千葉ロッテは14日、石垣島で台湾プロ野球のラミゴと交流戦を行い、キャンプ第3クールを締めた。ドラフト1位新人の平沢(宮城・仙台育英高)が6回に中越えの適時三塁打を放ち、対外試合初安打をマーク。「4番・指名打者」で先発した井上が本塁打を含む3安打の活躍を見せた。試合は投手陣が精彩を欠き、6−7で敗れた。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
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千葉ロッテ | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 6 |
ラミゴ | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 2 | 1 | x | 7 |
千葉ロッテの井上が4番に座り、7回に逆方向の右翼席に本塁打を放つなど3安打。今キャンプは2軍スタートで12日から1軍に合流しており、アピールに成功。「結果を見れば満足している」と喜んだ。
新人だった2年前のキャンプで注目を浴びたが、過去2年は活躍できていない。今回のキャンプでは大村2軍打撃コーチに飛ばすのではなく強い打球を打つ意識を助言され、体に染みこませている。「ミスショットしないように、でも積極的な打撃をこれからも心掛けていきたい」。
「ほっとしたが1番」。注目の千葉ロッテドラフト1位新人・平沢のバットから対外試合初安打が生まれた。
2日連続でラミゴ戦に「8番・遊撃」で先発。待望の瞬間は、1死一塁で迎えた6回の第3打席だった。3ボールとなったが、ベンチからは「打て」のサイン。「真っ直ぐだけ張っていた」と、4球目の外角球を思い切り振り抜く。「バットの先」だったというが、ライナー性の打球は中堅手の頭上を抜いて適時三塁打となった。
前日は無死満塁の絶好機で投ゴロに倒れるなど3打数無安打。試合後、伊東監督はこう言った。「打撃は慣れもある。高校生とはボールの強さや速さ、変化球の精度が違う」。
プロのユニホームを着て、半月。今は飛び込んだ世界を肌で感じて、対応していく段階。背番号13からは、どんどんバットを振っていく姿勢が目立つ。「まずは強く振ること。その中でボールに当てる技術を付けないといけない」と、やるべきことを自覚する。
結果を残せたことに加えて、安堵感にはもう1つの理由も。5回の守備で「焦ったというか、腰が浮いてしまった」と後逸し、失点のきっかけをつくった。「取り返すと打席に入った」。しっかりものにし、監督は「エラーした後のチャンスをつかむか、つかまないか。持っているかもしれない」と評価した。
打順 | 守備 | 名前 | 打 | 安 | 点 |
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1 | 中 | 岡田 | 3 | 2 | 1 |
打一 | 大嶺翔 | 2 | 0 | 0 | |
2 | 右 | 伊志嶺 | 5 | 0 | 0 |
3 | 一 | 高濱 | 2 | 1 | 0 |
中 | 加藤 | 2 | 0 | 0 | |
4 | 指 | 井上 | 5 | 3 | 1 |
5 | 左 | 細谷 | 4 | 1 | 0 |
6 | 二 | 中村 | 3 | 1 | 2 |
7 | 三 | 三木 | 2 | 2 | 0 |
8 | 遊 | 平沢 | 4 | 1 | 1 |
捕 | 田村 | 0 | 0 | 0 | |
9 | 捕 | 江村 | 2 | 1 | 1 |
打遊 | 鈴木 | 1 | 0 | 0 | |
計 | 35 | 12 | 6 |
名前 | 回 | 安 | 本 | 振 | 四 | 失 | 責 |
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川満 | 4 | 5 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1 |
チェン | 0 1/3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
信樂 | 0 2/3 | 2 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 |
宮崎 | 1 | 1 | 0 | 2 | 1 | 1 | 1 |
阿部 | 1 | 2 | 0 | 1 | 1 | 2 | 2 |
南 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
カウント3−0でも、ロッテのドラフト1位平沢大河内野手(18=仙台育英)は積極性を失わなかった。3−3と同点の6回1死一塁。台湾・ラミゴの右投手の4球目、外の真っ直ぐ137キロを振り抜いた。中越えへ運び、滑り込むことなく三塁へ。初安打&初打点を、一時勝ち越し打で記録した。
直前5回の守り。1死走者なしでゴロをトンネルした。そこから2失点で同点を招いた。「何とか取り返そうと。強く振ることだけ考えました」。前日の3打席は全て走者を置いて凡退。試合前、伊東監督から「自分のスイングをするように」と言われた。「先輩方が良いところで回してくれた。感謝して打ちました」。この日の4打席も全て走者がいた。打線の中で仕事ができた。
まだ2試合だが、プロの水に慣れつつある。3回の第2打席。2球で追い込まれ、3球目の内角直球をしっかり振った。一塁方向へのファウルとなったが「昨日の反省は生かせました」。前日の7回無死満塁では、カウント0−2から内角直球にドン詰まりの投ゴロ。「変化球で来ると思った」と、高校までと違う攻めだった。似た状況で自分のスイングが出来た。もっとも、4球目で外の変化球に空振り三振。「技術があれば当てられました」。次のハードルを見つけた。
この日は、ライバルと認める楽天オコエも初安打を記録。「同じ時期に出て、嬉しい。お互い頑張れれば」と喜んだ。1歩ずつ進んでいる。そう思わせる、2日間だった。
ロッテ先発の川満寛弥投手(24)は、4回5安打1失点だった。
最少失点には抑えたが、2回以外は毎回走者を許す苦しい内容だった。2四球1死球も出した。
「ストライクとボールがはっきりしていた。外すべきところで甘く入った」と反省していた。
ロッテのドラフト1位、平沢大河内野手(18=仙台育英)が対外試合初安打&初打点となる適時三塁打を放った。
3−3の6回1死一塁で、中越えに放ち、一時勝ち越した。直前5回には、遊ゴロをトンネルしていた。そこから2失点。自らの失策が同点を招いただけに、「何とか取り返そうと。ヒットが出て良かったです。ホッとしました」。
対外試合2試合を終え、7打数1安打1打点。守備では、1失策。「もっともっとアピールしないといけない。まだ1軍レベルじゃない。(相手も)これからもっとレベルが高くなる」と、気を引き締めていた。
ロッテ井上晴哉内野手(26)が3安打1打点と気を吐いた。
4番指名打者でフル出場。中前打、左前打と続け、7回1死では右中間にソロ本塁打を放った。
今年のチーム初本塁打となり、「結果には満足しています。(4番には)気負うことなく、今ある力を全て出そうと思い切っていきました」と話した。
伊東勤監督(53)も「良かったよ」と満足そう。「4番でいいのでは?」と聞かれると、「まだ早いですよ」と言いながら、嬉しそうだった。
ロッテ大谷智久投手(31)が14日、キャンプ地の沖縄・石垣島で31歳の誕生日を迎えた。
午前の練習を終えると、報道陣からチョコレートケーキをプレゼントされた。「まさか祝ってもらえるとは。リーグ優勝、日本一になって、記者の皆さんと喜びを分かち合いたい」と感謝した。
ロウソクの火を吹き消すと、内、藤岡ら他の投手達から「顔ケーキ!顔ケーキ!」のコールが起きた。すると、大谷はフォークでケーキを取り、口に持っていくと見せかけ、自ら額にぶつけた。期待に応え、爆笑を誘っていた。
D1位・平沢(仙台育英高)は背番号と同じ「13」個のチョコレートをゲット。12個で宿舎に引き揚げようとしたところ、最後の1人から受け取った。「今までの最高は1個とか2個とか…。もらえない年もありましたし、1番思い出になるバレンタインデーになりました」。ちなみに人気で平沢を猛追しているD3位・成田(秋田商高)は7個だった。
ロッテの3年目、“アジャ”こと井上晴哉内野手(26)が14日、沖縄・石垣島キャンプで行われた台湾ラミゴ戦に『4番・DH』で出場。本塁打を含む3安打の猛打ショーで存分に存在感をアピールした。
2016年の“チーム1号”は井上のバットから飛び出した。7回1死、外角への132キロの真っ直ぐを強振。右中間席に弾丸ライナーで突き刺した。「今はとにかく強く振ることを意識しています。強く振れば遠くに飛び、ゴロでも内野の間を抜ける。取り組みはそれだけです」としてやったりの表情を浮かべた。
前日13日に1軍昇格。駄目なら即Uターンの崖っぷちの中、第1、2打席で連続安打を放ち、得点につなげた。体重111キロの巨体を揺すり生還。計3得点をマークした。
昨オフのメンテナンス。心配していた腰と右膝には「何の問題もない」と医師からお墨付きをもらったが、右肩に異常がみつかったという。「自分は押し込む打撃。その影響だと思います」。痛み止めを常備しながら練習を続けるが、そんな不安を一掃する豪打を披露。伊東監督も「今年は期待していい」とアジャの復活を喜んだ。
D1位・平沢(仙台育英高)がラミゴ戦の6回1死一塁から中越え三塁打。1度は勝ち越しとなる“プロ初安打&初打点”をマークした。カウント3−0から「打て!!」のサインに反応し、「正直、1本出てホッとしました」。しかし、直前の遊撃守備で打球をトンネルし、ミスを取り返す一打にも「腰が浮きました。1軍レベルじゃないです」と反省を忘れなかった。
ドラフト6位新人の信楽(宮崎梅田学園)が、台湾プロ野球のラミゴとの交流戦で5回1死無走者から3番手で登板した。2/3回を2安打2失点(自責0)の結果に「2アウトが簡単に取れなかったのは力不足」と反省した。
失点は最初の打者の遊ゴロを、ドラフト1位の平沢(宮城・仙台育英高)が後逸したことがきっかけだったが「トンネルしたとしても抑えるべきだった」と自らを責めた。得意のツーシームも決め球にはならず「30パーセントの出来。空振りを取れるまで持っていかないと」と課題を口にした。
バレンタインデーの14日、伊東勤監督(53)に女性記者の“有志連合”からチョコ仕様のバレンタインケーキが贈られた。毎年恒例の“お約束”とはいえ、このときばかりは指揮官もニンマリ。「いつもありがたいことです。美味しくいただきますよ」と巨大ハートマーク入りの特製ケーキに笑顔、また笑顔でした。
中継ぎ一刀流、大谷智久投手が31歳の誕生日を迎えた。関係者から用意されたチョコケーキに「いつもは寂しい誕生日なんですけど、こんなに祝ってもらい嬉しい。今年こそ優勝、日本一を達成して、皆さんと喜びを分かち合いたいですね」と勢いよくろうそくの火を吹き消した。また、実食ではスプーン山盛りのケーキを“顔面食い”する一発芸を披露。マウンドと同様、ベテランらしい味をみせていた。
12日に1軍昇格した「アジャ」ことロッテ・井上が「4番・DH」でフル出場。右越えソロを含む3安打1打点3得点と大暴れした。
「強い打球を意識した結果」と満足そうな笑みを浮かべた。14年には球団で64年ぶりに新人で開幕4番を務めた大砲も、昨季はケガでわずか5試合の出場。伊東監督は「かなり状態もいいし今年は期待できる」と評価した。
3ボール0ストライクからの4球目。ロッテのドラフト1位・平沢(仙台育英)は外角高めの直球を迷わず振った。3−3の6回1死一塁の場面。鋭いライナーが中堅手の頭上を越えると、球場は大きな拍手に包まれた。一時勝ち越しとなる適時三塁打。「サインが“打て”だったので、いい球が来たら打とうと思った」と振り返った。
「ホッとしたのが1番」。その理由は直前の守備で手痛いミスを犯していたからだ。2点リードの5回1死で遊ゴロをトンネル。「腰が浮いてしまった」という失策が2失点につながり、同点に追いつかれた。「何とか取り返そうと思った。チャンスで回してくれた先輩に感謝しながらの打席だった」。対外試合6打席目の「プロ初安打」。まさに平沢劇場だった。
凡退した打席もフルスイングを貫いた。それは平沢の原点。七ケ浜リトルシニアでプレーした中学時代から1日500回の素振りを続けた。ネット中継で観戦した母・恵さん(45)は「高校時代も家では素振りか、野球ノートを書いているか、野球を見ているか。単なる野球小僧がここまでになったのは信じられない」と笑う。試合前に伊東監督から「自分のスイングをしてくれ」と声を掛けられた18歳は「強く振ることだけを意識した」と、3ボールから思い切り振り抜いた。
同じ高卒野手ドラフト1位の楽天・オコエも対外試合で初安打を放った。「意識していない訳じゃない。お互い頑張れれば」と、ライバルの存在を励みにしている。「人生で1番もらった」と12個のチョコを贈られたが、球場を去ろうとする時に出待ちしていた女性ファンから13個目を渡された。「背番号と同じ数になりました」とニッコリ。忘れられないバレンタインデーになった。
自動車教習所の教官出身のロッテドラフト6位・信楽(しがらき=宮崎梅田学園)が5回1死から3番手で登板した。
対外試合デビュー戦で、先頭打者を失策で出すと暴投と2安打を許して2失点(自責0)。「教習で言うと仮免不合格。力不足だった」と肩を落とした。ツーシームが武器の24歳は「ツーシームを空振りが取れるところまで持っていきたい」と話した。
ロッテの大谷が14日、31歳の誕生日を迎え、石垣島キャンプで報道陣からケーキを贈られた。
バレンタインデーとあり、プレゼントされたのはチョコレートケーキ。食べようとすると周囲から「顔を突っ込め」と無茶振りされ、ケーキを顔につけるお約束で笑わせた。「責任持って全部食べるんで大丈夫です」と顔の汗とチョコレートをぬぐっていた。
ロッテの3年目・井上が14日の台湾プロ野球ラミゴとの交流戦に「4番・指名打者」で先発し、実戦では今季チーム初となる本塁打を含む3安打とアピールした。7回、2ボールから外寄りの速球を右翼席へ運び「ミスショットの恐れもあったけど、思い切っていった」と納得顔だった。
キャンプは2軍スタートだった。大村2軍打撃コーチから遠くへ飛ばすのではなく、強い打球を意識することを教えられた。12日に合流した1軍で早速、成果を見せ「引き続き頑張りたい」と声のトーンも上がった。
ロッテのドラフト1位・平沢大河内野手(18=仙台育英)が対外試合で“プロ初安打”を放った。
台湾プロ野球・ラミゴ戦に、「8番・遊撃」で連日のスタメン出場した平沢は、6回、1死一塁でカウント3ボールから果敢に打ちにいくと、強烈な打球が中堅手の頭上を越えた。勝ち越しのタイムリー三塁打。見事に結果を出したルーキーに、スタンドからは大きな拍手が降り注いだ。
5回の守備では遊ゴロをトンネル。この失策をきっかけに同点に追いつかれていただけに、まさに汚名返上の快打だった。
ロッテのドラフト1位・平沢大河内野手(18)=仙台育英=が14日、台湾プロ野球・ラミゴとの交流試合(石垣)に2試合連続スタメン出場。6回1死一塁から、中越えに一時は勝ち越しの三塁打で“プロ初安打”をマークした。直前の5回に犯した失策を帳消しにする殊勲打で、ロッテの「持ってる男」を襲名した。
千両役者に巡ってきたチャンスは6回。カウント3−0でもサインは「打て」だった。「張っていた直球が来たので、コースは関係ない。ホッとしました。エラーを何とか取り返せて良かったです」。137キロの高めをフルスイング。ボールは中堅の頭を越え、一塁から三木が生還。自身は悠々と三塁に到達した。
まさかのミスに雪辱した。直前の5回1死、ゴロをトンネル。完全に股の間を抜いてしまった。「腰が浮いていた。技術がないだけ」。そこから同点にされており、どうしても挽回したかった。伊東監督は「エラー直後の打席でチャンスをつかめるかどうかは大事。そういうところは持っているね」と、18歳の巡り合わせに感心するしかない。
U−18侍ジャパンのチームメートだった楽天のオコエと、高校ルーキーの知名度を二分する平沢。同じパワーストーンのネックレスをするライバルも、この日初安打を放った。「同じ日に出たということで、これからもお互いに頑張っていければ」。刺激を受け、与えながら、平沢も成長を続けている。
ロッテのドラフト1位・平沢大河内野手(18)=仙台育英=が14日、台湾プロ野球・ラミゴとの交流試合(石垣)に「8番・遊撃」で2試合連続スタメン出場。6回1死一塁から、中越えに一時は勝ち越しの三塁打を放ち、対外試合でのプロ入り初安打をマークした。
直前の5回にはゴロをトンネルするミスを犯していた平沢。「エラーして失点につながっていたので、何とか取り返そうと思った。試合前に(伊東)監督から、自分のスイングをしてくれと言われ、強く振ることを意識していました」と、前日から6打席目での結果に笑顔だった。
ロッテの売り子アイドルグループ「マリーンズカンパイガールズ」が14日、チェン・グァンユウ投手(25)にバレンタインチョコをプレゼントした。
チェンは地元・台湾プロ野球のラミゴ戦(石垣)の5回にマウンドに上がり、1/3回を無安打無失点。登板後に嬉しいプレゼントを受け取った。「嬉しいです!とても大切にします! カンパイガールズのファンでした。疲れている?チェンチェン、大丈夫よ!」と疲れも吹っ飛んだのか、舌もなめらかだった。
ロッテ・大谷智久投手が14日、石垣島キャンプで31歳の誕生日を迎え、報道陣から祝福を受けた。
バレンタインデーともあって、チョコレートケーキをプレゼントされた大谷。背番号14をかたどったろうそくの火を一気に吹き消した。「せっかく祝って頂いたので、リーグ優勝と日本一を皆さんと分かち合えるようにしたいです」と、さすがベテランは真面目なコメントだ。
しかし、ほかの投手陣から囲まれ出すと、空気を察知。“お約束”でケーキを口ではなく顔面に運び、周囲の爆笑を誘っていた。
ロッテのドラフト1位・平沢大河内野手(18)=仙台育英=が、台湾・ラミゴとの練習試合で、プロ初安打を適時三塁打で飾った。「8番・遊撃」で2試合連続スタメン出場し、初エラーも記録したが、見事に“雪辱”を果たした。
期待の星が輝いた。やはり違う。5回、ド派手なトンネルで失点を呼んだ平沢が、すぐに汚名を返上した。同点の6回、1死一塁。3−0からフルスイングした打球は快音を残して中堅手の頭上を越えた。快足を飛ばして三塁を奪い、パチンと両手を合わせた。
「その前にエラーをしたので取り返そうと思った。ホッとしたのが1番です」。
対外試合通算6打席目での初ヒットは、一時は勝ち越しとなる初打点つきの長打。伊東監督は「積極的にドンドン打っていけば結果は出る。エラーの後にチャンスが来る。持っているかもしれない」と、臆せずに打って出た姿勢に目を細めた。
「エラーは実力のなさです」と素直に受け入れる姿こそ、平沢の持つ“星”なのかもしれない。
プロ野球・ロッテのドラフト1位新人の平沢(宮城・仙台育英高)は14日も2日連続で台湾プロ野球のラミゴ戦に「8番・遊撃」で先発した。6回の第3打席で初安打となる適時三塁打を放ち「正直ほっとした」と笑みを浮かべた。
3ボールから「打て」のサインが出ていた。「真っ直ぐだけ張っていた」と思い切りよく外寄りの速球に踏み込み、中堅手の頭上を抜いた。反省点は5回の守備で失点につながる失策を犯したこと。「焦ったというか、腰が浮いてしまった。もっと練習したい」と頭をかいた。
15日は練習休み。プロ野球・ロッテ3年目の井上が14日の台湾プロ野球ラミゴとの交流戦に「4番・指名打者」で先発し、実戦では今季チーム初となる本塁打を含む3安打とアピールした。7回、2ボールから外寄りの速球を右翼席へ運び「ミスショットの恐れもあったけど、思い切っていった」と納得顔だった。
キャンプは2軍スタートだった。大村2軍打撃コーチから遠くへ飛ばすのではなく、強い打球を意識することを教えられた。12日に合流した1軍で早速、成果を見せ「引き続き頑張りたい」と声のトーンも上がった。
ロッテの大谷智久投手が石垣島キャンプ中の14日、31歳の誕生日を迎えた。
報道陣からお祝いのチョコレートケーキをプレゼントされた大谷は、「こうやって祝ってもらったのでリーグ優勝、日本一を皆さんと祝いたい」と笑顔を浮かべながらパクつき、「メチャクチャ美味しい」とご機嫌だった。
涙が止まらなかった。
突然、我慢をしていた感情が噴き出しかのように涙が溢れ出した。
原 嵩投手が高校2年生だった時の7月3日。母を病気で亡くした。癌だった。家族から状況が悪化している事を知らされたのはわずか1週間前の事。あまりにも急な別れ。ショックのあまり、頭が真っ白になった。
野球に集中できない日々が続く。時間だけは過ぎていった。気持ちは引きずったまま時だけが流れた。
12月になったある日。通学途中の電車で、9歳上の姉の通勤と一緒になった。2人で電車に揺られていると、ふと母の笑っている顔が頭に浮かび、自然と涙がこぼれた。電車の中、人目はばからず泣いた。その時に姉が励ましてくれた言葉が、気持ちを入れ替える大きなキッカケとなった。
「辛いのはわかるけど、1番、辛いのはお母さんだよ。アナタがいつまでも下を向いてばっかりいると、お母さんが悲しむよ。私達は、これからなんとか前を向いてしっかりと生きないといけない」。
電車の中で何度も優しく声を掛けてくれた。背中をさすってくれた。
野球を始めるキッカケとなった5歳年上の兄も同じ想いだった。「今は野球で結果を出して喜ばせてあげるべきだと思うよ。いつまでも、ふさぎ込んでいたところでお母さんは喜ばない」―ハッとさせられた。そして3人でいつも話をしていた約束を思い出した。兄が小学校3年生の時に野球を始め、母に連れられて一緒にグラウンドにいった。自然とボールを握るようになっていた。小学校1年生から野球を始める。練習の帰り道、母と兄と3人でよく夢を語り合った。それはいつも同じ夢だった。
「小学校1年生の時からずっと思い描いていた夢があったんです。母と兄と3人で野球の帰りにいつも話をしていた。兄がキャッチャーをやっていて、自分がピッチャーなので、『いつか2人でプロの世界でバッテリーを組めたらいいね』と。僕達兄弟の夢を母は笑って聞いてくれていた。野球が好きな人でした」。
いつまでも悲しんでばかりはいられない。甲子園に出て、プロに入って母を喜ばせよう。心に誓った。そこからイッキに階段を駆け上がるように急成長を遂げる。
翌2015年夏、甲子園に出場。プロでも知られる存在となり、その秋、マリーンズから指名を受け、目標にしていたプロ入りを決めた。
尊敬する兄は、大学まで野球を続けたが昨年、晴れて警察官になり千葉県警に入った。「プロ野球選手になるというオレの夢はお前に託すよ」と背中を押し続けてくれた兄。一緒の舞台に立つという夢は果たせなかったが「社会の役に立つ仕事がしたい」と警察官になったことを誇らしく思っている。
2月1日から始まった石垣島キャンプ。原は「楽しい」と目を輝かせる。一流プレーヤーにまじっての投球練習。緊張した面持ちの中にも笑顔があり、生き生きとしている。そこにはずっと泣いていたあの日の姿はもうない。
「あの頃は母の死を受け入れることができなかった。こんなことがあっていいのかと、いつも泣いていた。いろいろと考えてフォームも崩して、自分がどうしたらいいか分からなかった。でも家族や周りの人に励まされて、支えられて今、自分はここにいる。これからも母への思いは大事にしながら結果を出そうと思っています。母は必ずどこかで見てくれている。いつもそう思っていますから」。
石垣島は青空が広がっていた。原は練習の合間、ふと空を見て微笑んだ。
身長185センチ、85キロ。恵まれた体格から繰り出されるボールにマリーンズの首脳陣は将来性を感じている。そして自身も母のためにもQVCマリンフィールドのお立ち台に上がる日を夢見ている。
1つ、プロ野球選手という、人から見られる特別な職業に就いたことで芽生えた志がある。
それは同じように親を亡くした子供達の支援を行ったり、触れ合う社会活動をすること。マウンドで結果を出すだけではなく、そのような活動を通して、社会に笑顔を届ける存在になる。それもまた母が自分に願っていることだと信じている。
「中学校の時とか親が煙たいと思った時期もありました。それだけに今は親の大切さ、ありがたさを身に染みて思うし、そのことを広く伝えたいと思っています。子供達には『親との時間を大切にして欲しい』とメッセージを送りたい」。
アパレル関係の仕事に従事しながらも毎日、食事を作ってくれ、休みの日には朝早くからお弁当を用意し野球に送り出してくれた。ユニホームに背番号を縫ってくれた。
母との想い出の数々を今、大切な宝物としてプロの世界で汗を流している。初めてQVCマリンフィールドのお立ち台に立つ時は、両親、そして支えてくれた姉と兄への感謝の想いを伝えると決めている。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)