行演習にはなったものの、春の嵐がとんだ一騒動を巻き起こした。

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涌井、調子良かったのに…伊東監督「もうちょっと見たかったね」[スポニチ]

わずか20球でお役御免となったロッテ先発の涌井は、ノーゲーム決定後、ブルペンで約50球を投げ込んだ。

マウンド上では、初回2死から銀次に3球目を投げ終えた直後に帽子が吹き飛ばされるシーンも。「中止になるぐらいの風だから、影響はありましたよ」と苦笑いを浮かべた。伊東監督は「ブルペンは凄く良かっただけに、もうちょっと見たかったね」と残念そう。次回は予定通り25日のイースタン・リーグ日本ハム戦(鎌ケ谷)に先発する。

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アジャ、幻タイムリー、強風で中止も本塁打あと一歩[報知]

手応え十分の大飛球も、スタンドには届かなかった。初回1死一、二塁。井上が外角高めの直球を右中間へ運んだ。「『これはいったやろ〜』と思ったけど…」。打球は強風に押され、右中間フェンスの最上部を直撃。試合中、風速14メートルを計測した「春一番」により、「アジャ」のQVC初本塁打は幻となった。

風のいたずらだ。打席に立ったほとんどの選手が、突風を気にして1度は打席を外す。先発・涌井の帽子が投球後、三塁ベース付近まで飛ばされるシーンも。1回裏2死一、二塁で審判団が集まり、「野球にならない」と協議によりノーゲームを決定。元々風が強いことで有名なQVCだが、強風により、試合途中でノーゲームになったのは初の珍事だ。

貴重な登板試合が、わずか41分で終わってしまった涌井は「中止になったんだから(風は)すごいに決まってるでしょ」と言い、ブルペンで試合で投げる分まで投球した。人生で初めて「打席でタイムをかけた」という井上は「風にしっかり負けましたね」と、あと30センチ高ければサク越え―という打球を悔しがった。

QVCの公式戦が強風で中止になったのは95、97、02年と3度あるが、02年当時、西武の捕手として試合に出場予定だった伊東監督は「(風にあおられる)マウンドの投手の姿を見たら気の毒。涌井は楽しみだったけど仕方ないね」とお手上げ。残り少ない実戦が、思わぬ強敵に潰されてしまった。

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ロッテ・涌井、強風で投球は1回のみ「影響があるに決まっている」[サンスポ]

1回のみの投球に終わったロッテの涌井は強風に「中止になるんだから、影響があるに決まっている」と話した。今後は25日のイースタン・リーグの日本ハム戦(鎌ケ谷)に登板してシーズン開幕に備える予定。

5回8失点と打ち込まれた12日の巨人戦以来のマウンドだった。伊東監督は「若干この前よりも良かったみたい。これだけ(風が)吹いていたらかわいそう」と諦め顔だった。

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ロッテ伊東監督、強風中止に「気の毒」[ニッカン]

ロッテ対楽天(QVCマリン)は18日、1回裏ロッテが攻撃中の2死一、二塁で強風のため中止となった。QVCで行われるロッテの公式戦では1995年4月23日オリックス戦、97年5月8日オリックス戦、2002年4月17日西武戦がある。試合中の中止は公式戦、オープン戦を通じて始めてのケースとなった。

ロッテ伊東監督は「(涌井を)もうちょっと見たかったけど、しょうがないな。マウンドのピッチャーを見ていると気の毒だったからな」と風で揺らめく姿を見て、中止の判断を受け入れた。残念がったのはアジャ・コングことドラフト5位の井上晴哉内野手(24=日本生命)も同じ。1回1死一、二塁で右翼フェンス直撃の適時二塁打を放ったが、逆風に押されあと30センチでホームランに届かなかった。「風の影響はありますけど、突き破るくらいの打球を打たないといけませんね」とは、さすが大物ルーキーだった。

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ロッテvs楽天は強風中止、QVCマリンで試合途中では初[サンスポ]

ロッテvs楽天は強風のため、1回、ロッテの攻撃中にノーゲームとなった。

同球場での強風による中止は、1995年4月23日のオリックス戦、97年4月17日のオリックス戦、2002年4月17日の西武戦の過去3試合。球団関係者によると、この3試合はいずれも試合前に中止が決まっており、試合途中でのノーゲームはオープン戦を通じても初という。

ノーゲームを決断したNPBの小林和球審(同日の責任審判)は「これ以上の試合を続けると、不測のけがなど選手の身体に危険がおよび、天候の回復も見込めないことから協議の上、ノーゲームとしました」と説明した。

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選手会とNPBが事務折衝、今後は2ヶ月に1度程度実施に[サンスポ]

日本プロ野球選手会(嶋基宏会長=楽天)と日本野球機構(NPB)による事務折衝が18日、都内で行われた。これまで年間3−4度のペースで開かれていたが、今後は選手も参加して2ヶ月に1度程度実施することで一致した。

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[乾坤一筆]ロッテ・アジャに大物の系譜!王、長嶋、落合は選手食堂の“主”だった[サンスポ]

今季はロッテ担当。18日の楽天戦(QVCマリン)は同球場で12年ぶりの強風中止となった。予期せぬ話題も豊富で楽しい。中でも、女子プロレスラー、アジャコング似で人気のドラフト5位・井上晴哉内野手(24)=日本生命=が大奮闘。開幕1軍まで、もう一踏ん張りだ。

公称体重114キロの巨漢は、プラス3キロまで誤差範囲(マイナスの誤差はない!?)。伊東監督は「人前であまり食べない。あれは間食だな」とみているが、いずれにしてもその食欲に疑いの余地はない。特に球団寮(さいたま市)の食事に大満足している。

「めちゃくちゃ、うまいです。間違いないです。毎回、残さずにいただいています」。アジャが感激するこの“寮メシ”については、球界内で「ひどい」という話を聞いたことがない。むしろ、12球団でどこが1番うまいのかという論争になり、結果は「広島」という声が支配的だ。

一方で、今の若手は食が細いという嘆きもある。某球団の元寮長曰く、「朝の段階で『今日の晩飯はいりません』と断っていく選手が多い。ちゃんと外で食べてくればいいけど、酒だけ飲んで帰ってきているんじゃないかと思うと、気が気じゃないよ」。これに似た話は巨人担当時代、長嶋監督(現終身名誉監督)からも聞いた。

「遠征先の食堂で、若い選手が入ってきたと思ったら、もう次の瞬間にいない。本当に食べているのか…っていう感じですよ。現役時代、ボクとかワンちゃん(王貞治・現ソフトバンク球団会長)なんか、遠征先の晩飯ともなれば、おひつを抱えて食べていました」。

その長嶋さんが驚いたのは、1994年に中日からフリーエージェント(FA)で獲得した落合博満(現中日GM)。当時42歳ながら、その食欲には目を見張った。

「最初に食堂へ来て、最後までテーブルにいました。食堂の“主”でしたよ」。

食べるために働き、働くために食べる−。これがプロの世界。今年もまた多くの新人選手を迎え、28日に開幕となるが、球史に燦然と輝く名選手は皆、大食漢だったことを知っておいて損はない。

西村浩一(にしむら・こういち)
1987(昭和62)年入社。サンケイスポーツの記者として、巨人、大洋(現DeNA)、ヤクルトとセ・リーグ球団を担当。プロ野球、文化報道部などのデスクを経て、2012年10月から編集委員。プロ野球の現場へ15年ぶりに復帰した。人生訓は「ボウフラが 人を刺すよな蚊になるまでは 泥水飲み飲み 浮き沈み」。

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