わたしはかもめ2016年鴎の便り(9月)

便

9月13日

ロッテ抑え益田が右肘関節炎、代役に内、監督ため息[ニッカン]

ロッテに、またも故障者が出た。抑え役の益田直也投手(26)が13日、千葉市内の病院で右肘関節炎と診断された。全治は未定。登録は抹消せず、今日以降の出場は状態を見て決めるが、抑え右腕が万全とはいえなくなった。

伊東監督は「やりくりは、これから考えます。状況や打者に応じてになるのか。次から次へと…」と、深いため息をついた。

離脱者が続く。救援陣では、内、藤岡は戦列復帰したが、本来抑えの西野と大谷はまだ2軍にいる。益田も投げられないとなれば、代役の代役が必要。落合投手コーチは「内になるのでは」と抑え経験のある右腕を挙げた。先発陣でも、古谷、唐川が離脱。投手陣全体の負担は増えている。野手では、不動の4番デスパイネが左手首痛で抹消されたばかり。長打力のある井上を昇格させるが、伊東監督は「(デスパイネの)代わりはできない」と認める。19日の日本ハム戦から復帰見込みだが、頭部に死球を受けた清田もいない。

チームは現在、貯金6の3位。4位楽天と7.5ゲーム差をつけており、Aクラス確保の可能性は高い。とはいえ、さらに離脱者は、避けなければいけない。

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ロッテ益田が右肘関節炎、出場は様子見ながら[ニッカン]

ロッテは13日、益田直也投手(26)が右肘の張りを訴えたため、千葉市内の病院で検査を受け、右肘関節炎と診断されたことを発表した。

全治などは未定で、14日以降の出場は当日の様子を見て決める。

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ロッテ・スタンリッジ、ストライクゾーンにしっかり[ニッカン]

ロッテは13日、QVCマリンの室内練習場で全体練習を行った。

14日の西武戦(QVCマリン)に先発予定のジェイソン・スタンリッジ投手(37)は「日頃から思っていることだけど、基本的には、ストライクゾーンにしっかり投げて打者を抑えたい」と話した。

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ロッテ・益田が右肘関節炎…代役守護神は内に[サンスポ]

抑えのロッテ・益田が13日、右肘の張りを訴え、千葉市内の病院で精密検査を受けた結果、「右肘関節炎」と診断された。全治は未定で、14日以降の登板は状態をみて判断するが、落合投手コーチは「今いるメンバーでやるしかない」とし、進出を濃厚としているクライマックスシリーズ(CS)に向けても「益田の野球人生。無理はさせられない」。代わって内を抑えに回し、当面の危機を回避する。

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ロッテ・益田が右肘関節炎!クライマックスシリーズへ暗雲[サンスポ]

ロッテ・益田直也投手(26)が13日、右肘の張りを訴え、千葉市内の病院で精密検査を受けた結果、「右肘関節炎」の診断を受けた。

全治は未定で、出場選手登録の抹消はせず、14日以降の登板は状態をみて判断する。チームはクライマックスシリーズ進出を濃厚にしているが、故障者続出で厳しい戦いを余儀なくされそうだ。

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ロッテ益田、右肘張りで離脱危機、落合コーチ「代わりは内になる」[スポニチ]

再び守護神離脱のピンチを迎えた。ロッテ・益田が右肘の張りを訴え全体練習を休み、千葉市内の病院で「右肘関節炎」と診断された。

全治は未定で出場選手登録は抹消せずに様子を見る。今季は守護神・西野、内、大谷ら救援陣の故障が相次ぐ中、代役で抑えを務め、チームトップの59試合に登板して3勝2敗13セーブ、21ホールド。落合投手コーチは「(離脱の場合は)代わりは内になると思う」と今月2日に復帰した右腕を代役に指名した。

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ロッテ、益田が右肘関節炎、抹消せず様子見る、今季59試合登板[スポニチ]

ロッテ・益田直也投手(26)が13日、右肘の張りを訴えて全体練習を休み、千葉市内の病院で検査を受け「右肘関節炎」と診断された。全治は未定で出場選手登録は抹消せずに様子を見る予定。

今季は守護神・西野が右肘痛で離脱し、代役の抑えを任せされ、59試合で3勝2敗13セーブ21ホールドを挙げていた。 落合投手コーチは「いるメンバーでやるしかない。代わりは内になると思う」と話した。

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ロッテ益田右肘関節炎で内が代役守護神、故障者続出[デイリー]

12日に右肘の張りを訴えていたロッテのストッパー、益田直也投手(26)が13日、千葉市内の病院で検査を受け、右肘関節炎と診断された。全治などは未定で、出場選手登録を抹消せずに、今後については14日以降の様子を見る。伊東監督は「戻ってきても明日(14日)は無理。また1人、後ろに回さないといけない」。故障者続出に「次から次へと…。主力選手のケガが多い」とまた“やりくり”を強いられることになった。

投手陣では大谷、西野らが戦線を離脱中。野手では8日の西武戦では清田が頭部に死球を受けて、軽度の脳振とうと診断され、登録を抹消されている。

落合投手コーチは益田の代役に内を指名。「いるメンバーでやるしかない」と力を込めていた。

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ロッテ益田が右肘関節炎と診断[デイリー]

ロッテは13日、益田が右肘の張りを訴え、千葉市内の病院で右肘関節炎と診断されたと発表した。全治は未定。益田は今季、59試合で3勝2敗13セーブ、防御率1.89。西野が離脱した7月末から抑えに定着し、安定した成績を残している。

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[千葉魂]お前がマリーンズを引っ張れ、サブロー、実践した恩師の言葉[千葉日報]

不意に涙がこぼれた。2016年9月1日。サブロー外野手はQVCマリンフィールドで引退会見を行った。マリーンズファンへのメッセージをと問われた時、我慢をしていた感情があふれ出た。うつむくと無言となり数秒、肩を揺らした。「男は泣くものではない」。そう言い続けて、どんな時も上を向いて歩いてきた。しかし、この日は特別だった。多くの人に支えられての現役生活を思い返した。引退を報告しないといけない人はたくさんいる。その1人は「野球界のパパ」と慕った故山本功児氏。1999年から2003年までマリーンズの監督を務め、今年4月に64歳で亡くなった。家族やファン、チームメート。様々な人への思いがあふれ、天国の恩師へは、言葉に代えられないほどの感謝の気持ちがこみ上げた。

「オレにとってこの世界のパパや。オレを使ってくれた人。見出してくれた人。よく怒られたけどなあ。たくさん怒られた。練習中に怒られて、近くに置いてあったボールがたくさん入っていたボールケースごと投げつけられたこともある」。

引退会見を終えて数日が経ったある日。台風一過の空の下で、サブローは懐かしそうに遠い昔を振り返った。2軍時代から目をかけてくれた。1999年に1軍監督に就任をすると、期待をかけて、積極的に1軍の試合に起用をしてくれた。よく言われた。「サブロー、お前がマリーンズを引っ張らないといけないぞ!」。まだ20代前半で、自慢できるほどの実績を兼ね備えていなかったサブローには、重い言葉だった。だが、毎日のように言われ続けていたから、その言葉はハッキリと覚えている。

思えば、あの時も人前で涙した。山本氏が退団することになった2003年。ホームでの最終戦を終えると、神妙な表情で監督室をノックした。「ボクのせいですいません」。頭を下げると自然と涙がこぼれ落ちた。期待をかけ続けられた。それでも、その思いに応えられなかった。最後にその指揮下でシーズンを送った03年は初の2桁本塁打を記録したが、不振期間も長く80試合の出場にとどまった。チームは8年連続のBクラスに沈み、山本氏は責任をとって辞任を決めた。指揮官の熱い思いにバットで応えられなかった自分自身を責め、悔い、悔やみ泣いた。山本氏は優しく励ましてくれた。そして言った。「マリーンズはお前が引っ張らないといけないぞ!」。その言葉が、胸の奥でいつまでも響き渡った。

その後のマリーンズは05年にバレンタイン監督の下、31年ぶりの日本一に輝いた。4番には「つなぎの4番」といわれたサブローがいた。西村徳文監督を迎えた10年もクリーンアップとしてチームを引っ張った。その後の伊東監督の下でも背番号「3」はチームの支柱として若手の多いチームの中で特別な存在感を出した。3位から下剋上を果たし、日本一となった10年。ビールかけが終わった直後。新人ながら開幕から大活躍をしながら右ひざを痛め、戦線離脱をしロッテ浦和球場でリハビリに専念をしていた荻野貴司外野手に電話を入れた。「前半戦のお前の頑張りがあったからここまで来たよ。ありがとな」。傷心の若者の胸に響く言葉だった。打たれて落ち込む投手がいれば、指摘をした。「自信なさそうに投げるな。守っている野手はそういうところを見ているんや。どんな時も堂々と投げろ」。野手にもアドバイスを惜しまなかった。チームが連敗する中、この苦境をどう脱するべきか若きキャプテンの鈴木大地内野手が悩んでいる時も背中を押した。「キャプテン、今こそみんなで話をしようや。そういう時期だと思う」。何度となく選手だけでミーティングを開いた。昨年7月に行われたミーティングでは最後に一言を求められた。「やる事は1つ。みんなの手で監督を男にしようや」。その言葉にチームは結束し、15年は怒涛の追い上げを見せてAクラス入りを果たした。

「若い時のオレにはチームを引っ張れと言われてもどうすればいいか分からなかったけどなあ」。

遠い目でそう振り返った。全力で駆け抜けた日々だった。引退会見でサブローは言った。「悔いはない。やるべきことはやった」。そして最後に「マリーンズを愛しています」と言葉に力を込めた。恩師もまたマリーンズ愛に満ちた熱血漢だった。その思いを託されるように背番号「3」はチームを引っ張り続けた。その背中を多くの後輩選手達が憧れの目で視線を送り続けてきた。9月25日、オリックス戦(QVC、13時試合開始)。サブローは超満員に膨れ上がったファンの前で静かにユニホームを脱ぐ。マリーンズの為に闘い、恩師の言葉を実践し続けた日々。今、振り返ると、充実した最高の毎日だった。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)

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