ロッテは26日、投手陣の一部が宮崎・アイビースタジアムで練習を行った。
27日のソフトバンク戦に先発予定の古谷拓哉投手(34)は、この日、1軍の練習に合流した。石垣キャンプ終了後、鹿児島で2次キャンプを張る2軍で調整を続けていた。
ダッシュなどで調整を終えると「打撃投手はしたけど、実戦は(今年)初めて。結果も出さなきゃいけない立場ですが、まずは自分の投球を出来るかです」と、登板のテーマを口にした。
鹿児島・薩摩川内で2次キャンプを行っているロッテ2軍の若手選手10人が26日、練習後に南九州市にある知覧特攻平和会館を訪れ、見学した。
まず30分間、会館の人の講話を聞いた後、1時間半かけて施設内を見学した。陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等の貴重な資料をじっくりと見て回った。
出席選手は、成田、東條、原、信楽、高野、大木、柿沼の新人7人と、2年目の田中、寺嶋、宮崎の3人。3人は、新人だった昨年は1軍にいたため、見学していなかった。
ドラフト3位の成田翔投手(18=秋田商)は「自分と同じような年代の方達が、戦争のためにこのような形で命を失ったと想像をするだけで胸がしめつけられるような思いになりました。今、自分達は平和な時代にいて、好きな野球が出来ていることに感謝をしたいと思います。また、1日1日を大切に、日々練習に励み、過ごしていきたいと思います」と感想を述べた。
ロッテのドラフト1位、平沢大河内野手(18=仙台育英)が26日、仙台育英の卒業式に出席するため、宮崎に遠征中のチームを離れた。
仙台は雪の予報が出ていることを知ると、「風邪をひかないように気を付けます」と話した。早朝便で、宮崎空港から笑顔で出発。久しぶりに同級生と会うのを楽しみにしているようだった。
ロッテD3位・成田(秋田商高)ら新人&2年目の9選手が26日、薩摩川内2軍キャンプの練習終了後、「知覧特攻平和会館」を見学した。球団が例年行っている社会、歴史教育の一環。約2時間、館内に展示されている陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品など貴重な資料を見てまわった。成田は「自分と同じような年代の方達が…。胸が締めつけられる思いです」と神妙な表情だった。
ロッテのドラフト3位・成田翔投手(18)=秋田商高=ら新人7選手と入団2年目の寺嶋、宮崎の9選手が26日、鹿児島・薩摩川内2軍キャンプの練習終了後、南九州市の「知覧特攻平和会館」を見学した。球団が例年行っている社会、歴史教育の一環。参加選手は同会館関係者の講話を間聞いた後、1時間30分をかけて、館内に展示されている陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等の貴重な資料を見て回った。同会館は特攻基地の跡地の一角に建設されている。
ロッテのドラフト1位・平沢(仙台育英)が卒業式に出席するため、チームを離れて宮崎から空路、福岡経由で仙台へ移動した。
「同級生に会いたいです」と18歳らしい素顔をのぞかせたが「体を動かせる時間があれば動かしたい」とできる限りトレーニングは継続していく。ここまで実戦では4失策を犯しているが「野球ではエラーすることを卒業したい。それが1番」。29日に2軍に合流し、教育リーグ3試合に出場する予定。3月8日の日本ハムとのオープン戦(QVCマリン)で1軍に再合流する予定となっているが「無失策でいきたい。打球も速いし慣れていかないと」と誓いを立てた。
アイビースタジアムでロッテの投手練習が行われ、27日のソフトバンクとの練習試合(アイビー)に先発する古谷と、28日の韓国・斗山戦(大王谷)に先発するスタンリッジが1軍に合流した。
実戦初登板となる古谷は、同一リーグの相手にも「自分のことをしっかりやりたい」。スタンリッジは「順調にきている。ストライク先行で質のいい投球をしたい」とテーマを掲げた。
ロッテのドラフト3位・成田(秋田商)ら新人7選手と田中英、寺嶋、宮崎が26日、鹿児島・薩摩川内での2軍2次キャンプの練習後、南九州市の「知覧特攻平和会館」を見学した。
薩摩川内市からバスで2時間かけて移動し、30分間の講話を聞いた後、1時間半見学した。選手達は特攻隊員の遺影、遺品、記録等の資料を興味深そうに見ていた。成田は「自分と同じような年代の方達が、戦争のためにこのような形で命を失ったと想像をするだけで胸がしめつけられるような思いになりました。今、自分達は平和な時代にいて、好きな野球ができている事に感謝をしたいと思います。また、1日1日を大切に、日々練習に励み、過ごしていきたいと思います」と固く誓った。
ロッテの新人7人を含む若手10選手が26日、鹿児島・南九州市の知覧特攻平和会館を見学した。薩摩川内市で行われている2軍の2次キャンプ練習後、2軍帯同中のルーキーと昨年は1軍帯同で見学していなかった2年目の田中英祐投手(23)、宮崎敦次投手(23)、寺嶋寛大捕手(23)が平和の尊さを学んだ。
キャンプ地から車で約2時間の距離にある知覧は、第二次世界大戦末期の沖縄戦で敵艦に必死の体当たり攻撃を行った特攻隊の旧陸軍基地があった土地だ。平和を祈念して建てられた同会館には、若くして散華した多くの搭乗員に関する資料が展示されている。選手は会館の語り部から歴史的背景や特攻隊員に関する講話を聞き、出撃直前の覚悟や心情をつづった遺書や遺品、当時の貴重な資料などを真剣な表情で見て回った。
見学を終えたドラフト3位ルーキーの成田翔投手(18)は、「自分と同じような年代の方達が、戦争のためにこのような形で命を失ったと想像をするだけで胸がしめつけられるような思いになりました。今、自分達は平和な時代にいて、好きな野球が出来ている事に感謝をしたいと思います。また1日1日を大切に、日々練習に励み、過ごしていきたいと思います」と、命や平和の大切さをかみ締めた。
ロッテのドラフト1位・平沢大河内野手(18)=仙台育英=が26日、「脱失策王」で開幕1軍を勝ち取ることを誓った。平沢はこれまでの実戦でチーム最多の4失策。走攻守の三拍子がそろった注目ルーキーは、持ち味の守備でプロの壁にぶち当たった。それだけに、1軍生き残りへのノルマを無失策に設定。開幕までの実戦で守備力向上を猛烈アピールする計画だ。
この日、卒業式(28日)に出席するため、宮崎空港から宮城へ出発。課題を抱える18歳は級友との再会を前に浮かれることはなかった。「エラーをしないことを1番の目標にしたい。プロの打球は速いけど、そういうことに慣れていかないといけない」。1軍生き残りへ失策王も卒業する。
卒業式後は2軍の教育リーグに3試合出場し、3月8日のオープン戦・日本ハム戦から1軍に再合流。「これまでに教えられたことをしっかり続けていきたい」。開幕1軍の目標達成に向け、社会人として新たなスタートを切る。
練習後、薩摩川内市からバスで2時間をかけて、南九州市にある知覧特攻平和会館を訪問。講話を聞いた後、1時間半をかけて施設内を見学。選手達は陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等の貴重な資料をじっくりと見つめていた。
出席選手は、ドラフト3位・成田翔投手=秋田商=をはじめ、東條、原、信樂、高野、大木、柿沼の新人7人と田中、寺嶋、宮崎の新人時代の昨年、1軍帯同のため見学をしていなかった3人。
成田は「自分と同じような年代の方達が、戦争のためにこのような形で命を失ったと想像をするだけで胸がしめつけられるような思いになりました。今、自分達は平和な時代にいて、好きな野球が出来ていることに感謝をしたいと思います。また、1日1日を大切に、日々練習に励み、過ごしていきたいと思います」と話した。
元ロッテ投手の小林昭則氏(48)が今年4月から帝京五(愛媛)の硬式野球部監督に就任することが26日、分かった。
小林氏は帝京3年春の選抜大会で準優勝し、進学先の筑波大では87年秋の首都大学リーグで初優勝に貢献。さらに同年の明治神宮野球大会で国公立大では初となる全国大会優勝を飾り、89年ドラフト2位でロッテに入団した。ただロッテでは未勝利(27試合0勝2敗)で、96年を最後に現役を引退した。2年間ロッテでスコアラー兼打撃投手を務めたあと、母校・帝京に教員で復帰し、硬式野球部助監督も務めた。
大リーグ機構(MLB)と大リーグ選手会は25日(日本時間26日)、二塁ベース付近で走者が併殺を防ぐために繰り出す危険なスライディングを禁止する新ルールを採用したと発表した。この新ルール採用を受け、NPB関係者は「日本も1年後でしょう」と来季導入の可能性に言及した。
「(新ルールはビデオ判定による)リプレー検証が導入された影響が大きい」とした上で、「併殺プレーは野球の醍醐味の1つなのに、プレーの流れが止まってしまう。(走者が併殺崩しに来なければ、クロスプレーにはならず)逆に守備側は二塁ベースにしっかりついていなきゃいけなくなるし、一塁がセーフになる確率が高まるのでは…」と語った。
既に昨年12月の日本プロ野球選手会定期総会でも、併殺崩しの危険なスライディングの聞き取り調査があり、昨季に遊撃でベストナインに選出された日本ハム・中島は「本塁だけでなく、二塁もルール化すべきだと思っている」と話していた。
関谷亮太はマウンドで表情を一切変えない。
「喜怒哀楽」をマウンドで出すことで、精神にブレが生じることを彼は知っている。
2月20日に行われたオープン戦(対中日)でもその姿は変わらなかった。
この日の登板予定は2イニング。堂上直倫に2ランを打たれた関谷だったが、何事もなかったかのように後続相手に淡々と投げ、そして抑え、無表情のままベンチに引き揚げていった。
打たれたのはカーブ。打球は強風に乗っていた。言い訳の1つも思いつきそうなシチュエーションであるが、彼はそう考えない。
「結果は結果」。
それ以上でも、以下でもない。彼はプロの先発投手に必要な要素をすでに心得ている。
この世界に飛び込んですぐにチーフスカウトの永野吉成と交わした約束がある。
「自分が先発ローテーションにいる姿をイメージして、キャンプに臨むように…」。
先発ローテーション入りを『目指す』のではなく、さも当然のように『任された』イメージを持って、開幕まで過ごそうというのだ。
「大学からプロに行く人もそうですけど、社会人から行くならなおさら1年目から勝負だと思っています。もちろん最初から即戦力の意識で。2軍スタートなら2軍スタートで別なことを考えて、やっていかなきゃいけないですけど、そうじゃないので。今は自分の居場所が確保された訳ではないけど、1軍にしがみつく姿勢ではなく、もっと攻めの姿勢で過ごしたいと思ってやっています」。
そうした新人離れした堂々とした姿はときに、『強気な性格』と変に誤解されることもある。自主トレ期間中、「僕がいるのにどうしてスタンリッジを獲るのか…」という発言が記事になった。
「あれ、ちょっとだけ違うんですよ。それくらいの気持ちでやりたいな…とかそういう意味で言ったんですよ。『自分がいるのになんで獲るの?』とかそんな風には言っていないです。だからあれからちょっと気まずくて…」。
マウンドでは堂々とする彼が一瞬、うろたえているように見えた。
根は周りとの調和を大切にする、気持ちの良い性格である。淡々と見えるのはあくまでマウンドの上だけだ。ファンへの対応も丁寧だし、取材時も気持ちよく応対してくれる。
高校(日大三高)時代に同級生だった吉田裕太と約6年ぶりに同僚となった。
「吉田がプロの試合に出ているのをよく見ていました。(吉田が)いいピッチャーの球を受ける機会が多かったので、一緒に食事に行ったときに『あのピッチャーはどういう感じなの?』とか話を訊いたりもしましたね」。
そうした雑談の中からヒントを得ることもある。
「(吉田は)プロとアマを比べてストライクゾーンがやはり狭くなると言っていました。だけどストライクが取れないと話にならないと…」。
そこで関谷が考えたのがコース、高低はもちろん奥行きで勝負できるピッチャーになろうということ。得意球であるチェンジアップにも磨きをかけた。
「それまではきれいにコースへ投げ分けていたんですよ。それでストライクゾーンを自分で厳しくもしていたんですけど、その後、奥行きなども活かして『ストライクゾーンでストライクを稼ぐ』という発想で考えたら気分的にも楽になれたんですよね」。
丁寧にではなく大胆に。
「打てるものなら打ってみろと気持ちで攻めていく考えですよね。気持ちで遅れないように」。
表情や感情は一定でも、内に秘めるハートは熱いままだ。
6年ぶりに同僚となった吉田裕太について、さらに踏み込む質問をすると、彼はこんなことを返してきた。
「自分は(捕手を)選べる立場じゃないし、キャッチャーも(吉田)1人ではないので」と、スポーツ紙を通して目にした吉田のコメントについてもこんな感想を漏らす。
「黄金バッテリー復活とか、僕を気遣って言ってくれたんでしょうけど、まだ(プロで)何もしていないんじゃんって思いますよ」。
だからと言って、別々の道で過ごしたこの6年間を否定する気持ちは毛頭ない。
関谷は社会人時代、プロで戦う吉田に「プロの先輩」としてある意味、尊敬にも似た眼差しで見ていた。
「僕も高校からだいぶ変わっていますし、あっち(吉田)もあっちで変わっているので今、2人が組んでも同じようにはならないと思うんですよ。もしかしたら他の捕手より投げやすいとか、あるかもしれないけど、それも実際やってみないと分からない。だから誰とでも組んでみたい」。
感慨に浸ってなどいられない。社会人野球の重圧と戦ってきた分、野球を仕事にする厳しさは多少なりとも分かっているつもりだ。
気持ちを変に高ぶらせることなく、マイペースで。ペナントレース開幕までの逆算はできている。