名前 | 年俸 | 前年比 |
---|---|---|
益田 | 8000万円 | − |
藤岡 | 3850万円 | △350 |
ロッテ林信平球団本部長は11日、楽天にFA移籍した今江敏晃内野手(32)の代わりに求める補償について、決断を越年とする意向を示した。
契約締結が前日10日にコミッショナー公示されたため、2週間以内に28人のプロテクトリストが届く予定。「リストが来るのがクリスマスくらいかもしれない。人的補償か金銭かを含めて、年が明けてから考えます」と話した。
パ・リーグは11日、2016年の公式戦日程で7月12日のロッテ−ソフトバンクの開催地が、QVCマリンフィールドから東京ドームに変更されたと発表した。
ロッテの公式戦主催試合が東京で開催されるのは1977年以来39年ぶりで、東京ドームでの実施は初めてとなる。
来年はロッテが千葉に移転して25年目で、記念事業の一環という。
山室晋也球団社長は「千葉には東京で働いている『千葉都民』が多い。外に出るというよりは千葉都民のための開催。観客4万人超えは目指したい」と説明した。
ロッテ益田直也投手(26)が11日、QVCマリンで契約を更改し、現状維持の8000万円でサインした。
今季は51試合で3勝2敗11ホールド、防御率3.91。ホールド数は昨年の23から半減したものの、プロ1年目から4年連続50試合登板をクリアした。「負け試合での登板も多かったんで(年俸)ダウンかと思っていた。来年も50試合以上は1軍で投げて、できれば個人タイトルが取れるように、チームが優勝できるように頑張りたい」と意気込んだ。
年明けの自主トレはハワイで行う予定。「台湾しか海外に行ったことがない。いきなり英語で喋られてもどうしていいか分からないんで、不安はあります」と笑わせた。(金額は推定)
ロッテ田中英祐投手(23)が11日、選手会とJFAのコラボプロジェクト「夢の教室」で、埼玉・三郷市立前谷小学校を訪問した。
5年生の1クラスと体育の授業に続き、スーツ姿で教壇に立った。これまでの野球人生を語りながら、「夢曲線」を披露。高校までは、ほとんど勝てなかった過去を明かした。
それでも、京大に進み能力が開花。同大初のプロ野球選手となった。夢をかなえた訳だが、そのヒントとして「諦めないこと」「自分に必要なことを一生懸命頑張ること」と書いた。自らの例として、大学時代は練習後、毎日10キロのランニングを続けたことなどを話した。
人生初の授業を終えると、「すごく楽しくて、元気をもらいました。僕自身の経験を喋って、少しでも子供達が夢を持ってくれたら嬉しいです」と願っていた。
ロッテ藤岡貴裕投手(26)が11日、QVCマリンで契約更改交渉に臨み、10%増の3850万円でサインした。
今季は先発で開幕を迎えたが、程なくして中継ぎに転向。シーズンを通して31試合に登板し、2勝2敗6ホールド、防御率3.79の成績だった。
終盤は調子も上がり「これを来年につないでいければ。先発か中継ぎか、どちらかまだ分からないですけど、任されたところが僕自身に対する期待だと思う。先発ならまだ2ケタ勝ったことがないので2ケタ、中継ぎならいい場面で投げて、最低50試合以上は登板できるようにしたい」とプロ5年目の抱負を掲げた。(金額は推定)
とんだ勘違いだった。
ロッテ大嶺祐太投手(27)が11日、「マリーンズ・ベースボール・チャレンジ」の一環として千葉・泉谷小を訪れ、体育の授業で4年生に野球を直接指導した。
パ・リーグでは貴重なバットを振る姿も披露し「すごく楽しかったです。子供達とふれあう機会もあまりないですし、元気をもらって自分も頑張ろうと思いました。これを機に、1人でも球場に足を運んでくれたら嬉しい」と貴重な経験を喜んだ。
…その一方で、内心ちょっとホッとしていた。小学校で授業をすると聞き、自分が授業を受ける側だと思いこんでいた。「昨日の夜からドキドキしてて…。算数だったらどうしようって心配してました(笑)」。勉強はあまり得意でなかったと言い、「何の科目か分からなかったので予習もできなくて」とあたふた。事前に球団広報に「先生に『僕をあてないでください』って頼んどいてください」と根回し(?)する用心ぶりだった。
無事“先生”として授業を終えると、その後は別クラスの児童に囲まれて給食の時間。中華丼、コーンシューマイなどボリュームのあるメニューに舌鼓を打ち「食べきれないかと思った。お腹いっぱいです」とリラックスしていた。
英ちゃん先生、奮闘だ−。プロ1年目を終えたロッテ・田中英祐投手(23)が11日、埼玉・三郷市立前谷小で「夢先生」として1日教師を務めた。子供たちの夢を育む日本サッカー協会(JFA)の「こころのプロジェクト」の一環で、今年から日本プロ野球選手会が協力。ロッテからは京大卒の同投手が指名された。
出身大学が大学だけに、絶妙なハマリ役。児童の心を引き寄せる田中流の“つかみ”もOKだった。「まず僕の呼び方から決めよう。タナちゃんか、英ちゃんか…どっち?」。満場一致で「英ちゃん」に決定すると、さっそく背番号「31」のユニホーム姿で体育の授業に参加した。
受け持ったのは5年1組の34人。5時限目の体育は一緒に汗を流し、6時限目は『夢をかなえるヒント』と題して人生で初めて教壇に立った。
説いたのは
の2点。浦和寮でひそかにリハーサルを重ね、これまでの野球人生を画用紙に書き分けた教材『夢曲線』を持ち込んだ。もちろんお手製だ。
小4のときに兵庫・高砂市の塩市少年野球団で野球を始め、初先発した試合は何と18失点。田中が明かす衝撃の初エピソードだった。「いつかは勝ちたい、その一心で野球を続けてきた。それがプロ野球選手に夢が変わった。頑張らない人には、何も来ません」。
充実の1日に「励ますつもりが、逆に励まされました」と田中。熱い学園ドラマは「平成の熱中時代」だ。
かくいう田中も、まだまだ「夢追人」。今季は2試合(6回)に登板し1敗、防御率13.50に終わり、「来季こそは必ず(プロ初勝利を)という思いが強い」と語る。そこへ目にしたのが今月8日付のサンケイスポーツ。契約交渉を終えた先輩の涌井が「来春の石垣島キャンプで田中を変える」と発言した記事だった。「早速湧井さんに“よろしくお願いします”とメールをしました。速攻で“頑張れよ”と返信をいただきました」。田中先生が、今度は涌井先生の教えを請う?!
ロッテ・大嶺祐太投手(27)が11日、球団フランチャイズの千葉市立泉谷小学校を訪問。4時間目の授業に参加し、ティーボールで投げる&打つ…の動作をともに体験。充実の汗を流した後は、給食もともにした。
「給食を食べるのは中学生以来。とても懐かしく楽しかったです」。
スポーツ選手はやはり“食”が命。食べ盛りだった沖縄・石垣島の少年時代を思い出した大嶺祐は、お涙ものの美味しさ(!?)だったようだが、一方で「どこの球団のファン?」とフランクに話しかけた生徒の1人から「巨人、だって強いから!!」と一刀両断。「もっと、もっと、強くならないといけないなあと思いました…」とこちらはマジ泣きだった!?
ロッテは11日、来年7月12日のソフトバンク戦を「東京ドーム主催試合」で行うことを発表した。2016年はマリーンズ誕生・球団千葉県移転25年目のシーズンとなり、その記念事業を数多く展開する予定で、その中の目玉企画として東京ドーム開催を実施することになった。
当日は東京ドームを球団チームカラーの白・ピンストライプに染めるべく、記念ロゴが胸に入ったピンストライプユニフォームを来場者全員に配布するほか、様々なイベントを行う予定。
本拠地QVCマリンフィールド以外での主催試合開催は、2005年の北陸での2試合(7月26日金沢・7月27日富山 西武戦)以来11年ぶり。東京ドームでの主催試合は初めてになる。
ロッテの益田が11日、現状維持の年俸8000万円で契約を更改した。中継ぎとして51試合で3勝2敗、防御率3.91。「50試合登板を4年間続けてきた。来年も50試合以上、いい場面で投げてタイトルも取りたい」と目標を掲げた。
31試合に登板して2勝2敗、防御率3.79だった藤岡は350万円増の年俸3850万円でサインした。(金額は推定)
パ・リーグは11日、2016年の公式戦日程で7月12日のロッテ−ソフトバンクの開催地が、QVCマリンフィールドから東京ドームに変更されたと発表した。ロッテの公式戦主催試合が東京で開催されるのは1977年以来39年ぶりで、東京ドームでの実施は初めてとなる。
来年はロッテが千葉に移転して25年目で、記念事業の一環という。山室晋也球団社長は「千葉には東京で働いている『千葉都民』が多い。外に出るというよりは千葉都民のための開催。観客4万人超えは目指したい」と説明した。
巨人は11日、前ロッテのルイス・クルーズ内野手(31)の獲得を発表した。2年契約で、年俸は200万ドル(2億4400万円)プラス出来高払い。今季、パ・リーグの二塁手部門でゴールデングラブ賞に輝いた守備の名手は、内野の底上げを期待されており、背番号は「11」に内定した。
クルーズは二塁だけでなく、三塁、遊撃も守れる。打撃でもロッテでの2年間で通算134打点をマーク。年俸8500万円から年俸200万ドル(2億4400万円)プラス出来高払いの2年契約という好条件を勝ち取り、球団通じて「巨人でプレーすることは、私にとって特別です。守備では誰にも負けません。皆さんの期待以上のパワフルな打撃もお見せできます」とコメントを発表した。
堤辰佳ゼネラルマネジャー(50)は「今の巨人にないものを持っている。熱く、勝ちたい気持ちが強い」と内野の底上げを期待した。
背番号は野手では珍しい「11」に内定した。今季まで久保(現DeNA)がつけ、過去には斎藤雅樹(現2軍監督)、別所毅彦の大エースも背負った番号で、空き番号から本人が選んだ。野手が着けるのは、1978〜80年に在籍したジョン・シピン以来となる。
「若い選手のお手本となれるよう、持てる力の全てを出し切る」とクルーズ。球団はヤンキースを自由契約となったギャレット・ジョーンズ外野手(34)の獲得にも動いている。
ロッテ・田中英祐投手(23)が11日、日本サッカー協会と日本プロ野球選手会が協力して実施する「JFA心のプロジェクト 夢先生」に先生役として参加。埼玉県の三郷市立前谷小学校の5年生児童34人を前に、京大出身の右腕はどん底からスタートしながらプロにまで上り詰めた自らの野球人生を語った。「逆しくじり先生」として、夢を諦めないことの大切さを熱く伝えた。
子供達に「英ちゃんと呼んで!」と優しく呼び掛けた田中は、スーツ姿で人生初の教壇に立つと、挫折の連続だった自分自身を教材にした。1軍デビュー戦となった4月29日の西武戦(QVCマリン)でメヒアからプロ初三振を奪ったVTRから授業はスタート。そして、ほとんど人に話したことがない「過去」を語り始めた。
「野球を始めたのは小学4年生なんやけど、初めて投げた試合で何点取られたと思う?6回を投げて、その試合で18点も取られたんよ」。
野球人生の第一歩が最悪の結果だったことを告白した。「中学3年間は2勝しかできなかった」「高校時代は甲子園予選の1勝だけ」。プロ入りまでの課程を黒板に「夢曲線」という折れ線グラフにして説明。小学生時代は内外野、捕手とポジションをたらい回しにされ、新環境で投手として再出発するために中学受験を選択したという。
「嫌いだった勉強を頑張った。土曜日も日曜日も6時間ぐらい勉強した」。そして、白陵高から京大に合格。「走るのが嫌いだったけど、毎日1時間走るようになって。やっと実力がつき始めた」。プロから注目されるようになったのは、大学3年。「しくじり人生」は、そこから急カーブを描いて上昇したという。
今回の授業は、秋季キャンプ終了後からプランを練り上げた。「結果を出すのに時間がかかった野球人生だった。そういう意味では(プロでも)いずれ良くなるんじゃないかなと思えた。昔の気持ちを思い出した」と田中。プロ1年目の今季は2試合登板で0勝1敗。自らの人生を振り返ることで、折れかけた心に再びを火を付けた。
「英ちゃん先生」は最後に子供達に熱いメッセージを送った。「夢をかなえるヒントは“諦めないこと”。努力はいつか実ります」。50分間の授業を終えると、報道陣に自らの「夢」も発表。「僕の夢は1軍で活躍すること。まずは1勝を挙げる姿を見せたい」。目を輝かせながら2年目の「逆襲」を誓った。
ロッテ・藤岡がQVCマリンで契約更改交渉に臨み、350万円増の年俸3850万円でサインした。
「先発としては良くなかったけど、中継ぎではそれなりにできた」。4年目の今季は開幕ローテーション入りも初登板した4月1日日本ハム戦(QVCマリン)で5回4失点KOされ、即2軍に降格。その後は主に中継ぎで結果を残し、2勝2敗、防御率3.79だった。来季については「できることなら先発をしたい」と熱望し、初の2桁勝利を目標に掲げた。
ロッテの大嶺祐が11日、千葉市立泉谷小学校を訪問した。小学4年生の児童と体育の授業に参加し、その後は給食も一緒に食べるなどして触れ合いを楽しんだ。
「給食を食べるのは中学生以来です。とても懐かしく楽しかったです。子供達とも色々な話をしました。どこのファンかと聞いたら『巨人、だって強いから!』と言われました。もっともっと強くならないといけないなと思いました」 と感想。
無邪気な子供達から刺激をもらった様子だった。
ロッテの益田が11日、現状維持の年俸8千万円で契約を更改した。中継ぎとして51試合で3勝2敗、防御率3.91。「50試合登板を4年間続けてきた。来年も50試合以上、いい場面で投げてタイトルも取りたい」と目標を掲げた。
31試合に登板して2勝2敗、防御率3.79だった藤岡は350万円増の年俸3850万円でサインした。(金額は推定)
巨人は11日、今季ロッテでプレーしたルイス・クルーズ内野手(31)と来季の契約を結んだことを発表した。
クルーズは1メートル83、95キロの右投げ右打ちでメキシコ出身。米大リーグのパイレーツ、ヤンキースなどを経て14年にロッテ入り。2年間で計32本塁打を放ち、今季は打率.255、16本塁打、73打点をマークした。WBCでは第1回(06年)、3回(13年)のメキシコ代表。長打力も魅力だが、内野ならどこでも守れる器用さもある。
クルーズは球団を通じ、「巨人軍でプレーすることは私にとって特別です。私は勝つことが好きです。優勝するために巨人軍に来ました。守備では誰にも負けませんし、皆さんの期待以上のパワフルな打撃もお見せできます。若い選手達のお手本となれるよう、持てる力の全てを出し切ります」とコメントした。
ロッテの京大出身ルーキー・田中英祐投手(23)が11日、日本サッカー協会と日本プロ野球選手会のコラボイベント「JFA心のプロジェクト」で埼玉・三郷市立前谷小学校を訪問。「夢先生」として教壇に立った右腕は「1軍で1年間活躍するのが今の僕の夢。まずは2軍で結果を出して(1軍で)1勝を目指したい」と決意を明かした。
スーツ姿の田中先生は、5年1組の34人に、プロ野球選手になった半生を紹介。しかし、1番勇気づけられたのは自分自身だった。「僕が結果を出せたのは大学の最後の最後。諦めないことを子供達に言いたかったが、喋りながら僕自身もという気持ちになった」。1軍では2試合で0勝1敗、防御率13.50だったルーキーイヤー。2年目の巻き返しへ向け、刺激の大きな1日先生になったようだ。
ロッテの大嶺祐太投手(27)が11日、千葉市立泉谷小学校を訪問。4時間目に体育の授業に参加した。
4年生とティーボールを楽しみ、授業後は給食も食べた。「給食を食べるのは中学生以来です。とても懐かしく、楽しかったです」と話した。
生徒の1人にどこの球団のファンかを訪ねたところ、「巨人!だって強いから!」とまさかの解答をされた。「もっともっと強くならないといけないなあと思いました」と苦笑いだった。
京大出身右腕のロッテ・田中英が11日、自身初の教師体験をした。
日本サッカー協会「こころのプロジェクト」と日本プロ野球選手会が初コラボした「夢教室」の「夢先生」として埼玉県三郷市内の小学校を訪問。5年生の教室で34人の児童に「頑張って続ければできる。苦しくてもいつか報われるので夢を持ち続けて欲しい」と伝えた。
ロッテの益田が11日、現状維持の年俸8千万円で契約を更改した。中継ぎとして51試合で3勝2敗、防御率3.91。「50試合登板を4年間続けてきた。来年も50試合以上、いい場面で投げてタイトルも取りたい」と目標を掲げた。
31試合に登板して2勝2敗、防御率3.79だった藤岡は350万円増の年俸3850万円でサインした。(金額は推定)
子供達の笑顔を嬉しそうに眺めていた。12月9日、上野大樹投手はマリーンズアカデミーがレッスンを行っている稲毛海浜公園野球場の室内練習場にいた。この日、現役引退し、新たにマリーンズと、子供達に野球を教えるアカデミーコーチ契約を結んだ。契約を終えると早速、子供達がどのような授業を受けているのか見学をするため、足を運んでいた。
「子供達に野球を教えるのは楽しみ。やりがいを感じています。何よりも好きな野球に、そしてマリーンズにこれからも携われるのが嬉しいです」。
10月3日、上野はロッテ浦和球場で来季の戦力構想から外れていることを聞かされた。呼ばれた時点で覚悟はした。ただ、妻と1歳2ヶ月になる娘のことを思った。自宅に戻ってどのように接すればいいか悩んだ。自宅のドアを開けると、玄関に妻と娘の2人が元気よく駆け寄ってきた。「お疲れ様でした」。手作りの金メダルを首に、かけてくれた。そして手紙を渡された。2人で書いてくれた手紙。まだ、文字を書けない娘も何かを書いていた。棒線がいくつか伸びているだけの愛娘からのメッセージ。それでも小さな手でペンを持ち、自分を励まそうと書いてくれた。家族の思いが伝わってきた。「パパ、お疲れ様。これからも頑張ってね」と必死に書いてくれたのであろうと思うと、目頭が熱くなった。我慢していた思いがいっきにあふれ出た。
「あの時、嫁さんが前向きに、出迎えてくれて本当に感謝をしています。1番、不安で心配だったと思う。それでも笑顔で『つらい時は家族で支え合って頑張ろうね。つらい時も笑顔でいようね』という内容の手紙を書いてくれた。励ましてくれた。自分が頑張らないといけないと強く思いました。あれで前を向けた」。
11月10日、静岡で12球団合同トライアウトを受けた。ここではファンに励まされた。静岡草薙球場にはマリーンズのユニホームを身にまとったファンが応援に来てくれていた。「応援しています」と栄養ドリンクなどの差し入れを手渡された。
「こんなところまで、わざわざボクの応援に来てくれているファンの方々がいたことに驚かされました。そしてマリーンズに入団してボクは本当に幸せだったなあと感じました」。
テスト終了後、他球団から連絡がある期限とされるのは1週間。ひたすら待った。しかし残念ながら吉報は届かなかった。期限切れと同時に家族や恩師、知人などにも相談をし、プロ野球人生に幕を閉じる決意を固めた。その後、マリーンズから子供達を指導するアカデミーコーチ就任を打診された。
「悔いがないかといえば、ウソになる。だけど、やるべきことはやったと思う。これからはお世話になった球団のためにどんな形でもいいので、力になりたいと思いました」。
2008年ドラフトでマリーンズ入りし、プロ初のキャンプ中だった翌09年2月25日に父・欣也さんが53歳の若さで病死した。野球経験はなかったが兄・貴久さん(元巨人)と兄弟2人の練習にいつも付き添い、後押ししてくれた存在。プロ入りしたことを誰よりも喜んでくれていた。入団会見には病気の体を押して駆けつけ、ピンストライプのユニホームに身を包む息子の姿を嬉しそうにずっと眺めていた。プロで投げる姿を見せることはできなかったが、7年間で117試合に投げて11勝。「プロのマウンドに上がったら戦いだ。気持ちで負けるな」。常に言われていたその教えはいつも心の中にあった。だからマウンドでは気迫あふれる投球を続けた。そしてその燃える闘志はファンの心を魅了した。
「父はきっと『第2の人生、しっかりしろよ!』と喝を入れていると思います。これからはもう1度、野球と真摯に向き合いたい。一から野球を勉強して、子供達に野球の楽しさを伝えたいと思います。あと、これまでは練習に明け暮れていて、家族と一緒にいる時間が少なかった。娘をお風呂に入れてあげたいし、色々なところにも連れて行ってあげたい。そういう時間も大切にしてあげたいと考えています」。
色々な人の思いを背に投げた上野のプロ野球人生は幕を閉じた。そして、すぐに第2の人生が始まる。現役時代と同じように熱い思いで、野球の楽しさを子供達に伝える。誰よりも早く球場入りして誰よりも遅くまで練習をしてきた。マリーンズ屈指の努力家の上野なら、きっと素晴らしい指導者となるはずだ。
(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)