わたしはかもめ2016年鴎の便り(9月)

便

9月1日

千葉ロッテ6−4オリックス(QVCマリン)

ロッテが今季のオリックス戦の勝ち越しを決めた。1回に角中の投ゴロの間に先制し、2回に細谷の適時二塁打などで2点、3回に井口の3ランで突き放した。チェンが6回途中まで1失点で今季初勝利。オリックスは反撃が遅すぎた。

123456789R
オリックス0001000304
千葉ロッテ12300000x6

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井口、サブロー惜別弾で1000打点も「通過点」[ニッカン]

ロッテ井口が通算1000打点に達した。3−0の3回1死一、二塁、オリックス山田の直球を左翼席へ。5号3ランで通算1002打点とし、大台に乗せた。本塁打は通算249号だ。「まだまだ通過点。長くやっていれば、これぐらいの数字だとは思います。(250本塁打は)今季中に打てるよう頑張ります」とクールに話した。

プロ初打点も本塁打だったが、打点にはこだわりがある。「チームの貢献度は打点。3番を打っていた頃は、ホームラン以上に価値があると思っていた。積み重ねで、ここまで出来た」と胸を張った。8月11日以来の連勝を呼ぶ3打点だった。伊東監督も「井口の1発が効いた」と最敬礼だ。

12月には42歳になる球界野手最年長として、若手に寄り添う。連敗中の8月26日に選手だけでミーティングが開かれたが、その時には「やるべきことをやろう」と進むべき道を示した。どん底だったチーム状態も上向きつつある。そして、この日は、2学年下のサブローが引退会見を行った。来季も現役を続ける井口は「同じ年代の人が、毎年のように去っていくのは寂しい。自分も遠い話ではない。あらためて、残りの野球人生、悔いのないように戦いたい」と決意を口にした。

通算1000打点=井口(ロッテ)
1日のオリックス22回戦(QVCマリン)の3回、山田から5号3ランを放って達成。プロ野球44人目。初打点はダイエー時代の97年5月3日の近鉄4回戦(福岡ドーム)。

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サブロ〜〜〜、場内アナ「引退試合は伸ばそうかな」[ニッカン]

今季限りでの引退を表明したロッテ・サブロー外野手(40)が1日、QVCマリンで会見した。「年齢もあるし、野球選手は1軍で働かないと。上でやる機会がなかった」と決断。22年間の1番の思い出には、05年の日本一を挙げた。入団時の目標だった40歳まで現役を果たし「球団に感謝。やり遂げた。後悔はありません」と言い切った。

晴れやかな表情が消えたのは、ファンへの言葉を求められた時だ。「熱い応援に感謝します」の後、詰まった。「男は泣かない」と、引退を知った子供達にも見せなかった涙がこぼれた。「泣いちゃダメなんだけど」と照れ隠しで笑った。引退試合は25日オリックス戦(QVCマリン)に決定。「サブロ〜〜〜」の場内アナウンスで知られる谷保さんは「打席に立てないぐらい、長く伸ばそうかな」。会見にはチームスタッフも大勢詰めかけた。ロッテを「愛してます」と言ったサブローこそ、多くの人に愛された。

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ロッテ・デスパイネが左手首痛で途中交代[ニッカン]

ロッテ・アルフレド・デスパイネ外野手(30)が左手首痛のため、途中交代した。

前から痛みを覚えていたが、3打席を終えたところで痛みが強くなったという。8回の第4打席で代打を送られた。

今後の出場について、伊東監督は「明日の様子を見て」と話した。

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ロッテ・チェン今季初勝利「今日は嬉しい。最高」[ニッカン]

ロッテ・チェン・グァンユウ投手(25)が今季初勝利を挙げた。今季4度目の登板で、オリックス打線を5回2/3、4安打1失点に抑えた。

移籍2年目の今季は、1軍で投げる機会が少なかった。「ファームで悔しかった。今日は嬉しいです。最高です」と笑顔だった。

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ロッテ細谷が適時打「いい流れ」金沢も続いた[ニッカン]

ロッテが1−0の2回に2点を追加した。

まず、細谷圭内野手(28)が1死二塁で左中間に適時二塁打を放った。甘いチェンジアップを逃さなかった。「井口さんが出て、大地(鈴木)が一発で送ってのいい流れで打席に入らせてもらったので、いい流れで打てました。まだ序盤なので気持ちを引き締めて戦います」と話した。

さらに、次打者の金沢岳捕手(32)が右前適時打で続いた。今季初打点を挙げ「チェンがここまでいい立ち上がりを見せてくれているので、早めに援護してあげたい気持ちだった。細谷に続くことが出来て良かった。後はしっかり守りの方をやっていきたいです」と話した。

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ロッテ井口が通算1000打点「まだまだ通過点」[ニッカン]

ロッテ井口資仁内野手(41)が通算1000打点に達した。

3−0の3回1死一、二塁で、オリックス山田の真っ直ぐを左翼席へ運んだ。ここまで通算999打点だった。5号3ランで、通算1000打点を突破。通算本塁打も、これで249本となった。

ダイヤモンドを回ると、ベンチ前で花束を渡され、祝福された。「1000打点はまだまだ通過点と思っているよ。でも節目をホームランで決められたのは良かったね。今日から9月。最初の試合を気持ちよく勝って勢いをつけて行きたいね。250本まであと1本?すんなり行けるように頑張るよ」と話した。

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名物アナウンス「サブロ〜〜〜」の誕生秘話明かす[ニッカン]

ロッテ・サブロー外野手(40)が1日、QVCマリンの名物アナウンス「サブロ〜〜〜」の誕生秘話を明かした。

球団職員の谷保さんが、「サブロー」の「ー」を伸ばすことで有名。この日の引退会見で、アナウンスについてどう思っていたのか、質問された。

サブロー
「最初は目立ちたかったのかな。谷保さんに、僕だけ特別なものをお願いしますと。それから、記事で(場内アナウンスが)風物詩になんて読んで、嬉しかったですね。冗談で、さっき(谷保さんに)『戦略的に成功ですね』と言いました。」

そう話して、笑いを誘った。さらに、こう続けた。

サブロー
「交流戦で(巨人阿部)慎之助がキャッチャーで『長いな』とか言われたり、巨人に移籍した時、ヤクルトのコーチから『もう聞けないのか』とか言われたり。僕自身も(アナウンスを聞くのは)気持ち良かったです。年々、伸びてますけどね。」

会見の最後は、その谷保さんから花束を受け取った。引退試合は、25日のオリックス戦(QVCマリン、午後1時開始)に決定。「サブロ〜〜〜」とコールするのは、もちろん、谷保さんだ。

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ロッテ・サブロー引退試合は25日「とても楽しみ」[ニッカン]

ロッテは1日、今季限りでの現役引退を表明したサブロー外野手(40)の引退試合を、9月25日のオリックス戦(午後1時開始、QVCマリン)で行うことを発表した。当日のセレモニー内容等、詳細は決まり次第、随時、発表する。

サブローは「マリーンズファンの皆様には22年間温かく見守っていただき、熱く応援していただき、感謝の言葉しかありません。マリーンズファンは日本一です。当日、ファンの皆様と一緒の時間を過ごせることをとても楽しみにしています」と感謝のコメントを出した。

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ロッテ平沢、発熱で体調戻らず登録抹消[ニッカン]

ロッテのドラフト1位、平沢大河内野手(18)が1日、出場選手登録を抹消された。

前日から発熱を訴えていたが、この日も体調が戻らなかった。伊東監督は「今は1人でも選手が欠けたら痛い。かといって、ケガ人を抱える余裕もない」と説明。平沢については「一時より、試合に出て結果も出た。良い経験は積めた」と話した。

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サブロー引退会見「上でやれる機会がなかった」[ニッカン]

今季限りで現役引退を表明したロッテ・サブロー外野手(40)が1日、QVCマリンで会見した。

引退を決めた理由を聞かれ、「やっぱり年齢もありますし、野球選手であるからには1軍で働かないといけないと思いました。上でやれる機会がなかったのが1番の理由です」と答えた。22年目の今季は開幕から2軍で、まだ昇格していない。

プロ生活の1番の思い出には、05年の日本一を挙げた。「嬉し涙を流すことは、僕の中にはないと思っていました。初めて嬉し涙を流したことが記憶に残っています」と話した。

また、ファンへのメッセージを聞かれ、「22年間、一時、半年間、ジャイアンツに行ったけど、帰って来た時も温かく迎えていただき、熱く応援いただいたことに感謝しています」と答えたところで、言葉に詰まり、目元をぬぐった。

1分ほど沈黙した後、「すいません、泣いちゃダメなんですけど」と照れ笑い。ロッテへの思いを問われ「愛してます」と即答した。

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「初めての嬉し涙が記憶に」/サブローに聞く[ニッカン]

ロッテ・サブロー外野手(40)の引退会見の主なやりとりは、次の通り。

≫引退を決めた理由。
サブロー
「やっぱり年齢もありますし、野球選手であるからには1軍で働かないといけないと思いました。上でやれる機会がなかったのが1番の理由です。」
≫1番の思い出。
サブロー
「05年の日本一です。まさか、僕が入って日本一になれるとは夢にも思っていなかった。なりたかったことが実現して、嬉し涙は僕の中にはないと思っていました。初めての嬉し涙を流したことが記憶に残っています。」
≫40歳までプレーした。
サブロー
「入団当初から、40歳までやると決めていました。やらせていただいた球団に感謝です。やり遂げた感はあります。後悔はありません。」
≫チームメートとは。
サブロー
「まだ話していません。会わずに帰ろうかと思っていましたが、(会見場の後方を見て)後ろにいっぱいいる。最後(引退試合)会えますし、その時にまた。愚痴も聞いてもらいましたし、複数の方とも相談しました。最後は、僕が決めること。」
≫家族とは。
サブロー
「子供が泣くのは分かっていたので、なかなか言えませんでした。昨日、ニュースを見たらしくて、僕から言えずに申し訳なかった。次の夢を、息子2人に託して、僕は終わりにしたいと思います。(子供達からは)『お疲れさまでした』と。泣かれて、ウルッと来ました。普段、男は泣かないと言っているんで、我慢しました。」
≫今後は。
サブロー
「全く、何も。」
≫またユニホームを着たいか。
サブロー
「球団のために出来ることがあれば、何でもやりたいです。」
≫昨年、少年野球チームを創設。その活動は。
サブロー
「続けていきます。ロッテは、千葉の人でスターを作りたい。継続します。」

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サブロー、号泣会見「ロッテを愛してます」、引退試合25日オリ戦[サンスポ]

今季限りで現役を引退するロッテ・サブロー内野手(40)が1日、QVCマリンで会見を行った。一時期、巨人に在籍したが、ほぼロッテ一筋といっていい22年間の現役生活を振り返り「やり遂げた。ロッテを愛してます」と号泣する場面もあった。引退試合は25日のオリックス戦(QVCマリン)に決定。“千葉のいぶし銀”は、今夏限りで休部となった母校、PL学園高(大阪)とともに去りぬ−。

2男1女の父として「男は泣かない!!」と教え導くサブローが、こらえ切れずに号泣した。 「22年間、熱く応援していただき、感謝の言葉しかありません」といって言葉が途切れる。しばらく下を向いて、涙をぬぐった。「すみません。泣いちゃ、駄目なんですけど…」と人目もはばからずに涙した。

「年齢のこともありますし、野球選手であるからには、1軍で働かないといけない。(引退理由は)上でやれる機会がなかったことです。ただ、『やり遂げた感』はある。後悔もありません」。

今季は母校、PL学園高との浅からぬ縁を感じていた。今春の沖縄・石垣島キャンプ中、先輩の清原和博氏が覚せい剤取締法違反容疑で逮捕された。「自分は清原さんに憧れてPL学園に入学した。残念としか言いようがない」。ショックで肩を落とした。同校野球部は今夏限りで休部。長い歴史に幕を閉じた。

この日、同高時代の恩師、中村順司元監督(70)からねぎらいの電話が入った。「何か、寂しいな…と。僕とも重なって、これも何かの縁ですかね」。母校を愛し、ロッテ愛にも満ちた野球人生だった。

「ロッテを愛しています。ファンも日本一。声の大きさ、まとまり、それはもう、ロッテはどこにも負けない」。

そのファンに、最後の雄姿をみせる「引退試合」は25日のオリックス戦(QVCマリン)に決定。チームの功労者として、来季以降もコーチかフロントとして球団に残留することが濃厚だ。「今、自分からは何もいえない。ロッテを世界一のチームにして欲しい」。超個性派の選手が、惜しまれながらユニホームを脱ぐ。

データBOX
(大村三郎=おおむら・さぶろう)1976(昭和51)年6月1日生まれ、40歳。岡山県出身。PL学園高から95年ドラフト1位でロッテ入団。2000年からレギュラーに定着し、05、10年の日本一に貢献。11年には巨人でもプレーした。主なタイトルはゴールデングラブ賞2度。1メートル81、90キロ。右投げ右打ち。既婚。年俸6500万円。背番号3。

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場内アナウンス係の谷保さん、命懸けコールでロッテ・サブロー送り出します![サンスポ]

今季限りで現役を引退するロッテ・サブロー内野手(40)が1日、QVCマリンで会見を行った。一時期、巨人に在籍したが、ほぼロッテ一筋といっていい22年間の現役生活を振り返り「やり遂げた。ロッテを愛してます」と号泣する場面もあった。引退試合は25日のオリックス戦(QVCマリン)に決定。

サブローの引退会見で花束贈呈役を務めた場内アナウンス係の谷保恵美さんも涙。「サブロ〜〜ッ!!」という独特の登場コールはQVCマリンの風物詩で「何か独特なものをお願いします」とサブローから頼まれたのは1995年の入団時だった。2005年くらいから現在のコールとなり、「年々(語尾が)伸びています」。引退試合は25日のオリックス戦。谷保さんは「(酸欠で)倒れるまで伸ばします。打席に入れません!!」と命懸け(!?)のコールを誓った。

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ロッテ・井口が史上44人目の通算1000打点!「まだ通過点」[サンスポ]

41歳のベテラン井口が3回に5号3ランを放ち、史上44人目の通算1000打点を達成した。一気に1002打点とし、「長くやっていればの数字。まだ通過点です」。この日はサブローが試合前に涙の現役引退会見。井口にも特別な思いがあった。「同年代の選手が去っていくのは寂しい。自分も遠くない話。悔いなくやれるよう、しっかり準備をしたい」と決意を新たにした。

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ロッテ・デスパイネ、左手首の痛み悪化し途中交代[サンスポ]

ロッテのアルフレド・デスパイネ外野手(30)がオリックス22回戦(QVCマリン)で、かねてから訴えていた左手首の痛みが悪化。8回の打席で代打を送られベンチに退いた。2日の西武戦(同)出場は当日の状態をみて決める。

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ロッテ・チェン、1月に結婚した妻の前で今季初勝利!「最高です」[サンスポ]

ロッテのチェンが6月4日以来となる先発で今季初勝利を挙げた。試合後は「最高です」と人懐っこい笑顔を見せた。

6回途中まで1失点と粘り、伊東監督は「ストライクが入れば抑えられる。制球がまとまっていた」と評価した。1月に結婚し、この日は妻が観戦していた。お立ち台で「もっと勝ちたい。頑張ります」とさらなる奮起を約束した。

細谷
「いい流れで打席に入らせてもらったので、いい流れで打てた。」(2回に適時二塁打)
金沢
「チェンがいい立ち上がりを見せてくれたので、早めに援護したかった。」(2回に今季初打点となる右前適時打)

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ロッテ・平沢が発熱で登録外れる、伊東監督「いい経験は積めたかな」[サンスポ]

ロッテの平沢が1日、発熱のため出場選手登録を外れた。30日のオリックス戦は「8番・遊撃」で先発出場したが、翌日はベンチ入りメンバーから外れた。伊東監督は「熱が下がらなかったので昨日のうちに決めた」と説明した。

宮城・仙台育英高からドラフト1位で入団したルーキーは今季23試合に出場している。監督は「春先よりはるかに良くなっている。結果も少しは出た。いい経験は積めたかな」と話した。

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闘魂水着カレンダー発売は水泡!ロッテのカンパイガールがビール売り上げでノルマ果たせず[サンスポ]

ロッテから球界初の売り子アイドルグループ「マリーンズカンパイガールズ(カンパイG)」が7月30日から9月4日まで、本拠地・のQVCマリンの主催20試合のうち10試合以上で、メンバー6人合計、1日・1000杯の売り上げ達成をするという目標に挑戦してきたが、残念ながら失敗に終わった。1日、球団が公表した。

8月31日の売り上げが873杯。16試合が経過して、達成が5回と20試合での10試合達成が不可能となった。目標が達成されれば、カンパイG初となるワンマンライブ開催と、水着カレンダーが発売のご褒美が待っていたが、同企画は打ち切りとします。

カンパイGのリーダー、今井さやか
「残念ながら目標を達成することができませんでした。とても悔しい気持ちでいっぱいです。応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。売り子チャレンジは終わってしまいましたが、今シーズン最後まで笑顔で頑張ってビールを売って行きます!そしてマリーンズが日本一になれるようにファンの皆様と一緒に熱く盛り上がっていきたいと思います。それでは最後に、ウ〜、グビグビ。マリーンズカンパイガールズです!!」

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里崎氏、元同僚サブローの引退に「バックホームは人生で1番取りやすかった」[サンスポ]

ロッテで活躍し、現在は野球解説者の里崎智也氏(40)が1日、今季限りでの引退を表明したロッテ・サブロー外野手(40)にねぎらいのツイートを行った。

里崎氏は球団からサブローの引退が発表された8月31日に「入団時期は違うけど同い年で、マリーンズの歴史の中で最強の時期を過ごした仲間」とつぶやいた。そして、現役時代を振り返り「サブローのバックホームは人生で1番取りやすかった」とサブローのプレーを評した。

また、1日にサブローが引退会見を行うと、「俺が言うのもなんだけど、ロッテで日本一2度は誇りだ!よく頑張ったよ」と元チームメイトにねぎらいのツイート。さらに、2014年に自身が引退した際、セレモニーでサブローから花束を送られた場面の写真をアップし、「この写真好きだ!とうとうサブも花をもらう側になってしまうね」と、サブローの引退にしみじみとした様子だった。

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ロッテ・サブローが涙の引退会見、「日本一のファンに支えられた」[サンスポ]

ロッテ・サブロー外野手(40)が1日、千葉市美浜区の球団本拠地・QVCで会見を行い、今季限りでの現役引退を正式に表明した。

引退の理由については「40歳という年齢的なこともありますが、野球選手である以上、自分で働かなければいけない。その機会がなくなったということで決めました」と説明。さらに「途中、巨人に移籍した時期もありましたが、22年間、熱く応援し、支えてくださったファンの皆さんには、感謝の言葉しかありまえせん。日本一のファンです」と語った直後、大粒の涙を流した。

今後については「ロッテを世界一にするために、自分にできることがあれば協力は惜しみません」としながらも、具体的には「白紙」とした。

同選手は1995年、大阪・PL学園高からドラフト1位でロッテに入団。99年に外野の定位置を獲得すると、主軸打者としてチームに君臨。勝負強い打撃で2005年、10年と2度の日本一に貢献した。

11年のシーズン途中にトレードで巨人に移籍し、本名の「大村(三郎)」でプレー。同年オフにフリーエージェント権を行使して、ロッテに復帰した。今季は若手戦力の台頭から開幕から2軍でプレー。1軍での出場はなかった。

1軍での通算成績は打率.265、127本塁打、655打点。

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ロッテ・角中「全てはタイミング」目指すは“平成の榎本喜八”[スポニチ]

名言だと思った。打率.349(8月31日現在)でパ・リーグトップを独走するロッテ・角中が、高めのボール球を本塁打にしたときの言葉だ。

「タイミングさえ合えば悪球だとは思わない。全てはタイミングです」。

2ストライクになってからは、三振をしないようにノーステップ打法に切り替える。「ノーステップにしておいて矛盾しているようだけど、1番大事なのはタイミング。ステップしていなくても、体の中ではステップを踏んでいる」と話す。変化球を左翼線に打ち返した技ありの一打について聞くと「タイミングが合っちゃったから振っちゃった。ヒットになったけど、打撃の内容的にはくそみたいなヒットだった」と淡々と言った。

「タイミング」と聞いて、通算2314安打を放った「元祖安打製造機」の榎本喜八氏を思い出した。ノーステップ気味の打ち方で広角に打ち分けた左打者。角中にとっては球団OBの先輩だ。「打撃の神髄 榎本喜八伝」(松井浩著)の中に次のような言葉がある。「タイミングなんてなくなっちゃったんです。最初からないから、タイミングが狂わなくなったですね」。タイミングを合わせることに苦心していたが、自分の打撃フォームで球を待つことができれば、どんな球でもジャストミートできる感覚だったという。2人とも独特の感覚を持つ天才打者だと思った。

野球本を読むのが趣味という角中に、この本を薦めてみた。数日後、「あの本、面白かったですよ」と言ってくれたので「“タイミングがなくなっちゃった”っていうのは分かりますか?」と聞いてみた。「僕はまだその境地には達していませんよ」と笑っていた。

榎本氏の最高打率は球団史上4位となる1966年の.351。30歳のシーズンにマークしている。角中は29歳シーズンの今季ここまで.349。「3回に1回打つ.333を1度やってみたい」と話したくらいで記録には興味を示さないが、「平成の榎本喜八」になろうとしている。

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ロッテ41歳井口、5号3ランで通算1000打点到達「悔いなく」[スポニチ]

ロッテ・井口が、豪快なアーチでメモリアルの数字に到達した。3回1死一、二塁で左中間に5号3ラン。あと1に迫っていた通算1000打点を達成した。

史上44人目の大台。「ホームランで決められてよかった。長くやっていれば、これぐらいの数字は、ね」と笑顔で振り返った。

試合前には40歳のサブローが引退会見。12月で42歳となる井口も「同じ年代の選手が去っていくのは寂しい」と話した。自身は来季も現役続行の見込みだが、「自分も決して(引退は)遠い話じゃない。残りの野球人生を悔いなくやりたい」と力を込めた。この日の一発が、09年から在籍するロッテでの100本目。通算250号にも王手をかけた。「1000打点はまだまだ通過点。250号も今季中に打てるよう頑張る」。大ベテランは意気軒高だった。

チェン
「嬉しい。(1月に結婚した夫人が観戦し)17日が(夫人の)誕生日なので。疲れ?チェンチェン大丈夫!」(5回2/3を1失点で今季初勝利)
2球団で100本塁打以上は19人目
井口(ロ)がオリックス戦の3回に山田から3ランを放ち、通算1000打点を達成した。プロ野球44人目。初打点はダイエー(現ソフトバンク)時代の97年5月3日近鉄戦。またロッテで通算100本塁打を達成。ダイエー時代に149本塁打しており、2球団で100本塁打以上は19人目。

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サブロー、生涯ロッテ、男泣き引退会見、指導者で戻ってくる[スポニチ]

「生涯ロッテ愛」を誓った。今季限りでの現役引退を決めたロッテ・サブロー外野手(40)=本名・大村三郎=が1日、本拠地のQVCマリンで引退会見を行った。

ロッテファンへの思いを問われた時だった。「(12年に巨人から)帰ってきた時も熱く応援していただいて…」。30秒以上も下を向くと、みるみるうちに目が潤む。最後は大粒の涙があふれた。「すみません。泣いちゃいけないんですけど…」。男泣き。そして「僕はロッテの人間。マリーンズを愛しています」と熱い思いを吐露した。

球団に引退の決断を伝えたのは8月29日。3人の子供には「泣くのが分かっていたので、なかなか言えなかった」という。常々、2人の息子に「男は泣くな」と教えてきた。会見場で流した涙。ロッテへのあふれる愛情ゆえだった。「マリーンズを世界一のチームにして欲しい。それだけが僕の願い」。自身の今後は「白紙」とする一方で「このチームのためにできることがあれば力を貸したい」。巨人にトレード移籍した11年を除き、プロ22年間をほぼロッテでプレー。誰もが指導者として再びユニホームに袖を通す日を待っている。

「入団した時に、40歳までやると決めていた。やり遂げた感がある。後悔はありません」。引退試合は25日のオリックス戦(QVCマリン)。自ら「日本一です」というロッテファンの前で、現役として最後の雄姿を披露する。

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「サブロ〜〜〜!」きっかけは本人リクエスト、引退試合は「倒れるまで」[スポニチ]

QVCマリンでの「サブロ〜〜〜!」の場内アナウンスで知られるロッテ球団職員の谷保恵美さんが会見後、ロッテ・サブローに花束を贈呈した。

95年に入団した時に本人から「特別な感じで呼んで欲しい」とリクエストされ、日本一となった05年ごろから「活躍とともにこちらも気合が入って語尾がどんどん伸びた」という。引退試合は25日のオリックス戦。「(サブローが)打席に入れないぐらい長く言いたい。酸欠?倒れるまで」と史上最長の「サブロ〜〜〜!」で送り出す。

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ロッテ、チェン、6月4日以来の先発で今季初勝利「最高です」[スポニチ]

ロッテのチェンが6月4日以来となる先発で今季初勝利を挙げた。試合後は「最高です」と人懐っこい笑顔を見せた。

6回途中まで1失点と粘り、伊東監督は「ストライクが入れば抑えられる。制球がまとまっていた」と評価した。1月に結婚し、この日は妻が観戦していた。お立ち台で「もっと勝ちたい。頑張ります」とさらなる奮起を約束した。

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ロッテ、序盤リード守り連勝、チェン今季初勝利、オリ追い上げ及ばず[スポニチ]

ロッテが序盤にリードを奪ってオリックスを下し連勝を飾った。

初回1死三塁から角中の内野ゴロの間に先制すると2回1死二塁から細谷の適時二塁打、金沢の適時打で2点を追加、3回には1死一、二塁から井口の5号3ランで加点した。井口は史上44人目の通算1000打点を達成した。

投げては先発チェンが6回途中1失点で今季初勝利を挙げた。

オリックスは先発山田が3回6失点で役割を果たせず、2点差まで追い上げたが連敗を喫した。

細谷
「打ったのはチェンジアップ。井口さんが出て、(鈴木)大地が一発で(犠打で)送ったので、いい流れで打席に入らせてもらった。」(2回1死二塁で左中間適時二塁打)
金沢
「打ったのはスライダー。早めにチェンを援護してあげたい気持ちだった。細谷に続くことができて良かった。」(2回1死二塁で右前適時打)

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ロッテ、井口が通算1000打点達成、3ランで決めた、50本塁打も王手[スポニチ]

ロッテのベテラン、井口が史上44人目の通算1000打点を達成した。オリックス戦(QVCマリン)の3回、1死一、二塁で左中間スタンドに5号3ラン。一気に1002打点として大台を突破した。本塁打も通算249号で、史上60人目の250号まであと1本。この日の試合前には40歳のサブローが引退会見を行ったが、41歳のベテランはまだまだ元気だ。

井口
「打ったのはストレート。1000打点はまだまだ通過点だと思っているよ。でも節目をホームランで決められたのは良かったね。(史上60人目の)通算250本塁打まであと1本?すんなりいけるように頑張るよ。」

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ロッテ、サブロー引退試合は25日オリ戦「楽しみにしています」[スポニチ]

今季限りで現役を引退するロッテ・サブロー選手(40)の引退試合が、25日のオリックス戦(QVCマリン、13時試合開始)で行われることになった。セレモニー内容など、詳細は決まり次第順次、発表される。22年目の今季は1軍出場なし。

サブローは球団広報を通じて「ファンの皆様には22年間温かく見守っていただき、熱く応援していただき、感謝の言葉しかありません。当日、ファンの皆様と一緒の時間を過ごせることをとても楽しみにしています」とコメントした。

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カンパイガールズ、ミッション達成ならず「悔しい気持ちでいっぱい」[スポニチ]

ミッション達成ならず!球界初の売り子アイドルグループ「マリーンズカンパイガールズ」が行っていた企画が無念の失敗に終わった。7月30日〜9月4日まで本拠地・QVCマリンで行われる20試合のうち10試合以上で、メンバー6人でビールを計1000杯売り上げるというチャレンジ。ここまで達成は5度だったが、8月31日のオリックス戦は873杯に終わり、残りは4試合のためミッションクリアは不可能となってしまった。

目標達成ならワンマンライブ開催と、水着カレンダー発売が予定されたいた。無念の企画打ち切り。リーダーの今井さやかは「残念ながら目標を達成することができませんでした。とても悔しい気持ちでいっぱいです。応援して下さった皆さん、本当にありがとうございました。売り子チャレンジは終わってしまいましたが、今シーズン最後まで笑顔で頑張ってビールを売っていきます!」と話した。

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ロッテ、平沢、体調不良で登録抹消、静養も熱下がらず[スポニチ]

ロッテのドラフト1位ルーキー・平沢大河内野手(18)が、体調不良による発熱のために出場選手登録を抹消された。前日に症状を訴えて自宅で静養。しかし熱が下がらず、伊東監督は「1日猶予を、と思ったけど、すぐに(症状が)良くなるということじゃないというので」と話した。平沢は今季23試合に出場して打率.149、3打点。指揮官は「いい経験は積めたかな。春先よりははるかに良くなっている」と評した。

また、投手陣では中継ぎ左腕の藤岡が1軍復帰。左肘内側側副じん帯損傷の影響などで離脱していたが、落合投手コーチは「チームは苦しい状況だし、助けてくれればと思う」。右腕の内も復帰間近だとし、戦列を離れていたリリーフ陣が徐々に戻りつつある。

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最後の「サブロ〜」コール、球場アナウンスの谷保さんは「倒れるまで伸ばします」[報知]

ロッテは1日、今季限りでの現役引退を表明したサブロー外野手(40)の引退試合を25日のオリックス戦(QVC)で行うと正式発表した。セレモニーの内容などは後日、あらためて発表する。

引退試合では、独特の「サブロ〜」コールも聞き納めとなる。この日、花束を手渡したのは球場アナウンスを務める谷保恵美さん。入団初年度の95年、サブロー自ら「特別なものにしてください」と依頼。年々、「ロー」の音引き部分が長くなったという。大一番へ、谷保さんは「(酸欠で)倒れるまで伸ばします。打席に入れません」と意気込んだ。

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井口がNPB通算1000打点「まだまだ通過点」[報知]

ロッテ・井口がNPB通算1000打点を一発で決めた。3回1死一、二塁から左翼へ5号3ラン。通算249本目のアーチで一気に1002打点まで伸ばし、チームの連勝を飾った。

この日は2歳年下のサブローが引退を表明したが、12月で42歳になるベテランは「自分も決して遠い話ではない。でも、まだまだ通過点。残りの野球人生を悔いがないようにやりたいですね」と気を引き締めていた。

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サブローが男泣き、巨人から復帰時に「熱く応援していただいて感謝」[報知]

今季限りで現役引退するロッテのサブロー外野手(40)が1日、QVCで涙の引退会見を行った。

「日本一になれるとは夢にも思わなかった。初めて嬉し涙が出た。そこが1番記憶に残っている」と22年間のプロ生活を振り返った。「マリーンズのファンは日本一。(ロッテを)愛してます。ロッテが世界一のチームになることが願い。球団のためにできることがあれば役に立ちたい」と、引退後もロッテ愛を貫く姿勢を見せた。

ひげをきれいにそり、紺色のスーツ姿で登場した背番号3。泣くまいと思っても、涙を抑えきれなかった。11年に巨人に移籍したが、翌年オフにFA宣言して復帰。「帰ってきた後も熱く応援していただいて、感謝しています」と話すと、うつむいて言葉が出なかった。「泣いちゃダメなんですけど…。すいません」と男泣きした。

05、10年と2度の日本一、目標だった40歳まで現役を果たしたが、今季は1軍出場なし。「野球選手としては1軍で働かないといけない。やり遂げた気持ち。後悔はありません」と29日に自ら引退を申し出たという。

引退試合は25日のオリックス戦(QVC)に決定。いぶし銀の「つなぐ4番」として活躍した男が、愛するファンの前で花道を飾る。

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井口、NPB通算1000打点!5号3ランで決めた[報知]

ロッテの井口資仁内野手(41)が、1日のオリックス戦(QVC)でNPB通算1000打点を達成した。

3点リードの3回1死一、二塁から、山田の直球を左翼席へ運ぶ5号3ラン。通算44人目の快挙となった。プロ初打点はダイエーに入団1年目の97年5月3日の近鉄戦(福岡D)で、4回に山崎から満塁アーチで決めている。

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サブロー、引退会見…日本一で初めて流した嬉し涙[報知]

ロッテのサブロー外野手(40)が1日、QVCで会見を開き、今季限りでの現役引退を表明した。22年間のプロ生活を振り返り「入団してから40歳までやると決めていた。そこまでやらせていただいた球団に感謝しています。やり遂げた気持ち。後悔はありません」と話した。

引退の決断について、サブローは今季1軍昇格がなかったことを理由に挙げた。「野球選手としては1軍で働かないといけない。(今季は)上でやる機会がなかった」と、29日に球団側に引退を申し入れたという。

1番の思い出は2005年の日本一。「まさか僕が入団してから日本一になるとは夢にも思っていなかった。嬉し涙はないと思っていたのに、初めて流しました」と語った。応援してくれたファンについて質問が及ぶと、言葉を詰まらせ涙を流す場面も。「すいません。泣いちゃダメなんですけど…。マリーンズのファンは日本一。22年間、熱く応援して頂いて感謝しています」と声を震わせた。

11年途中から巨人に移籍したが、翌年にFA宣言して復帰。球団きっての人気選手は、ロッテについて「愛してます」と明言。「僕はロッテの人間なので、強いチームでいて欲しい。ロッテを世界一のチームにして欲しい。その願いだけ。とにかく球団のためにできることがあれば、役に立ちたい」と話した。

引退試合は25日のオリックス戦(QVC)で行う予定。引退後の予定は白紙だが、球団側はフロント、コーチなどのポストを用意する方向で検討している。

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サブロー、涙の引退会見「感謝の言葉しかない」、25日の本拠地がラスト[デイリー]

今季限りで現役を引退するロッテ・サブロー外野手(40)=本名・大村三郎=が1日、QVCマリンフィールドで記者会見し「22年間…半年間、巨人にいましたが、帰ってきてからも温かく見守っていただき、感謝の言葉しかありません」と話した。

サブローの両目から涙があふれ出た。11年のシーズン途中で巨人に移籍。同年オフにFA権を行使して復帰した。ファンへの熱い思いがこみ上げて、「泣いちゃいけないんですが…」と誰に遠慮することなく、男泣きした。

1番の思い出は05年の日本一だという。「ボクが入団した時は日本一になるなんて夢にも思わなかった。実現して嬉し涙した。今も記憶に残っています」と振り返った。

◇25日本拠地でラスト

今後の進路は白紙だが、「球団のためにできることがあればやりたい。ユニホームを着る、着ないにかかわらず」という。本拠地での25日・オリックス戦が引退試合で、球団は何らかのポストを用意するとみられる。

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ロッテ・41歳井口、史上44人目の通算1000打点![デイリー]

まさに、パワフルの形容が似合う41歳だ。3回1死一、二塁。ロッテ・井口が「狙っていました」と少し笑って振り返った打球は、左翼席へ飛び込む5号3ランとなった。

史上44人目となる1000打点にあと「1」と迫っていたが、一気に1002打点。さらにこの1発で史上60人目となる250本塁打にあと「1」とリーチをかけた。

この日、学年では2つ下で40歳のサブローが引退会見を開いた。「ほぼ同じ年代が毎年去っていくのは寂しい」と話す一方で、「改めて残りの野球人生を悔いのないように渡っていきたい」と誓う。大ベテランはまだまだ健在だ。

「やるべきことをしっかりとやる。いいチームの流れになった。月(ツキ)も変わったしね」。パワフルだけじゃない。井口は心意気の男だ。

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ロッテ平沢が登録外れる[デイリー]

ロッテの平沢が1日、発熱のため出場選手登録を外れた。30日のオリックス戦は「8番・遊撃」で先発出場したが、翌日はベンチ入りメンバーから外れた。伊東監督は「熱が下がらなかったので昨日のうちに決めた」と説明した。

宮城・仙台育英高からドラフト1位で入団したルーキーは今季23試合に出場している。監督は「春先よりはるかに良くなっている。結果も少しは出た。いい経験は積めたかな」と話した。

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ロッテ・サブローが引退会見、「僕はロッテの人間。感謝の言葉しかない」[デイリー]

ロッテ・サブロー外野手(40)=本名・大村三郎=が1日、本拠地QVCマリンフィールドで引退会見を行った。8月31日に22年間の現役生活にピリオドを打つことを表明していた。2005年、10年の日本一に貢献したサブロー外野手はあふれる涙と“ロッテ愛”でファンに別れを告げた。

以下、一問一答。

≫引退を決めた理由と時期は?
サブロー
「…やっぱり、まあ、年齢もありますし、野球選手として1軍で働かないといけないのに、上(1軍)でやる機会がなくなった。」
≫1番の思い出は?
サブロー
「05年の日本一です。ボクが入団した頃は日本一になれるなんて夢にも思っていなかった。実現して嬉し涙が流れた。いまだに記憶に残っている。」
≫1番の思い出のシーンは?
サブロー
「福岡で優勝したことです。」
≫40歳まで現役を目標にしてきた?
サブロー
「入団して40歳まではやる。これが自分の中であった。そこまでやることができて感謝しています。」
≫球団にはいつ連絡をしたのか?
サブロー
「月曜日(29日)です。」
≫球団からどう言われたのか?
サブロー
「お疲れ様という、いいお言葉をもらいました。」
≫誰かに相談をしましたか?
サブロー
「ああしたらとか、こうしたらと言われましたが、最後は自分が決めることなので。」
≫家族には?
サブロー
「新聞などを見てくれて、ボクから、申し訳なかったと。ボクは終わりたいと言った。」
≫お子様からは?
サブロー
「お疲れ様と…ウルッと来て。普段、男は泣くもんじゃないと言ってきたのに…。」
≫1年間、納得してやってきた?
サブロー
「ファームで若手選手を見てきて、こうしたらいいとかアドバイスを中心にやってきました。」
≫注目の選手は?
サブロー
「いっぱい、いますよ、ウチの選手には。野手は余計楽しみですね。」
≫伝えたいことは?
サブロー
「勝つという信念です。ボクは口に出してやってきた。やると言えば責任感が出るし、結果も伴う。」
≫今後は?
サブロー
「全然、考えていません。」
≫ファンへ伝えたいことは?
サブロー
「まず22年間、ありがとうございました。半年間巨人にいましたが、帰ってきてからも温かい声援をいただいて感謝の言葉しかありません(涙があふれる)。」
≫涙はどんな涙?
サブロー
「ロッテファンへの、自分の仲間の思い出からです。ボクはロッテの人間なので。この先もファンの力が必要です。」
≫つなぐ4番だったが?
サブロー
「やっぱり4番は長打と打点です。でも打線という線で考えれば、1番も9番も一緒だと思う。次の打者にどうつないでいくか。ボクが4番どうこうよりも、勝てれば何番でもいい。そんな感じです。」
≫22年やってきてマリンのファンへ。
サブロー
「そりゃ、(マリンのファンは)日本一です。巨人のファンの方々も見てきましたが、確かに人数は向こうの方が多い。でも、声の大きさはロッテです。」
≫22年やってきて、プロで最も大事なことは?
サブロー
「人にどうこう言われても、自分のスタイルを貫くことです。」
≫今後は白紙と言ったが、ユニホームを希望する?
サブロー
「全く白紙です。でも球団のためにできることがあればやりたい。(ユニホームを)着る、着ないに関わらず。」

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サブロー「日本一での涙思い出」[デイリー]

今季限りで現役を引退するロッテのサブロー外野手(40)=本名・大村三郎=が1日、QVCマリンフィールドで記者会見し、2005年と10年に日本シリーズを制したことを挙げ「日本一になれるとは夢にも思わなかった。初めて嬉し涙が出た。そこが1番記憶に残っている」と22年間のプロ生活を振り返った。

岡山県出身。大阪・PL学園高から1995年にドラフト1位で入団し、トレードのために2011年に約半年間、巨人でプレーした以外はほぼロッテで過ごした。今季は1軍の出場機会がなく「選手であるからには1軍で働かないといけない」と引退を決めた理由を説明した。

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「やり遂げ、後悔ない」、千葉ロッテ・サブローが引退会見[千葉日報]

今季限りでの現役引退を発表していた千葉ロッテのサブロー外野手(40)が1日、QVCマリンフィールドで記者会見し「入団当初から自分の中で40歳までやると決めていた。やり遂げた思いはある。後悔はない」と胸の内を明かした。

つなぐ4番などで活躍してきたが、22年目の今季は1軍での出番がここまでない。引退を決めた理由を「野球選手であるからには1軍で働かないといけない。やる機会がなかった」と説明。球団には8月29日に伝えたという。

1番の思い出には、2005年に31年ぶりに達成した日本一を挙げた。「入団してから日本一になれるとは夢にも思っていなかった。実現して、初めて嬉し涙を流せて記憶に残っている」としみじみ話した。

11年途中に巨人へ移籍したが、オフに“ロッテ愛”からFAですぐに復帰した。感情を抑えきれず、涙で言葉を詰まらせたのはファンへの思いを問われた時。「日本一だと思う。ロッテファンの声の大きさ、まとまりはどこにも負けない」。

今後については「全く考えていない」としながらも「球団、チームのためにできることがあれば、何でも力を貸したい」。後輩に対しては「やりたいではなく、やると口に出すことで責任感が生まれて結果も伴ってくる」とメッセージを送っていた。

引退試合は、25日のオリックス戦(QVC)で行われる。

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