わたしはかもめ2014年鴎の便り(9月)

便

9月13日

福岡ソフトバンク3−2千葉ロッテ(ヤフオクドーム)

ソフトバンクがこのカード勝ち越しを決めた。0−1の2回に松田が17号2ラン。3回に追いつかれたが、4回に李大浩が15号ソロを放った。中田は6回途中まで2失点で11勝目。継投も決まった。ロッテは中盤以降の逸機が響いた。

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千葉ロッテ1010000002
福岡ソフトバンク02010000x3

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伊東監督「今年の成瀬を象徴している」[デイリー]

ロッテ・成瀬は2本塁打に沈んだ。1‐0の2回に松田に逆転2ランを浴びると、同点の4回には李大浩に右翼席へ運ばれた。5回2/3を3失点と試合はつくったが、手痛い被弾が敗戦につながり「負けたら意味がない」と唇をかんだ。チームは今季ヤフオクドームで8連敗。伊東監督は「あそこでもう1つ踏ん張れないところが、今年の成瀬を象徴している」と肩を落とした。

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ロッテ、ヤフオク8連敗…代打攻勢も空振り、伊東監督「壁ですか」[サンスポ]

1点を追う9回1死三塁の同点機も井口、福浦の代打攻勢が実らず。今季、ヤフオクドームで8連敗(0勝)となった伊東監督は「一振りでやられてしまうウチとソフトバンクの壁ですかね。粘り切れない」と成瀬が浴びた2発を悔やんだ。試合前、選手を集め「今の状況はここでの開幕3連敗から始まった。意地をみせよう」とはっぱをかけた指揮官だったが、空振りに終わった。

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成瀬2発に泣いた、ロッテで10敗以上3人目に[スポニチ]

開幕戦以来、ヤフオクドームで先発したロッテの成瀬が2発に泣いた。2回に松田に逆転2ランを浴びると、同点の4回には李大浩に決勝ソロを被弾。5回2/3で3失点も、10敗目を喫し「負けたら意味がない」とガックリ。これで10敗以上の投手は成瀬、涌井、藤岡の3人になった。伊東監督も「あそこでもう1つ踏ん張れないところが、今年の成瀬を象徴している」と厳しい表情。これでチームは今季ヤフオクドームで8戦全敗となった。

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ロッテ“鬼門”のヤフオクドームで8戦全敗、成瀬2被弾[サンスポ]

1点を追うロッテは9回1死三塁の同点機。ここで伊東監督は“ここ一番”の井口、福浦の代打攻勢で勝負に出たが、ともに凡退で万事休す。開幕3連敗から始まったヤフオクドームの連敗が『8』に伸びた(未勝利、ソフトバンク戦のビジター勝利は東京ドーム&北九州市民の各1勝)。

「粘りはみせた。同じ負けでもいままでにはない負け方だった。選手は一生懸命やってくれたんですけどね」。

伊東監督もタメ息しか出ない。1回に1点を先制されたが、先発の成瀬が松田、李大浩に被弾して5回2/3を3失点でとうとう2ケタの10敗目。「粘り切れない。それが今年の成瀬です」ともはやあきらめムードの指揮官だった。

伊東監督
「これが今季のソフトバンクとうちの壁。」(1点差で惜敗し)
デスパイネ
「右方向を狙っていたから、狙い通りの打撃ができた。」(1回に右前適時打)
鈴木
「何とか得点に結び付けたかった。」(3回に適時打)

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伊東監督1点遠く…ヤフオクD8連敗[ニッカン]

ロッテはヤフオクドームでまたも勝てなかった。先制したものの成瀬が2本の本塁打を浴び、試合の主導権を握られた。

伊東勤監督(52)は「久しぶりにいい形をつくってくれたけど、1点差で負けた。これがソフトバンクとウチの差。この1点がなかなか取れないのがここまで」と悔しがった。

試合前には「意地を見せよう」とナインに訴えた。だが、あと1点届かなかった。開幕戦から続くヤフオクドームでの連敗は8に伸びた。

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[千葉魂]里崎は「強気」の鎧脱いだ、引退会見、止まらない涙の訳[千葉日報]

オレだって、超弱虫だよ…。落ち込んでいる若手に、里崎智也捕手(38)が励ましていたことがあった。いつも笑っている。自信に満ちあふれ、誰よりも強気で、悩み事とはまったく無縁なように映っていた。それだけに、とても驚いたのを覚えている。

「俺、めちゃくちゃ怖がりなんだよ。いつも弱気の虫が出ないように、強気という鎧(よろい)を着ているだけ。でも、1人の時の自分はいつも怖がってる。だけど、思うんだ。人間って、みんな弱虫で怖がりなんじゃないかな」。

その言葉がずっと忘れられなかった。悩んでいる選手にとって、これほど励みになるメッセージはなかったはずだ。プラスのオーラに満ちあふれている男でさえ、弱気な部分を持っているとすれば、自分が弱気になるなんて当たり前だと。そして同じように堂々と生きて、乗り越えてみようと。しかし一方で、本当に弱虫なのかという疑問が私には残った。

2014年9月12日、里崎は引退を決意した。16年にわたる現役生活にピリオドを打った。里崎は泣いた。会見で終始、泣いた。用意されていたタオルをぬらしながら、涙した。それは強気の鎧を初めて人前で脱いだ瞬間のように思えた。

振り返ればこの16年間、周りが思うような楽な道のりではなかった。いくつもの試練を乗り越えて、挫折を克服して手にした栄光。そして、その日々に別れを告げた。苦しさを人に見せることを美学としなかった男が初めて、人前で泣いた。支えてくれた全ての人に感謝をすると、もう止めることはできなかった。

「自分1人では何もできなかった。本当に皆様のおかげだと思います。感謝しています」。

プロ入りして、いきなりの試練だった。1999年6月。2軍の練習中にアクシデントが起きた。守備練習で転倒した際に左手首を痛めた。病院での診察結果では骨に異常が見られなかった。ほっとした。

しかし、痛みが和らぐことはなかった。1ヶ月後に再診の結果、骨折していることが判明した。結局、シーズンを棒に振ることとなる。初めての手術は成功した。はず、だった。迎えた2年目のシーズン。悪夢のような出来事が起きた。痛みが再発したのだ。

「ファームの試合中、いきなり痛みがきた。完全に治っていなかったらしい。また、1年を棒に振ってしまってね。ちょうど、シドニーオリンピックをやっている時期だった。深い意味はないけど、なぜか、それを鮮明に覚えている」。

再手術。また、一からの出直しだった。2年目もシーズン途中で棒に振ることになった。新人時代から2年連続の手術だった。

そして、3度目の試練。里崎にとって、最もショックだったという出来事は04年に起こる。開幕スタメンマスクを被るなど順調にスタートしたシーズン。しかし、4月に左ひざ半月版を損傷し1ヶ月、戦線を離脱した。

「状態がよかっただけにショックだった。03年に1軍に上がって手応えをつかみ、よしやるぞと迎えたシーズン。悔しかった」。

度重なる3度の手術。しかし、それを乗り越えた。里崎は心に決めていた。どんな時もチャンスが来ると信じて準備をすると。だから精一杯、リハビリをした。野球ができないならウエートをした。リードを勉強した。だから、いざチャンスが舞い込んできた時に、それをしっかりとつかむことができた。05年、チームの日本一に貢献した。06年は第1回WBCにて日本代表として世界一となった。10年、3位から史上最大の下克上を完成させて再び日本一に上り詰めた。その日々は今や栄光に包まれている。

「最初は10年ぐらいやれたらいいなあ。30歳までやれたらいいなあと夢見ていました。それが16年。ここまでやれるとは。夢は越えられるんだあと思いました」。

今年5月、左ひざを手術した。4度目の手術だった。だが、今回は痛みが和らぐことはなかった。手すりをつかって階段を上るのもつらいほどだった。開幕当初は「この試合で壊れてもいい」と壮絶な決意でグラウンドに立っていた。

そんな壮絶な戦いの日々を終わりにすることを決めた。強気の鎧を静かに外した。すると、涙が止まらなくなった。何とも優しい顔だった。多くのファンに夢と希望を与え続けた男が強いプレッシャーから解放された瞬間だった。だから、会見で我慢していた涙が止まることはなかった。「ありがとうございました」。振り絞るように感謝を述べた。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)

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