わたしはかもめ2015年鴎の便り(9月)

便

9月22日

千葉ロッテ8−2東北楽天(QVCマリン)

ロッテは投打がかみ合い快勝した。1回に井口の3ランで先制し、3回に清田が2点二塁打。7回には鈴木の2ランなどで3点を加えた。石川は7回無失点で自己最多の11勝目。楽天は好機を生かせず、4位以下が確定した。

123456789R
東北楽天0000000202
千葉ロッテ30200030x8
伊東監督
「投げられただけで、一安心。ボール自体は悪くない。」 (大谷が右内転筋肉離れから復帰して、1回3安打2失点)

◇井口流れ呼ぶ先制3ラン

勝利への道筋を描いた価値を周りが自然と口にした。「一振りで大量点を取れた」と伊東監督が目を細めれば、鈴木主将は「井口さんの1本で決まった。本当に大きかった」。千葉ロッテの井口が1回に先制の3ラン。下位相手に落とせない1戦で、流れを一気に手繰り寄せた。

伊志嶺と清田が左前打を放ち、2死一、二塁で打席に立った。「昨日はヒットが出なかったが、悪い感じはなかった」。4球目、外角低めの146キロを射止める。打球はバックスクリーンへ、一直線。「あの方向は久しぶりなので感覚は分からなかった。入るとは思わなかった」。8月20日以来となる今季6号は、チームにとっても11試合ぶりの一発だった。

40歳は代打での出番も増えている。そんな中で不調のデスパイネに代わって2試合連続で指名打者として先発出場すると、大きな仕事を成し遂げた。「とにかく出ればしっかりやるだけ。チーム全員で勝つしかない。誰がとかは関係ない」と、きっぱり言い切る。

クライマックスシリーズ進出を争う3位西武も勝ち、ゲーム差は1のまま。着実に白星を積み上げていくしかない。チームは2試合連続の2桁安打を記録した。明るい材料に「つないでいくのが持ち味。形として打線は戻ってきているんじゃないか」とベテランの勘は告げる。

◇石川、粘りの投球

石川は「真っ直ぐが良くなかった。コントロールも狙った所に投げられなかった」。7回を投げて7安打を浴びて4イニングで三塁に走者を置いたが、「低めを意識するところはした」と要所を締めて失点は許さなかった。

「粘りがあった」と評価した伊東監督は昨季の新人王右腕を中5日で次戦に投げさせる考え。西武戦にぶつかり、石川は「気合を入れていきたい」と目を向けた。

◇清田、背中痛め途中交代

千葉ロッテの清田が背中を痛めて4回の守備から退いた。3回に2点二塁打を放ち、送球間に三塁を狙ってスライディングした際に痛めたという。病院には行かず「あしたは出ます」と話した。二塁打については「早い回に追加点を取りたかった。チャンスで打てて良かった」と手応えを口にした。

◇佐々木さんが始球式

東海大望洋高野球部出身で、メンバー全員の身長が180センチ以上の8人組男性音楽グループ「SOLIDEMO」の佐々木和也さんが千葉ロッテ−楽天戦で始球式を務めた。125キロを外角低めに投げ込んだ。

佐々木さんは2008年夏に東千葉大会決勝でマリンのマウンドに立ったが、甲子園には届かなかった。マリンに来るのはその時以来という。「悔しくて、ここに来ることは避けている部分がありましたが、大観衆の前で投げさせてもらって、何か吹っ切れた感じがします。本当に気持ちよかったです。ただ、130キロを出そうと意気込んでいたので、そこは悔しい」とコメントした。

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ロッテ井口1ヶ月ぶり決勝6号、CSへ1差離れん[ニッカン]

頼もしい男のバットが、うなりを上げた。ロッテ井口資仁内野手(40)は1回、楽天釜田の直球を捉えた。外角の146キロ。右腕でしっかり押し込んだ。「あの方向は久々だったので、入るか分からなかった」と言いながらも、バックスクリーンへ。8月20日の日本ハム戦以来、約1ヶ月ぶり、文句なしの本塁打だった。

チームを勇気づける1発だった。福岡でのソフトバンク戦で2戦合計3安打という極貧打を経験した。伊東監督は「あの2試合のショックは、僕の中では大きかった」と、引きずり気味だったことを明かした。しかし、本拠地に戻っての2試合で10点、8点と大量得点を重ね、指揮官の不安をぬぐい去った。

その打てなかったソフトバンク投手陣との勝負が、今季のロッテのカギを握る。25日からの3連戦で再び対戦する可能性があるからだ。井口は「金、土、日、月がカギ」と、その後の西武との直接対決までの4試合を重要試合に位置づけた。

5年に1度、今季はロッテのゴールデンイヤーと言われる。だが、それではいけないと井口は言う。「本当は5年に1度では恥ずかしいこと」。強い気持ちを持った百戦錬磨の男が、ラストスパートを牽引する。

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ロッテ清田2点適時二塁打、三塁狙うもアウト[ニッカン]

ロッテ清田育宏外野手(29)が3回、左翼線に2点適時二塁打を放った。三塁を狙って走ったがタッチアウトになった。「甘めに来たボールをしっかり打つことができました。早い回に追加点を取りたかったので、チャンスで打てて良かったです」と喜んだ。

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ロッテ井口が先制6号3ラン「久々にいい感触」[ニッカン]

ロッテ井口資仁内野手(40)が1回、先制の6号3ランを放った。

8月20日の日本ハム戦以来となる本塁打。楽天釜田の外角直球をバックスクリーンへ持っていった。「久々にいい感触だった。初回に先制できたのは良かった。自分もそうだけど、チームにとっても久しぶりのホームラン。この1発で勢いがつくといいね」と話した。

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ロッテ、23日マリンフェスタ目玉はふかし芋[ニッカン]

ロッテは23日に実施する第8回マリンフェスタの目玉イベントとして、選手による「ふかし芋」の特別販売をすると発表した。

先着200人に、試合終了後準備が出来次第、キッズスクエアで販売する。価格は300円。これまでロッテアイス、かき氷などを選手が販売し、大好評だった。今回は秋の味覚を感じさせるグルメ食品の販売企画となっている。6日のマリンフェスタで、かき氷販売を体験した荻野は「かき氷販売はすごい人で、とても盛り上がりました。今回も美味しそうな企画できっと多くの方に喜んでもらえるのではないかと思っています」とコメントを寄せた。

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井口が先制の6号3ラン!ロッテ、2試合連続の2桁安打で快勝[サンスポ]

ロッテは22日、楽天21回戦(QVCマリン)に8−2で快勝した。連勝し、3位・西武に1ゲーム差で追走。「5番・DH」で出場した井口資仁内野手(40)が1回、先制の6号3ランをバックスクリーンへたたき込み、打線に火をつけた。

「あの方向(中堅)には久しぶりに飛んだ。自分の調子も上がってきたし、何より打線がつながってきたことがいい」。

8月20日の日本ハム戦以来、約1ヶ月ぶりの本塁打はチームにとっても11試合ぶり。ベテランの号砲は3回の弟分・清田の左翼線2点二塁打などを呼び、チームは2試合連続の2桁安打(13安打)を記録した。

今季は西武・西口(42歳)ら大物が相次いで現役引退を表明。井口も12月4日に41歳を迎えるが、現役へのこだわりは強い。知人に送った年賀状には「今年も、そして1年でもながくプレーします」としたためた。

この日は6回にも中前打を放ち2安打。伊東監督は「井口の一発がきいた」とたたえた。残り12試合。クライマックスシリーズ進出に向け、経験豊富なベテランがギアを上げる。

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ロッテ・石川、7回0封で自己最多11勝「先制してくれて楽に」[サンスポ]

2年目の石川が、昨季を上回る自己最多の11勝目(12敗)を挙げた。7回を投げ7安打無失点。ヒーローインタビューでは「調子がよくなかったですが、3点(井口の3ラン)を先制してくれて楽に投げられました」と井口を持ち上げた。次回登板はクライマックスシリーズ進出を争う28日の西武戦。「次は気合を入れて投げたい」と闘志を燃やした。

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ロッテ・井口、8月20日以来の一発「感覚は分からなかった」[サンスポ]

井口がロッテ打線を引っ張った。1回2死一、二塁で釜田の146キロを捉え、バックスクリーンへたたき込んだ。8月20日以来の6号3ランは、チームにとっても11試合ぶりの一発で「久々なので、感覚は分からなかった」と笑った。

この一振りに触発されたようにチームは2試合連続の2桁安打を記録。伊東監督は「井口の一発が効いた。ホームランがほしいところで出た」と手放しでたたえた。

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ロッテ・清田、背中痛め途中交代「明日は出ます」[サンスポ]

ロッテの清田が背中を痛めて4回の守備から退いた。3回に2点二塁打を放ち、送球間に三塁を狙ってスライディングした際に痛めたという。病院には行かず「明日は出ます」と話した。

二塁打については「早い回に追加点を取りたかった。チャンスで打てて良かった」と手応えを口にした。

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ロッテ 最年長40歳・井口が“号砲”、CSへ1差キープ[スポニチ]

ロッテにとって11試合ぶりの本塁打が猛打爆発の「号砲」だった。初回2死一、二塁でチーム最年長40歳の井口が、低め直球を豪快にバックスクリーンに叩き込んだ。8月20日以来となる先制の6号3ラン。「久しぶりにいい感触だった。チームも自分にとっても久しぶりの本塁打」と約1ヶ月ぶりのアーチの感覚に酔いしれた。

3回に清田の2点適時打で追加点を奪うと、7回には鈴木にも6号2ランが飛び出して勝負を決めた。鈴木が「井口さんの一発で完全に勢いがついた」と言えば、伊東監督も「初回に一振りで3点を取れたからね。あれが効いたね」と絶賛。2試合連続の2桁安打で2連勝を飾り、この日勝った3位・西武との1ゲーム差をキープした。

井口は今季が3年契約の2年目で、球団幹部は「今日もこれだけ活躍しているからね」と高く評価している。41歳で迎える来季も構想に入るのは確実だ。「負けられない試合が続くけど、チーム全体で勝ちにいくだけ。ここまで来たらトーナメントのようなものだから」と井口。残りは12試合。ベテランも若手も目指す場所は「CS」ただ1つだ。

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ロッテ・石川、7回7安打無失点で自己最多11勝目[スポニチ]

ロッテ先発の石川が自己最多となる11勝目を挙げた。

ピンチの連続だったが「走者を出してから、低めを意識してバランスよく投げられた」と7回7安打無失点と粘り、7月28日の西武戦以来となる、約2カ月ぶりの本拠地での白星となった。

次回は28日の西武との今季最終戦(西武プリンス)で先発予定で「気合を入れて投げます」と力強かった。

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ロッテ・清田、走塁中の負傷で途中交代[スポニチ]

ロッテの清田が22日の楽天戦で走塁中に背中を痛めて途中交代した。

清田はこの試合に「3番・右翼」で先発出場。3回の打席で左翼線への2点適時二塁打を放ったが、三塁を欲張りタッチアウトとなった。

このプレーでスライディングを見せた清田はその後、背中に違和感を訴えて4回の守備から岡田と交代。左翼・伊志嶺、中堅・岡田、右翼・荻野貴とシフトが変更された。2試合連続で適時打を放ち、打率はチームトップの.325。打線の軸だけに心配されるが、軽症とみられ大事を取っての措置という。

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ロッテ、23日・楽天戦でワッフル&ふかし芋を先着販売[スポニチ]

ロッテは第8回マリンフェスタとして開催する23日の楽天戦(QVCマリン)の試合後、選手が「秋のスイーツ・スペシャルワッフル」と「ふかし芋」を特別販売する。

スペシャルワッフルは先着300人、ふかし芋は先着200人限定。

今月6日のマリンフェスタでかき氷販売を体験した荻野貴司外野手(29)は「かき氷販売は凄い人で、とても盛り上がりました。今回も美味しそうな企画で、きっと多くの方に喜んでもらえるのではないかと思っています」とコメント。

マリンフェスタは23日が今季最後の開催となる。

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ロッテ・井口、快勝の口火3ラン[デイリー]

ロッテ・井口が1回2死一、二塁でバックスクリーンへ先制の6号3ラン。

13安打で8点を奪取した快勝の口火を切った。「久々にいい感触だった。初回に先制できてよかった」。8月20日の日本ハム戦(QVCマリン)以来、1ヶ月ぶりの本塁打は価値ある一発となった。

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ロッテがQVCで「ふかし芋」販売[デイリー]

ロッテは「マリンフェスタ」として開催する23日の楽天戦(QVCマリン)の試合後に、選手による「秋のスイーツ・スペシャルワッフル」と「ふかし芋」の販売を行うことを発表した。

“月に1度のファン感謝デー”をコンセプトにシーズンを通して実施してきた「マリンフェスタ」も、同日が今季最後。これまでも選手によるアイスクリームやかき氷の販売を行い好評を博してきたが、ラストの目玉企画として、食欲の秋をイメージした「ワッフル」「ふかし芋」を販売する。

荻野は「かき氷販売は、すごい人で盛り上がりました。今回も美味しそうな企画で、きっと多くの方に喜んでもらえるのではないかと思います」とコメントした。

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井口、CS圏へ意地の先制V弾「久々なので」[報知]

井口が先制の6号3ランで打線を引っ張った。初回2死一、二塁から146キロの直球をバックスクリーンへ。自身1か月ぶり、チームとしても11試合ぶりの本塁打に「久々なので感覚が分からなかったが、入るとは」と驚いた。

3年契約最終年となる来季も、現役続行予定。チームは3位・西武とCS進出を激しく争うが「目の前の試合を勝つだけ」と力強かった。

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大谷が1軍昇格、待望リリーフエース復帰に伊東監督が期待[報知]

右内転筋肉離れで離脱していた、ロッテの大谷智久投手(30)が22日、1軍に昇格した。

8月29日のオリックス戦(QVC)に登板した際に負傷。今月19日のイースタン・巨人戦(柏の葉)で復帰していた。練習後、「テレビを見て、悔しい気持ちもあった。残り試合で貢献したい」と話した。

今季48試合に登板していたリリーフエースの復帰に、伊東監督は「残り十数試合、目いっぱい行ってくれると思う」と期待した。

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SOLIDEMO、国歌斉唱&始球式、高校球児・佐々木125キロ計測[報知]

22日のロッテ・楽天戦(QVC)で、8人組男性音楽グループ「SOLIDEMO」が国歌斉唱と始球式を行った。始球式にはメンバーを代表し、東海大望洋高野球部出身の佐々木和也(25)が臨み、見事ストライク投球を見せた。

高3時だった08年の東千葉大会決勝でQVCのマウンドにあがっている佐々木は、白いパンツにロッテのCHIBAユニホームを着てマウンドへ。外角低めに制球された1球は、125キロを計測した。

佐々木は高校時代に最速142キロを計測。08年の決勝は木更津総合戦で先発完投したが、0−2で敗れた。「マリンに来るのも投げるのも、高3夏の決勝以来。負けてから悔しくて、ここに来ることは避けている部分もありましたが、大観衆の前で投げさせてもらって、何か吹っ切れた感じがします。本当に気持ちよかったです。ただ、130キロを出そうと意気込んでいたので、悔しいです」とコメントした。

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23日楽天戦後に選手が秋のグルメ販売[報知]

ロッテは23日の楽天戦(QVC)で開催される第8回マリンフェスタで、試合後の目玉イベントとして選手が「秋のスイーツ・スペシャルワッフル」、「ふかし芋」を特別販売することを22日、発表した。

今回は「食欲の秋」をテーマにグルメ食品の販売を企画。「スペシャルワッフル」(500円)は先着順300名に球場正面ボールパークステージで、「ふかし芋」(300円)は先着順200名にキッズスクエアで、試合終了後準備ができ次第販売開始となる。

今季はこれまでも、ロッテアイスやかき氷を選手が販売してきた。9月6日のマリンフェスタでかき氷販売を体験した荻野は「かき氷販売はすごい人で、とても盛り上がりました。今回も美味しそうな企画で、きっと多くの人に喜んでもらえるのではないかと思います」とコメントした。

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[球界ここだけの話]ロッテ・今江、亡き母に捧げる社会福祉活動[サンスポ]

ロッテ・今江敏晃内野手(32)が、21日の楽天戦(QVCマリン)に、白血病と闘っている石川ジェローム君(11)と家族を招待した。今江は社会福祉活動に熱心で、シーズンを通して取り組んでいる。

「母親をがんで亡くしてからやろうと決めました。闘病生活をみるのは本当につらくて、胸が締めつけられました。大人でも厳しいのに、たくさんの小さな子供達が苦しんでいる。自分ができる範囲で協力したいと思ったからです」。

2009年2月、母・寿美子さんが50歳の若さで亡くなった。今江は08年春にがんを患っていることを知らされ、大阪遠征の際は毎回、実家のある京都駅で下車して母との時間を大切にした。

がんの過酷さを痛感。母は「社会の役に立つ人になって欲しい」と願っていた。今の自分に何ができるのか。その言葉に突き動かされた。毎シーズン1打点につき1万円を「NPO法人ミルフィーユ小児がんフロンティアーズ」へ寄付するようになった。

今江にとって母は強くて、優しい存在だった。小、中学校時代の野球の試合観戦はもちろん、練習も見守ってくれた。親への恩返しのために、プロの門をたたいた。当時は気がつかなかったが、自身が小学4年生の一人息子を持つようになって「親のありがたみが痛いほど分かるようになった」と感謝の思いでいっぱいだ。

「母親は明るくて、負けん気が強かった。それこそ『打席に10回立てば10本ヒットを打て』と言われたほどです。闘病生活中も、苦しいのに周囲には気丈に振る舞い『人生は楽しまなくてはいけない』と言って、遠征先に来ては美味しいものを食べていましたね。余命3ヶ月といわれてから、約1年は持ったけど…あの元気なオカンもね…」。

母の死と向き合い、今まで気がつかなかったことが見えてきた。

ちびっ子に勇気と元気を与える−。「家族は子供の闘病生活を支える労力に加え、金銭的にも大きな負担がかかる。これからも、自分は子供とふれ合うために、様々な医療施設などを訪れたい」。今江の社会福祉活動は続く。

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選手の地位向上に尽力…松原徹事務局長死去、昨秋に余命宣告[スポニチ]

日本プロ野球選手会の事務局長として2004年の球界再編問題で史上初めてストライキを敢行した松原徹(まつばら・とおる)氏が20日午後4時59分、ぼうこうがんのため神奈川県川崎市内の病院で死去した。58歳。川崎市出身。04年の球界再編ではプロ野球史上初のストライキによって縮小再編を食い止めるほか、選手の地位向上に尽力した。近親者のみで密葬を行い、後日、お別れの会を開く。

松原氏は、昨秋にがんの告知とともに、余命も宣告された。抗がん剤治療で髪が薄くなってもバンダナを巻き、最前線に立った。7月23日に都内で行われたマスコミとの懇親会にも出席。「実はぼうこうがんで転移していると言われた。頑張って治療する」と笑顔で打ち明けた。12月上旬の選手会総会の承認を経て、事務局長を辞し、相談役となる予定だった。今後は森忠仁事務局次長が事務局長代行を務める。

88年、当時の落合博満選手会副会長の薦めで選手会事務局へ移り、00年から事務局長を務めた。「球団と選手は対等でなければならない」との立場に基づき、選手の地位向上に尽力した。

功績は計り知れない。04年の球界再編問題では古田敦也会長とともに経営者側との交渉に奔走、プロ野球史上初のストライキによって、縮小再編を食い止めた。当時、睡眠薬と胃薬を携行し「試合がなくなることでプレーできない選手や悲しむファンを思うと眠れない」と話すなど、常に選手とファンの立場で誠実に実務にあたった。

代理人制度の導入に始まり、フリーエージェント(FA)制度改革など、多くの権利を勝ち取った。11年の東日本大震災でのセ・リーグ開幕日を延期した交渉、13年の統一球をめぐる混乱などで日本野球機構(NPB)に問題を提起し続けた。13年の第3回WBC参加にも「平等な真の国際大会」を目指して、主張や交渉を続けた。

プロアマの関係改善では、元プロ選手が短期間の研修で高校の指導者資格を得られることが13年に決まるなど、歴史的な雪解けにつながった。

食事もほとんどとれない中で「プロ野球全体が発展しないと。最後の夢だから実現させたい」と話したのが、プロとアマの垣根を越えたトーナメント戦の創設だった。プロ野球激動の時代を支えた情熱を球界全体で受け継ぐ責務がある

広島・新井(前日本プロ野球選手会会長)
「ファンの、プロ野球のことを常に考えていてくれた。凄く優しい、温かみのある方でした。残念でならないです。」
西武・牧田選手会長
「選手がいい方向にいくために裏で必死に働いてくれた方。体調が悪いとは聞いていましたけど…。ご冥福をお祈りします。」
DeNA・中畑監督(労組日本プロ野球選手会初代会長)
「難しいポジションだったが一生懸命まとめてくれたから、今の労組がある。凄く良い人材。非常に残念です。」
熊崎勝彦コミッショナー
「野球を愛し、大変、好感の持てる人柄で、選手会の立場で率直に話をしてもらった。お互いに理解を深めていただけに大変残念だ。」
松原徹(まつばら・とおる)
1957年(昭32)5月22日、川崎市生まれ。81年に神奈川大からロッテに球団職員として入団。83年から当時最年少で1軍マネジャーとなり4年にわたって同職を務めた。87年からファーム育成部に所属。88年12月に選手会事務局入りし、00年4月から事務局長を務めた。選手寿命も短く不安定な雇用関係にあるプロ野球選手の地位向上に尽力した。

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プロ野球選手会の松原事務局長が死去、日本球界に衝撃[報知]

日本プロ野球選手会の松原徹(まつばら・とおる)事務局長が20日午後4時59分、ぼうこうがんのため神奈川・川崎市内の病院で死去した。58歳。川崎市出身。近親者のみで密葬を行い、後日お別れの会を開く。

1981年に神奈川大からロッテの球団職員に。88年に当時の落合博満選手会副会長の薦めで選手会事務局へ移り、2000年から事務局長。04年の球界再編問題では、古田敦也会長とともに経営者側との交渉に奔走し、史上初めてストライキを敢行した。プロアマの関係改善に尽力し、元プロ選手が短期間の研修で高校の指導者資格を得られることが13年に決まるなど歴史的な雪解けにつながった。昨秋にがんの告知を受け、余命も宣告された。抗がん剤治療で髪が薄くなってもバンダナを巻いて最前線に立った。なお、今後の選手会は森忠仁事務局次長が事務局長代行を務める。

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プロ野球選手会の松原徹事務局長が死去、58歳[ニッカン]

労組プロ野球選手会の松原徹事務局長が亡くなっていたことが21日、分かった。58歳だった。最近は抗がん剤治療を受けるなど体調を崩し、12月3日の選手会総会で事務局長の職を辞する予定だった。「余命宣告はされている。すがれるモノには何にでもすがろうと思う」と笑顔で生への執着を話していたが、帰らぬ人となった。

松原氏は81年、管理部職員としてロッテオリオンズに入社。83年からは山本一義監督、稲尾和久監督の下で1軍マネジャーを務めた。88年12月に、落合博満内野手(現中日GM)の薦めでプロ野球選手会の仕事に携わるようになった。

00年の事務局長就任後は、04年の球界再編問題などに東奔西走した。持ち前のバイタリティーあふれる行動力は闘病中も衰えず、抗がん剤で髪の毛の薄くなった頭にバンダナを巻きながら、関係各所や球場に足を運んでいた。「僕には夢がある。野球の“天皇杯”を作りたいんだ」と話し、プロ、アマの垣根を取り払ったトーナメント戦の実現を目指していた。「オールスターの代わりに開催するのはどうだろうか」とアマ球界の幹部にも呼び掛けるなど、新たな展開に目を輝かせていた。

選手会は今年、創立30周年を迎え、11月には祝賀会を予定する。松原氏は7月末にマスコミとの懇親会を行った際には、その会への出席を「楽しみにしている」と挨拶したが、かなわなかった。

◇松原氏が関わった主な球界の問題

球界再編問題(04年=古田敦也会長)
オリックスと近鉄の合併構想が明らかに。球団数の維持を求めてプロ野球史上初のストライキを決行した。
開幕問題(11年=新井貴浩会長)
東日本大震災の直後、予定通りのシーズン開幕を決めた球団に反対。4月12日に延期された。
WBC出場問題(12年=新井貴浩会長)
利益配分が米国に偏る大会運営に疑問を投げかけ1度は不参加を決議。大リーグ側の譲歩を引き出した。

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