わたしはかもめ2016年鴎の便り(2月)

便

2月16日

押切もえ「結婚もある」交際相手7歳年下ロッテ涌井[ニッカン]

モデル押切もえ(36)が、プロ野球ロッテの涌井秀章投手(29)と真剣交際していることが16日、分かった。押切の所属事務所がこの日、交際を認めた。前日15日に、都内でイベントに出席した押切が「両思いの人がいます」と交際宣言していたが、相手は昨年パ・リーグ最多勝のロッテのエースだった。現在交際5ヶ月で、人気モデルと球界のエースのカップルに注目が集まりそうだ。

トップモデルと球界のエースという大物カップルのホットな交際が明らかになった。押切は前日15日に出席したCMの発表会で「両思いの人がいます」と、関係者も驚いたほどの突然の交際宣言をしていた。相手については「まだ私からは黙っておきます」と明かさなかったが、押切の、抑えきれないほどの涌井への思いが、宣言につながっていたようだ。

押切の所属事務所によると出会いは13年の冬。共通の知人の紹介で知り合ったが、その後はたまに会う程度の友人関係が続いていた。当初は涌井からの積極的なアプローチに押切も「野球選手とは…」と一定の距離を置いていたというが、徐々に距離を縮めていったという。お互い千葉出身で押切が14年8月8日の西武戦(QVCマリン)で始球式を務めた際、試合前に涌井が投げ方を直接指導したこともあった。

昨年9月から交際に発展し、静かに愛を育んできた。押切は、当初から一部の事務所関係者に交際を報告。現在一緒に暮らしてはいないというが、最近の押切のブログでは、自らの手料理写真を多くアップするなど涌井を支えていることもうかがえる。今月15日の発表会では「今は恋愛していて幸せ。それが続けば結婚もあると思います」と結婚についても、前向きな姿勢を見せていた。

押切は過去に、元巨人野間口貴彦氏(32)と05年から約4年間交際していたが09年に破局。その後は目立った交際報道などもなく、イベントなどで恋愛や結婚について問われても、片思いばかりであることを明かしていた。一方の涌井も、11年にはフリーアナウンサー杉崎美香(37)との交際も報じられたが、同年に破局。現在まで独身だ。

押切は涌井について、周囲に「意外と誠実なところがいい」と話しているといい、今後の展開からも目が離せなくなりそうだ。

押切(おしきり)もえ
1979年(昭54)12月29日、千葉県生まれ。96年にティーン誌の読者モデル。01年「CanCam」の専属モデル、07年から「AneCan」専属モデル。13年には「浅き夢見し」で小説家デビュー。昨年の「二科展」で、絵画部門の初出展初入選を果たすなど、活動も多岐にわたる。169センチ、B82−W56−H84センチ。血液型A。
涌井秀章(わくい・ひであき)
1986年(昭61)6月21日、千葉県生まれ。横浜高2年春に1学年上の成瀬(現ヤクルト)らとセンバツ準V。04年ドラフト1巡目で西武入団。14年にFAでロッテに移籍。最多勝利3度(07、09、15年)沢村賞(09年)ゴールデングラブ賞3度(09、10、15年)。08年北京五輪、09、13年WBC日本代表。185センチ、85キロ。右投げ右打ち。

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ロッテドラ1平沢、紅白戦に闘志「競争心を持って」[ニッカン]

ロッテのドラフト1位、平沢大河内野手(18=仙台育英)が16日、沖縄・石垣島キャンプ第4クール初日の練習を終えた。

17日には、紅白戦が行われる。若手内野手が多いチーム内で「結果を気にしながら、競争心を持ってやっている」と闘志を燃やしていた。全体練習が終わった後も、個別にノックやマシン打撃で汗を流した。

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ロッテ唐川、紅白戦での好投誓う「下克上です!!」[ニッカン]

ロッテ唐川侑己投手(26)が16日、紅白戦での好投を誓った。

17日に1軍VS2軍で紅白戦が行われる。唐川は2軍チームで先発の予定。「状態は良いです。練習でやってきたことを、どれだけ出せるか。(紅白戦は)チームとして、勝たないといけない。下克上です!!」と気合をみなぎらせた。

この日は、ブルペンで54球を投げた。

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押切もえ、何と彼氏はロッテ・涌井!昨年9月から交際で結婚も視野[サンスポ]

プロ野球・ロッテの涌井秀章投手(29)とモデルの押切もえ(36)が真剣交際していることが16日、分かった。押切が15日のイベントで「両思いの人がいます」と明かしたことを受け、所属事務所が発表した。3年前に共通の知人を交えた食事会で出会い、涌井の猛プッシュが実って昨年9月から交際をスタートさせていた。結婚も視野に入れているといい、暗いニュースが多い中、球界に明るい話題が訪れた!

15日に東京都内で行われたイベントで突然、新恋人の存在を明かし、周囲を驚かせた押切。その相手とは昨年、西武時代を含めて3度目の最多勝を獲得したロッテのイケメン投手、涌井だった。

押切の所属事務所によると、交際期間は約5ヶ月。出会いは3年前の冬、共通の知人を交えた食事会だった。地元がともに千葉県であることなどから、すぐに意気投合。涌井は押切の人柄などに惚れ込み、当時から猛アタックをかけていたという。

だが、2005年から交際していた元巨人投手の野間口貴彦氏(32)と09年に破局している押切は、過去のホロ苦い経験もあってか、「ちょっと野球選手は…」と敬遠。しばらく友人関係を続けていたが、14年に涌井が西武から押切の応援するロッテに移籍すると、少しずつ関係に変化が表れた。

押切が同年8月、ロッテの千葉県応援団長としてQVCマリンフィールドで始球式を行った際、涌井が手取り足取り投球フォームを教えるなどして、距離が縮まっていった。

涌井のストレートな思いは、ついに押切に届き、シーズン終盤にさしかかった昨年9月、本格交際へと発展。押切は交際直後、所属事務所に報告し、「やんちゃな見た目と違って誠実なところにひかれた」などと話しているという。

涌井は現在、沖縄・石垣島でキャンプ中。頻繁には会えておらず、押切は涌井が出場する試合もまだ見ていないという。ただ、幸せいっぱいの感情を早く周囲に知ってもらいたかったようで、それが15日の“ポロリ発言”につながったよう。

押切は現在36歳、涌井は今年30歳になるとあって、2人とも結婚を視野に入れているという。とくに押切は、モデル仲間の蛯原友里(36)が夫でRIP SLYMEのILMARI(40)との間に昨年11月、第1子となる男児が誕生するなど、温かい家庭を築いていることも刺激になっているようだ。

15日のイベントで「今、恋愛をしていて、すごく幸せなので、それが続けば結婚になると思う」と語っていただけに、その願いをかなえたいところ。3年越しのラブコールを実らせた涌井も、今シーズンは“もえ効果”で、さらなる活躍が期待できそうだ。

◇涌井は年上好き?

涌井は西武時代の2011年7月に、フリーアナウンサーの杉崎美香(37)との交際が発覚。同年5月からの交際で、西武のエースと美人アナのカップルは話題となったが、わずか3ヶ月で破局した。ちなみに杉崎アナは8歳上で、押切は7歳上。涌井は年上好き?

涌井秀章(わくい・ひであき)
1986(昭和61)年6月21日生まれ、29歳。千葉県出身。横浜高から2005年ドラフト1巡目で西武入団。06年から5年連続で2桁勝利を挙げ、09年には沢村賞に輝いた。13年オフにFAでロッテに移籍し、昨季は15勝で3度目の最多勝を獲得。通算成績は326試合に登板、108勝94敗37S、防御率3.44。08年北京五輪、09、13年WBC日本代表。1メートル85、85キロ。右投げ右打ち。年俸2億2000万円。背番号16。
押切もえ(おしきり・もえ)
1979(昭和54)年12月29日生まれ、36歳。千葉県出身。高校時代にティーン誌の読者モデルで芸能界デビュー。2001年から「CanCam」の専属モデルとなり、若い女性のカリスマ的存在に。07年から姉妹誌「AneCan」の専属モデルに。モデル業以外にも着物、ゴルフ用品、マンションなどをプロデュースし、ワインエキスパートの肩書も持つ。13年8月には小説「浅き夢見し」(小学館)で作家デビューも果たす。1メートル69、B82W56H84。

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“大河ドラマ”続編決定!ロッテD1・平沢、1軍帯同延長[サンスポ]

ロッテのドラフト1位・平沢大河(たいが)内野手(18)=仙台育英高=の『1軍延長』が決まった。沖縄・石垣島キャンプで16日、伊東勤監督(53)が明かした。チームは19日にキャンプを打ち上げ、その後は沖縄本島(オープン戦2)−宮崎(練習試合5)の予定。ここまで平沢を帯同させることを決めており、まずは“第1関門”を突破だ。

「やはり注目の新人ですからね。これからは大地(鈴木)、中村も遊撃で実戦に入るし、どれだけ平沢が機会があるかは分かりませんが、連れて行きます」。指揮官は引き続いてドラ1遊撃手に“英才教育”を施し、プロでの経験を積ませる。

まさに『大河ドラマ』の続編決定。これには平沢も「アピールするだけです」と声を弾ませたが、「全てに力不足。より競争心を高めます」と現実も冷静に受け止める。17日は史上最長(!?)となる『12回制』の紅白戦が行われる。平沢の第2関門へ向けた戦いが始まる。

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ロッテ・井口、1軍合流&フリーで快音「順調に仕上がっている」[サンスポ]

日米通算20年目の井口が1軍に合流。フリー打撃では1キロを超えるマスコットバットで53スイングし、広角に快音を響かせた。「下(2軍)で多く打ち込むことができたし、順調に仕上がっている。いい形で1軍に合流できました」。日米通算ではすでに2185安打を放っているが、NPBの2000安打までは残り309本。「記録はともかく、元気な姿をファンに見せたい」と意気込んだ。

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ロッテ・井口、1軍合流「まだまだできるというのを見せたい」[サンスポ]

調整を任され、2軍スタートだった井口が1軍に合流した。フリー打撃では感触を確かめるようにバットを振り「ファームでやらせてもらって、時間もいっぱいあった。上にいる時より振り込めたと思う」と状態の良さを口にした。

昨年12月に41歳となり、日米合わせてプロ20年目のシーズンを迎える。「できる限り、精一杯のことをやりたい。まだまだできるというのを、1年見せたい」と意気盛んだった。

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庶民派宣言のロッテ・伊東監督!石垣島“40分待ち店”の大行列に並ぶ[サンスポ]

ロッテ・伊東勤監督(53)の表情が明るい。家族よりも日々接する担当記者としては、ホッとする限りだ。

「特に投手陣の仕上がりがいいんですよ。オフにどれだけのトレーニングを積んできたのか、聞かなくても分かるぐらい、みんなが取り組んでいると思います」。

基本辛口の指揮官だが、今春は選手を褒めることが多い。それだけ充実した沖縄・石垣島キャンプを送っている“証し”だ。

そんな伊東監督が今春、石垣島の“あかし食堂”にハマっている。正確には『明石(あかいし)食堂』。いま石垣島で、最も行列ができる店として注目されている。

5、10、15日とあったキャンプ休日。伊東監督は5、10日と連チャンで出かけた。人気の行列店。5日は30分待ち、10日は40分待ちだったという。それでも伊東監督は並んだ。

「2回ともカツ丼を食べましたね。全メニューが美味しいらしいけど、ボクはカツ丼にハマりました。東京との単純比較はできませんが、とにかく、昔ながらの味なんですよ」。

ゲンかつぎの“勝丼”もあるが、伊東監督が絶賛するどんぶり。そこまで力説するので行ってみたが、食材切れで閉店していた。

それはともかく、かくいう伊東監督を、周辺サークル(取材陣)は自然に応援する。気配りの人なのだ。

今キャンプ中、指揮官主催の担当記者食事会が開催されたが、ロッテの取材にかかわっているのは記者だけではない。新聞社でいえばカメラマン、テレビ局ではクルーと多くの人が汗を流している。かなりの大人数となり、全てをフォローすることは、物理的に難しい。

しかし、同食事会が行われた後日、伊東監督は「宴席に来られない方もいたので…」と相当数のランチ弁当を球場(石垣市中央運動公園)内で振る舞った。普通に頭が下がった。

「派手なことは苦手なんですよ。自分は庶民派でいきますから、特別なことでもありません」。

こんな伊東監督のサポーターでありたい一方、「明石食堂」のカツ丼もぜひ、食べてみたい。実は、大好物なのだ。19日のキャンプ打ち上げまで、残されたチャンスは限りなく少ない!?

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ドラ1平沢、キャンプ後も1軍同行「結果を気にしながらやりたい」[スポニチ]

ロッテのドラフト1位・平沢(仙台育英)が、19日のキャンプ打ち上げ後も1軍に同行することが決まった。伊東監督が「沖縄(本島)まで連れて行く」と明言した。

対外試合2戦で7打数1安打に終わった平沢は「結果を気にしながらやりたい。二塁もできなきゃいけないと思う」と話し、居残り個別練習では二塁も練習。20日の中日戦(北谷)、21日の日本ハム戦(名護)と続く実戦に照準を合わせた。

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41歳最年長野手1軍合流、井口「まだまだできること見せたい」[スポニチ]

41歳のロッテ・井口が1軍に合流し、53スイングのフリー打撃や一塁の守備練習をこなした。

第3クール最終日の14日まで2軍調整を続け、福浦、サブローのベテラン勢と連日のランチ特打を行い「ファームで振り込めた。実戦はまだだけど、体は仕上がっている」。球界最年長野手は「まだまだできるというのを見せたい」と意気込み、伊東監督は「早い段階から実戦に行かせたい」と話した。

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涌井、投内連係で汗、開幕投手最有力も「ペースは上げない」[スポニチ]

ロッテ・涌井は石垣島キャンプ第4クール初日となった16日、ブルペンには入らず、キャッチボールや投内連係などで汗を流した。

今キャンプでまだ打者相手の投球はしていない。11〜14日の第3クールでは4日間で3回ブルペン入りし、球筋を確認するように直球のみを投げ込んだ。開幕投手が最有力の右腕は「ペースは上げない」と話している。

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ロッテ、ケース打撃で新ルール対応徹底、伊東監督「行かせる」[スポニチ]

石垣島でキャンプを張るロッテは16日、ケース打撃を行った。

今季から本塁での衝突を禁止する新ルールが適用されるため、内野ゴロやスクイズでの三塁走者の走塁を徹底的に練習。捕手出身の伊東監督は「アウトのタイミングでもセーフになるケースもあった。自重させるより行かせる(本塁に走らせる)方が点が入る。スクイズやエンドランのサインが増えてくると思う」と話していた。

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押切もえ、ロッテ・涌井と熱愛!最多勝右腕の“直球アプローチ”に押し切られた[報知]

モデルの押切もえ(36)がロッテの涌井秀章投手(29)と結婚を視野に入れて真剣交際していることが16日、分かった。15日のイベントで新恋人の存在を明かした押切の所属事務所が明らかにした。約3年前に共通の知人の紹介で知り合い、昨年9月に交際に発展。押切は2009年に、巨人の投手だった野間口貴彦さん(32)と破局しており、それ以来、プロ野球選手は敬遠していたが、涌井の猛アタックに押し切られたという。

まさかのビッグカップルが誕生した。人気モデルの押切と、昨季15勝を挙げパ・リーグの最多勝投手に輝いた涌井。昨年9月からひそかに、そして着実に愛を育んでいた。

関係者によると、2人の出会いは2013年の冬。共通の知人の紹介で食事をした。ちょうど涌井が西武からロッテに移籍した時期。ともに千葉出身と共通項は多かったが、いきなり恋愛関係に発展した訳ではなかった。

押切は09年夏、巨人で活躍した野間口さんとの4年間の恋に終止符を打った。苦い経験からそれ以来、周囲には「プロ野球選手はちょっと…」と話すようになったという。しかし、涌井は出会った当初から交際を申し込み続けた。14年8月8日のロッテ対西武戦(QVC)で押切が始球式を務めた際には、手取り足取り投げ方を教える涌井の姿があった。

頻繁に会う関係ではなかったが、猛烈アプローチを受け続け、押切の心も次第に揺れ動いていった。「彼の押しがとても強かったようです」と関係者。昨年9月、2人で将来について話し合い、真剣に交際していくことを決めた。涌井は派手な印象が強いが、押切は「イメージとは違う誠実なところにひかれた」と、ぞっこんだという。涌井は昨季、球宴前の前半戦は6勝7敗の負け越し。そこから後半戦は9勝2敗と、勝ち星を積み重ね、最多勝をつかみとった。後半戦で9勝はパ・リーグでは6勝の5人を大きく引き離してトップ。愛する人の存在がモチベーションとなっていたのは間違いない。

野間口さんとの破局以来、浮いた話がなく“不幸キャラ”が定着しつつあった押切。よっぽどうれしかったのか、15日のイベントで「好きな人がいます。両思いです」とびっくり発言した。交際の報告は受けていた所属事務所関係者も、まさか自ら口を開くとは思わず大慌て。相手について様々な臆測を呼ぶ中、この日、公表することを決めた。

結婚について、押切は同イベントで「タイミング。今は恋愛していて幸せなので、続けば結婚になると思います」と言い切った。所属事務所も交際を祝福しており、障害はない。2人は結婚も視野に入れているという。同居はしていないが、押切は最近、手料理の写真をブログにアップすることが増えた。豪華な食事で右腕を支える準備は万端。開幕投手最有力の涌井を“勝利の女神”が見守っている。

涌井秀章(わくい・ひであき)
1986年6月21日、千葉・松戸市生まれ。29歳。横浜高2年時の2003年センバツで準V。04年夏の甲子園で8強。04年ドラフト1巡目で西武入団。07、09年に最多勝で、09年には沢村賞受賞。08年北京五輪、09、13年WBC日本代表。13年オフに西武からロッテにFA移籍。昨季は15勝9敗で3度目の最多勝獲得。通算成績は326試合に登板し、108勝94敗37セーブ。185センチ、85キロ。右投右打。独身。推定年俸2億2000万円。
押切もえ(おしきり・もえ)
1979年12月29日、千葉県生まれ。36歳。読者モデルを経て、2001年に雑誌「CanCam」、07年から「AneCan」専属モデル。13年8月、25歳のモデルを主人公にした小説「浅き夢見し」で小説家デビュー。15年9月、油絵「咲くヨウニ」が「第100回二科展」の「絵画部」に入選。身長169センチ。血液型A。

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17日にサバイバル戦!1、2軍対抗の紅白戦を予告[報知]

ロッテが17日の石垣島キャンプで1、2軍対抗の紅白戦を行う。同じ石垣市中央運動公園内でキャンプを張る両軍が対戦し、12回制のロングランを予定。伊東監督は「(選手達の)ピリピリ感が見られたらいい」と話し、キャンプ打ち上げ(19日)以降の1、2軍振り分けを視野に入れたサバイバル戦を予告した。

指揮官は「ちょっとでも調子が上がらない人は入れ替える。今の状態を実戦で見せてもらう機会になりますね」と厳しい視線を送るつもりだ。1軍の先発はイ・デウンで、2軍は唐川を予定。紅白戦とはいえ、生き残りをかけた真剣勝負になる。

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井口1軍キャンプ合流、早速一塁守備に[報知]

ロッテ・井口資仁内野手(41)が16日、石垣島キャンプで1軍に合流した。ウォーミングアップ前に伊東監督と握手を交わすと、午前の練習ではケース打撃に参加し、一塁の守備に就いた。

ベテランはここまで2軍で自己流調整を続けてきたが、第4クール初日を迎えていよいよ本格的に始動。今季、12球団の野手で最年長となる井口に衰えは見えない。

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押切もえの恋人…ロッテ涌井だった![デイリー]

モデルの押切もえ(36)がプロ野球・ロッテの涌井秀章投手(29)と交際していることが16日、分かった。押切は15日のイベントで恋人の存在を電撃報告。お相手については明言を避けていたが、ハートを射抜かれたのは同郷(千葉)で、昨季のパ・リーグ最多勝に輝いた球界を代表するエースだった。共通の知人を介した食事会で3年前に知り合い、昨年9月から交際に発展したという。

関係者によると、知り合ったのは2013年冬で、当初から恋心を寄せていた涌井投手が押切に猛アタックしたという。押切はプロ野球の投手(引退)と4年間交際するも結婚に至らなかった“苦い過去”があるだけに「野球選手はちょっと…」と、涌井投手の思いに応えることはなかったが、次第に誠実な人柄に魅力を感じるようになったという。

14年8月には押切がロッテの本拠地QVCマリンフィールドで初の始球式に登板。その際、投球指導をしたのが当時は友人の涌井投手だった。恋人になったのはシーズン終盤の昨年9月。涌井投手にとっては西武からFA移籍2年目での最多勝獲得に、押切のラブパワーが後押しになったと思われる。

バレンタインデー翌日の15日にイベント出演した押切は、長らく浮いたウワサがなかったことを「結構、不幸キャラにされている」と気にしている様子で「両思いの人がいまーす!!幸せです」と突然の交際宣言。本命チョコを渡したことを報告していた。

結婚についても前向きだった押切に、所属事務所幹部も「早くお嫁に行って欲しい。(蛯原)友里ちゃんも子供が生まれたし」と容認の方針だ。今季も活躍が期待される涌井投手が、“不幸キャラ”を返上した7歳年上の姉さん女房と私生活でバッテリーを組む日は訪れるだろうか。

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ロッテドラ1平沢、1軍へ第1関門突破[デイリー]

ロッテ・ドラフト1位の平沢大河内野手(18)=仙台育英=が、開幕1軍への第一関門を突破した。伊東監督が16日、平沢を20日・中日戦(北谷)と21日・日本ハム戦(名護)のメンバーに入れることを明言した。14日の台湾・ラミゴ戦で適時三塁打を放つなど、高い能力を発揮しているルーキーに及第点を与えた。

次のハードルは23日から28日までの宮崎遠征。伊東監督は「平沢は話題性があるので帯同させたいが、今のところショートしかできない。他の選手は他のポジションもできる。固定より色々守れた方がいい」と説明。複数ポジションを守れる守備力を1軍生き残りへの条件とした。

「競争は激しいので少なくともセカンドとショートはできないと」と平沢。マルチプレーヤーへの進化で第二関門も通過する。

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本塁攻防に1時間[千葉日報]

今季から捕手が球を持たずに走路をふさぐことが禁止され、各チームは対応を迫られる。千葉ロッテは16日、沖縄・石垣島でのキャンプで約1時間、ホームをめぐる攻防に取り組んだ。

三塁走者を置いたケース打撃では、本塁クロスプレーでセーフになる場面が多かった。捕手の吉田は「今までは際どいところをある程度抑えられたけど、それができなくなる」と難しさを実感。三塁コーチを務める清水外野守備走塁コーチは攻撃側の視点から「転がしたらセーフというのはありそう」と指摘した。

走者にとっても技術の見せどころだ。スクイズプレーでファウルゾーンへ回り込むように滑り込み、左手で本塁に触れて生還した細谷は「あそこに滑ればまずセーフになる。ブロックがないからだいぶ滑りやすい」と手応えを口にした。

伊東監督は「去年はもう1点取れれば、という試合が多かった。こういう練習が必要になる」と狙いを説明し「早い時期からスクイズもやっていく」と話した。自由に打たせるケースが多かった昨季までのオープン戦序盤とは、違った戦いぶりになりそうだ。

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[千葉魂]原点に立ち戻った田中、京大で過去と向き合って[千葉日報]

「代われるものなら、代わりたいぐらいだよ」。大学時代の友人の何気ない一言が、田中英祐投手の脳裏にずっと残っていた。昨年末、京都大学野球部の同級生17人が集まった同窓会に出席した。それぞれが別の道へと進んでいる。大学院に進学をし、研究を続けている者。一流企業に就職をした者。それぞれが新たな舞台で挑戦をしていた。その中で、野球を続けているのは田中ただ1人。懐かしき友の研究室や仕事場での愚痴を聞いていると、ふと芽生える気持ちがあった。

「やはり、みんなも心のどこかで大好きな野球を続けたかったという思いがあるのだと感じた。そういう意味ではプロ野球という世界にいる自分は、みんなからしてみれば、特別な場所で特別なことをしている。みんなが応援してくれているし、みんなが注目をしている。自分が頑張ることで、みんなも頑張れる部分もあるのかなと、ふと思いました」。

京都大学初のプロ野球選手として騒がれたルーキーイヤーは、ほろ苦い思い出だけが残り、終わった。「こんなに悩んだことはなかったかもしれない」と振り返る1年目。多くのテレビカメラにその一挙一動を追いかけられ、いつしか自分のピッチングを失った。マウンドではとにかく力んだ。ボールが暴れる。2試合に登板して0勝1敗、防御率13.50。それが1年目の足跡だった。

シーズンオフに入ると精力的に動く。シャドーピッチングを日課にし、フォームを徹底チェック。さまざまな人に教えを請うた。初めて迎える1月の自主トレを、どうしようかと考えた。一人で実家の近くで行おうかと考えていると、年下の田村龍弘捕手に諭された。「絶対に誰かと一緒にやった方がいいですよ。そっちの方が絶対に自分にプラスになりますから」。そうだよなと納得した。すぐに1人の先輩投手の顔が浮かんだ。マリーンズの左の貴重なセットアッパーとして3年連続で40試合以上投げている松永昂大投手に頭を下げた。黙々と自分の練習をこなしている姿に憧れがあった。実績ある投手の練習メニューは、やはりストイックだった。

朝6時半にはグラウンドに到着して7時には走り込みが始まった。短距離から長距離まで午前中はひたすら走った。ピッチングは遠投が中心。90メートルの距離を投げ込むことで、本来の腕の振りを思い出した。先輩投手は、悩める右腕を思いやり、さりげないアドバイスを心がけてくれた。それは野球以外にも及んだ。「プロは食べるのもトレーニングだよ」。食が太い方ではなかったが朝食から、たらふく食べた。下半身を強化し、肉体的にも大きくなり、大胆な腕の振りを取り戻して、1月の自主トレを打ち上げた。

その翌日、帰京を前に田中は京都大学野球部のグラウンドに顔を出した。足を踏み入れたのは卒業式以来。4年間、汗を流してきた原点。名門私立校ひしめくリーグの中で、何とか勝ちたいと仲間達と野球をしていた場所。大学で研究をしながらも、その合間を縫って、この場所で鍛え上げてきた日々を思った。時には真っ暗の中、走った。その原点を探しに来たかのように、グラウンドに足を踏み入れた。変わらぬ景色がそこにはあった。忘れてはいけない初心がそこにはある。プロ入り志望届を出すかどうか悩んだ時、周囲からは「無謀」という声も聞こえた。たくさんの人にも相談をしたが最後は自分で決めた。困難な方の道をあえて選択した。

「1球のボールに何万人の人が一喜一憂する。それは素晴らしいこと。僕も何万の人の心を1つのボールで感動させてみたいと思った。それが僕の原点」。

昨年のプロ入り初先発は4月29日のライオンズ戦。本拠地QVCマリンフィールドのスタンドは超満員に膨れ上がった。3回を投げて5失点で負け投手。それでも、その大声援と「英祐コール」に「マリーンズに入って良かった」と選択した道が正解だったと実感をした。大学時代に描いた大志。初登板で感じた大事な思い。それらを京都大学野球部のグラウンドで、過去の自分と向き合うことで再確認をしたかのようだった。

「まずは1軍で1勝。そうしないと次には進めないし、先は見えてこない」。

青空の広がる石垣島キャンプ。田中英祐は精力的に体を動かしていた。ちょうど1年前、背番号「31」に集中をしていたマスコミの姿はその周辺には一切ない。だが、彼にとってそれはどうでもいいことなのだ。一歩一歩、前に進んでいることを実感しているように充実した表情を浮かべる。大事な原点に立ち戻った若者は2年目の今季、地道に確実に歴史的な一歩を踏み出そうとしている。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)

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