わたしはかもめ2016年鴎の便り(7月)

便

7月26日

オリックス3−6千葉ロッテ(京セラドーム)

ロッテが競り勝った。3−3の8回1死一、二塁から代打根元が中前に勝ち越し打を運び、鈴木が2点二塁打で続いた。6回に追い付いたオリックスは西が踏ん張れず、クライマックスシリーズへの自力進出の可能性がなくなった。

123456789R
千葉ロッテ0000300306
オリックス0000030003

ページトップ

ロッテ根元昇格後初のヒーロー!西の勝負球狙い打ち[ニッカン]

ロッテ根元俊一内野手(33)が8回1死一、二塁、代打で決勝打を放った。オリックス西の低めのチェンジアップを中前へ打った。

「いい場面だったし相手もベストボールで入ってくると思っていた。初球のボールは打ち損じてしまったけど、切り替えて追い込まれてからも食らいつけた。三振だけはしないようにと思って打ちました」。

7月13日に1軍昇格後、初めてのヒーローとなり、ホッとした様子だった。

ページトップ

ロッテ荻野「いい追加点」スタンリッジ援護の2点打[ニッカン]

ロッテ荻野貴司外野手(30)が5回2死二、三塁、詰まりながらも中前へ安打を放ち、2点適時打とした。

「ジェイソン(スタンリッジ)が頑張っていたので何とかしたかった。ツーアウトでランナーが得点圏に残っていたので得点に結びつけたかった。いい追加点が取れた。自分にとっても、色々な意味でいいヒットになりました」と喜んだ。

ページトップ

ロッテ田村が先制適時二塁打「右方向を意識した」[ニッカン]

ロッテ田村龍弘捕手(22)が5回1死一塁、先制適時二塁打を放った。

オリックス西の真ん中高め142キロ速球を右方向へ。打球は最後の一伸びで右翼手の出したグラブの上を越えた。「ゲッツーだけは打たないようにと思っていました。右方向を意識していた」と狙い通りの結果を喜んだ。

ページトップ

打率トップのロッテ・角中にバント!伊東監督の執念采配実った[サンスポ]

同点の8回無死一塁から3番・角中の今季初の犠打をきっかけに3点を勝ち越した。打率.333はリーグトップの角中だが、前の打席まで9打席続けて安打がなく、「今の状態で何のサインも出さない監督はいない。バントは得意ですから」と脇役に徹した。1死一、二塁から、代打で中前勝ち越し打を放った根元は「絶対に勝負どころと思っていた」と胸を張った。

伊東監督
「1点が欲しい時は、ああいうこともあると選手には話している。」(8回の角中の犠打について)

ページトップ

ロッテ・伊東監督、スタン6回3失点に「よくあそこまで投げてくれた」[サンスポ]

ロッテのスタンリッジは6回3失点とまずまずの結果だった。前回の登板で腰の違和感を訴えて1回で降板していたが「腰は全然問題ないよ」と言ったように、影響を感じさせなかった。

3点リードで迎えた6回に4安打を浴びて追い付かれ「ビッグイニングを与えてしまい、残念な結果になってしまった」と悔やんだ。それでも伊東監督は「制球もテンポも良かった。よくあそこまで投げてくれた」とねぎらった。

荻野
「ジェイソン(スタンリッジ)が頑張っていたので何とかしたかった。自分にとってもいいヒットになった。」(5回に2点打)

ページトップ

ロッテ・田村、先制二塁打に手応え「しっかり捉えられた」[サンスポ]

ロッテの田村が先制の二塁打を放った。5回1死一塁。高めの速球をたたいた打球は、やや浅めに守っていた右翼手の頭上を越えた。「ゲッツーだけは打たないようにと思っていた。しっかり捉えることができて、当たりも悪くなかった」と手応えを口にした。

直前の4回の守備では、二盗を試みた安達と糸井を鋭い送球でともにアウトにしていた。攻守両面で先発スタンリッジをもり立てた。

ページトップ

ロッテ“高校野球戦法”だ!角中送りバント→根元が決勝打[スポニチ]

3−3の8回無死一塁で打率リーグ1位のロッテ・角中が打席に立った。初球。きっちり捕手の前に送りバントを決めた。デスパイネの四球を挟み、1死一、二塁から代打・根元の勝ち越し適時打、さらに鈴木の2点二塁打で試合を決めた。

角中は「今の状態で何のサインも出さない監督はいない。打てないけどバントは得意なので問題なくやった」と自嘲気味に笑った。ここまで打率.333をマークしているが、7月は64打数17安打の打率.266と不調。伊東監督は「普段の状態であれば打たせて一、二塁間に引っ張ってくれる。さほど状態が良くない」と采配の意図を説明。昨季も7犠打を記録している角中は1球で難なく期待に応え、勝ち越しのお膳立てをした。

主軸が送りバントをする高校野球さながらの戦術。角中の母校・日本航空二(現日本航空石川)は石川大会の決勝に進んだ。25日の準決勝では同僚の三木の母校・遊学館を下した。移動日だった角中は三木を連れて北陸新幹線に乗り、現地で観戦。試合後、特急「サンダーバード」に乗り込み「高校野球魂」を胸に大阪入りしていた。

残り52試合で首位・ソフトバンクとは9.5、2位・日本ハムとは5ゲーム差。伊東監督は「終盤の1点欲しいところでああいうことはある」と話した。逆転優勝に向けて一戦も落とせない覚悟で臨む。

根元
「ああいう采配(角中の犠打)だったので勝負所だと思った。何とか結果を出したかった。」(8回に代打で中前決勝適時打)

ページトップ

ロッテ、終盤勝ち越し、代打根元がV打、オリ追い付くも粘れず[スポニチ]

ロッテが終盤に打線がつながりオリックスに競り勝った。

5回1死一塁から田村の適時二塁打、2死二、三塁として荻野の2点打で3点を先制、6回に追い付かれたが、8回には1死一、二塁から代打根元の適時打と鈴木の2点二塁打で3点を勝ち越した。先発スタンリッジが6回3失点にまとめ、救援陣が無失点リレーで勝ち切った。

オリックスは6回に5安打を集めて追い付いたが先発西が踏ん張れず、クライマックスシリーズへの自力進出の可能性がなくなった。

田村
「打ったのはストレートです。ゲッツーだけは打たないようにと思っていました。右方向に意識していて、ライトも前だったので頭を抜けてくれましたね。しっかり捉える事が出来て当たりも悪くなかったです。こういう展開なので、先に点を取る事ができて良かった。」(5回先制適二塁打、7月23日楽天戦=コボスタ宮城=以来の適時打)
荻野選手
「打ったのはストレートかシュートですかね。ジェイソン(スタンリッジ)が頑張っていたので何とかしたかった。ツーアウトでランナーが得点圏に残っていたので、何とか点に結び付けたかったので、いい追加点が取れました。自分にとっても色々な意味でいいヒットになりました。」(5回2点適時打、7月22日楽天戦=コボスタ宮城=以来の適時打)
スタンリッジ
「チームが3点をリードしてくれたのに、6回にビックイニングを与えてしまい残念な結果になってしまった。フラストレーションが溜まる試合にしてしまったよ。あとはチームが頑張って勝ってくれる事を祈るだけ。腰?腰は全然問題ないよ。」(6回6安打3失点)

ページトップ

ロッテ、ナバーロがスタメン復帰、伊東監督「納得できるスイングを」[スポニチ]

打撃不振のため24日の楽天戦(コボスタ宮城)を欠場したロッテのナバーロが、26日のオリックス戦(京セラドーム)でスタメン復帰した。

過去5試合で1安打5三振、打率.228。伊東監督は「気分的なものだと思うし、練習ではリラックスしてした。結果が出れば1番いいけど、自分が納得できるスイングをしてくれればいい」と話した。

ページトップ

伊東監督の采配的中!不調の首位打者・角中に犠打指令[報知]

ロッテ・伊東監督の采配が的中しロッテが連勝した。

同点の8回無死一塁。リーグ打率トップで今季ここまで0犠打の角中にセーフティーバントのサイン。二塁へ送ると、デスパイネ四球の後、細谷の代打・根元が勝ち越しの中前適時打を放った。指揮官は首位打者へのバント指令に「そんなに珍しい?状態がよくないし、どうしても1点が欲しいところだったから」とサラリ。角中も「今の状態でサインを出さない監督はいないと思う。バントは得意」と納得の表情だった。

ページトップ

ロッテ、代打・根元が決勝打「初めて見た」角中の犠打に奮起[デイリー]

ロッテが2連勝。3−3の8回1死一、二塁から代打・根元の中前適時打と鈴木の右中間適時二塁打で3点を勝ち越した。

5回は1死一塁から田村の右越え適時二塁打で1点を先制。さらに2死二、三塁から荻野の中前適時打で2点。先発・スタンリッジが6回6安打3失点。2番手・南が2勝目(2敗)を挙げた。

決勝打の根元はヒーローインタビューで「ああいう場面で使ってもらって、そこで仕事ができて僕が1番ホッとしています。(前々打者・角中の送りバントは)初めて見たので、何とかいい結果を出したかった。嬉しいです」などと語った。

オリックスは先発・西が7回1/3、8安打6失点で9敗目(6勝)。0−3の6回1死二、三塁から安達の右前適時打で1点。さらに一、三塁から糸井の遊ゴロが併殺崩れとなる間に1点。なおも2死一、三塁から代打・川端の左前適時打で同点に追い付いたが、突き放された。

ページトップ

[千葉魂]福浦、亡き恩師のために、野手転向勧めてくれた山本氏[千葉日報]

「頑張ってこいよ!」。その時の声と光景は今も鮮明に思い出すことができる。1997年7月5日。福浦和也内野手が初めて1軍昇格をしたプロ4年目のことだ。その前夜、1軍から急な招集がかかり、デーゲームに間に合うようにと朝1番の早朝便で2軍の遠征先の秋田から羽田空港に移動することになった。まだ外は薄暗く、誰もが眠っているはずの時間帯。1人、宿泊ホテルでチェックアウトを済ませたくさんの荷物を抱え、出発をしようとすると、ロビーには2軍監督の姿があった。驚いた。そしてその優しさが、身に染みた。力強く肩をたたかれ、若者はタクシーに飛び乗った。手を振り、姿が見えなくなるまで見送ってくれた。活躍を約束し、初めて1軍に合流したあの日から長い月日が流れた。当時、2軍監督を務めた山本功児氏は2016年4月23日、64歳で、この世を去った。そして初の1軍に興奮し、ほとんど寝ることもできずに旅立った若者は今や40歳になり、マリーンズの大ベテランとしてチームの精神的支柱となっている。通算2000本安打の大記録まで、あとわずかなところに迫っている。

「今の自分があるのは山本さんのおかげ。本当に恩人。思い出はありすぎるよ。よく怒られたし、打撃でも守備でも色々と指導をしてもらった。何よりも投手から野手への転向を勧めてくれたのが山本さんだからね」。

ある日の練習の間。福浦は空を見上げ、若い選手相手に遠い昔を振り返った。原点は、投手として入団をした1年目のことだ。2軍キャンプが終わり、浦和球場に戻った時、当時は2軍打撃コーチをしていた山本氏に声を掛けられた。「打撃の才能がある。野手をしてみないか」。最初は冗談だと思い、愛想笑いでごまかしていた。だが、目が合うたびに何度も声を掛けられ、いつしか本気だと知った。「オレはピッチャーをやりたかったから、断り続けていたよ」。しかし、最後はその熱意に押された。練習の合間の休憩時間に、試しにと打撃ケージ内で打った。それをじっと観察していた2軍首脳陣はその後、決断を下した。福浦和也は投手から内野手となった。プロ1年目のオールスター休み明けから本格的な野手としての日々が始まった。

「とにかく練習をした。山本さんに、させられたというのが正しいけどね。あの時は毎日、朝から夜まで本当にバットを振った」。

プロ野球は2軍とはいえ、投手から転向したばかりの打者がすぐに通用するほど甘くはない。本人が振り返るようにひたすら練習の日々が始まった。チーム全体練習前に朝練の特打。試合後も特打。寮に戻ってもバットを振った。遠征先での試合を終え、ヘトヘトに疲れて寮に戻ってきた際も室内での特打を命じられた。休日もバットを振った。野手としての遅れは歴然。少しでも一人前になるべく、悔いを残さないように、とにかくバットを振るしかなかった。そして、その側にはいつも寄りそう山本氏の姿があった。

「最近は連絡を取る機会も少なくなっていた。電話では何度かお話をしたけどね」。

訃報を耳にした時、大きなため息をついた。そして数えきれない思い出を振り返った。強烈に残る山本氏の記憶が福浦にはある。1軍監督退任が決まった03年10月12日のシーズン最終戦。本拠地マリンでの試合には3万人の観衆が詰め掛けた。オリックスに5−1で勝利。試合後、「山本マリン」の地鳴りのようなコールが響き渡った。選手達は当初の申し合わせ通り、ユニホームを脱ぐ監督を胴上げしようとした。しかし、山本氏は固辞した。強く断った。そして選手達の輪の真ん中で「胴上げは優勝をして、次の監督にやってあげてくれ。ありがとう!」と涙ながらに頭を下げた。その光景が頭から離れない。それから2年後の05年。マリーンズは日本一になり、ボビー・バレンタイン監督が宙に舞った。山本氏の下で鍛えられた選手達が躍動し、その思いが現実となった。歓喜の瞬間、山本氏の誰にも負けないマリーンズ愛を思い出した。そして今、福浦はその意志を引き継ぐように、マリーンズへの熱い思いを胸にグラウンドに立っている。

「あとどれくらい、現役があるかは分からないけど、オレの野球人生の最後まで見届けて欲しかった。今は寂しい思い。天国で見守って欲しい」。

福浦は7月13日に1軍昇格をした。そして杜の都・仙台での22日のイーグルス戦。今季初ヒットを含む3安打2打点で、2000本安打の大記録に一歩、前進した。その打撃は山本氏と二人三脚で特打を繰り返したあの時の練習が土台となっている。ここまでの道をつくってくれた亡き恩師の思いと優しさに報いるため。そして山本氏が愛したマリーンズのために背番号「9」はバットを握り続ける。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)

ページトップ