自動車教習所の教官を務めるロッテ・ドラフト6位の宮崎梅田学園・信楽晃史投手(23)が22日、最後の教習を終えた。
同学園日ノ出校で50分1コマを担当。終了後、生徒、職員、野球部の仲間から胴上げされた。「教官として携わった約2年間で教え続けた交通安全の大事さを、プロという世界にいっても伝えることが出来れば」と決意を口にした。
ロッテ清田育宏外野手(29)が手術していた。22日、新津田沼駅前でトークショーを行い、15日に都内の病院で右の鼻の奥にできたポリープを切除したことを明かした。
シーズン中から苦しんでいた原因を取り除き「口だけで息をして疲れていた。今は新鮮な感じ。無駄な体力を使っていた。違う状態になるので、楽しみです」と喜んだ。今季ブレークした打撃を、さらに伸ばす準備ができた。
ロッテのドラフト6位、宮崎梅田学園・信楽晃史投手(23)が22日、自動車教習所の教官として最後の教習を行った。
同学園の日ノ出校で50分の授業を1コマ行い、宮崎市内に住む高校3年生の男子に指導した。授業終了後、駆けつけた50人の生徒、職員、野球部の仲間達から5回、胴上げされ、花束と寄せ書きを渡された。
「教習が、いよいよ終わり、もうこの教習車に乗ることがないのかと寂しい思いもあります。今日は自分なりに精いっぱい教えることが出来たかと思います。S字走行、クランク走行、細い道を走る時は、『もっとゆっくり運転していいんですよ』とアドバイスをしました。内輪差、車体と車輪の動きの違いなどを中心に教えさせていただきました。坂道発進の部分も復習として今日はやらせていただきました。生徒さんはカメラが沢山いて緊張しているようだったので、『緊張するよね。僕も緊張している』と声をかけたりしながら、行いました」とコメント。
今後は、1月に始まる新人合同自主トレに備え、トレーニングに専念する。「1年目から1軍で投げて、この教習所の皆さんや生徒の皆さんに見てもらえる存在になりたいです。また、教官として携わった約2年間で教え続けた交通安全の大事さも、プロという世界にいっても伝えることが出来ればと考えています」と決意を口にした。
ロッテ清田育宏外野手(29)と藤岡貴裕投手(26)が22日、新京成電鉄の新津田沼駅前広場でトークショーを行った。
東洋大出身の2人は、トークの息がピッタリだった。藤岡が3球団から1位指名を受けた11年ドラフトの話題に。
清田が後輩の藤岡をいじり倒した。さらに、「ぶっちゃけ、3球団でどこに行きたかったの?」とストレートに質問。藤岡は「ここだけの話ですよ!」と前置きして、続けた。
集まったファンの笑いと拍手を誘っていた。
ロッテのドラフト6位・信楽晃史投手(23)=宮崎梅田学園=が22日、勤務する宮崎市の自動車教習所で、教官としての最終業務を終えた。“安全運転のプロ”は、入寮の際に愛車プリウスを持ち込まないことを宣言。即戦力候補の右腕はしばらく運転を封印し、野球に集中する。
最後の技能教習業務を終えた信楽は、教官としての2年間を振り返り、教習所に別れを告げた。
「寂しいですね。S字走行、クランク走行、内輪差、坂道発進、今日は精一杯教えることができたと思います」。
来年1月9日に、さいたま市のマリーンズ寮に入寮する。愛車プリウスは宮崎市内で酒店を営む実家に残して上京。プロでは車の運転を封印し、野球に専念する。
仕事でもプライベートでも、飲酒運転撲滅を掲げ、安全運転を徹底してきた。同じ寮生となるドラフト1位・平沢(仙台育英高)は現在、運転免許を取得中。アドバイスを求められれば、指南するつもりだ。
「1軍で投げて、教習所の関係者と生徒に見てもらえる存在になりたい。活躍することで、交通安全の大事さも伝えることができる」。
公道では法定速度を守る即戦力右腕の最速は、147キロ。武器のツーシームに加え、マウンド度胸にも定評があり、来春の沖縄・石垣島キャンプでの1軍スタートが内定している。1月11日にスタートする新人合同自主トレ(ロッテ浦和)に向けて「首脳陣にしっかりとアピールできるように準備したい」と目を輝かせた。
最後の教習生は、日章学園高3年の吉永勝利(かつとし)さん(18)だった。信楽は約20人の報道陣を前に「吉永さんが緊張しているようだったので『僕も緊張している』と声をかけた」と車内の様子を明かし、「勝利と書く名前は縁起がいいですね。早く初勝利を挙げたいです」と笑った。吉永さんは「(信楽を)テレビのニュースで見たけど、まさかこの教習所にいるとは思わなかった」と仰天していた。
ロッテが22日、新人9選手の血液型を発表した。
ドラフト1位・平沢大河内野手(17)=仙台育英高=A、同2位・関谷亮太投手(24)=JR東日本=A、同3位・成田翔投手(17)=秋田商高=B、同4位・東條大樹投手(24)=JR東日本=O、同5位・原嵩投手(18)=専大松戸高=B、同6位・信楽晃史投手(23)=宮崎梅田学園=A、同7位・高野圭佑投手(23)=JR西日本=A、育成ドラフト1位・大木貴将内野手(24)=四国IL香川=B、同2位・柿沼友哉捕手(22)=A。血液型は12月2日に千葉市内の病院で身体検査の結果、判明した。
A型だったD1位・平沢は「今まで血液型を調べたことがなかったので、分かってよかったです。自分は性格的にO型かなとは思っていましたが、違いました。同期入団の皆様でA型が多いので、嬉しいです」とコメントした。
ロッテのドラフト6位・信楽晃史投手(23)=宮崎梅田学園=が22日、自身が務める宮崎市の自動車教習所(同学園日ノ出校)で、教官としての業務を終えた。
異色の右腕は「教習が、いよいよ終わり、もうこの教習車に乗ることがないのかと寂しい思いもあります。今日は自分なりに精一杯教えることができたかと思います。S字走行、クランク走行、細い道を走るときは、『もっとゆっくり運転していいんですよ』とアドバイスをしました。内輪差、車体と車輪の動きの違いなどを中心に教えさせていただきました。坂道発進の部分も復習として今日はやらせていただきました。生徒さんはカメラがたくさんいて緊張しているようだったので、『緊張するよね。僕も緊張している』と声をかけたりしながら、行いました」と話した。
新人合同自主トレが来季1月11日からスタート。「明日からは練習に専念にして、首脳陣にしっかりとアピールできるように頑張りたいです。1年目から1軍で投げて、この教習所の皆さんや生徒の皆さんに見てもらえる存在になりたいです。また、教官として携わった約2年間で教え続けた交通安全の大事さもプロの世界にいっても伝えることができればと考えています」と力を込めた。
プロ野球12球団の来季布陣が固まった。新監督がいれば、新コーチもいる。さらに球団を移り、新たに指導へあたる方も少なくない。
そんな中、来季でコーチ業通算36年目を迎えるロッテ・小谷正勝2軍投手コーチ(70)を訪ねた。ユニホーム組では球界最年長。幾多の好投手を育てた「名伯楽」として知られる。
小谷さんは1979年に大洋(現DeNA)の投手コーチに就いて以降、ブランクがあったのは巨人からロッテに移る間の2012年だけ。それ以外はユニホームを着続けている。まさに「継続は力」の典型だ。
指導法は選手との対話から始まる。「あんた、どういう選手になりたいの?」。決して、ああしろ、こうしろとはいわない。そして、むやみやたらといじらない。教えられる側が1番いい状態を、全て頭にインプットしている。
「いつから、そんな投げ方になったんや。左肩が3センチ開いとるぞ」。
つまり、現在進行形で指導している選手の“型”を、小谷さんはそれぞれの引き出しにしまっている。選手が1番分かりやすい言葉で話すから、教えられる側も納得するのだ。
その小谷さんが最も影響を受けた人物は大洋、ヤクルト時代に1軍投手コーチとして仕えた関根潤三さん(当時監督)だという。
「いいかい、オマエさん。コーチっていうのは『話せる鏡』にならなきゃ駄目なんだ。忘れちゃいけないよ」。
小谷さんにとっては目からウロコだった。
「まさに“金言”やな。ワシの長いコーチ生活は、関根さんから教わったこの言葉に支えられとるようなもんや」。
深い。マリアナ海溝よりも深い。小谷さんがわずかな狂いを数センチ単位で見逃さないのは『話せる鏡』になっているからに他ならない。
「球界に昔からこんな格言があるのを知っとるか。『利口はやらない バカじゃできない コーチ業』ってな。選手の人生がかかっとるんや。無責任なことはできん」。
古希を迎えてもなお、他を圧倒する小谷さんの存在感。いつまでもユニホームを着続けていただきたい1人だ。
ロッテの清田が藤岡と千葉県習志野市内でトークショーを行い、今月15日に都内の病院で右の鼻のポリープ除去手術を受けたことを明かした。
プレー中も口呼吸のため疲労が大きく睡眠も十分に取れなかったというが、「呼吸が楽になって疲れ方が違う」。17日に退院し自主トレも開始しており「クルーズと今江さんが抜けても強いところを見せたい」と闘志を燃やした。
ロッテの清田と藤岡が22日、千葉県習志野市の新津田沼駅でトークショーを行った。
ともに東洋大OBの2人は下級生の毎日の洗濯など「東洋大あるある」を披露。先輩・清田は後輩の藤岡がドラフト1位で入団した当時を振り返り「スーパースターですからね。その年のNO.1投手でしたからね。…もっと活躍してくれると思った」と、爆笑を誘った。プロ4年間で通算20勝29敗の藤岡は「すいません」と苦笑するしかなかった。
ロッテのドラフト6位・信楽(宮崎梅田学園)22日、勤務する宮崎市内の自動車教習所、宮崎梅田学園日ノ出校で最後の教習を行った。
50分間の講義を行った後、男子高校生にS字走行、クランク走行などを指導。最後の教習を終えると、野球部のメンバー、職員、生徒の手で5度胴上げされ、寄せ書きや花束を贈られた。
異色の最速147キロ右腕は「教習がいよいよ終わり、もうこの教習車に乗る事がないのかと寂しい思いもあります。自分なりに精一杯教えることが出来たかと思います」と感慨に浸った。
来年1月には新人合同自主トレでプロの第一歩を踏み出す。「明日からは練習に専念にして、新人合同自主トレから首脳陣にしっかりとアピールできるように頑張りたいです。1年目から1軍で投げて、この教習所の皆さんや生徒の皆さんに見てもらえる存在になりたいです」と話した。
ロッテの清田育宏外野手(29)が22日、鼻の手術を受けたことを明かした。15日に右鼻のポリープを除去し、17日に退院。「今年は1年中、鼻がつまってて無駄な体力を使っていました。いい状態で入れる来年が楽しみです」と鼻息を荒くした。
今季は打率3割1分7厘、15本塁打、67打点で初のベストナインを獲得。6年目で花を咲かせたが、鼻は絶不調だった。「口呼吸で疲れやすかったし、起きると毎日のどが痛かった」と苦労を告白。「今は鼻で息ができる。新鮮な感覚です」と“進化”の予感を漂わせた。
今オフ、ロッテからは今江が楽天へ、クルーズが巨人へ移籍した。戦力ダウンの可能性には「2人が抜けて弱くなったと言われたくない」と小鼻を膨らませ、「ソフトバンクの投手陣を打って勝ちたい」と鼻っ柱の強さをのぞかせた。
この日は千葉・津田沼で藤岡とトークショーに参加。「手術前とは全然違います。新たな気持ちで臨めるし、ワクワクしています」。口呼吸への依存から脱却した来季は、今季以上の輝きをハナちそうだ。
自動車教習所の教官からプロ野球選手に転身するロッテのドラフト6位・信楽晃史投手(23)=宮崎梅田学園=が22日、宮崎市内で教官として最後の授業を行った。授業後には駆けつけた生徒、職員、野球部員50人に胴上げされた。
教官を“卒業”した信楽は「教習が、いよいよ終わり、もうこの教習車に乗る事がないのかと寂しい思いもあります。今日は自分なりに精一杯教える事ができたかと思います。S字走行、クランク走行、細い道を走る時は、『もっとゆっくり運転していいんですよ』とアドバイスをしました」とコメント。「明日からは練習に専念にして、新人合同自主トレから首脳陣にしっかりとアピールできるように頑張りたいです」と決意を口にした。
ロッテの清田育宏外野手(29)と藤岡貴裕投手(26)が、千葉・津田沼でトークショーを行った。東洋大の先輩後輩に当たる2人は、絶妙なかけ合いを披露した。
まずは先輩の清田が11年ドラフトで3球団が競合した左腕にジャブをお見舞いした。「3球団競合ですよ〜。もっと活躍すると思った」と切り出すと、藤岡は「す、すいません…」と消え入りそうな声で返すのがやっと。続けて「本当はどこのチームに行きたかったの? ここだけの話だから言って」と追い込むと、藤岡はしばしの沈黙の後、「マ、マ、マリーンズです」。観客席に拍手と笑いが交錯した。
藤岡は東洋大2年の時に野球を辞めようと思った過去などを赤裸々に告白。「当時、コーチに『4年間やっていればいい事もある。辞めても何も残らない』と説得されて続けました」と明かし、「来年しっかり活躍できるよう準備したい」と気持ちを新たにしていた。
自動車教習所の指導員でロッテ・ドラフト6位右腕の信楽晃史投手(23)=宮崎梅田学園=が22日、最後の授業を終えた。
野球部の練習後、高3男子を実技指導。終了後、生徒や関係者から胴上げされた信楽は、「1年目から1軍で投げ、教習所の皆さんや生徒の皆さんに見てもらいたい。交通安全の大事さも伝えていきたい」と話していた。
ロッテが22日、新人9選手の血液型を発表した。
ドラフト1位・平沢大河内野手、2位・関谷亮太投手、6位・信楽晃史投手、7位・高野圭佑投手、育成ドラフト2位・柿沼友哉捕手と5選手が「A型」だった。3位・成田翔投手、5位・原嵩投手、育成ドラフト1位・大木貴将内野手が「B型」で、4位・東條大樹投手が「O型」。
平沢は、「今まで血液型を調べたことがなかったので、分かってよかった自分は性格的にO型かなあと思っていましたが、違いました。同期入団がA型が多いので、嬉しいです」と話していた。
年の瀬の朝。指揮官は東京の雑踏に紛れていた。いつもの喫茶店に入った。アイスコーヒーを注文すると、資料を読みふけった。伊東勤監督の2016年はすでに動いている。春季キャンプの日程、練習方法、ミーティングの段取り。そしてオープン戦の移動方法、日程などを次から次と決め、マネジャーに指示を出した。一息つくと、しみじみと話し出した。
「1年は早いな。つい、最近、ここで同じように来年の打ち合わせをしたような気がする。あっという間だなあ」。
1年前もここで様々なことを決めた。チームスローガンを考えた。色々な思いを込めて「翔破〜熱く!勇ましく!!泥臭く!!!〜」とした。渡り鳥などが遠い目的地まで様々な試練を乗り越えながらも、たどり着くという意味で就任した13年より採用している「翔破」。これにシンプルなサブタイトルを加えた。選手達に熱い気持ちで戦ってほしい。窮地でも諦めない勇ましさ。どんな形でもいい。1点を奪い、守り抜く泥臭さ。言葉に気持ちを込めた。キャンプから選手達に厳しさを求め、時には非情の鬼となり、チームを叱咤した。Aクラスの3位に滑り込んだ。クライマックスシリーズでは札幌でファイターズを撃破し、ファイナルステージまで進んだ。最後はホークスに敗れた。「惜しかったですね」。声を掛けられることが多かった。その度に指揮官は笑顔で応対しながらも、心の中にいるもう1人の自分に問いかけた。
「惜しかったでは駄目だ。来年は周りから『惜しかった』と言われないようにしないといけない。もっと強く、熱い気持ちで、Aクラスでなく優勝を目指す。この結果にオレは全く満足をしていない」。
強いチーム、優勝を目指すには団結力が必要だ。気持ちを1つにする。それはチームだけではなく、裏方やフロントにも望んだ。15年3月31日、本拠地開幕戦の試合前セレモニー。いつも通り、グラウンドに監督、コーチ、選手が呼び込まれて登場した。その後だ。フロント勢もフィールドに登場し、ファンに挨拶をした。異例のことだった。「1つになりましょう」。指揮官の提案だった。
嬉しいことがあった。ドラフト会議後に偶然、目にしたあるテレビ局のスポーツニュース。そこでマリーンズのドラフト会議の舞台裏が紹介されていた。ドラフト1位で指名した平沢大河内野手(仙台育英高校)をイーグルスと競合。伊東監督がクジを引く瞬間。カメラはスカウトたちの姿を映した。両手を合わせて祈る若いスカウトが映った。獲得が決まった瞬間。今度はスカウト陣が待機するホテルの控室が映し出された。両手をあげて喜ぶ姿。ガッツポーズをする者。抱擁するスカウト達を目にした。まさに、それこそが指揮官のマリーンズに求めている姿だった。熱い気持ちで1つになりたい。あの瞬間、みんなで喜びを分かち合えていたことを再確認し、また嬉しさがこみ上げてきた。大切にしたい気持ちだった。
「いい番組だったな。あの映像を見て嬉しくなったよ。あれがマリーンズにオレの求めている姿。みんなが心から喜んでいる姿に、ジーンときた。来年は色々な場面でそうありたいなあ。グラウンドの中でも外でもね。1つになりたい」。
熱く闘った2015年は間もなく終わる。ただ、熱き心はこんなものではないと思っている。「惜しかった」ではなく、「よくやった。ありがとう」と言ってもらえるような結果を出すには、まだまだ全身全霊を野球に込める必要があるはずだ。妥協や、容赦の入り込む余地すらない姿勢。ゴールにたどり着いた時に、倒れ込むような極限の日々を選手達には求めるつもりだ。そしてその思いをファン、スタッフとも共有して挑む。そんな熱き覚悟は、どんなにぶ厚く強靭な壁をも突破できると信じる。
喫茶店を出た。次にこの店に入る時は、もう16年シーズンが終わっている。「必ず結果を出す」。オフに入って、温厚さを取り戻していた男の目が一瞬、勝負師に戻った。「今年は色々とありがとう。また来年な」。コートを羽織ることもなく、落ち葉が飛び交う都会の雑踏の中に消えていった。しばし休息を挟み、いよいよ伊東マリーンズの4年目が動き出す。
(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)