わたしはかもめ2015年鴎の便り(1月)

便

1月2日

ロッテ来季ファンを大事にすれば100万円!?[ニッカン]

幕張のリアル半沢直樹ことロッテ山室球団社長が、来季ファンサービスの意識が最も高かった選手を表彰するプランを明らかにした。

年間を通じて審査し、最優秀選手には100万円の賞金を出すことも考えているという。ファンサービス改革に意欲的で「2015年は大きな変革期にしたい」と話した。

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ロッテ、今季はファンサービス度を年俸査定に反映へ[サンスポ]

今季は「年間ファンサービス大賞」を選定。元銀行マンで“マリンの半沢直樹”ことロッテの山室球団社長が2日、明らかにした。どの選手がサービスに徹したかをファンからの意見、掲示板への書き込み、ツイッターなどの反応をもとに選出。グッズの売り上げも加算し、年俸査定に盛り込むという。「ファンと気持ちを一緒にすることが大切。野球だけが仕事じゃないということは伝えています」と新春大号令を発した。

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ロッテ、「ファンサービス年間大賞」創設も[スポニチ]

みずほ銀行出身で「幕張のリアル半沢直樹」と呼ばれるロッテの山室晋也球団社長が、新たな社長賞として「ファンサービス年間大賞」を創設するプランを明かした。

「1年間通じて最もファンサービスに貢献した選手を表彰する制度があればいい。賞金100万円ぐらい出してもいい」。今年は球団としてファンサービスの大改革を打ち出しており「毎月ファン感謝デー」の開催なども決定。「ファン投票やネット上でのファンの反応などもチェックして決めたい」とし、大賞受賞者にはポケットマネーで振る舞う考えだ。

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山室社長発案「ファンサービス大賞」設置[報知]

ロッテの山室晋也球団社長(54)が2日、今季、「ファンサービス大賞」を設置する考えを明かした。サービス充実へ向けて、新選手会長の岡田幸文外野手(30)らと意見交換をしている。みずほ銀行の元敏腕支店長で“リアル半沢直樹”の異名を持つ山室球団社長は「(ファンとの触れ合いに)最も貢献してくれた人を、表彰するのも面白いね」と話した。

2013年から2年連続で観客動員数が12球団最下位に沈んでおり、「選手にも協力してもらって(球団の)興行全体でいろいろと考えていきたい」とファンサービス改善を現状打破のきっかけにするつもり。今季から選手個人の評価に“ファンサービス査定”を導入する考えもある。

岡田は「選手とファンで壁を作りたくない。(喜ばれるファンサービスが)自然にできるようになれば、おのずと『球場に行こう』となると思う」とファンとの触れ合いの大切さを説いた。4月からは毎月、「ファン感謝デー」を開催する予定。山室球団社長はマスコットの改革を行うことも示唆しており“サービス改革”で今季はにぎやかになりそうだ。

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マリンのAKB48「M☆Splash!!」公開オーディションに集合!/球界ここだけの話[サンスポ]

ロッテ人気の球団公式チア・パフォーマー「M☆Splash!!」の2015年新メンバー最終オーディションを一般公開することになった。さらに、この模様はニコニコ生放送でライブ中継するという。

球団関係者によると、公開日は1月12日で、場所は「イオンモール幕張新都心・グランドモール1Fグランドコート」(午前10時30〜午後3時予定)。1月2日午前現在、130人の応募者がおり、最終審査には約40人が通過予定。うち合格者(新規採用)は13〜16人の狭き門だ。

一般公開は2008年以来7年ぶりで、復活の背景には

(1)
新メンバー誕生の瞬間からファンに立ち会ってもらい“仲間意識”をより共有する
(2)
公開することで、メンバー候補のより実戦に近い心理状態を把握する

狙いがあるという。

まさに一石二鳥の企画だが、さらに画期的なのは、審査員としてマスコミ関係者が立ち会うことだ。スポーツ紙のロッテ担当記者、さらにテレビ、ラジオの“ロッテ番”が重要な役目を担うことになった。

マリンのAKB48とも呼ばれ、カメラ小僧の追っかけまでいる人気の『M☆Splash!!』。その一方で昨季、ロッテ担当として舞台裏もみてきた。セ・パ交流戦などではビジター球場にも出撃。華やかなコラボで、試合前のムードを盛り上げるが、相手球団のパフォーマンスも覚えなければならない。リハーサルというリハーサルもなく、基本は各自が動画で研究。真夏にフラフラになりながら練習を積み、それでも笑顔を絶やさない“プロ根性”があった。そんな厳しい世界に挑む覚悟があるかどうかの「判定」も重要なポイントだろう。

そこを見極める“審査のプロ”が当日「審査委員長」を務める。元銀行マンで“リアル半沢直樹”の異名を誇る山室晋也球団社長(54)だ。「銀行時代、企業向けの融資や住宅ローンの審査は毎日のようにしていましたが、さすがにチアの審査は初めてです。韓国や台湾のチアは華やかで有名ですが、ロッテも負けない存在となってもらいたい。名物の1つになれるよう、広く、そして魅力ある人材を求めたいですね」。

1・12決戦!!ご関心のある方は、ぜひ足をお運びいただき、熱き真剣勝負の証人になっていただければと思います。

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清水直行氏、ありがたかった親の支え、苦情と手作り…転身後はNZ保護者に感心[サンスポ]

◇高校までの18年間が原点

≫ニュージーランド最大の都市、オークランドを拠点に滞在時は毎週末、若い年代の代表チームの強化から指導を始めている。
清水直行氏
「野球場はいくつかあって、3回目の渡航となった6月上旬までの1ヶ月ほどの滞在時も、12U(12歳以下)と15Uの子供達に教えてきました。大きな公園の一角にある球場までは、お父さん達が車で送ってきて、練習も見学しています。ラグビー仕様なのか土壌がすごく柔らかくて塁間を走りにくいのが難点ですが、天然芝はすごく美しいですよ。ただ、低いバックネットの後ろに住宅街があって、『ファウルボールが危ない』という苦情が多かったそうなんです。それで、外野の地点にバックネットを移動させている最中で、作業のほとんどを保護者が手作りでやってくれています。そんな光景を目にすると、『決して野球熱は低くないな』って感心させられます。もちろん、日本のように野球が日常という訳ではありませんが。」
≫自らも幼少時から野球を。
清水直行氏
「小学校に入学する直前です。地元の少年野球チームで6年間、ボールを追いかけました。甲子園球場の近くの団地に住んでいたので、よくプロ野球も見に行きました。祖父が巨人ファンでいつもビジター用の左翼席。巨人の監督である三塁手だった原(辰徳)さんや、外野を守っていたクロマティに声援を送っていました。」
≫当時の夢は意外なものだった。
清水直行氏
「実は、アイルトン・セナに憧れ、F1レーサーになることが夢でした。身長が高くない方がよいらしく、中学3年間で身長が30センチ以上伸びて177センチくらいになって諦めましたが。中学も地元の公立で軟式野球部。高校は、小学校1年のときの6年生の選手が進学した報徳学園高(兵庫)にあこがれ、報徳を志望しました。大した実績はなく、周囲から『報徳なんか行ったら、3年間、球拾いやぞ』って言われました。実際、周りはボーイズリーグで全国大会に出た選手とかばかりでした。」
≫2年生の夏には背番号1をつかむ。
清水直行氏
「仲間に恵まれました。何度もやめようと思ったけど、『あいつが頑張っているから、もうちょっとやってみよう』と。どうすれば自分も球が速くなるかも考えさせられました。球数を投げても下半身がふらつかないようにと、とにかく走りました。入浴中も手首を返して鍛えたり…。精神論は賛否あるけれど、さぼっていたら、どこかで追い込まれたときに負の心理が働きますよね。だから、諦めずにやることが大事かなと。ありがたかったのは親の支えでした。夜遅くまで練習して泥だらけのユニホームで帰宅するのに、翌朝には母親が洗濯して弁当と一緒に持たせてくれました。引退会見のとき、感謝の気持ちがわき上がってきて思わず泣いてしまいました。大学、社会人を経てプロに行くことができましたが、原点は高校までの18年間にあります。親への感謝は、ニュージーランドの子供達にも持っていて欲しいです。」

(産経新聞[話の肖像画]2014年7月9日掲載/聞き手・田中充)

清水直行(しみず・なおゆき)
1975(昭和50)年11月24日、京都府生まれ。日大、社会人野球を経て2000年に逆指名でロッテに入団。02年から5年連続2けた勝利を挙げるなどエースとして活躍し、05年は31年ぶりの日本一にも貢献。10年に横浜(現DeNA)へ移籍し、12年シーズンまでプレー。通算成績は105勝100敗、防御率4.16。銅メダルを獲得した04年アテネ五輪、優勝した06年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表メンバー。今春からニュージーランド野球連盟ゼネラルマネジャー補佐兼同国代表統括コーチを務める。

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