オリックスが無失点リレーで接戦を制した。山田は6回を5安打で7月27日以来の2勝目。救援の3人も危なげなかった。1回に中島の中前打で先制し、5回には吉田正の左中間二塁打で加点した。ロッテは唐川を援護できなかった。
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オリックス | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
千葉ロッテ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
22年の現役生活を締めくくる引退試合。千葉ロッテのサブローは「4番・指名打者」で先発したが、3打席目まで全て空振り三振に倒れた。9回。野球の神様が最後にほほ笑んでくれた。
カウント1−1からの3球目。外角低めの149キロを振り抜くと、打球は右中間を破った。「右中間が自分の中で、1番きれいかな」。野球人生を象徴する、通算1363本目の安打。到達した二塁上で目元を拭った。
「つなぎの4番」として、2005年と10年の日本一に貢献。11年途中に巨人に在籍した以外は、ロッテ一筋だった。9回から左翼の守備に就いて1死後、ファンが後ろに陣取る右翼に回ると涙がこみ上げた。「居場所だった」−。
「目立ちたかった」と頼んで始まった「サブロ〜〜〜」と、語尾を伸ばす独特な場内アナウンスは球団の名物になった。チームを代表する選手に駆け上がり、愛された40歳。「プロ野球選手になる夢は達成できた。ロッテを日本一の球団にする夢に向かって、勇往邁進して参ります」と誓ってユニホームを脱いだ。
腰痛などで8月18日以来の先発だった、千葉ロッテの唐川は7回途中、5安打2失点。101球を投じて「長いイニングを投げられて良かった。腰は問題なかった」と息をついた。
伊東監督は「ボールも悪くなかった。良かったと思う」。クライマックスシリーズを勝ち抜くには、先発で石川と涌井の二枚看板に続く投手が欠かせない。唐川は「スライダー系はしっかり投げられていたので、真っ直ぐを思うように投げられれば」と課題を口にした。
ロッテ愛は永遠に−。サブロー外野手(40)が引退試合のオリックス戦(QVCマリン)に臨んだ。「4番DH」で先発出場。3打席連続空振り三振で迎えた9回裏、最後の打球にらしさが詰まった。1死走者なし。カウント1−1で、平野のアウトロー149キロを捉えた。右中間を破り、二塁ベースで満員御礼の歓声を浴びた。「打たせてくれた」と控えめも「やっぱり右方向やな、と。右中間の打球が自分の中では1番きれい」と続けた。通算5917打席目。一時代を築いた「つなぎの4番」に、相応しい終わり方だった。
本当は1打席だけと決めていた。ならばと、伊東監督は「1番右翼」を打診。それでも「邪魔はしたくないです」と代打を希望した。ところが、前日にチームはCS出場を決め、勝敗抜きの環境が整った。あらためて伊東監督にフル出場を打診され、ありがたく受け入れた。9回には、左翼、右翼と守りにも就いた。「監督にお礼、言わなきゃ」。右翼に向かう途中、耐えきれずに目元をぬぐった。
22年間の現役生活で、もっとも大事にしたものは「自分のスタイル」という。「人に、どうこう言われようと貫いた」。好例が自らの代名詞だ。「4番は、やはり長打で打点を稼ぐ。でも、打線を線と考えれば、4番も9番も一緒。特に4番の意識はなかった。ひたすら、次の打者につなぐことだけ。勝てれば何番でもいい」。勝ちにこだわる姿勢が、ファンを、チームメートを、引きつけた。
試合後のセレモニー。子供の頃の夢、プロ野球選手をかなえた男は言った。
今後は未定だが、第2の人生の宣言だった。仲間の手で10回、宙に舞った。記念撮影はピースサインで締めた。「最後は笑いたかった」。晴れやかに、去った。
ロッテ・サブロー外野手(40)が引退試合のオリックス戦(QVCマリン)に臨んだ。「4番DH」で先発出場。3打席連続空振り三振で迎えた9回裏、最後の打球にらしさが詰まった。1死走者なし。カウント1−1で、平野のアウトロー149キロを捉えた。右中間を破り、二塁ベースで満員御礼の歓声を浴びた。
巨人阿部が戦友の引退に思いを新たにした。休日の25日、QVCマリンに足を運んだ。超満員のスタンドに「千葉のスターがやめるときはこんなに人が来るんだなと」と受け止めた。試合前には言葉をかわし、現役生活をねぎらった。巨人で同僚だったのは11年シーズン途中からの約4ヶ月だが、「(07年北京)五輪予選が最初だったけど、可愛がってもらった。巨人ではプライドもあると思うけど、打撃のことを自分に聞いてきたり、すごく貪欲な人だなと。野球に対して超マジメだった」。2学年上のサブローへのリスペクトを口にした。
また他の巨人の後輩達も、引退試合に駆けつけた。内海、山口、長野、坂本とロッテ時代の同僚だったクルーズもバックスタンドの一室から観戦。サブローの名前入りタオルを手に声援を送った。長野は「感動しました」と勇姿を焼き付けた。また、PL学園時代の監督である中村順司氏も観戦に訪れた。
ロッテ・サブロー外野手(40)が引退試合のオリックス戦(QVCマリン)に臨んだ。「4番DH」で先発出場。3打席連続空振り三振で迎えた9回裏、最後の打球にらしさが詰まった。1死走者なし。カウント1−1で、平野のアウトロー149キロを捉えた。右中間を破り、二塁ベースで満員御礼の歓声を浴びた。
試合後のセレモニーでは、ゆかりある人達が映像で登場した。入団時の監督で、05年日本一の時の指揮官でもあるバレンタイン元監督は「優勝は最高のメモリーですね。サブロー選手、本当にありがとう」と日本語でメッセージ。巨人高橋監督、宮本慎也氏、稲葉篤紀氏、JRA騎手の福永祐一、楽天松井稼、今江、元ロッテ・ベニー、阪神西岡も言葉を寄せた。
ロッテ先発の唐川侑己投手(27)は、6回2/3、5安打2失点で6敗目を喫した。
8月末に左脇腹に痛みを訴え、2軍で再調整。8月18日以来の1軍登板だった。予定の100球を超えたため、イニングの途中で降板。「スライダー系は投げられた。あとは直球を投げられればいい」と話した。
伊東監督は「試運転としては、良かった」と評価。CS前に右腕が戦列復帰したことは大きい。
引退試合に臨むロッテ・サブロー外野手(40)が「4番指名打者」で先発出場した。
試合前の先発メンバー発表では、球団職員・谷保恵美さんの「サブロ〜〜〜」の名物アナウンスが響き渡った。「打席に立てないぐらい、長く言おうかな」と話していた谷保さん。メンバー発表では、4秒34をかけた。第1打席以降、さらに長くなるかも!?
その第1打席は、0−1の2回先頭で回ってきた。「サブロ〜〜〜」は、6秒37を記録。最後は大歓声にかき消された。
第2打席は、0−1の4回1死一塁。「サブロ〜〜〜」は、5秒08を記録した。
第3打席は、0−2の6回2死走者なし。「サブロ〜〜〜」は、5秒64を記録した。
現役最後の打席となった第4打席は、0−2の9回1死走者なし。谷保さんは静かに目を閉じると、「サブロ〜〜〜」と声を伸ばした。7秒38。ラストコールが1番長かった。
この日に臨むにあたり、風邪をひかないよう体調を整えたという。仕事を終えると「(第1打席は)最長に伸ばそうと思って頑張ったら、少し息切れしました。何とか背番号は言えました。強烈な思い出に残る、忘れられない選手です」と振り返った。
ロッテ・サブロー外野手(40)が引退試合で右中間二塁打を放ち22年間の現役生活にピリオドを打った。
この日1軍登録され「4番DH」で先発出場。「サブロ〜〜〜」の名物アナウンスの中打席に入ったが、第3打席まですべて空振り三振。9回表にDHを解除し左翼の守備へ。最後は右翼の守備にも就いた。
そして9回裏、現役最後の打席へ。オリックス平野の149キロ直球をコンパクトに振り抜くと右中間を破る二塁打となった。二塁ベース上でこみあげてくる涙をそっとぬぐった。大歓声の中、代走を送られベンチに下がった。
試合後の引退セレモニー。サブローは「子供の頃の夢はプロ野球選手になることでした。その夢はかないました。自分にはもう1つの夢があります。千葉ロッテマリーンズを日本一の球団にすることです。この夢に向かって邁進したいと思います。22年間、愛してくださってありがとうございました」と挨拶した。そして10度胴上げされ再び「サブロ〜〜〜」のアナウンスに送られグラウンドから引き上げた。
通算成績は1782試合に出場し、打率2割6分5厘、127本塁打、655打点。最後の二塁打が通算1363本目のヒットだった。
ロッテ・サブロー外野手(40)の引退試合として行われる。
午前9時半から球場正面前で販売される引退記念グッズを求め、早朝から100メートル近い長蛇の列が出来た。球団関係者は「販売を早めて対応したい」と話した。
一番乗りは、千葉、神奈川から訪れた、20代から50代の女性4人グループで、10年来のロッテ・ファン。前日は球場近くのホテルに宿泊した。この日の午前3時に起きて、同4時半から並んだ。そのうちの1人は「晴れて良かったです。昨日の雨は涙雨だったのかな」と寂しそうに話した。別の1人は「サブローさんは貴重な選手。球団は、これからも生え抜きを大事にして欲しい」と願っていた。
引退試合に臨むロッテ・サブロー外野手(40)が試合前にサイン会を行った。
急遽、開催が決定。練習を終えると、球場正面スペースで10分あまり、ペンを走らせた。1人1人、ファンの目を見ながら握手も行った。サインをもらったファンには、涙ぐむ人もいた。
ロッテ・サブロー外野手(40)が25日、引退試合となったオリックス最終戦(QVCマリン)に「4番・DH」で出場し、9回の第4打席で通算1363安打目となる右中間二塁打を放ち、22年間の現役生活にピリオドを打った。チームの顔として活躍した功績をたたえ、球団は今後カタカナによる登録名を封印し、「サブロー」の名を永久欠番のように尊重することを検討している。試合は0−2で敗れた。
QVCマリンを埋め尽くした3万113人の大歓声にも、かき消されることはない。「サブロ〜〜〜〜〜ッ!!」。9回、ロッテの場内アナウンス係・谷保恵美さんのラストコールは、史上最長の7秒38もの間、響いた。この気迫に後押しされたサブローの打球は右中間を真っ二つに割った。
「バットに当たってくれましたね。自分らしい打球だなと思いながらベースを回りました。そこで自然に…」。サブローの目から熱い涙があふれた。到達した二塁ベースで何度もぬぐった。
9回1死一塁、カウント1−1から平野の149キロをたたき、通算1363安打目。それまでの3連続空振り三振を忘れさせる一打が、現役最後の打席となった。
今季初めての1軍で「4番・DH」。9回にはDHが解除され、サブローは左翼の守備に入った。1死後、今度は全盛期の定位置だった右翼に回る。背中に大音量の声援を受け、こらえ切れずに泣いた。
2011年に一時在籍していた巨人からも、阿部ら6選手が駆けつけた。球団の垣根を越えた独特の存在感に、山室球団社長も異例の待遇を明らかにした。
「サブローに相応しい選手が出てくれば別ですが、現状、すぐにということはない。これまでの貢献度に敬意を払う意味でも、『サブロー』はもちろん、話題を優先した『登録名』を検討することはないですね」。
背番号の永久欠番のように、カタカナによる登録名を慎重に扱うことで、「サブロー」の名を残し、その貢献をたたえる考えを明らかにした。
「小さな頃の夢だったプロ野球選手になれた。次の夢はロッテを日本一にすることです」。没個性が嘆かれる時代に、強烈な個性を発揮してきたサブローが、次なるステージに進む。
ロッテ・サブロー外野手(40)が25日、引退試合となったオリックス最終戦(QVCマリン)に「4番・DH」で出場し、9回の第4打席で通算1363安打目となる右中間二塁打を放ち、22年間の現役生活にピリオドを打った。
PL学園高でサブローを指導した中村順司さん(70)=名商大野球部監督=も、最後の雄姿を見届けた。印象深い教え子の1人だったといい、「プロ入りの際、30歳までは頑張れと言って送り出した。それが40歳。ここまでよく頑張りました。ご苦労さまと言ってやりたい」と感慨深く振り返った。
また2011年途中にトレードで移籍した巨人からも阿部、長野、坂本、クルーズ、内海、山口がネット裏で観戦し、応援ボードやタオルを掲げた。昨年まで2年間、ロッテで過ごしたクルーズは「サブローにはお世話になった。何も分からない日本のことを、色々と教えてもらった。感謝している。今日は特別な日だ」とコメントした。
ロッテ・サブロー外野手(40)が25日、引退試合となったオリックス最終戦(QVCマリン)に「4番・DH」で出場し、9回の第4打席で通算1363安打目となる右中間二塁打を放ち、22年間の現役生活にピリオドを打った。
引退試合を終え、「次の夢はロッテを日本一にすることです」と表明したサブローだが、今後については未定。コーチを経験して、いずれは監督か。それとも最初はフロント入りか。球団幹部は「色々な考え方はあると思いますが、すぐに結論が出る話ではない」とし、サブローも「自分で決められることではなく、実際、球団とは何も話はしていない」と説明した。
腰痛で2軍調整中だった唐川が、8月18日以来の先発マウンド。6回2/3を2失点で6敗目(5勝)を喫し「納得のいく球を投げられなかった部分は大きい。真っ直ぐはもっといい投げ方ができると思う」と不満顔。進出が決まったクライマックスシリーズでは先発の一角だけに、伊東監督は「よかったと思う。試合は作った」と期待を寄せた。
ロッテが川崎球場を本拠地としていた時代から場内アナウンス係を務める球団職員の谷保さんはサブローの引退試合を終え「強烈な思い出に残る忘れられない選手だった」と別れを惜しんだ。
サブローから打席に入る際のコールを「特別な感じで」とリクエストされ、語尾を長く伸ばす独特のスタイルが定着した。この日はいつにも増して長く伸ばして盛り上げ「全打席、全力でいくつもりだった」と肩の荷が下りた様子だった。
ロッテ・サブロー外野手(40)の引退試合となる25日のオリックス25回戦(QVCマリン)に、この日試合のない巨人から阿部、長野、坂本、クルーズの豪華主力が観戦に訪れた。試合開始の1時間30分以上前には球場入りして、サブローに挨拶。長年の労をねぎらった。
サブローは2011年のシーズン途中にトレードで巨人に移籍。同年オフ、フリーエージェントの権利を行使して、ロッテに復帰している。
サブローとはロッテで14年、15年とプレーしたクルーズは「サブローにはお世話になった。何も分からない日本のことを、色々と教えてもらった。感謝している。今日は特別な日だ」とコメントした。
ロッテの唐川は左脇腹痛から復帰し、8月18日以来の登板だった。6回2/3を2失点とまずまずの投球だったが「納得のいく球を投げられなかった部分は大きい。真っ直ぐはもっといい投げ方ができると思う」と修正の必要性を口にした。
進出が決まっているクライマックスシリーズでも、先発の一角として期待される。伊東監督は「良かったんじゃないか」と評価し、唐川は「やるべきことは分かっている」と先を見据えた。
ロッテ・サブロー外野手(40)の引退試合となる25日のオリックス25回戦(QVCマリン)に、元PL学園監督の中村順司氏(70)=名古屋商科大監督=が観戦に訪れた。サブローにとっては同高校野球部時代の恩師。試合前、取材に応じた中村氏は「プロ入りの際、30歳までは頑張れといって送り出したことを思い出します。それが40歳ですからね。ここまでよく頑張りました。ご苦労さまと言ってやりたい」と感慨深そうだった。
イースタン、ウエスタン両リーグが25日、全日程を終了した。イースタンは巨人が2年連続の優勝で、2位以下は楽天、西武、ロッテ、DeNA、日本ハム、ヤクルト。ウエスタンはソフトバンクが5連覇を果たし、中日、阪神、広島、オリックスの順となった。ロッテの井上晴哉が規定打席不足ながら首位打者を獲得した。
個人タイトルは次の通り。
ロッテのサブロー外野手(40)が25日、オリックス戦で引退試合に臨んだ。「4番・DH」で先発出場し、9回の4打席目に通算1363安打目となる右中間二塁打を放った。22年間の選手生活ではチームを2度の日本一に導いた。11年シーズン途中に巨人移籍しながらフリーエージェント(FA)権を行使して戻ってきたミスターロッテ。「つなぎの4番」の最後の勇姿に3万113人が酔いしれた。
背番号3がマイクの前に立った。「22年もの間応援してくださって本当にありがとうございました」。深々と頭を下げた。一塁側ベンチ前でロッテの盟友達が涙を浮かべ、超満員のスタンドからはサブローコールが鳴りやまなかった。
「4番、ライト、サブローーー!」。QVCマリン名物の語尾を伸ばすアナウンスは7秒続いた。9回1死。現役最後の打席でサブローが平野の149キロ直球をはじき返した。「僕の打球は右方向が1番きれい」。右中間への二塁打。通算1363安打は292本目の二塁打だった。塁上で涙が止まらなかった。
「最後は当たってくれた」。3打席目まで全て空振り三振。15年間使い続けたバットが最後に魔法をかけた。SSKの担当者は「サブローさんのバットは独特。他の選手は使いこなせない」という。グリップが極端に太く先に向かって逆三角形のイメージ。何度かモデルチェンジを試したが「最後は同じバットに戻ってしまう」。サブローだけの特別なバットだ。
9回は伊東監督の粋な計らいでDHを解除し、最初は左翼、最後は右翼のポジションに就いた。右翼スタンドにはサブローが愛し、愛された日本一の応援団がいる。「そこが居場所だったんで最後はちょっと…」。帽子を取って頭を下げると、涙がこぼれた。
引退セレモニーでサプライズ映像が流れた。元ロッテ監督のボビー・バレンタイン氏、巨人・高橋監督、元ヤクルトの宮本慎也氏、元日本ハムの稲葉篤紀氏、楽天・松井稼、今江、元ロッテのベニー・アグバヤニ氏、阪神の西岡…。球場ではシーズン中なのに阿部、坂本、長野ら巨人の主力選手たちが異例の観戦。誰もがサブローに感謝し、そして引退を惜しんだ。
プロ野球選手になる夢はかなえた。「もう1つの夢はこの千葉ロッテマリーンズを日本一の球団にすることです」。ユニホームを脱いだ後は未定だが、いつかまた戻ってくる。誰もが確信していた。この球場こそがサブローの居場所だからだ。
まずはじめにこのような盛大な舞台をつくっていただいたロッテ球団の皆さまに、お礼申し上げます。
思えば長い道のりでした。入団当初は体が弱く、スピードにもついていけず、本当にこんなところでやっていけるのだろうかと、挫折の連続でした。こんな私でもここまでやることができました。それは家族をはじめ、支えてくださった皆さま方のおかげだと思います。感謝いたします。
私の子供の頃の夢はプロ野球選手になることでした。その夢は無事に達成することができました。私にはもう1つの夢があります。この千葉ロッテマリーンズを日本一の球団にすることです。その夢に向かって、勇往邁進(まいしん)してまいります。
こんな私ですが22年間と長い間、愛してくださって本当にありがとうございました。
ロッテ・サブローの巨人時代のチームメートも休養日を利用して、QVCマリンに駆けつけた。
「プライドもあると思うけどバッティングのことを僕に聞いてきたり、貪欲な人なんだと思った」と阿部。内海、山口、長野、坂本、昨季までチームメートのクルーズも足を運び、試合中にビジョンに姿が映し出されるとサブロータオルを掲げて声援を送った。またビデオメッセージで登場した高橋監督は「現役生活は終わってしまったけど、サブローの力を発揮することがこれからある」とエールを送った。
PL学園でサブローの1年先輩だった楽天・松井稼がメッセージを贈った。
「僕もサブ(サブロー)もお互いここまで長く一緒に野球をできるとは思っていなかった。サブがチームに残したもの、ファンに残したものは大きい。でないと、あそこまで愛されることはない。サブが頑張ってるから(自分も)頑張って現役を続けてきた」と感慨に浸った。
先輩、後輩という上下関係を意識することはなく「同級生みたいな感じ」だと笑う。「つなぎの4番」としてロッテを牽引した後輩について「嫌な打者だよね。守っていてそう感じた。いやらしい打者というか何でもできる。チームに欠かせない存在」。選手としてのタイプは違うが、お互いを尊敬し、刺激し合ってきた。
電話で引退を報告された際には「先輩より長く続けたかった」と言われたという。自身は42歳となる来季の現役続行を表明。「僕も1年でも長く現役をやりたいと思っている」と誓った。引退会見では「このチームのためにできることがあれば力を貸したい」と語ったサブロー。松井稼は「将来、どういう指導者になるんやろ。PLで学んだこと、プロで経験したことは大きい。それは財産。いい指導者になって欲しい。これからの人生も長いしね」とエールを送った。
サブローのPL学園の7年後輩で、ロッテでともにプレーした楽天の今江は「日本一も2回、一緒になれた。楽しかったし、お世話になった。ありがとうございます」と感謝を口にした。
2年目の03年秋に同じSSK社製のバットを使用するサブローからバットを譲り受けた。使いやすくレギュラー奪取につながったという。現在も同タイプを使用中で「サブローさんとの出会いもなければ、通算1500安打もなかったかもしれない」と振り返った。
ロッテが川崎球場を本拠地としていた時代から場内アナウンス係を務める球団職員の谷保恵美さんはサブローの引退試合を終え「強烈な思い出に残る忘れられない選手だった」と別れを惜しんだ。
サブローから打席に入る際のコールを「特別な感じで」とリクエストされ、語尾を長く伸ばす独特のスタイルが定着した。この日はいつにも増して長く伸ばして盛り上げ「全打席、全力でいくつもりだった」と肩の荷が下りた様子だった。
引退セレモニーで花束を贈呈したロッテ・福浦は「寂しいの一言に尽きるね。22年間本当にありがとうだね」と戦友との別れを惜しんだ。
プロ入りはサブローより1年先輩だが、自主トレを共にし、万年Bクラスのチームを05年、10年の2度、一緒に日本一に導いた。サブローにとっても特別な存在。引退試合を迎え、「弱い時に一緒に頑張って日本一になった仲間のことを考えていた」という。サブローの気持ちは岡田選手会長や鈴木主将らこの日涙で見送った後輩たちが受け継いだ。
PL学園時代の恩師、中村順司氏(現名古屋商科大監督)が引退試合を観戦した。引退セレモニーの後、ロッテのベンチ裏を訪れてサブローとがっちり握手。
高校時代の3年間、サブローの指導を続けた名伯楽は「素晴らしいバッティングだった」と愛弟子の最後の打撃を称えていた。
ロッテは25日、サブローの引退セレモニーを行い、多くの関係者がビデオメッセージを寄せた。
ロッテのサブロー外野手(40)が25日、本拠地QVCマリンフィールドでのオリックス戦で引退試合を行った。「4番・DH」で先発出場。マリン名物のウグイス嬢・谷保恵美さんによる「サブロー〜〜〜」コールに後押しされ9回の最終打席ではサブローらしい右中間への二塁打を放つなど、最後までファンを沸かせた。
試合後の引退セレモニー。挨拶では現役時代を「挫折の連続だった」と振り返り「ここまでやって来られたのは家族や支えてくれた皆さんのおかげ」と感謝した。
子供時代の夢だった「プロ野球選手になること」を達成。今後は次の舞台に向けて第2の人生をスタートさせる。「もう1つの夢があります。この千葉ロッテマリーンズを日本一の球団にすることです」と力強く話すと、続けて「夢に向かって勇猛邁進していきます」ときっぱり。選手や元同僚の里崎智也氏、そして2人の息子達から花束を受け取り、チームメートによる胴上げで10度空を舞った。そして最後は谷保さんによる「サブローコールで締めて、22年間の選手生活に幕を閉じた。
ロッテのサブロー外野手(40)が25日、本拠地QVCマリンフィールドでのオリックス戦で引退試合を行った。
「4番・DH」で先発出場し、マリン名物のウグイス嬢・谷保恵美さんによる「サブロー〜〜〜」コールに乗り、この日4度打席に入った。第3打席まで空振り三振に倒れ、迎えた9回の第4打席。通常より長いコールに後押しされて臨んだ最後の打席で、オリックスの守護神・平野から右中間への二塁打。サブローらしい打撃で、自身の花道を飾った。
9回には外野の守備も。左翼でオリックスファンから拍手を受けると、1死からはロッテファンの待つ右翼へ。大声援に涙を浮かべ、慣れ親しんだ「定位置」に着くと最後は頭を下げて感謝の思いを表していた。
QVCマリンのロッテ―オリックス戦の始球式にロンドン五輪女子重量挙げ48キロ級の銀、リオ五輪の銅メダリストである三宅宏実が登場した。
サブローの引退試合で超満員のスタンドに見守られ、サブローの背番号3のユニホームでマウンドに上がると山なりながら見事な投球。ノーバンとはいかなかったが大きな拍手を送られ、「特別な日に始球式を務めさせていただき大変光栄です。サブロー選手、本当にお疲れ様でした」と笑顔を浮かべていた。
ロッテが川崎球場時代から場内アナウンスを務める球団職員の谷保恵美さんが、名物の「サブロ〜」コールを引退試合で響かせた。
語尾部分を伸ばす独特のアナウンスは、球場名物。サブローの最終打席では「サブロ〜」と“史上最長”となる7秒半も伸ばし続けた。「さみしい気持ちもありましたが、最高のコールをしようと思いました。全打席、全力でした」。引退セレモニーも「サブロ〜」コールで締めくくった。
ロッテ・サブローの引退セレモニーでは入団当時の指揮官だったボビー・バレンタイン元監督(66)からビデオメッセージが届いた。「初めてのマリーンズ監督の時、サブロー選手がドラフト1番でした。あれから22年、(05年の)優勝が最高のメモリーです」とコメント。
球場には高校時代の恩師・中村順司氏が訪問。元ヤクルトの宮本慎也氏らPL学園OBからもメッセージが寄せられた。
ロッテ・サブローの引退セレモニーで、巨人・高橋監督のビデオメッセージが流れた。
チームメートとして一緒に戦った11年シーズンを「特に野球の話になると熱く語るサブローが、今でも印象に残っています」と振り返りつつ、「現役生活は終わってしまいますけど、サブローの力を発揮する場所、必要とされる場所が必ずたくさんあると思いますので、これからもまだまだ頑張ってください」とエールを送った。
今でも鮮明に覚えている。私がロッテ担当を務めた翌年の14年5月。このシーズン、37歳にしてロッテの4番に君臨していたサブローさんと、初めて食事する機会に恵まれた。会も中盤へと差し掛かり、野球の話題になった時、ふと漏らした言葉が忘れられない。
「バッターはな、ピッチャーの1番得意なボールを打つんや」。
翌日、私が担当していた日本ハムとの試合。ロッテの4番は相手右腕・中村勝の生命線でもあった、落差の大きいカーブを完璧に仕留めた。広い札幌Dの左翼席へ放物線が描かれる。言葉通りの一発に、記者席で見ていた私は思わず息をのんだ。
努力の人でもあった。試合前には若手とともに早出でロングティーをこなしたり、スイング時に体が開いてしまう癖を矯正するために、ベルトで両脇を締め、打撃練習をしたりしていたこともあった。また、健康を維持するために、朝起きた時には常温の水を一杯飲むのも習慣だったという。
チームを思う気持ちも人一倍だった。クルーズ、デスパイネら新加入した外国人選手を積極的に食事に誘い、チームに溶け込めるように配慮した。また自身が通っているトレーニング施設には後輩も連れていき、一緒に汗を流すことも頻繁にあった。
冒頭の会食の席。初めて引退後の夢を聞いた。
「いつかGMになって、チームを強くしたいんだ」。
指導者としてもう1度ユニホームを着て、後輩達と戦う姿も確かに見てみたい。そして球団の編成部門のトップでもあるGM職に立ち、愛するロッテを世界一のチームへと導く―。有言実行してきたサブローさんなら、どんな夢でもかなえてしまう気がする。
ロッテ・サブローが25日、オリックス戦で引退試合を行った。「4番・DH」でスタメン出場し、プロ最終打席となった9回1死から右中間へ二塁打を放って有終の美を飾った。最終回には定位置だった右翼の守備にも就き、右翼席の「サブローコール」に涙。22年間の現役生活に別れを告げた。11年は巨人に在籍したバットマンのラストゲームに阿部、坂本、長野ら6人のG戦士も駆けつけ、最後の雄姿を見守った。
「つなぎの4番」と呼ばれた男が、最後の最後でファンを泣かせ、自らも泣いた。サブローの現役ラストとなる5943打席目だ。3打席連続三振して迎えた9回1死、守護神・平野の149キロをはじき返した。通算1363本目の安打は右中間への二塁打。歓喜に沸くスタンドを仰ぎ見て、二塁ベース上で涙をこぼした。「当たると思わなかったけど、やっぱり(自分の持ち味は)右方向。あそこへの打球が1番きれいかな」。22年間の集大成は、自分らしいヒットだった。
右翼席から鳴り響くサブローコール。ロッテを愛し、愛されてきた男の頬を伝う涙は止まらない。9回表、伊東監督の計らいで左翼と右翼を守った。かつて定位置だったライトに向かうと「あそこが居場所だったのでね…。最後にウルっと来ました」。超満員札止め、3万人超のファンに送られた万感の2時間33分。セレモニーではナインから胴上げされ、10度宙を舞った。05、10年と2度の日本一を成し遂げた盟友・福浦には肩を抱かれ、また泣いた。
10度宙舞った 背番号3は、クールな表情とは裏腹の熱い男だ。人望は球団の垣根も越える。11年に3か月余りしか在籍しなかった巨人の選手たちが、QVCで声援を送ったのもそう。13年オフに涌井が西武からFA移籍するときも「俺がいるから、何があっても大丈夫だ」と背中を押した。「僕は気持ちでやるタイプ。それは誰にも負けない」。投手や野手にかかわらず、その信念に支えられた選手は数知れない。
最後のスピーチでは、ファンの前で宣言した。「僕にはもう1つの夢があります。それはマリーンズを日本一の球団にすること。その夢に向かっていきたい」。戦闘服を脱いでもロッテ愛は変わらない。長雨の終わりを告げるような晴れた空が、まだ終わらないサブローの未来を照らしているようだった。
ロッテのサブロー外野手(40)が、本拠地QVCマリンで引退試合を行った。
「4番・DH」で先発出場。1打席目から3打席連続三振で迎えた最終の第4打席で、平野の149キロ直球を捉えて右中間を割る二塁打を放った。守備では9回に、左翼と右翼を守り、超満員のQVCを終始沸かせ、何度も目頭を押さえていた。
リオ五輪重量挙げ48キロ級の銅メダリスト三宅宏実(30)が、25日のロッテ―オリックス戦(QVCマイン)で始球式を行った。
三宅は、引退試合を行うロッテ・サブロー外野手(40)と同じ背番号3に「HIROMI」と入ったピンストライプのユニホームで、始球式に臨んだ。
投球は、打席に立ったロッテ・鈴木大地遊撃手(27)の背中を通り越してワンバウンド。満員の球場を沸かせ、サブローの引退試合に花を添えた。
大役を務めた三宅は「サブロー選手引退という特別な日の始球式を務めてさせていただき大変光栄です。ありがとうございました。サブロー選手、長い野球選手生活、本当にお疲れ様でした。次のステージでの活躍をご祈念いたします」とコメントした。
今季限りで現役を引退するロッテのサブロー外野手(40)が25日、自身の引退試合であるオリックス戦(QVC)の試合前に、QVCの正面入り口でサイン会を行った。
サイン会は試合開始1時間前までの約20分間行われ、ファンが持ち寄ったボールやレプリカユニホーム1つ1つにサインした。
この日は早朝から、背番号3の最後の雄姿を一目見ようと、多くのファンが詰めかけた。チケットは完売。引退試合は、QVCの正面入り口スペースでパブリック・ビューイングも行う。
最後に魅せた。ロッテ・サブローが「4番・DH」で出場。第3打席までは全てフルスイングで三振に倒れたが、9回、22年間の現役生活を締めくくる打席で右中間へ二塁打。「右方向やな。自分らしいな」と笑った。
9回表には伊東監督の計らいで、左翼の守備に就いた。そして1死後には右翼に回った。背中に浴びる「サブロー・コール」。込み上げる涙を抑えることができなかった。
試合後には胴上げで10度宙に舞った。少年時代の夢は「プロ野球選手になる」ことだったが、引退セレモニーで「もう1つの夢。それは千葉ロッテマリーンズを日本一の球団にすることです。その夢へこれから勇往邁進していきます」と宣言。選手以外の立場で新たな夢を追い掛ける。
ロッテ・サブロー外野手(40)の引退セレモニーが試合後に行われた。挨拶では、周囲の支えに感謝の言葉を述べた後、ロッテを日本一の球団にする目標を掲げ「その夢に向かって勇往邁進して参ります」と誓った。チームメートの手で10度、宙を舞った。
セレモニーでは、ビジョンに過去のメモリアルVTR、バレンタイン元監督、PL学園高の後輩で元チームメートの阪神・西岡らのメッセージが流れた。その後に挨拶に立ったサブローは「思えば長い道のりでした。入団当初は体も弱く、スピードにもついていけず、本当にこんなところでやっていけるんだろうかと挫折の連続でした」と、苦しかった日々を振り返った。そして「ですが、こんな私でもここまでやることができました。それは家族をはじめ、支えてくださった皆さんのおかげだと思います。心から感謝いたします」と、サポートしてくれた人達への感謝の言葉を口にした。
続けて「私の子供の頃の夢はプロ野球選手になることでした。その夢は無事達成することができました。ですが私にはもう1つの夢があります。この千葉ロッテマリーンズを日本一の球団にすることです。その夢に向かって勇往邁進して参ります」と、ファンに誓った。
サブローはこの試合、「4番・DH」でスタメン出場。9回には左翼、右翼も守り、ファンから声援を受けると何度も涙をぬぐった。打っては3打席連続空振り三振の後、9回に右中間へライナーで運ぶ二塁打。通算1363安打目を放った。
ロッテ・サブロー外野手(40)が、この日の引退試合に「4番・DH」でスタメン出場した。2回、先頭打者として打席に向かうと、「サブロー〜〜〜」と長く伸ばす独特の場内アナウンスが流れ、同時に球場から「サブロー」コールがわき上がった。
オリックス・山田と対戦した注目の第1打席は2−2からストレートをフルスイングして三振。こちらもサブローらしかった。さらには、4回の第2打席、6回の第3打席も空振り三振に倒れた。
この日のチケットは売り出すとアッという間に完売。引退発表の会見ではファンに対して「感謝の言葉しかない」と話していたサブロー。改めて人気の高さを証明した。
ロッテ・サブローの引退試合が25日、本拠地QVCマリンで行われた。
「4番・指名打者」で出場したサブローは、9回の第4打席で二塁打を放ち、現役最後の打席を終えた。試合後には引退セレモニーが行われ、球場に駆け付けたファンに挨拶。最後は場内を1周し、グラウンドを去った。