わたしはかもめ2016年鴎の便り(4月)

便

4月26日

埼玉西武2−5千葉ロッテ(西武プリンス)

ロッテは0−1の6回にデスパイネの5号2ラン、ナバーロの適時二塁打を含む4連打などで4点を奪い、7回は荻野の適時打で加点した。石川が緩急をうまく使って7回1失点で2勝目を挙げた。西武は野上が6回につかまった。

123456789R
千葉ロッテ0004001005
埼玉西武0100000102

◇豪快さだけではない、ナバーロ

1点から3点のリードへ。デスパイネの2ランが飛び出して4回に逆転した千葉ロッテ。実弾を所持したとして逮捕、出場停止を経て23日のオリックス戦から復帰したナバーロが躍動し、勝機を確実なものにした。

デスパイネの一発後、角中も中前打で続いた。無死一塁でナバーロに打席が回ってきた。1ボール2ストライクからの5球目。外角に逃げていく変化球に食らい付いて捉えた。打球は左中間を鮮やかに破り、適時二塁打となった。

狙い球を明確にしたことが奏功した。左飛に倒れた第1打席が伏線となった。「スライダー、スライダーで攻めてきていたから、スライダーを狙うしかないと思っていた」と胸を張った。

バットだけではない。鈴木の二ゴロで三塁に進むと、続く田村が二塁後方に飛球を打ち上げた。西武遊撃手の金子侑が背を向けて捕球するやいなや「あの体勢で取っていけると思った。自分で決めたこと」と本塁へ走りだした。4点目を文字通り奪い取り、伊東監督は「あの走塁がゲームを決めたと言ってもいい」と目を細めた。

「プレーできなかった期間がある。瞬間瞬間を楽しんでいる」とナバーロ。横っ跳びしての好捕もあり、二塁の守備で俊敏な動きも光る。昨季まで2年間プレーした韓国で計79本塁打。右の大砲として加入したが、豪快さだけではなさそうだ。

◇デスパ、逆転2ラン

一振りで形勢をひっくり返した。1点を追う4回の千葉ロッテの攻撃。無死一塁で打席に立ったデスパイネが逆転の2ランを放った。外角の真っ直ぐを迷いのないスイングで右翼席に突き刺した。

5号目に「当たりは良くなかったけど入ってくれて良かった」とコメント。昨季は引っ張ろうと力みが目立っていたが、今季の一発は全て中堅から右方向だ。「状態は悪くない」と手応えを示し「でもそろそろレフトへ豪快な一発を打ちたい」と舌滑らかだった。

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ロッテ伊東監督「打つべき人が打った」快勝に満足[ニッカン]

ロッテが快勝した。

先発石川が7回6安打1失点で2勝目。9回を抑えた西野が7セーブ目を挙げた。打線は、デスパイネが4回に逆転の5号2ラン。ナバーロが適時二塁打で続いた。7回には、荻野の左前打で加点した。

伊東勤監督(53)は「いい試合でしたね。先制されたけど、石川は序盤は高かったけど、よく1点で抑えてくれた。打つべき人(デスパイネ)が打った。1発でひっくり返した。あのホームランは大きかった」と満足そうに話した。

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ロッテ西野「続けていきたい」連続失敗止め7セーブ[ニッカン]

ロッテ西野勇士投手(25)が7セーブ目を挙げた。5−2の9回に登板。2死から浅村に内野安打を打たれたが、後続を断った。

17日の日本ハム戦、23日のオリックス戦と、2試合続けてセーブに失敗。打線の援護により、結果的に2試合とも自らに勝ち星がついてしまった。この日は、しっかりリードを守り試合を締めた。本来の働きをこなし、「嫌な流れを止められました。こういう投球を続けていきたい」とホッとした様子で話した。2死からの内野安打は、鋭い当たりを二塁ナバーロが懸命に捕球するも一塁送球が間に合わなかったもの。西野は「野手の方が守ってくれている。応えていかないといけない」と、全力プレーに感謝していた。

伊東監督は「ヒットは打たれたけど、これで吹っ切れてくれるでしょう」と話した。

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ロッテ根元が9番で先発、左打ち手薄で今季初昇格[ニッカン]

ロッテ根元俊一内野手(32)が今季初昇格を果たした。

「9番一塁」で先発メンバーに名を連ねた。試合前、伊東勤監督(53)は「左が1枚、手薄だったので。何とか機能してくれたら、今後につながる」と、左打ちの根元に期待していた。

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ロッテ・デスパイネ右に2ラン「そろそろレフトへ」[ニッカン]

ロッテ・アルフレド・デスパイネ外野手(29)が逆転の5号2ランを放った。

0−1の4回無死一塁で、西武野上の137キロ真っ直ぐを右越えに放り込んだ。4番の仕事を果たすと、「当たりは良くなかったけど入ってくれて良かった。ここまで5本とも右方向で状態は悪くないよ。でもそろそろ、レフトへ豪快な1発を打ちたいね」と意欲的に話した。

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ロッテ・ナバーロ、スライダー狙い打ち適時二塁打[ニッカン]

ロッテ・ヤマイコ・ナバーロ内野手(28)が適時二塁打を放った。

2−1の4回無死一塁で、西武野上のスライダーを捉え、左中間を破る二塁打で1点を加えた。前打席はスライダーを打ち損じ、左飛だった。「前の打席でスライダー、スライダーで攻めて来ていたから、スライダーを狙うしかないと思っていた。高めに浮いてきたボールをしっかり捉えることが出来た」と話した。

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ロッテ・ナバーロ、“遊犠飛”生還!90キロ巨体で激走[サンスポ]

ラテン・コンビが大暴れだ。ロッテは26日、西武4回戦(西武プリンスドーム)に5−2で快勝。ヤマイコ・ナバーロ内野手(28)が走攻守で活躍し、アルフレド・デスパイネ外野手(29)も5号逆転2ランで勝利に貢献した。

4回、ナバーロは3点目となる中堅左への適時二塁打。1死後、田村の飛球を遊撃手が後ろ向きに捕球するのを見ると、体重90キロの巨体を揺らして三塁からタッチアップを決めた。中堅が捕球すれば生還できなかったと判断され、“遊犠飛”にはならなかったが、珍しい「遊飛での得点」に「自分の判断で行った。取り方が悪かったので、行けると思った」とニヤリ。二塁の守備では2回に竹原の打球を好捕するなど、先発の石川を救った。

堅あげポテト2袋、コーラ2本、水4本が入った袋を右手に「ポテトチップスは大好きなんだ」とナバーロ。おやつを手に、意気揚々と引き揚げた。

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ロッテ・石川、7回1失点で2勝目「長打を打たれないことだけを気を付けた」[サンスポ]

ロッテの石川が尻上がりに調子を上げ、7回1失点で2勝目を挙げた。「走者をためて、長打を打たれないことだけを気を付けた」と口にした。

2回までに4安打を浴びたが、3回以降は得点圏に走者を許さなかった。昨季、西武戦は3戦3勝と相性の良さを誇った。今季の初対戦でも好投したが「苦手意識しかないです」と謙虚に話した。

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[球界ここだけの話]MスタンリッジとHサファテが『最強タッグ結成』、超党派で熊本を支援![サンスポ]

今回の「熊本地震」では、今なお多くの方が避難生活を余儀なくされている。気象庁は「活発な地震の活動が続いている」として引き続き警戒を求めた。ロッテ担当の記者としても、伊東勤監督(53)の実家(熊本市内)が被災しているだけに、決して他人事とは思えない。

そんな中、助っ人が“助っ人”として立ち上がる話を聞いた。ロッテのジェイソン・スタンリッジ投手(37)とソフトバンクのデニス・サファテ投手(35)がタッグを組み、被災地を支援することで“合意”したというものだ。スタンリッジは、昨年までソフトバンクに在籍。2人の話がまとまるのに時間はかからなかった。

これを明らかにしたのは、サファテだった。21日、ロッテ−ソフトバンク6回戦(QVCマリン)が雨天中止となり、両球団で募金活動を行った後、「ジェイソン(スタンリッジ)と話をした。今後、色々な形で被災地を支援しようと…。彼も『当然だ』と応じてくれた」。何とも頭が下がる思いだ。

一方でスタンリッジは、今季移籍したロッテで公式戦での1勝につき10万円を「東日本大震災復興支援財団」へ寄付するとを表明したばかり。この慈善活動はソフトバンクに在籍していた昨年から始めたもので、今季で2年目となる。

「熊本地震」はその直後に発生した。スタンリッジは驚き、より悲しみを深くした。現在の“上司”である伊東監督を誰よりも気遣った。

「私だけでなく、みんなで考え、それを行動に移さなければいけない。多くの人達と、同じような気持ちを分かち合うことができればと考えている」。スタンリッジは、外国人助っ人を中心とした支援の輪をさらに広げたい考えだ。

日本球界で、文句のない実績を残している両投手の影響力は計り知れない。実際、ロッテでいえばデスパイネ、ナバーロは、スタンリッジの呼びかけに賛同の意思を示しているという。

「今、何ができるかという考えは必要ない。何をすべきかだ」とスタンリッジ。盟友、サファテとの『最強タッグ結成』に日本人として深い敬意を表したい。

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「ナバパイネ」だ!ロッテ自慢の助っ人コンビ大暴れ[スポニチ]

ナバーロとデスパイネ。ロッテファンが待ち望んだ2人の競演だった。4回、デスパイネの2ランで2―1と逆転すると、ナバーロが続く。なお無死一塁で左中間を破る適時二塁打。「前の打席でスライダーで攻めてきていたから、狙うしかないと思った」という見事な狙い打ちだった。

バットだけではない。1死で三塁に進むと、田村の中前への飛球を遊撃・金子侑が背走キャッチするのを見るや「遊撃手が投げづらい体勢なのが分かって、自分で(スタートを)決めた」とタッチアップで4点目の生還。伊東監督も「あの走塁がゲームを決めたと言っていい」と絶賛した。二塁の守備でも2度のダイビングキャッチ(1度は内野安打)を披露。「走攻守」三拍子そろった「幕張のひげ怪人」だ。

「プレーできるのは幸せ。瞬間、瞬間を楽しんでいる」。2月21日に那覇空港で実弾を所持していたとして銃刀法違反の容疑で逮捕され、開幕4週間出場停止の処分を受けた。失意の新外国人を救ったのが、1歳上のデスパイネだ。ともにスペイン語を話す2人は意気投合。ナバーロの出場停止中も常に一緒に練習し、よく食事にも出かけて野球談議を交わした。

兄貴分の2ランは無死一塁で右翼席へと飛び込んだ。今季の5本塁打は全て中堅から右方向への当たり。「そろそろレフトへ豪快な一発を打ちたいね」と笑うが、右方向への打球は好調のバロメーターだ。

ナバーロのデビュー戦から3戦目にして初めて2人そろって打点を挙げ、チームも快勝。デスパイネから「あとはホームランを打って欲しい」とエールを送られたナバーロは「早く打ちたい」とニヤリ。2人は試合後、仲良く焼き肉を食べに出かけた。

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石川「レオキラー」本領発揮、通算9試合で6勝1敗[スポニチ]

ロッテの石川が7回6安打1失点で2勝目を挙げた。2回に3安打を許して先制されたが、3回以降は二塁すら踏ませず、無四球でまとめた。

「打線が(4回に)4点取ってくれたので、長打に気をつけて投げた」。これで西武戦は14年から6連勝となり、通算でも9試合で6勝1敗。本人は「苦手意識しかない」と言うものの、「レオキラー」ぶりを存分に発揮した。

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ロッテ大嶺祐、二木の武器、間接的に勝利貢献する「川満カーブ」とは[スポニチ]

今季開幕からロッテの先発ローテーションを任されている大嶺祐と二木は、ともにスローカーブが武器の1つ。この両右腕にカーブをアドバイスした投手が、2軍にいる左腕・川満だ。

川満は学生時代から、元中日の左腕・今中慎二が投げていたようなスローカーブを武器としていた。指にかからずにリリースされた球は回転数が少なく、山なりでフワッと落ちる。回転をかけるのではなく「抜く」ような球だ。

だが、九州共立大時代にプロ1年目のソフトバンク・武田のカーブを見て、速いカーブに憧れたという。武田の宝刀は指で縦回転をかけて鋭く落とすカーブ。「抜く」のではなく「かける」カーブだ。川満も練習したが、「抜く」のに慣れていたこともあり、習得には至らなかった。それでも、その2つの投げ方が合わさって「抜いてかける」カーブが完成したという。

「言葉で説明するのは難しい。“抜いてかける”としか言えない。抜いてから指(人差し指と中指)で引っかける感じ」と川満。球速は100キロ台だが回転が多く、鋭く落ちる。石垣島キャンプで初めて生で見たそのボールは、左打者の頭付近から落ちてワンバウンドするほどの大きな落差に見えた。

オフに宮古島で川満と自主トレをともにした大嶺祐は「川満はカーブが凄くいい。どこに意識を置いているか聞いたら、中指と言っていた。中指に力を入れる意識」と話す。カーブの精度が上がったことで、投球の幅が広がった。今季プロ初勝利を挙げた高卒3年目の二木は「川満さんにカーブの投げ方を聞いたけど“抜いてかける”は難しいですね」と言う。

4年目の左腕はまだ1軍登板がないが、「川満カーブ」は大嶺祐や二木に伝授され、相手打者を抑えている。試合に出なくても、間接的に勝利に貢献していると思う。本家の「川満カーブ」を1軍で見たい。
(記者コラム・渡辺剛太)

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ロッテ鮮やか逆転勝ち、デスパ逆転弾、ナバーロは貴重な適時打[スポニチ]

ロッテが鮮やかな逆転勝ちを見せた。3回まで1安打に抑えられていたが、0−1の4回1死一塁で4番・デスパイネが逆転の右越え5号2ラン。「当たりは良くなかったけど、ホームランになって良かったよ」。なお4回無死一塁で6番・ナバーロが左中間を破る適時二塁打。出場停止が解けてから3試合連続安打をマークした。助っ人2人の活躍に伊東監督は「打つべき人が打った」と目を細めた。

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ロッテ石川 7回1失点で2勝目、3回以降は得点圏走者なし[スポニチ]

ロッテの石川が尻上がりに調子を上げ、7回1失点で2勝目を挙げた。「走者をためて、長打を打たれないことだけを気を付けた」と口にした。

2回までに4安打を浴びたが、3回以降は得点圏に走者を許さなかった。昨季、西武戦は3戦3勝と相性の良さを誇った。今季の初対戦でも好投したが「苦手意識しかないです」と謙虚に話した。

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好調ロッテ支える70歳打撃投手、池田寮長、ストライク率9割超[スポニチ]

古希の打撃投手−。ロッテの池田重喜寮長兼打撃投手(69)が、5月1日に70歳の誕生日を迎える。67年ドラフト4位で大洋(現DeNA)に入団。71年からはロッテで選手、そして裏方として長い長い野球人生を歩んできた。70歳にしてユニホーム姿で、打者を相手に颯爽とボールを投げる。その凄さと長寿の秘訣とは。チームは現在、リーグ2位と好調。縁の下で支える「イケさん」に話を聞いた。

1メートル79、73キロ。細身の体に背番号110のユニホームがよく似合う。

「年齢じゃなくて、見た目で判断して欲しいなあ。みんなに年を分けてあげたいよ」。池田打撃投手の白髪交じりの髪は短く切られ、見るからに若々しい。生まれは終戦翌年の46年。「器用じゃないんだね。人生、これしかなかったんでしょう」。もうすぐ70歳。柔和な笑顔で野球にささげた半生を振り返った。

2軍の試合開始の3時間前。約15分間、7〜8秒に1球のペースでリズム良く、100球前後を投げる。「スピードは80〜90キロとかかな?」と笑うが「ストライク率」は9割超。ロッテ浦和だけでなく戸田、西武第2、鎌ケ谷…。関東近郊の試合は、選手と一緒のバスで球場に向かう。登板前には体操、ウオーキングなどで準備。終わっても体操だ。「年齢的にね。動かないと筋肉が固まるから」。80年にトレーニング指導士の資格を取得。長くコーチも務めた。体への豊富な知識が長寿を支えてもいる。

朝。目が覚めるなり、布団の中で腹筋、背筋、ストレッチなどを行う。万歩計を付け、1日に歩く歩数は1万4000〜5000。毎日、入浴の際に体重を量ることも欠かさない。「05年の日本一になったオフに、体重が80キロぐらいまで太っちゃって…。医者にも痩せなさい、と言われてね」。以来、朝昼晩と食事のメニューは毎日メモしている。そのノートは10冊以上。タバコは吸わない。晩酌は楽しみの1つだ。「これだけ運動してるからかな。寝ようと思えば、休日は10時間ぐらい眠れるよ」と言う。

「元気ですね」−。球団からそう言われ、「寮長兼打撃投手」という現在の肩書になったのは66歳だった12年から。それまでも現役投手、トレーニングコーチなどの傍ら、一心にボールを投げ続けてきた。新人だった68年6月14日の阪神戦(東京)で、投手ながら江夏豊からサヨナラ打。ロッテ時代の米キャンプでは、通算563本塁打の若きレジー・ジャクソンから4打数4三振を奪った。それでも、その長き野球人生はほとんどが黒子、裏方だった。

「あっという間だね。人間、2人はいないから。たらればを言っても仕方がない。後悔もしていないし、道はこれしかなかったんだな、と」。座右の銘は「我、ことにおいて後悔せず」。昔は大打者を相手に投げ、今は18歳のルーキー・平沢らと時をともにする。

「選手にとっては友達や親父…。兄貴、じゃないな。あと、おじいちゃんね。ファームで成長過程を見るのも嬉しいよ」。親しみを込めて「イケさん」と呼ばれる池田打撃投手には、寮長としての喜びもある。自身の家族は都内に住む夫人に、息子と娘。孫はいない。「孫がいたら、野球で鍛えるつもりだったんですけどね。だから、選手が孫のようなものですよ」。時には寝過ごした選手を起こし、一緒に風呂で野球談議を交わす。初勝利、初安打…。寮生が1軍で結果を残した際のお祝いも大事な儀式だ。

球界に身を置いて、来年で50年目になる。過去には肩を痛めたことも。これから何球投げるのか。「もういいでしょう(笑)。70までやらせてもらって。辞めてくれ、と言われたら辞める。なるようにしかならないから」。泰然。それでも池田打撃投手の目は、少年のように輝いていた。

平沢
「本当に凄い人。若い投手と変わらず、打ちやすい球を投げてくれる。70歳とは思えないほど若い。寮生の中で1人でも多く、そして僕も早く1軍に上がってイケさんに頑張っているところを見せたいです。」
池田重喜(いけだ・しげき)
1946年(昭21)5月1日、大分県生まれの69歳。津久見2年夏の甲子園に出場。日本鉱業佐賀関では65年ドラフトで広島に15位で指名されたが入団せず、67年ドラフト4位で大洋(現DeNA)に入団。71年にロッテに移籍し、77年引退。通算成績は155試合で13勝12敗、防御率3.53。投手コーチ補佐、育成担当コーチなどを歴任。12年から寮長兼打撃投手。1メートル79、73キロ。右投げ右打ち。

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同い年有藤氏が池田打撃投手に賛辞「投げる骨董品!」[スポニチ]

池田打撃投手と同じ46年生まれで、ロッテで一緒にプレーした有藤通世氏(本紙評論家)は「野球が好きというか…。70歳、本当に大したもの。“投げる骨董品”だよ!」と、最大級の賛辞を贈った。

榎本喜八、張本勲、野村克也、落合博満…。「一流の人は打ち損じがない。凄かった」と、池田打撃投手はかつて数々の大打者の相手を務めた。有藤氏も「僕もキャンプ、シーズン中と専属で投げてもらった。(自身の)2057安打のうち、何本も彼に助けてもらったよ」と振り返った。

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後輩打撃投手は現役続行願う「マットの上で死んでくれ、って…」[スポニチ]

ロッテのほかの打撃投手達も、大先輩に尊敬の念を抱く。48歳の福嶋打撃投手は「フォームに無駄がない。年を取ると体は動かなくなるけど、イケさんは同じタイミングで投げている」と話す。

選手時代にも指導を受けた49歳の石田打撃投手は「コーチのイケさんに“みんなと同じ練習やってたら駄目だ”と怒られた。プロの厳しさを教わった。イケさんには“(打撃投手が下に敷く)マットの上で死んでくれ”って言っているよ」と現役続行を願った。

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足でもナバーロ!好判断でタッチアップ、伊東監督「ゲームが決まった」[報知]

出場停止処分明け3戦目のロッテのナバーロ内野手(28)が、走攻守で引っ張った。

1点リードの4回無死一塁、3戦連続安打となる左中間への適時二塁打で3点目を奪うと、1死三塁では田村の遊撃後方へのフライに好判断でタッチアップ。「ショートが背走して投げられないと思った。自分の判断」。伊東監督も「あの走塁でゲームが決まった」と絶賛した。2回無死二塁の守備では竹原の一、二塁間のゴロへ飛びつき、好捕。「野球をできることが幸せ」と笑顔だった。

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ロッテ・ナバーロ好走塁、遊飛で生還[デイリー]

鮮やかな本塁奪取劇だった。ナバーロだ。4回、無死一塁で左中間へ適時二塁打を放って出塁した。

鈴木の二ゴロでスタートよく三塁へ。続く田村の打球は二塁後方へ上がった。中堅・秋山も前進してきたが、遊撃・金子侑が背走で捕球。三走・ナバーロは「ショートがあの位置にいると投げづらいと思った。センターが捕ったらいかなかった」とタッチアップして本塁へ生還した。

記録員の判断で「犠飛」にはならず、田村に打数1、打点1の記録が付いた。外野手または外野まで回り込んだ内野手が捕球した場合は犠飛となる。その場合は打数0、打点1。伊東監督は「あの走塁がゲームを決めた。見事だった。足にも結構自信があると言っていた」と目を細めた。

ナバーロは「たくさん走って疲れたよ」と笑って振り返った。

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山本功児氏の告別式に150人…長男の武白志「父との野球が1番幸せ」[サンスポ]

巨人やロッテで活躍し、23日に肝臓がんで亡くなった山本功児氏(享年64)の告別式が26日、横浜市のシティホール江田で営まれ、球界関係者ら約150人が最後の別れを告げた。

棺の中の山本氏は巨人のヘッドコーチ時代のユニホーム姿で、周りには巨人の帽子と愛用のジャージーが収められた。DeNAに育成選手として所属する18歳の長男・武白志(むさし)が親族代表の謝辞で、「苦しい時も嬉しい時も父と一緒に野球をやってきたことが1番幸せでした」と声を詰まらせながら、挨拶した。

参列した前巨人監督の原辰徳氏(57)は「洗練されていて野球はもちろん、洋服の着こなしも上手。ああいう存在になりたいと思える先輩だった」と述懐。武白志には「お父さんを超えるような選手になろうな」と声をかけたという。

山本氏は1976年にドラフト5位で巨人入りし、84年にロッテに移籍。88年に現役引退後はロッテ監督、巨人ヘッドコーチなどを務めた。

主な弔問者
原辰徳、屋鋪要、松尾英治(いずれも巨人OB)、上川誠二(ロッテOB)、鈴木葉留彦(西武球団本部長)、楠城徹(九国大付高野球部監督)、徳光和夫(アナウンサー) =敬称略

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「日本野球協議会」5・1発足へ、プロとアマの架け橋に[サンスポ]

日本野球機構と、アマチュア野球を統括する全日本野球協会(BFJ)は26日、東京都内で野球の普及、振興などを目的とした「日本野球協議会」を5月1日付で発足させることを発表した。

同会には、将来的に指導者の資格を取得できるようにするライセンス制度の導入などを検討する「普及・振興委員会」や選手の選出などを議論する「侍ジャパン強化委員会」など、5つの小委員会を設置する。

会長に就任するプロ野球の熊崎勝彦コミッショナーは「一つの架け橋を作った。効率的、効果的に議論の場として活用していく」。副会長の市野紀生・BJF会長は「プロといい接点を持ちたい」と期待した。

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野球賭博「自主申告」なし 熊崎C「調査終了という気持ちは毛頭ない」[サンスポ]

日本野球機構の井原敦事務局長は26日、野球賭博問題で当事者の「自主申告」を促す特別措置の適用期間(6〜25日)が前日に終了したことを受け、申告、第三者からの情報提供ともになかったことを明らかにした。

「大きな区切りとは考えていない。調査委員会は(全容解明に向けて)関係者へのヒアリングを継続して行う」と同事務局長。熊崎勝彦コミッショナーも「結果はきっちりと受け止めるが、これで調査終了という気持ちは毛頭ない」と語った。

野球協約の規定では、野球賭博に関わると無期か1年間の失格処分を受けるが、期間内に申告すれば無期失格となっても1年で処分が解ける可能性があった。

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「野球・ソフト」会場案にハマスタ、QVC、東京D[スポニチ]

2020年東京五輪の競技種目復活を目指す「野球・ソフトボール」の会場案として横浜スタジアム、QVCマリンフィールド、東京ドームが挙がっていることが26日、分かった。

福島は候補案に入っておらず、首都圏での開催を前提に検討が進められているという。横浜スタジアムを本拠地とするDeNAの池田純球団社長は「五輪も見据えて改修していかないと、と思っている。横浜市とはしっかりと(改修についての)話はできている」とした。

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野球賭博問題、申告期間中の情報提供はゼロ「キチッと受け止めねば」[スポニチ]

日本野球機構(NPB)は26日、野球賭博問題で「自主申告」を促すための特別措置について、25日までの期間内に当事者の申告や第三者からの情報提供がなかったことを明らかにした。

熊崎勝彦コミッショナーは「なかったという結果はキチッと受け止めなければならない」とした。「野球協約上のでき得る限りのギリギリの解釈、判断に基づいてとった措置」と同コミッショナーが話す今回の限定措置は、期間内に申告すれば無期失格となっても1年で処分が解ける可能性を示した。しかし、申告者はなく、捜査権のない調査の行き詰まりの解消とはならなかった。今後の調査は難航することも予想されるが「特別措置の導入は1つの調査の過程。手を緩めず、しっかりとした調査を続ける」とし、NPBの調査委員会に全容解明に向けた調査を継続させる意向を示した。

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NPB、「野球賭博問題」自主申告なし[デイリー]

日本野球機構(NPB)は26日、野球賭博問題で関与した当事者の「自主申告」を促す特別措置の期間が25日で終了したのを受け、賭博関与の当事者からの申告および第三者からの情報提供がなかったことを発表した。

プロ野球の熊崎勝彦コミッショナーは「(申告が)なかったという結果は受け止めないといけない。ただ、これからも手を緩めず、しっかりとした調査は続ける」と話した。

特別措置は、今年3月に巨人の高木京介元投手による野球賭博関与発覚を受け、問題の全容解明へ熊崎コミッショナーの指示で施行。6日から20日間の期間で実施し、期間内に申告すれば無期失格処分が1年の有期に変更の可能性があった。

NPBの調査委員会は関係者の聞き取りやメール解析などの調査を継続中。熊崎コミッショナーは「自主申告は、1つの調査過程における特別措置導入」と方法論の1つの考えを示したが、処分軽減期間を終えて新たな申告者が出る可能性は低い。現行の野球協約の中で調査に手を尽くしてきたが、全容解明への道は険しいままだ。

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[千葉魂]涌井の一言に救われ初勝利、二木「あの人のように」[千葉日報]

外野フェンス沿いで、1人立ち尽くしていた。4月6日、福岡ヤフオクDの外野。試合前打撃練習中、二木康太投手は前日の投球を振り返っていた。ホークス戦に先発して3回1/3を投げて3失点。今季初先発から2戦連続で5回もたずに、降板をした。1軍の舞台でチャンスは何度もあるものではない。危機感、焦りを感じた。野手が放つフリー打撃のボールの行方を追いかけながら1人、自問自答を繰り返していた。

「2戦連続KOですからね。せっかくチャンスを頂いたのにと。苦しかったですし、落ち込みました。何がいけないのかと色々と考えていた」。

練習時間終了が迫っていた。セットアッパー陣はロッカーに引き揚げ、外野センターに用意されていた投手の調整スペースには2、3人の先発投手を残すのみとなった。悩める右腕に、スッと近寄る選手の姿があった。涌井秀章投手だった。少しばかり会話をすると、身振り手振りでアドバイスを繰り返した。神妙に聞き入った。

「キャンプの時と今で、フォームがちょっと違っているよね。キャッチボールから、違う。あの時はこんな感じだった。今はこんな感じになっていないかな」。

先輩からの指摘に、ハッとさせられた。気づかないうちに微妙にフォームにズレが生じていた。好調な調整をしていたキャンプ時と比べ、いつの間にか変化をしていた。小さな変化だが、それがボールに与える影響は大きい。それを涌井はハッキリと教えてくれた。何よりもそれを指摘してもらえたことが嬉しかった。

「ボクなんて去年までずっと2軍ですから。涌井さんと話をする機会もほとんどなかった。雲の上の存在。その人が自分のことを見てくれていたことがとてもありがたかった。キャンプの時のキャッチボールのフォームを覚えてくれていて、その違いを指摘してくれたことに驚きました。嬉しかったです」。

心優しいアドバイスを、二木は意気に感じた。それから次回登板までの期間、そのフォームのズレを意識し、徹底的に修正をした。涌井もまたそのフォームを見て、「よくなっていると思う。これで大丈夫じゃないかな」と後押ししてくれた。そして臨んだ4月12日の楽天戦(Koboスタ)。若者は杜の都のマウンドで躍動した。9回を6奪三振、1失点。8回まで無失点の好投を見せ、プロ初勝利をマークした。

「あの一言は大きかったです。自分の中でも次はうまくいくという自信になった。せっかくのアドバイスを無駄にする訳にはいかないという気持ちになりました」。

初勝利を挙げた翌日、あの時と同じように外野で次回登板に向けて調整をしていると涌井が話しかけてくれた。「初勝利おめでとう」。短い言葉で祝福してくれた。そして続けた。「負けている時に落ち込んでも仕方がないぞ。何が悪かったかをしっかりと分析したら、あとは次の登板に向けて前向きに取り組めばいい」。エースは若者の心情を全て見通していた。結果が出ずに焦り、夜も眠れないほどに気落ちする二木の姿を見てあの時、タイミングを見計らって、端的にアドバイスをした。その言葉に背番号「64」は救われた。大きく変わるキッカケをつかんだ。今もその時の言葉の1つ1つを思い返しながら、練習に取り組んでいる。

「言葉数は決して多い人じゃないけど、本当に後輩思いでいい人。あの人のようになれるようにこれからも頑張りたい」。

弱冠20歳の右腕のプロ野球人生は始まったばかり。これからも悩み、いくつもの壁にぶつかるだろう。ただ、そこに涌井という先輩がそばにいることは大きな幸せだ。きっと、また本当に苦しんでいる時があればタイミングを見計らって、そっと声を掛けてくれるだろう。優しく後輩を正しい道へと導いてくれるはずだ。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)

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