わたしはかもめ2014年鴎の便り(11月)

便

11月27日

サブロー&福浦、中学硬式チームオーナー[ニッカン]

ロッテのメッシを育てる! サブロー外野手(38)と福浦和也内野手(38)がオーナーとなり、ボーイズリーグの少年野球チームを発足させることが27日、分かった。将来的には巣立った人材をロッテに送り込みたい考えで、サブローは「ロッテに入りたいという選手を育てたい。本当にプロになるための指導をするチームにしたい」と青写真を描いた。

育てる中学生には木製のバットしか持たせない方針。技術面の指導だけでなく、フィジカル面もトレーニングコーチを置くなど、プロレベルの環境を整える。常にプロを意識した育成を念頭に置き、本拠地は船橋市民球場に置く予定だ。

理想のモデルはサッカーのバルセロナだ。カンテラと呼ばれる下部組織は11のカテゴリーに分かれ、トップチームに上がれる人材育成を集中して行う。アルゼンチン代表のメッシやスペイン代表のイニエスタもカンテラ出身。サブローはバルセロナの下部組織について書かれた本を読み、人材育成について学んだ。

ボーイズリーグのチームは中学生が対象。ロッテはアカデミーで小学生を対象とした育成を行っており、球団との協力体制が取れれば、アカデミーの選手を優先的に受け入れるなど、連携していきたい考え。地域貢献など、球団と考えが一致する部分は多く、今後の展開が期待される。

残念ながら日本の野球界にはプロとアマの壁が存在し、その上の年代のチームは、今は作れない。だが、その壁が取り払われた時、「メッシをつくりたい」というサブローと福浦の夢が実現に近づく。福浦は「やっぱり千葉の選手に、ロッテで活躍してもらいたい」と、出身選手がロッテに入団する未来を想像した。

ボーイズリーグ
日本少年野球連盟の愛称で70年に28チームでスタートした。硬式球を使用し、現在は全国39支部、小・中学生の部で約740チームあり、各ブロックでの地区大会は年間221にも及ぶ。毎年、春夏に全国大会を開催するほか、世界少年野球大会も行われる。

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ロッテ納会で山室社長「来年は倍返し」[ニッカン]

ロッテの球団納会が木更津市内のホテルで行われた。

幕張のリアル半沢直樹と称される山室晋也球団社長(54)は「来年こそはみんなでリベンジ。倍返しだ」と宴会の冒頭に挨拶した。乾杯の発声を行った伊東勤監督(52)は「みんなにチャンスを与えて、全員を1軍で使っていきたい気持ちに変わりはありません」と一丸で勝ちにいく姿勢をあらためて見せた。

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ロッテ・岡田が選手会長に内定、球団社長「倍返し」指令[サンスポ]

ロッテは27日、今季まで選手会長だった成瀬のFAでのヤクルト移籍を受け、岡田が次期会長に内定した。また、球団納会では、伊東監督が「来季はもっとチャンスを与えて、全員を使いたい。1、2軍でダブル優勝したい」とチーム一丸を強調。山室球団社長は「来場者数も12球団で12位。来季は、ペナントも含めて倍返しする」と強気だった。

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ロッテ岡田が選手会長!育成からは異例[デイリー]

ロッテ・岡田幸文外野手(30)が次期選手会長に就任することが、27日までに内定した。育成選手出身が選手会長に就任するのは異例。この日、都内で「ジョージア魂賞」表彰式、千葉県内で球団納会に出席した岡田は、ファンサービスの向上を軸に掲げた。

岡田が、ヤクルトにFA移籍する成瀬からバトンを受け継ぐ。会長としての初仕事は、12月4日に大阪市内で開かれる選手会総会となるが「観客動員数が減っているのは気になる。ファンサービスを徹底していきたい」と決意を新たにした。

山室晋也球団社長は「選手達にもっと積極的に取り組んでもらいたい」と話し、今後は査定にグッズ売り上げやツイッターのフォロワー数なども反映していく方針。球団と選手会と一体となって改革に取り組む。

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ロッテ伊東監督「私の力不足もあった」…納会で挨拶[スポニチ]

ロッテは千葉県木更津市内で納会を行い、4位でCS進出を逃したシーズンに伊東監督は「私の力不足もあった」と言い「全員を1軍で使っていきたい気持ちに変わりありません。来季こそ、1軍、2軍でダブル優勝できるように頑張っていきましょう」と挨拶した。FA宣言して、ヤクルトへの移籍が決まった成瀬も最後の球団公式行事として参加した。

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ロッテ新選手会長、2年連続12球団ワーストは「かなり気になる」[スポニチ]

ヤクルトにFA移籍する成瀬の後任として、ロッテ選手会長に就任することが内定した岡田がファンサービス改革を訴えた。

観客動員数が2年連続で12球団ワーストに「かなり気になっている」と危機感を募らせ「勝つことはもちろん、もっとファンサービスを徹底しなければいけない。若い選手だけでなくベテランにも協力してもらう」と抱負を語った。正式就任後、球団側と企画を進めていく予定で、山室晋也球団社長は「ファンサービス(の貢献度)をよりシステマチックにデータ化して査定に反映させる」と語った。

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ロッテ、ドラフト6位指名の宮崎と合意「アピールしていく」[スポニチ]

ロッテは27日、ドラフト6位指名の広島国際学院大・宮崎敦次投手(21)と広島市内で契約交渉を行い、仮契約を結んだことを発表した。契約金2500万円、年俸800万円で合意。背番号は入団会見にて発表される。宮崎は球団を通じて「1年目から大事な場面で起用していただけるように、これから頑張ってアピールしていきたいです。強気に打者のインコースを攻めていくのが自分の持ち味。プロでもそのようなピッチングをしていきたいです」とコメントした。(金額は推定)

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福浦&サブロー、地元千葉でボーイズチーム設立[報知]

ロッテの福浦和也内野手(39)とサブロー外野手(38)が、千葉の中学生ボーイズリーグチームを設立することが27日、分かった。巨人・長嶋終身名誉監督や巨人・阿部のような千葉出身のスターを逃さず育てることや、ロッテを身近に感じてもらうことが目的だ。

現役プロ野球選手としては異例の取り組みだ。理想はスペインのサッカークラブ・バルセロナのような、ピラミット型の下部組織を形成することだという。その第一歩として、ロッテを代表する2選手が共同オーナーとなり、野球少年の育成に取り組む。

活動場所は千葉・船橋市民球場が濃厚。あくまでも上のレベルを視野に入れた活動のため、人数次第では1、2軍に分けることも検討し、バットは木製を使用する。プロと同様にフィジカル面のトレーニングを行うなど、英才教育がなされる。可能であれば、2人の自主トレにも選手を同行させるという。プロを志す千葉の少年達には、これ以上ない環境。地域密着の活動としても注目を集めそうだ。

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伊東監督「来年こそ1、2軍ダブル優勝」[報知]

ロッテは27日、千葉県木更津市内で国内フリーエージェント(FA)宣言してヤクルトへの移籍が決まった成瀬も参加して球団納会を開いた。4位でクライマックスシリーズ進出を逃したシーズンに伊東監督は「全員を1軍で使っていきたい気持ちに変わりはありません。来年こそ1、2軍でダブル優勝できるように頑張って行きましょう」と挨拶した。

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強気のピッチングが魅力!ドラフト6位、宮崎投手と契約![千葉日報]

千葉ロッテマリーンズは11月27日、広島県広島市内の広島国際学院大学校舎内にてドラフト6位指名の宮崎敦次投手との契約が完了した。背番号は入団会見にて発表となる。

宮崎選手は「1年目から大事な場面で起用していただけるように、これから頑張ってアピールしていきたいです。強気に打者のインコースを攻めていくのが自分の持ち味。プロでもそのようなピッチングをしていきたいです」とコメントした。

宮崎選手は1992年12月8日生まれ。山口県下関市出身で左投げ左打ち。身長は171センチで体重は72キロ。鈴木担当コメントは「171センチと小柄だが、左腕から140キロ中盤のキレの良いストレートを投げる。変化球はスライダー、カーブ、チェンジアップ。細かい制球力を磨けば、貴重なリリーフとして活躍が期待できる」と高く評価をしている。

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ロッテの重鎮・小谷2軍投手コーチは新聞記者をも育てる名伯楽/球界ここだけの話[サンスポ]

日本プロ野球界の「名伯楽」といえばロッテの小谷正勝(こたに・ただかつ)2軍投手コーチ(69)。同球団では「小谷クリニック」とも呼ばれ、若手の育成はもとより、シーズン中に2軍落ちした1軍の主戦級の投手(故障者は除く)はここで徹底的にクリニックされる。

小谷さんとの付き合いは長い。1980年代、記者が大洋(現DeNA)担当時代までさかのぼる。当時、斉藤明雄、遠藤一彦が1軍投手陣の「顔」。まさに肩で風を切って歩いていた2人だが、「小谷投手コーチ」の前では直立不動だったことを覚えている。

そんな小谷さんに、記者が目をかけてもらえるよになったのは『ケンカ』がきっかけだった。静岡・草薙での春季キャンプ。投手陣の投球練習が終わった後、ブルペン内のベンチに『誰が何球投げた』かを記入する用紙が置かれてあった。それをチェックしていたら、「オマエ、なにやっとるんや!?」と後方から怒鳴り声。般若の形相をした小谷さんだった。

「なにって、球数チェックですけど…。」
「誰の許可を得とるんや!?」
「そんなもん、なんで許可がいるんですか!?」

いまでこそ、ギョーカイ最後の良識派と呼ばれる(?)記者だが、当時は血気盛んな駆けだしの若造。売り言葉に買い言葉で言い争いになり、MAX頭にきた記者は、翌日から投球練習が始まると、ブルペンに最初から最後までベタ張り。投手陣全員の球数を意地で計測した。そんな状況が何日か続いたとき、小谷さんの声が飛んできた。

「オマエには負けた。ピッチャー以外に他の取材もあるんやろ。球数は練習終わりに聞け。ワシが全部、教えたる」。

また怒られると思い、瞬時にファイティングポーズをとったが、予想だにしない展開に思わず胸が熱くなった。

過日、2軍のロッテ浦和球場へ取材にお邪魔した際、小谷さん、川越英隆2軍投手コーチ(41)と雑談を交わす機会があった。とっくに忘れているかと思いきや、小谷さんから突然、この話題を振られた。

「川越コーチ、知っとるか!?こいつは昔、ワシにケンカを売ってきたんやぞ。新聞記者にケンカを吹っかけられたのは初めてや。今でこそ偉そうにしとるけど、毎回、いい記事を書けるようになったんもワシのおかげや。なあ!?」。

おっしゃる通り。不治とまで言われた“ヘンクツ重症患者”の記者を治してくれたのだ。「小谷クリック」で治らない病はない。

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