わたしはかもめ2014年鴎の便り(9月)

便

9月28日

千葉ロッテ4−2オリックス(QVCマリン)

ロッテが逃げ切った。1回に鈴木、角中、根元の3連続長短打で2点を先制。3回は角中の8号2ランで加点した。涌井は移籍後の本拠地初勝利で8勝目。オリックスは3連敗。先発の吉田一が振るわず、追い上げも届かなかった。

123456789R
オリックス0001010002
千葉ロッテ20200000x4

◇最後の勇姿にファン3万人

千葉ロッテ・里崎の最後の勇姿を見届けようと、3万人がマリンを埋め尽くした。チケットは売り切れ、駐車場は早々に満車。限定グッズ売り場には長打の列ができ、球場の入り口にはかつて監督を務めたバレンタイン氏ら多数の関係者から贈られた花が並んだ。

何もかもが里崎仕様の特別な日に「1番・指名打者」で先発し、2打席に立った。ともに三振に倒れたが、試合後のセレモニーでこう言った。「こんな大声援の中で野球ができ、本当に幸せでした」。38歳の目には、大粒の涙が浮かんでいた。

ライトスタンドに掲げられた横断幕には、「マリーンズの歴史を変えた捕手」の文字があった。2度の日本一に加え、第1回ワールド・ベースボール・クラシックでは日本代表として世界一に輝いた名捕手だった。

ナインに胴上げされ、慣れ親しんだ本拠地を一周。オリックスファンも残っていた。「2015年は、ロッテにとって5年に一度のゴールデンイヤー。日本一になってくれると信じています」。夢を後輩に託し、ロッテの背番号「22」がユニホームを脱いだ。

伊東監督
「これだけの功績を残した人がいなくなるのは痛手だが、代わりの選手を育てるのが僕の仕事。お疲れさんとしか言葉が掛けられない。本当によくやってくれた。」

◇涌井“13度目の正直”、本拠地初勝利

千葉ロッテ・涌井が13度目の登板で本拠地初勝利。6回を96球、6安打2失点にまとめ、「勝ててよかった」と息をついた。

2つの失策で1死満塁をまねいた4回を最少失点に抑え、6回は原に適時打を浴びたがしっかり後続を断った。

移籍後最初のシーズンを8勝12敗で終えた。お立ち台では、「来年はマリンで全部勝てるように頑張ります」と言った。

角中
「(1回の先制打に)「サトさん(里崎)には公私共にお世話になっていたので、引退試合に花を添えるためにもいい先制点を挙げることができて良かった。(3回の2ランに)4番の仕事弾です。」

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ロッテ里崎「1番DH」2三振で「卒業」[ニッカン]

今季限りで引退するロッテ里崎智也捕手(38)は「16年間、やりきった。最後まで里崎らしく終われたんじゃないかと思う」と笑顔で締めくくった。SMAPの「ありがとう」をファンとともに熱唱。「最高のステージだった。みんなもやればいい」と勧めた。歌って終わる。過去にない引退試合になった。

「ロッテの選手は、ただ野球をやっているだけでは有名になれない」。それに気が付いてから、野球以外のファンサービスにも取り組んできた。だから愛された。野外ステージには約5500人が駆けつけ、球場内では約1万2000人が残って里崎のライブを見届けた。

この日は、プロ初の1番で先発出場も2三振に終わった。引退セレモニーでは「今日、プロ野球選手を卒業します」とアイドルのように宣言した。歌って踊るプロ野球選手。その個性的な野球人生に幕を下ろした。

伊東勤監督
「僕も捕手出身で、試合を支配するのは捕手だと思っている。これだけの功績ある捕手がチームを去るのは痛いけど、彼に続く捕手をつくるのが僕の仕事だと思っている。」(引退する里崎について)

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「自分は幸せ」ロッテ・里崎、涙の引退試合「1番」で2三振[サンスポ]

ロッテ・里崎智也捕手(38)が28日、オリックス最終戦(QVCマリン)に「1番・DH」で先発出場。2打席とも三振で16年間の現役生活にピリオドを打った。

QVCマリンの観衆は満員札止めの観衆3万76人。伊東監督は「花道を飾らせたい」と1番で起用した。そこには史上10人目、捕手では初となる「全打順本塁打」の記録を達成させたい思いも込められた。

「8歳の秋(小学3年)から野球を始めてちょうど30年。打順は『1番』でした。最後もまた『1番』で終わるというのも何かの因縁。多くのファンの前で野球人生を終えることができる自分は幸せだと思います」。

試合後、涙の引退セレモニーではチームメートの胴上げで5度宙に舞い、さらには屋外の特設ステージでSMAPのヒット曲「ありがとう」など3曲を熱唱。里崎は最後まで『幕張のレジェンド』を貫いた。

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13度目正直!ロッテ・涌井、本拠地初勝利「特別な日でしたので」[サンスポ]

涌井がやっと本拠地初勝利を挙げた。6回6安打2失点(自責1)。“13度目の正直”だった。「勝ててよかったです。特に里崎さんの引退試合という特別な日でしたので…」と安堵。移籍1年目の今季は8勝12敗と期待を大きく裏切り、「来年はここで全部勝てるようにしたい」と雪辱を誓った。

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里崎、史上初引退リサイタル「こんな選手いないでしょ」[スポニチ]

まさに「里崎劇場」だ。引退セレモニーを終えたロッテ・里崎はQVCマリン正面のステージに移動すると、マイクを手に取って歌い始めた。

「終電までに終わりますから。一緒に歌いましょう!」。1曲目は球団公式ソング「ウィー ラブ マリーンズ」。ステージを縦横無尽に走り回った。2曲目の「千葉こころつなげよう」を歌い終えると、ステージに集まった5500人からのアンコール。最後はSMAPの「ありがとう」を熱唱し、「引退リサイタル」を締めくくった。

「最高だね。こんな形で引退する選手いないでしょ。最後に伝説をつくってやりましたよ」。9年ぶりのステージだった。05年4月9日日本ハム戦の試合後に、球場正面ステージで歌を披露したファンサービスは、今でもロッテファンの語りぐさになっている。12日の引退会見でも「最後も自分らしく好き勝手やりたい」と宣言。有言実行のサプライズ演出には、ファンへの感謝の気持ちと、後輩達へのメッセージが込められていた。

「野球選手は野球だけをやっていればいい訳じゃない。できる限りのファンサービスで野球以外の部分でも楽しんでもらわないといけない」。引退試合には今季最多の3万76人の観衆が駆けつけ、満員となった。「こんな大声援の中で野球ができて、本当に幸せでした」。1番・DH。プロ16年目、通算1089試合目で初の打順で出場し、2打席連続で三振に終わった。打席では目に涙を浮かべ、持ち前のフルスイングを披露した。

引退セレモニーでは「今日、プロ野球選手を卒業します」と涙の挨拶。胴上げで5度宙に舞った。05、10年の日本一パレードのように、紙吹雪が舞う中で球場を一周。「定位置」で深々と頭を下げ、ホームベースにかぶった土を手で払って、別れを告げた。

いっぱい泣いた。いっぱい歌った。98年にプロ野球ワースト記録の18連敗を喫した翌年に入団。2度の日本一に導いた正捕手は完全燃焼した。

里崎智也(さとざき・ともや)
1976年(昭51)5月20日、徳島県生まれの38歳。鳴門工から帝京大に進み、2年秋のリーグ戦で4試合連続本塁打。98年に逆指名となるドラフト2位でロッテ入団し、05、10年の日本一に貢献した。06、07年にベストナインとゴールデングラブ賞を受賞。06年の第1回WBCでは正捕手としてベストナインを獲得し、初優勝に導く。08年北京五輪に出場。1メートル75、94キロ。右投げ右打ち。
福浦
「寂しくなってしまいますね。あれだけ喋るやつがいなくなるんだから。ずっと一緒にやってきた仲間で、本当に数え切れない思い出がある。」
サブロー
「里崎とは戦友。あいつが捕手として固定されてからチームが強くなった。同級生ということもあって刺激は受けていた。寂しいけど、自分はあいつの分もできるだけ長くやりたい。」

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引退ロッテ里崎「夢のような16年間」[デイリー]

「千葉ロッテマリーンズ、ありがとーう!!」。ロッテ・里崎は超満員のスタンドに深々と頭を下げると、ひざまずき、守り続けてきた本塁ベースを手でそっとぬぐった。

「1番・指名打者 里崎智也」‐。プロでは初めてだが、くしくも、8歳で野球を始めたころに座った打順だ。「1番に始まり、1番で終わる。これも何かの縁かな」。

5月に手術した左膝への負担から、捕手としての出場はかなわなかった。第1打席は見逃し三振。現役最後となった第2打席は2回2死二塁、吉田一のフォークの前に、バットが空を切った。それでも、里崎に悔いはなかった。「夢のような16年間でした」。

試合後、日本一に輝いた05年に自らの発案で敢行した“ゲリラライブ”が一夜限りで復活。試合後、特設ステージで、3万人超のファンを前に球団応援歌、SMAP「ありがとう」など3曲を熱唱した。「これがオレにできる最後の仕事」。記憶に残る名捕手・里崎らしいラスト舞台だった。

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さらば里崎、特設ステージで3曲熱唱「伝説でしょ」[報知]

最後はアイドルばりの“卒業宣言”で、里崎は別れを告げた。「今日、プロ野球選手を卒業します。千葉ロッテマリーンズ、ありがとー!」。QVC収容人数ギリギリの3万76人が集った観客席へ絶叫。2度の日本一と、06年WBC優勝に貢献した名捕手は、ナインの胴上げで6回宙を舞った。

試合はプロ初の1番での出場。本塁打を打てば史上10人目の全打順本塁打だったが、2打席連続三振。5か月間は実戦打撃を行っておらず「球が速かった。マシン打撃だけで1軍に通用するのか実験だったけど、ダメでした」と苦笑いだった。

「最後まで好き勝手にやらせてもらう」と宣言した通り、試合後は特設ステージでライブを行い、約5500人の前でSMAPの「ありがとう」など3曲を熱唱。「伝説でしょ。これを超えられる人は出てこないでしょう!」と満面の笑みを見せた。

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里崎、引退試合後ライブ「気持ちよかった」[ニッカン]

ロッテ里崎智也捕手(38)が最後に伝説を残した。試合後、球場外につくられたステージで熱唱。約5500人のファンを集めてライブを行った。

「2005年の時よりも人が多かった。気持ちよかった。最後に伝説のステージができたね」と喜んだ。球場内でも大型ビジョンでその模様が流され、約1万2000人が残って見ていた。お祭り好きな里崎らしい引退の花道になった。

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ロッテ里崎に見えた「打者の影」独占手記[ニッカン]

28日のオリックス戦で現役を引退したロッテ里崎智也捕手(38)が、日刊スポーツに手記を寄せた。実は身につけていたという特殊能力をどのように生かしたのか。その能力はいかにして手に入れたのか。16年間のプロ生活の最後に極意をつづった。

最後は気持ちよく歌わせてもらった。「伝説のステージ」をやりたいというのは、ずっと考えていたことなので、実現できて最高の気分だった。集まってくれたファンの皆様や、わがままをやらせてくれた球団には、感謝の言葉を言い尽くせない。本当に、ありがとうと伝えたい。

これで16年間のプロ野球人生が終わった。いい野球人生だった。2度の日本一にもなれたし、いっぱいお金を稼ぐこともできた。野球をとったら僕はただの人。こんないい仕事は、他になかったと思う。

捕手として、各チームの強打者と繰り広げた駆け引きには、プロ野球の醍醐味があった。日本ハムの稲葉さんから「サトのリードはしつこい」と言われたことがある。思えば、どこまで攻められるか、もう少しいけるのか。そう常に考えながらサインを出していた。

プロ野球選手になるような人は、不得意な球でも意識さえしていれば打つ。その意識をどこに持っていかせるかが、打者との駆け引きだった。自分には打席に各選手の影のようなものが見えていた。影は、その選手のスタンダードな打ち方のモーションになっていた。影と実際に打席に入った選手の動きが重なれば、いつもと同じ。でも、少し肩が入っているとか、逆に体が開いてるとか、影とのズレを見ることで、わずかな変化に気がつくことができた。打者の意識がどこにあるのか探るのに、大いに役立った。サインを出す根拠にもなった。

若い頃、福浦さんからビデオの見方を教わったのが大きかった。テレビを2画面にして、画面に映ったフォームの特徴が出ているところにテープを貼ってマークした。それで、違いを見られるようになっていった。最初は「ん?何か違うな」と思って確認する作業が多かった。そのうちに影が見えてきた。試合中も大塚さんとタッグを組んで、よく相手投手を見た。確認を繰り返しながらクセを探した。

よく「口が立つ」と言われる。でも昔は寡黙な少年だった。小、中、高校と主将を務めたが、黙って引っ張るタイプ。そんな自分を変えたのは、多分東京だ。徳島と違って東京という街は自己主張をしないと押しつぶされてしまうところだった。のし上がるため、有言実行を貫くようになった。発言することで自分を追い込んで、やってきた。それが里崎智也という野球選手をつくる元になった。

誰よりも自分を信じ抜いてやった。野球は自信をくれた。口だけの選手にはなりたくなかったから、なるべくボールを後ろにそらさないよう努力したし、投手から何か聞かれれば、しっかり返せるように準備した。ここでもわずかな変化に気が付けることが役立った。試合後、2時間ぐらいビデオを見て、大抵のことを頭に入れていた。先輩、後輩の関係なく、口うるさく言った。煙たかったかもしれない。でも、自分にとっても、嫌われるかもしれないことを言うのは、辛いことだった。

だから、口うるさくしてきた後輩達から「引退試合、見に行きます」って言ってもらった時はうれしかった。やってきたことも無駄ではなかった。ちゃんと受け止めてくれていたんだなと思った。仲間にも恵まれていたことに、あらためて気付かされた。

ファンの皆様にはお礼を言いたい。あれは05年のプレーオフ第5戦でのこと。第3戦で4点差を追いつかれた小林雅さんをマウンドで待ち受けていた。不安で仕方がなかった。でもスタンドを見たら「I believe」と書いたボードが掲げられていた。あれで迷いが消えた。試合に勝てたのは皆様のおかげ。奮い立たせてくれる、すごい力を感じた。自分は引退したが、これからも変わらずロッテを支えて欲しい。そう切に願っている。(ロッテ捕手)

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ロッテ里崎引退試合、観衆3万人超え[ニッカン]

ロッテ里崎智也捕手(38)の引退試合に3万76人の観衆が入ったと発表された。

これは2014年3月の段階でのQVCマリンの収容人員いっぱいの数字。文字通り満席だった。ロッテの観衆が3万人を超えたのは、2012年6月12日の阪神戦以来。今季最多の観客動員数となった。

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ロッテ里崎1番で先発「今日も絶対泣く」[ニッカン]

ロッテ里崎智也捕手(38)が1番DHで先発出場した。本塁打を打てば全打順本塁打の記録を達成できるところだったが、2打席連続三振に終わり、ベンチに退いた。

引退会見の時に号泣した里崎は「今日も絶対泣く。だからタオルを持ってきた」と笑わせた。球場には元監督のバレンタイン氏や宮本慎也氏、登場曲を使っている歌手のBOAなどから花が届き、飾られていた。

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ロッテ角中、絶口調「4番の仕事弾です」[ニッカン]

ロッテ角中勝也外野手(27)が、プロ初4番に燃えた。1回に先制適時打を放つと、3回には8号2ラン。

「4番の仕事弾です」と笑わせた。ベンチでは井上に「看板に当ててくる」と言ってから打席に向かい、看板こそ当たらなかったが予告本塁打だった。引退試合の里崎とはゴルフ仲間。「里さんとはオフに良くゴルフに行ったり、公私共にお世話になっていたので、その里さんの引退試合に花を添えるためにも良かったです」と喜んだ。

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ロッテ川越コーチ、涌井「花道を作って」[ニッカン]

ロッテ川越英隆投手コーチ(41)が本拠地初勝利を目指す涌井を鼓舞した。

3回までの涌井の投球を見て「涌井はまだマリンで勝っていないし、今日は里崎の引退試合っていう事もあるからね。何とか勝てる様なピッチングをして欲しいし、花道を作ってあげられたらいいね。調子自体は悪くないよ」と話した。

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ロッテ根元が適時打「里崎さんに花道を」[ニッカン]

1回、1点を先制した直後、ロッテ根元俊一内野手(31)が中前適時打を放った。

「里崎さんの引退試合ということで、何とか勝って花道を作りたいと選手みんな思っている。そのためにもいい追加点が取れてよかったです。里さんには試合の中で、ゲームの流れや、状況判断など色々学ばせていただきました。一緒に出来なくなるのは寂しいですね。絶対に勝って送り出したいです」と意気込んだ。

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ロッテ・伊東監督が引退の里崎に“閣外協力”を要請![サンスポ]

ロッテ・伊東勤監督(52)は里崎の『引退試合』となったオリックス最終戦後、「これが最後という訳ではなく、球場に来て若手にアドバイスを送って欲しい。これまでの貴重な経験など、里崎には伝えてもらいたいものがたくさんある」と語り、来季以降の“閣外協力”を要請した。

プロ通算16年。日本一どころかWBCでは世界一も経験した。1000試合以上出場した捕手の中では、最も捕逸が少なかった“女房役”として、確かに里崎は生きた財産といえる。

「里崎とは2年間…いや、ケガがあったから実質1年半の付き合いで、(西武時代)敵として接する時間の方がはるかに長かったですけどね。捕手として試合を支える姿が印象的だった。彼に続く捕手を育てるのが我々の仕事。そこに彼のアドバイスも欲しい」。

指揮官の熱い思いに里崎も「そう言っていただけるのは光栄なこと。微力ではありますが、自分の持っているものは精一杯、伝えていきたいです」と即、受諾した。

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ロッテ・里崎「今日、プロ野球選手を卒業します」[サンスポ]

ロッテ・里崎智也捕手(38)が、オリックス最終戦に「1番・DH(指名打者)」で先発出場。2打席2三振で16年間の現役生活にピリオドを打った。

里崎は引退挨拶で「1999年に千葉ロッテマリーンズに入団し、今日、2014年9月28日にプロ野球選手を卒業します。皆さんの支えのおかげで、この千葉ロッテマリーンズのユニホームを16年着ることができ、本当に幸せでした。ありがとうございました」と感謝の言葉を述べた。

「1999年に18連敗した翌年に、僕は千葉ロッテマリーンズに入団し、最初は自分のことで無我夢中で、しっかり頑張ってきました。マリーンズの選手としてこのマリンで、大声援の中プレーすることを願いに込めて、浦和で練習し、その願いが叶った時は今までの野球人生で1番幸せを感じることが出来ました。そして今日、こんな大声援の中で野球ができ本当に幸せでした。この16年の間に2度の日本一、そして世界一、オリンピックにも出場させていただき、皆さんの期待に応えられたでしょうか?ファンの皆さんの夢や希望になれるように、今日まで必死に頑張ってきましたが、もう今日で皆さんとは野球選手としてはお別れです。本当にありがとうございました」と野球人生を振り返り、最後はチームメイトに胴上げをされた。

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ロッテ・涌井、本拠地13度目の先発で初勝利!里崎の花道飾る[サンスポ]

ロッテ・涌井秀章投手(28)が、6回6安打2失点で本本拠地初勝利となる8勝目(12敗)を挙げ、この日が引退試合となった里崎の花道を飾った。

本拠地のQVCマリンでは、今季これまで12試合に先発し0勝6敗と1勝も出来ていなかった涌井だったが、13度目の登板でようやく白星を挙げることが出来た。4回、2死満塁から三塁・大嶺翔の失策で失点。6回1死三塁からは、原拓に右前適時打を打たれ4−2とされた。それでも6回を投げ切り、救援陣にマウンドを託した。

涌井は「すいません。本当にお待たせしました。いつもすごい応援してもらっていたのにどうしてもここ(QVCマリン)で勝てないのが本当に悔しくて。今日勝ててよかったです」と喜ぶと「里さん(里崎)の最後だったので、勝てて良かったです。来年はマリンで、全部勝てるように頑張ります」と来シーズンの飛躍を誓った。

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ロッテ・角中、8号2ランで「4番の仕事ができて良かった」[サンスポ]

4番に座ったロッテの角中が2−0の3回に8号2ランを放った。1死二塁でマエストリの速球を捉え、鋭いライナー性の当たりで右翼席に運んだ。

1回に先制打を放ち「4番の仕事ができて良かった」と冗談交じりに話した実力者だが、2打席目でアーチをかけ「4番の仕事弾です。いいスイングができました」と手応えをにじませた。

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“幕張のレジェンド”ロッテ・里崎は2三振で現役生活に幕[サンスポ]

ロッテ・里崎智也捕手(38)が、オリックス最終戦に「1番・DH(指名打者)」で先発出場。2打席2三振で16年間の現役生活にピリオドを打った。

「チームに多くの功績を残した男。花道を飾らせたい」という伊東監督は里崎を1番で起用。そこには史上10人目、捕手では初となる「全打順本塁打」の記録を達成させたい思いも込められた。

結果は、1回先頭の第1打席が見逃し三振、2回2死二塁では空振り三振と快音を響かせることはできなかったが、QVCマリンは今季MAXの拍手と歓声。『幕張のレジェンド』と呼ばれた男の最後の勇姿だった。

28日に合わせて球団が制作した引退記念ポスターには、こんなキャッチコピーが記されていた。

『強肩。強打。強気。ライブ。満塁打。下克上。日本一。アジア一。世界一。涙。笑顔。大天使。君がいたから、すべてが変わった』

名物選手がまた1人、球界に別れを告げた−。

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ロッテ、里崎、引退挨拶で投手陣に謝罪「もっと良い成績残せたのに」[スポニチ]

引退試合を白星で飾ったロッテの里崎は、最後の引退挨拶でも捕手らしい責任感の強さがにじみ出た。

選手への挨拶として、まず最初に口をついたのは投手陣への謝罪だった。「成瀬を始め投手陣の皆さん、そして放送席にいる薮田さん(安彦氏)を始めOBの投手陣の皆様、本当だったらもっと良い成績を残せたと思います。しかし僕の力が足りず本当にすみませんでした」。自分がもっとうまくリードしていればもっと抑えられた、そんな自負心から飛び出た言葉だった。

「怒ってばっかりいていい先輩ではなかったかもしれないですけど、みんなの球を1球ずつ受けて勝ちをつけてあげることができて本当に幸せでした」とも振り返り涙。「みんなの力は今年の成績みたいな能力じゃないと思う、もっと頑張れたはずだ」と叱咤すると、スタンドからは「本当だよ!」とヤジが飛んだ。

成瀬に「もう俺はいなくなるけど、お前がチームを引っ張って、キャッチャーを引っ張って、もっと盛り立ててやってくれ」と後を託すと、左腕エースは目を潤ませながらうなずいた。

今季チームはここまで5位に沈んでいるが、「来年2015年は21世紀に入って千葉ロッテマリーンズが最も輝く5年に1度のゴールデンイヤーの周期が来ます」。05年、10年ともに日本一に輝いているだけに、15年は5年周期で日本一になる年だと確信しての一言。「これからの時代を担う選手達が必ず来年日本一になってくれると僕は信じています」と後輩へ希望を託した。

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涌井、13度目の本拠地でようやく初白星「来年はマリンで全部勝つ」[スポニチ]

ロッテの涌井がシーズン最終登板でようやく本拠地初勝利を挙げ、「すいません、本当にお待たせしました」とお立ち台で恐縮気味に挨拶した。

今季本拠地のQVCマリンにはここまで12試合に登板し、0勝6敗。千葉・松戸出身で、ロッテにFA移籍して1年目は大きく期待を裏切ったが、最後の最後でようやく6回2失点と好投し白星にこぎつけた。

「いつも応援してもらっていたので、ここで勝てないのが悔しかったですけど、今日勝てて良かったです」とほっとした表情。「来年は千葉マリンで全部勝てるよう頑張ります」と逆襲を誓った。

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里崎、引退試合は2打席連続三振、捕手初の全打順本塁打達成ならず[スポニチ]

今季限りで現役引退を表明したロッテ・里崎が、引退試合となる28日のオリックス戦(QVCマリン)に「1番・DH」で出場。ロッテファンの大きな声援で送り出された。

プロ16年間で途中出場を含む1088試合に出場しているが、1番だけは経験がなかった。本塁打を放てばプロ野球史上10人目、捕手では初となる全打順本塁打の記録となるところだったが、第1打席は見逃し三振、第2打席は空振り三振に終わった。

第2打席で空振り三振に倒れベンチに戻ると、ナインやコーチが次々に握手で出迎え16年間の現役生活をねぎらった。この日の出場は2打席と決めており、4回の第3打席はデスパイネが代打で送られた。

5回終了時にはファンの「ありがとう里崎」の掛け声とともに花火が打ち上げられ、里崎はベンチから笑顔で見つめた。

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里崎、涙の引退セレモニー「本当に幸せでした」[報知]

今季限りで現役を退くロッテの里崎が「1番・指名打者」で出場した。2打席で2三振に終わったが、打席に立つと大きな里崎コールで球場全体が沸いた。

試合後には引退セレモニーが行われ、活躍の数々が大型ビジョンに映し出された。成瀬、福浦らから花束を受け取り、感極まった表情を浮かべた。「こんな大声援の中で野球ができて本当に幸せでした」とスピーチした。

本拠地には3万76人の観衆が詰め掛け、最後の雄姿を見守った。里崎は「ファンの皆さまの夢と希望になれるよう必死で頑張ってきた。今日で野球選手としてはお別れです。本当にありがとうございました」と挨拶した。

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里崎、引退しても痩せられない!ビックリマン終身名誉PR大使[報知]

今季限りで現役を引退するロッテの里崎智也捕手(38)が28日、人気菓子「ビックリマン」の終身名誉PR大使に就任した。

この日のオリックス戦(QVC)前に就任式が行われ「引退したら痩せようかと思っていったけど、それをやめてまだまだお菓子を食べようと思います」と宣言した。

引退セレモニーが行われるこの日は「1番・DH」で2打席出場する。1番で本塁打を打てば、史上10人目の全打順本塁打となるが「狙いますけど、そんなに甘くないですよ」と笑った。

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