わたしはかもめ2014年鴎の便り(5月)

便

5月12日

ロッテ石川、五右衛門グッズお蔵入り奮起[ニッカン]

ロッテ石川歩投手(26)が12日、サンデー五右衛門グッズのお蔵入り危機に奮起した。11日の楽天戦で3回0/3、7失点のKO劇で、企画されていたタオル、Tシャツ、ミニバッグの発売にストップがかかってしまった。球団では次回の登板内容を見て、発売にゴーサインを出すか検討する予定。石川は「グッズを発売してもらえるというのは、光栄なことなので頑張りたい」と雪辱を誓った。

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サンデー石川グッズ、販売直前でお蔵入り、2戦不調で…[スポニチ]

ロッテの「サンデー五右衛門」こと、ドラフト1位右腕・石川のグッズが、販売直前でお蔵入りとなった。

開幕から毎週日曜日に登板して3勝をマーク。選手会長の成瀬の提案もあり、球団は「サンデー五右衛門グッズ」として、Tシャツ、タオル、バッグの3種類の販売準備を進めていた。ところが、ここ2試合はいずれも5回持たずにKOと結果を出せず。球団関係者は「今のままでは販売できない」と一時見送りを決めた。ただし、今後の活躍次第では販売が再検討される見通しだけに、18日の日本ハム戦(札幌ドーム)に先発予定の石川は「グッズが出るように何とか頑張りたい」と巻き返しを誓った。

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ロッテ・石川、不調でグッズ販売延期[デイリー]

ロッテのドラフト1位・石川(東京ガス)の“五右衛門グッズ”を今月中旬に発売予定だったが、本人の不調により見送りとなった。4月に日曜日登板で3勝し“サンデー五右衛門”としてブレークの兆しを見せたが、5月に入り勝ち星なし。12日、球団関係者は「次の登板で結果を出して欲しい」と仕切り直しを期待した。

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「サンデー五右衛門」石川、18日白星ならグッズ発売[報知]

ロッテのドラフト1位・石川のオリジナルグッズ発売が、条件付きで再検討されることになった。現在3勝。3、4月は登板5試合で防御率1.19と好投した。

チームメートに「五右衛門」と呼ばれ、毎日曜に登板したため「サンデー五右衛門」の異名も付いたが、5月は2試合連続で5失点以上。和風柄のタオルなどの製作を検討していた球団は投球内容を考慮して計画を中断していた。右腕に課されたのは18日の日本ハム戦(札幌D)での勝利。「グッズができるまで(1軍に)いられるか分からないけど、どうにか粘ります」と控えめながらも意欲を見せた。

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DeNAとロッテが学生インターン交流へ[ニッカン]

DeNAとロッテは12日、学生インターン相互交流企画を行うことを発表した。

交流戦の両球団の対戦試合で、学生インターン生どうしが共同でイベントを企画・実施する。実施内容は練習見学会、施設見学会、お仕事体験の3つ。

DeNAの学生インターン岡崎太士氏(早大4年)は「若い力で両球団、そして野球界を活性化させたい」と意気込み、ロッテの学生インターン斎藤隆太氏(慶大4年)は「球団の枠にとらわれないファンサービスができれば、野球ファンが増えるはずと思い、企画しました」とコメントした。

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NPB、2つの小委員会の設置を承認、顧問は熊崎氏[サンスポ]

日本野球機構(NPB)は12日、都内で理事会と実行委員会を開き、野球日本代表「侍ジャパン」事業会社の設立準備と、機構事務局の整備強化のための2つの小委員会の設置を承認した。熊崎勝彦コミッショナー(72)が両委員会の顧問に就任する。

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[千葉魂]特技は肩もみ、母との絆、益田と母の日、同じ境遇子供招待[千葉日報]

5月11日、母の日。益田直也投手は千葉県内の母子支援施設の職員の方々、そして母子家庭の親子を球場に招待した。プロ野球選手である自分に今、できることとして同じような境遇の家庭に、少しでも希望の光になればとの思いからだ。

「自分自身がそうでしたけど、母子家庭だと経済的に厳しいんです。休みの日でも、なかなか贅沢もできないと思う。試合に招待させていただいて、ちょっとでも楽しい時間を親子で過ごしてもらえたらと思っています」。

昨年から始めた招待。昨年は3回。今年も3回を予定している。練習後には子供達と面会し、束の間の触れ合いに笑顔を見せた。

「母の日はいつも花をプレゼントしています。子供の頃から母への感謝の気持ちを伝えるようにしています。ここまで自分を育ててくれた母に本当に感謝しています」。

ロッカーに戻るとしばし、女手一つで自分を育ててくれた母親との思い出話をしてくれた。小学校の時はいわゆる「鍵っ子」だった。厳しい家計をやりくりするため母は朝から夜遅くまで働いていた。

小学生の時、夜9時には必ず寝ていたという益田は、母が作り置きしてくれた夕食を1人で食べると、お風呂に入り、鍵をかけて1人で布団に入る日々だった。朝起きると、仕事で疲れている母を起こさないようにできる限り、静かに登校した。子供心ながら母の苦労を自然と理解していた。だから、何一つ泣き言は言わなかった。

中学校に入ると給食がなく、お弁当が必要だった。夜勤明けの多かった母は登校時には間に合わなかったが、それでも学校までお弁当を届けてくれた。それが何ともありがたく、今も鮮明に覚えている。だから帰宅すると「母ちゃん、疲れてないか?」と肩をもむのを日課としていた。「大学時代も実家に帰った時はしていましたよ。肩もみは自分の特技なんです」。家に疲れて戻ってくる母と息子のコミュニケーションは、ずっと続いた。

益田の母親との絆を語る上で、私にはどうしても忘れられないエピソードがある。あるテレビ番組の収録で披露された母子のエピソードの数々に感心した司会者の1人に「マザコンと言われたりはしない?」と冗談ながら聞かれた。すると間髪入れず、「マザコンと言われて、いいです。全く気にならない」と胸を張った。その堂々とした表情はなんともカッコよかった。この番組を見た益田の母はきっと喜ぶだろうと胸が熱くなった。

「母子家庭で育った自分の話題がメディアを通じて伝わることで少しでも同じ境遇にある子供達に勇気を与えられたらと思う。母親のありがたさ、感謝する気持ちを持ってくれたらいいなあと考えています。そのためにも、もっともっと活躍しないとね」。

母の日。益田は特注したピンクのリストバンドをずっと付けていた。そのリストバンドを身に付けて、ブルペンで待機していた。テレビで見ているはずの母に感謝の気持ちを込めて投げようと思っていた。結局、出番はこなかった。だけど、きっと、その思いは和歌山にいる母に伝わっていると思う。これからも背番号「52」は、いつもどんな時も感謝の気持ちを胸にマウンドに上がる。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)

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