わたしはかもめ2014年鴎の便り(5月)

便

5月6日

オリックス8−2千葉ロッテ(京セラドーム)

オリックスは西が8回2失点、リーグ単独トップの6勝目を無敗で挙げた。打線は0−1の1回、ペーニャの2ランなど3点で逆転。3回に竹原の1号ソロ、5回にはペーニャの12号ソロで加点した。ロッテは古谷が崩れ、3連敗。

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荻野貴が史上初初回初球先頭ランニング弾[ニッカン]

「何が起こったのか分からなかった」。ロッテ荻野貴司外野手(28)は、一塁を蹴る直前、異変を察知したが、正確にはつかめなかった。視界の片隅では、左翼手の竹原が後ろ向きに1回転していた。転がる打球を確認。「あとは一気に走りました」。史上初の先頭打者初球ランニング本塁打となった。

前日5日の試合の反省が珍打を生んだ。この日の試合前のベンチで、荻野貴は顔をしかめていた。「昨日の三塁打は危なかった。二塁の手前でちょっと緩めてしまって、三塁がギリギリになってしまった。ああいうことをしていてはダメですね」。全速力の大切さを意識していたからこそ、相手のミスにつけ込めた。

さらに言えば、初球を打ったのも5日の試合で積極的に振っていけなかった反省を生かしたから。「とにかく積極的にいこうと思っていた」と、初球の直球を振り抜いた。

2日に1軍昇格の挨拶をした際、伊東監督から「チームはいい流れだから、邪魔をしないでくれよ」と冗談を言われた。その試合でノーヒットノーランを食らい、同日に昇格した今江と2人「どっちがインケツだ?」と仲間からいじられた。何とかチームの役に立ちたい思いが、その後の快打連発につながった。

ペーニャの特大弾とは毛色の違う推定飛距離60メートルの本塁打。「僕の場合はほんとラッキーでした」と苦笑いしかなかった。球界トップの俊足には意外なことに、ランニング本塁打は郡山高時代に打った記憶があるだけだという。伊東監督も「思わぬ形で点が取れたけど…」と振り返った珍本塁打。勝利につながらなかったことが、喜びを半減させていた。

1番打者の荻野貴が初回に初球をランニング本塁打。初回先頭打者ランニング本塁打は00年9月2日宮地(西武)以来8人目で、初球を打ったのはプロ野球史上初めてだ。荻野貴の本塁打は通算7本目となり、先頭打者、ランニングはともに初めて。8人のうち三宅、松井、坪井、宮地、荻野貴の5人が自身初の先頭打者弾をランニングで記録している。

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パ史上初!ロッテ・荻野貴、先頭打者初球ランニング本塁打[サンスポ]

ロッテ・荻野貴は一回にパ・リーグ史上初の初球、先頭打者ランニング本塁打を放った。先頭打者ランニング本塁打は2000年の宮地(西武)以来、両リーグ8人目。左翼のオリックス・竹原が打球を捕球する前に人工芝に足を取られて転倒し、球が転々とする間に生還。球団では11年の渡辺正以来のランニング本塁打に「何が起きたか分からなかった。本当にラッキー」。一方、竹原は3回に名誉挽回の1号ソロ。「ホッとしました。負けてたら話にならないところだった」と安堵していた。

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ロッテ古谷、4回6失点で2敗目、オリ戦連勝ストップ[スポニチ]

オリックス戦は5連勝中と好調だったロッテ・古谷が乱調だった。初回にペーニャの一発などで3失点。その後も失点を重ね、4回7安打6失点で今季2敗目を喫した。

初回は先頭への四球をきっかけに崩れ「自分の球が投げられなかった。情けないです…」とがっくり。逆転負けでチームは3連敗となり伊東監督は「チーム状態がまたおかしくなってきたな。出直すとしか言いようがない」と険しい表情だった。

荻野貴
「一塁で(竹原が)転んでいるのが分かった。最初は何が起きているか分からなかった。ラッキーでしたね。」
14年ぶり8人目
荻野貴(ロ)が1回表に先頭打者で初球をランニング本塁打。初回先頭打者ランニング本塁打は00年宮地(西)以来14年ぶり8人目(表5、裏3)。ロッテでは前身球団を含め初めて。また、これまで初回表の最速は98年坪井(神)の2球目。「プレーボールランニング本塁打」は荻野貴が史上初になった。

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M荻野貴が初回初球ランニング本塁打[デイリー]

ロッテの荻野貴が初回に史上初の初球、先頭打者ランニング本塁打を放った。先頭打者ランニング本塁打は2000年9月2日に宮地(西武)が近鉄戦で記録して以来パ・リーグ4人目。プロ野球史上8人目。

西の速球を捉えた打球は左前で弾んだが、今季初出場の左翼・竹原が捕球前に足がもつれて、転倒。尻もちを付いている上を打球が通過する珍プレーとなった。

竹原がすぐに起き上がり打球を追ったが、ボールがフェンスへ転々とする間に荻野貴は快足を飛ばし、一気に生還した。

球団では11年の渡辺正以来のランニング本塁打に「何が起きたか分からなかった。本当にラッキー」と話した。

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荻野貴、史上初のプレーボール・ランニング本塁打![報知]

ロッテの荻野貴が、史上初の初回先頭打者初球ランニング本塁打の快挙を見せれば、オリックスのペーニャは5回1死に天井直撃の推定150メートルの認定弾。この日の2発で本塁打と打点の2冠に立ち、先発の西は開幕6戦6勝を飾った。

“ズッコケ”をあざ笑うかのように駆け抜けた。プレーボールのコールからわずか20数秒後。この試合1球目、高め140キロの直球を左前へ放った荻野貴はダイヤモンドを1周してホームにかえってきた。「何が起こっているのか分からなかった」驚きのランニング本塁打だ。初回先頭打者ランニング弾は8人目。だが、「初回表の初球をランニング本塁打」は史上初めてだった。

元同僚の尻もちが記録を生んだ。飛球をワンバウンドで処理しようとした左翼手・竹原が足をもつれさせ、転倒。打球は竹原の頭を越えて左中間を転々。「(三塁コーチの)清水さんが手を回していたので行けるかなと。ラッキーですね」と、元ロッテ戦士の“喜劇”で1点を先取した。

開幕は右ひざ関節炎で2軍。4月4日に1軍登録も、20打数無安打で7日後に2軍落ちした。だが、再昇格後は5試合で16打数8安打とエンジン全開だ。「以前は『打ちたい、打ちたい』と球を前に突っ込んで打ちに行っていた」と、2軍で重心を落とすフォームに微調整。5日には左翼線に三塁打を放つなど、1番打者として走り回っている。

幸先のいい先頭弾もむなしく、チームは3連敗。「負けたので…特に何もないです」とトーンダウンだ。西に早くも今季3敗目を喫した伊東監督は「立ち上がりに思わぬ形で点が取れたと思ったら。また何かおかしくなってきた」とガックリだ。連敗脱出へ、背番号4が起爆剤になるしかない。

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ロッテ・荻野貴、“珍プレー”で先頭打者初球ランニング弾[スポニチ]

ロッテの荻野貴が、6日のオリックス戦(京セラドーム)で初回に先頭打者初球ランニング本塁打を放った。

初球の140キロの高めの直球をとらえた打球は、オリックスの左翼・竹原の頭上へ。背走しようとした竹原が足をもつれさせてその場で激しく転倒。その間に荻野貴が自慢の快足を飛ばして一気に生還。記録はランニング本塁打で、思わぬ“珍プレー”で先制点を手にした。

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ロッテ・荻野貴、先頭打者初球ランニングホームラン![サンスポ]

ロッテ・荻野貴司外野手(28)が、オリックス戦で1号ソロ。珍しい先頭打者初球ランニングホームランで決めた。

「1番・中堅」で先発し、西の初球の140キロ直球を左前へはじき返した。すると今季初先発だった左翼の竹原が捕球直前に転び、打球が後方へ。ボールに触れることもなく、失策はつかず。荻野貴は悠々とホームにかえってきて先制点を奪った。

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ロッテ・井口がネットで復興支援呼びかけ!新市庁舎建設の実現へ[サンスポ]

ロッテは6日、井口資仁内野手(39)が4月28日に訪問した福島県須賀川市の新市庁舎建設への寄付金を『Makuake』で募ると発表した。

旧市庁舎は東日本大震災で甚大な被害を受け使用不能となり、現在、2016年度末の完成をメドに新市庁舎の建設を急いでいる。井口は球団を通じ「福島県須賀川市を訪問させていただいた際、復興にはまだまだ時間も資金も必要だと改めて感じ、少しでも多くの方と一緒に復興支援がしたいという思いから、このプロジェクトを発足させました。ぜひ皆様にご賛同いただき、ご協力をお願いしたく思っています」とコメントした。

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荻野貴、初球先頭打者ランニング本塁打[ニッカン]

ロッテ荻野貴司外野手(28)が、初球先頭打者ランニング本塁打を放った。「昨日、あまり積極的にいけなかったので、今日は最初から積極的にいこうと思ってました」と直球を振り抜いた。

打球は左前に飛んだが、回り込んで捕ろうとした左翼手の竹原が後ろ向きにたたらを踏んで転倒。ボールはその上をバウンドしながらフェンスまで転がった。「一瞬何が起こったか分かりませんでしたが、一生懸命走りました。ランニングホームランはラッキーですね」と荻野貴。竹原の転び方があまりにも漫画のようだったためか、球場に笑いがこだました。球史に残る珍プレー本塁打になりそうだ。

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ロッテ井口が須賀川市復興支援を開始[ニッカン]

ロッテは6日、井口資仁内野手(39)が福島県須賀川市復興支援プロジェクトを開始することを発表した。

新市庁舎建設への寄付金をhttp://www.makuake.com/project/aikikin/のサイトで募る。

募集開始は7日の午前11時から。井口は「4月28日に福島県須賀川市を訪問させていただいた際に、復興にはまだまだ時間も資金も必要だとあらためて感じました。少しでも多くの方と復興支援がしたいという思いから、このプロジェクトを発足させました。ぜひ皆様に賛同いただき、ご協力をお願いしたく思っています」と話した。

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[千葉魂]あの悔しさを忘れない、吉田、伊東監督に叱責された夜[千葉日報]

監督室から出てきた若者の目は真っ赤に充血していた。4月22日のオリックス戦(QVCマリン)。1−5で敗れた試合後、伊東勤監督は記者会見で「今年のワーストゲームだ」と言い放った。そして先発マスクをかぶったルーキー吉田裕太のリードに苦言を呈した。「ピッチャーのストレートが走っていた。十分に抑えられる球威だった。それなのに、やたら変化球を織り交ぜておかしくなった。考え方が分からない。なぜあの配球になったのか」。試合後、すぐさま自室に呼びつけた。

「あのタイミングでね。プロ野球への悪い意味での慣れも出てきていたように見えた。一方で、プロの怖さ、厳しさも感じていた時期。1度、2人でしっかりと話しておかないといけないと思った」。

当時のことを伊東監督はそう振り返る。深夜の球場。長い時間が経過した。監督室から出てきた吉田は記者の問いかけに、「(リードで)逃げてしまいました。スイマセン」とだけ言い残すとロッカールームに消えて行った。誰もいなくなった空間で吉田は口を真一文字に締めて、ロッカーを睨んでいた。目から今にも涙が落ちて来そうな表情で、悔しさを押し殺すように、指揮官から言われた一言一言を反芻するように微動だにしなかった。

その翌日から始まる6連勝は決して偶然ではないと思う。指揮官はバッテリーに喝を入れることで、チームに緊張感を与えた。一方、名指しで怒られた吉田も、自分を見直すように丁寧にプレーした。29日の楽天戦では、怒られた日と同じ涌井とバッテリーを組み、完封リレーでの勝利を導いた。

あの日のことをこれまで、なかなか本人に聞くことはできなかった。期間が空いたいま、少し聞いてみた。「ハイ、めちゃくちゃ怒られました。リード面と精神的なものと両方ですね。もっと落ち着けと。プロに入って、もう何ヶ月も経った。もっと冷静に周りも見てプレーしないといけないと言われました」。

苦笑いを浮かべながら、そう振り返った。伊東監督はこの若者の持つ能力を高く評価している。だからこそ開幕から1軍で使っている。我慢しながらも使っている。これから先、マリーンズを支える存在となって欲しいと思い、自身が現役時代に培ったノウハウを教えている。

ある時、ファウルフライを落とした吉田に口をとがらせた。「オレは現役時代にフライを落としたことは1度もなかったぞ」。叱咤した後、優しく伝えた。「フライは追っかけちゃダメだ。1度後ろに下がって、前にあるボールをキャッチすると獲りやすいんだ」。練習中にはこのような身振り手振りをいれてのマンツーマン指導を繰り返す。厳しく当たるのは期待の表れ。成長の余地がまだまだあるからだ。

「オレも現役時代はそうだし、中村(バッテリー)コーチも、ホームの試合で相手の練習が終わるまで練習していた。人の何倍も練習しないとうまくならない。吉田は若いんだし、きついメニューも入れておかないとね」。

伊東監督は現役時代にベストナイン10回、ゴールデングラブ賞11回。吉田が憧れ、目標とする頂きは日本一の山、富士山のように高く険しい道のりだ。そこに辿り着くためにはその存在よりも練習をし、勉強をしなくてはならない。

「監督に怒られてばかりなので、何とか怒られないように、認めてもらえるように頑張ります」。5月3日の西武戦(QVC)、プロ初ホームランを放ち、初のお立ち台に上がった背番号「24」は、緊張した面持ちでファンに素直な思いを伝えた。

監督室に呼びつけられた夜。強く叱責された後。最後に指揮官から掛けられた言葉を忘れない。「なあ吉田、悔しかったら、見返してみろ。それがプロだ」。伊東監督の求めているものは高く、厳しい。認められる存在になるのはまだまだ先であろう。だが、吉田は忘れない。指揮官の言葉を。だから、怒られても歯を食いしばって、野球に取り組む。怒られて人は成長する。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)

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