わたしはかもめ2014年鴎の便り(12月)

便

12月30日

福浦&サブロー少年球団監督に甲子園名将[ニッカン]

ロッテ福浦和也内野手(39)とサブロー外野手(38)がオーナーを務める少年硬式野球チームが、甲子園経験のある名将を招く。国学院久我山(東京)、木更津中央(千葉、現木更津総合)、江の川(島根、現石見智翠館)などを率いた楠井克治氏(59)の監督就任が30日までに決まった。早大出身の同氏は高知中央では校長を務め、選手の自主性を重んじる指導に定評がある。

また、楠井氏の長男一騰氏もスタッフ入りする。松江北(島根)のエースとして02年センバツに出場し、東大野球部でもプレー。その後、東大大学院で学んだ。父のサポート役として指導を手伝う予定で、サブローは「野球だけでなく勉強も教えてくれるのではないか。そういう文武両道のところは大事にしていきたい」と期待した。

年明けの5日からは専用のホームページを立ち上げて、入団希望選手の受け付けを開始する。ロッテ球団のホームページともリンクされる予定。第1歩となる選手のセレクションは11日にQVCマリンの室内練習場で行われる。

楠井克治(くすい・かつじ)
1955年(昭30)4月6日生まれ、和歌山県出身。桐蔭(和歌山)、早大で野球部に所属。国学院久我山、木更津中央、江の川で監督を歴任。久我山で春2回、夏1回、江の川で春1回、夏2回と計6度の甲子園出場に導いた。04年から日生学園二(三重)、08年から高知中央でも監督を務めた。

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福浦&サブローの中学生チーム監督に楠井氏[報知]

ロッテの福浦和也内野手(39)とサブロー外野手(38)が設立する中学生野球チームの監督に、楠井克治氏(59)が就任することが30日、分かった。東京・国学院久我山高、島根・江の川高を甲子園出場に導いた名将。千葉の中学生の英才教育に、強力なピースがまた加わった。

楠井氏は高知中央高で校長も務めるなど、技術指導はもちろん、野球を通じた人間形成の経験も豊富だ。設立するチームのコンセプトは「千葉のスターを作る」。楠井氏には技術・人間性の両面でスターらしい選手に鍛えることが期待される。

あくまでも上のレベルを視野に入れた活動のため、バットは木製を使用し、プロ同様のフィジカルトレーニングを行うなど、英才教育がなされる予定。入団募集は1月5日から開始され、11日にQVCの室内練習場で入団セレクションが行われる。サブローは「チームに入った選手が、何年後かにロッテで日本一になってくれたら、かなり嬉しい」と期待した。

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ロッテ来季スローガンに「熱く!−」[デイリー]

ロッテは30日、2015年のスローガンが「翔破〜熱く!勇ましく!!泥臭く!!!〜」に決まったと発表した。「翔破」とは「鳥などが目的地までの長い距離を飛びきること」を意味し、13年から掲げてきた言葉。今度は新たに「熱く!−」のキャッチフレーズを加えた。

就任3年目を迎える伊東勤監督(52)は「全身で喜び、悔しさを表現し、見ていただく人の胸に、その気持ちのこもったプレーが伝わるようなチームでありたい」と、スローガンに込めた思いを説明した。チームリーダーの鈴木は「1年を通して、この言葉を忘れることなく熱い気持ちを持ち続けプレーしたいと思います」と誓った。

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ロッテ、来季スローガンは「翔破 熱く!勇ましく!!泥臭く!!!」[スポニチ]

ロッテの来年のチームスローガンが「翔破(しょうは) 熱く!勇ましく!!泥臭く!!!」に決定した。

渡り鳥などが長い距離を飛びきって、無事に目的地へと到達するという意味の「翔破」を3年連続で継続。これには、リーグ優勝と日本一という目標に向かうという強い意志も込められている。伊東監督は「荒々しくも見えるような気持ちのこもったプレーをファンの方々にお見せしたい。全身で喜び、悔しさを表現し、見ていただく人の胸に、その気持ちのこもったプレーが伝わるようなチームでありたい」と説明。主将の鈴木も「伊東監督からもよくミーティングで伝えていただいているメッセージ。1年を通して、この言葉を忘れることなく熱い気持ちでプレーしたい」と誓った。

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ロッテ、来季スローガン発表、ファンに訴えるメッセージ追加[サンスポ]

ロッテが30日、2015年のチームスローガン「翔破 熱く!勇ましく!!泥臭く!!!」を発表した。伊東監督が就任した13年以降、「翔破」は不変で、今回はファンに訴えるメッセージを添えた。指揮官は「全身で喜び、悔しさを表現し、見ていただく人の胸に、その気持ちが伝わるようなチームでありたいと考えています」とコメントした。

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来季チームスローガン「翔破!熱く、勇ましく、泥臭く」[報知]

ロッテの来季チームスローガンが30日、「翔破 熱く!勇ましく!!泥臭く!!!」に決まった。

「翔破(しょうは)」は、鳥などが長い距離を飛びきるという意味がある。伊東勤監督(52)が就任した13年から3年連続での使用となる。荒々しくも見えるような、気持ちのこもったプレーを見せたいという思いも込められている。同監督は「どんな時も泥臭く次の塁、1点を狙っていく。1点を守り切る。そんな野球をお見せできればと考えています」と説明した。

今季の主将を務めた鈴木も「熱く、勇ましく、泥臭く。まさにその通りだと思う。この言葉を忘れることなく、熱い気持ちを持ち続けプレーしたい」と指揮官に同調した。

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ロッテ来季のスローガンが決定「翔破 熱く!勇ましく!!泥臭く!!!」[サンスポ]

ロッテは30日、来季のチームスローガン「翔破 熱く!勇ましく!!泥臭く!!!」を発表した。

チームの若きリーダー、鈴木大地内野手(25)は「熱く、勇ましく、泥臭く…まさにその通りだと思います。伊東監督からもよくミーティングにて伝えていただいているメッセージで、2015年シーズンは1年を通して、この言葉を忘れることなく熱い気持ちを持ち続けプレーしたいと思います」とコメントした。

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「翔破〜熱く!勇ましく!!泥臭く!!!〜」、来季スローガン決定[千葉日報]

千葉ロッテは30日、来季のチームスローガンが「翔破〜熱く!勇ましく!!泥臭く!!!〜」に決まったと発表した。翔破は鳥や飛行機などが長い距離を飛び切るという意味で、2013、14年に続いて使用する。

新たにしたサブタイトルには決意を込めた。伊東監督は「荒々しくも見えるような気持ちのこもったプレーをファンの方々にお見せしたい」と説明。4位からの巻き返しへ「どんな時も泥臭く次の塁、1点を狙っていく、1点を守り切るそんな野球をお見せできればと考えています」。

05、10年にロッテは日本一に輝いている。5年サイクルなら15年も…。鈴木は「熱く、勇ましく、泥臭く。まさにその通りだと思います。伊東監督からもよくミーティングにて伝えていただいているメッセージで、この言葉を忘れることなく熱い気持ちを持ち続けプレーしたいと思います」と誓う。

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[千葉魂]光り輝きだした西野の夢物語、冷蔵庫に貼って読み返した記事[千葉日報]

11月15日、歴史的なマウンドに西野勇士はいた。日米野球第3戦。9回を打者3人で抑えると先発の則本(楽天)、2番手・西(オリックス)、3番手・牧田(西武)と共に大観衆が待つお立ち台に呼ばれた。日本を代表する4投手によるリレーでノーヒットノーラン。MLB選抜チーム相手に日本チームとしては初の偉業をやってのけた。ジャパンのユニホームが輝いて見えた。

「入団した時のことを考えると信じられないです。あの頃は下ばかり向いて歩いていた」。

今季31セーブで救援失敗は3回だけ。今や日本を代表するストッパーと言われるようになった。だが、育成ドラフト5位で富山から18歳で上京をしてきた若者が、ここにたどり着くまでの道のりの間には、何度も心が折れそうになる日々があった。

「覚悟していました。育成で契約することの意味は分かっていたつもりです。でも、やはり現実は思った以上に厳しかったし、つらいこともたくさんありました」。

遠い昔のことのように2008年12月に行われた入団会見を思い返した。雛壇に支配下選手が並び、その左横に育成選手8人がまとめて座っていた。マスコミからの取材も当然、支配下選手に集中する。会見から差を感じざるをえなかった。そして1番の違いは待遇。支配下選手はロッテ浦和寮。育成選手はそこから自転車で15分ぐらいの距離にある築40年以上経つ施設で過ごした。朝と夜、食事の時だけ寮を訪れ、また自転車で戻る。他の同期入団の選手達が球団寮で過ごしていることがうらやましかった。夕食の帰り道。夜風に吹かれながら、悲しくなった。寮の部屋から照らされる明るい光に、無性にうらやましい思いに駆られた。星空に向かって、願いを込める。そんな毎日だった。

「球団の寮との環境は雲泥の差でした。何ともうらやましかった。いつかはこっちの寮に移るというのをモチベーションにしていました」。

もう1つ、愕然とさせられたことがあった。2軍球場のロッカー。支配下選手はそれぞれに個別のロッカーが割り当てられ、スペースがあった。育成選手は個別ロッカーではなく、全員で1つのスペースが与えられただけ。「まるでプレハブ小屋だった。そこに10人近くで共有していた」と振り返る。覚悟はしていたし、そこからハングリーな気持ちを持ち、這い上がろうと決意しての入団だった。だが、18歳という感性豊かな年ごろの若者の心には、突きつけられた現実の1つ1つが、切ない気持ちにさせていった。

「何度も辞めようと思いました。気持ちは毎日、激しく上下しました。落ち込んだり、また頑張ろうと思ったり…。親にも電話をして『辞めたい』と相談もしました。でも返ってくる答えはいつも同じなんです。『最後までやりきれ』と。それを聞いて、『それしかないよな』と納得して、また頑張る。その繰り返しでした」。

そんな日々に希望をもたらしたのはソフトバンクに在籍する山田大樹の活躍だった。09年10月に宮崎フェニックスリーグにてフュチャーズ(各球団混成チーム)の一員として育成選手だった2人はチームメートになった。そして山田は翌年に支配下登録されるとその年に4勝。翌11年も7勝を挙げ、マスコミから注目を浴びた。3歳年上の山田が躍動する姿を自分にダブらせた。山田を紹介する新聞記事を見つけると冷蔵庫に貼り付けて毎日、読み返した。

「冷蔵庫だと毎日、必ず開けるじゃないですか。目にするところに貼って、よし、オレもやるぞというように、やる気を起こしていた」。

月日は流れた。西野は12年に支配下登録されると日本代表の抑えにまで上り詰めた。憧れていた寮も12月に退寮し、次なるステップアップとして一人暮らしを始めることにした。引っ越しの日、大事にしていた新聞記事を見つけた。懐かしそうに見返してポツリとつぶやいた。「貼った時の気持ちは一生、忘れないようにしないといけないですね」。そう言うと大事そうにしまい込んだ。寮に別れを告げ、車を運転して出発した。育成時代に夕食を食べ終わり、いつも寂しくため息をつきながら帰路についた道路を通った。

「来年の目標ですか?1度も救援失敗をしないで、シーズンを乗り越えたいです」。

来シーズン、西野は日本一のストッパーを目指す。自分が山田の投げる姿に励まされ、ここまでたどり着いたように、見ている人に希望を伝えられる投球がしたいと思っている。だから、さらなる高みを目指す。キラキラと光り輝きだした夢物語は2015年へと続く。
(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)

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