わたしはかもめ2016年鴎の便り(12月)

便

12月5日

元ロッテ香月良仁が古巣・鮮ど市場で兼任コーチ就任[ニッカン]

今季までロッテでプレーした香月良仁投手(32)が、来年は出身の社会人チームである鮮ど市場ゴールデンラークス(旧熊本ゴールデンラークス)に投手コーチ兼任で復帰することが5日、分かった。8年目の今季は11試合の登板にとどまり、10月に戦力外を通告されていた。

独立リーグなどからもオファーがあったが、ゴールデンラークスを選んだのには復興支援の思いもある。4月の熊本地震で、チームの母体であるスーパーチェーン「鮮ど市場」も大きな被害を受けた。選手たちは避難所の手伝いを率先して行い、練習どころではなくなった。香月も当時、千葉で募金活動を行い、支援を呼び掛けた。社会人時代、鮮ど市場でコロッケを売りながら、地元の人に支えられてプロへの道を開いた。「恩返しをしたいんです。プロで経験したことを伝えられたら。頑張ることで、熊本で喜んでくれる人もいると思う」と胸の内を明かした。

目標は都市対抗出場だ。香月がエースだった07、08年を最後に、出場していない。兼任コーチは「ばりばり投げますよ」と、選手としても力になることを誓った。

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ロッテ幻の挑発ポスター公開「二刀流vs伊東流」[ニッカン]

ロッテの幻の挑発ポスターが5日、公開された。

日本ハムとのCSファイナルステージ用で「二刀流VS伊東流」の文言付き。ファーストステージで敗れたため、印刷されることなくお蔵入りとなっていた。球団担当者は「来季は大谷投手に勝る存在感で優勝して欲しいとの思いから、あえて公開しました」と説明した。

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ロッテ『幻の挑発ポスター』公開、本来ならお蔵入りも「来季の糧に」[サンスポ]

ロッテは5日、クライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージ進出用に準備していた「幻の挑発ポスター」を公開した。

CSはソフトバンクにファーストステージで敗退。本来ならお蔵入りとなるところだが、「この悔しさを来季の糧に!!」との思いから、あえてファンに伝えることにした。

「二刀流vs伊東流」と日本ハム・大谷を意識したもので、今季の交流戦で好評だった非交流戦士の「マジワラン」が“下克上戦士”と名を変え再登場。発案者のアイデアマン、山室球団社長は「来季の本拠地開幕カードは日本ハム戦。今度こそ『伊東流』で話題を独占したい」と目を血走らせていた。

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ロッテ戦力外の香月良、社会人古巣に復帰へ、コーチ兼任[スポニチ]

ロッテを戦力外となった香月良仁投手(32)が、熊本の古巣である社会人野球「鮮ど市場ゴールデンラークス」に復帰することが5日、分かった。

選手兼任コーチとして入団する。香月良は「お世話になった人や、仲間がいる古巣に声をかけてもらったので決めた。第一線で投げるつもりだし、力になれるなら、恩返しになる」と話した。

同チーム初のプロ野球選手として08年ドラフト6位でロッテに入団し、通算8年間で65試合4勝3敗1セーブ、防御率4.58。今季は11試合で同8.44だった。熊本地震が起こった4月には本拠地で香月良自ら募金を呼びかけた。福岡出身の右腕にとって、熊本は第2の故郷。「僕がいたとき(08年)以来出ていない都市対抗に出て、少しでも盛り上げられたらいい」と目標を掲げた。

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「二刀流VS伊東流」幻の挑発ポスターあった[報知]

ロッテが、幻の「挑発ポスター」を公開した。

今季のCSで日本ハムとの最終ステージを想定して作られ「二刀流VS伊東流 ―欲張りはそこまでだ」と、日本ハム・大谷を強く意識した内容。しかし、第1Sでソフトバンクに敗退したためお蔵入りになった。山室球団社長は「来年は、伊東流のマリーンズが話題を独占できる素晴らしいシーズンになって欲しいと願っておりますし、それに向けて準備をしていきます」と話していた。

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[千葉魂]先輩からの無言のエール、大松の夢は終わらない[千葉日報]

いつもと違う登場曲が流れた。福浦和也内野手はかわいがっていた後輩との別れを惜しみながら打席に立った。10月4日のイーグルス戦(マリン)。福浦は2日前に来季の戦力構想から外れマリーンズ退団が決まった大松尚逸内野手が今まで使用をしていた登場曲に変更して試合に挑んでいた。もう、この登場曲がマリンで響くことはなくなった。だから、背番号「9」は自身の登場曲からこの日だけ、この曲に変更をした。後輩への思いが詰まった心使いだった。

「直接は見ることができませんでしたが後日、そういうことがあったと、他の選手や知り合いが教えてくれました。福浦さんからも言われました。『オマエの曲、使わせてもらったよ』って。ジーンときました。ボクはもうマリンであの曲と一緒に打席に向かうことはできない。そんなボクの気持ちをくんで、一緒に打席に向かってくれたのだと思います。本当に嬉しかったです」。

同じ左打者の福浦に憧れ、参考にしながら、ここまでプレーをしてきた。あれは、プロ2年目が終わった2006年のオフ。なかなか思い通りの結果が出ずに苦しむ大松は意を決した。11月に行われた球団納会で大先輩のいる席に足を運んだ。ビールを注ぎながら、お願いをした。「一緒に練習をさせていただけませんか。自主トレ、連れて行ってもらえませんか!」。その言葉には強い決意が感じられた。だから、福浦も二つ返事で承諾をした。「ありがとうございます!」。断られることも覚悟の上だっただけに、あの日のことは一生、忘れる事ができない。それほど嬉しかった。練習では、全ての動きを注視した。アドバイスを聞き漏らさないようにしようと公私ともに、いつも近くにいた。そして、その後も師弟関係はずっと続いた。08年、大松はついに開花する。24本塁打、91打点。チャンスに強い打撃で「満塁男」と言われるまでになった。その年から3年連続の2桁本塁打をマーク。福浦もそんな後輩が活躍する姿を自分のことのように喜び、共にさらなる練習に明け暮れた。しかし、そんな日々に別れの日は突然、訪れた。

「オレより先に辞めるなよ」。ここ数年、出場機会が減り苦しむ大松に、福浦はいつもそう言って励まし続けてくれた。だから、戦力構想から外れた時に1番に電話をしないといけないと思った。だが、それは、あまりにもつらい連絡だった。「こんな嫌な報告で申し訳ありません」。そう言って謝ると涙がこぼれ落ちそうになった。今後の道に悩む大松を、電話口の向こうにいる師匠は優しく励ましてくれた。

「オマエの今の気持ちに正直に生きろよ。まだできるという思いがあるなら、その気持ちを大事にしろ。やるのはオマエ。今の気持ちを大切にしてくれ」。

その言葉に励まされ、新たな世界への挑戦を決めた。5月に右アキレス腱を断裂し、9月になって、ようやくリハビリを終えたばかり。しかし、そんな逆境はどこ吹く風とばかりに、力強く走り出した。打球は鋭い弾道で外野フェンスを越えていく。背番号「10」の代名詞だった大きな弧を描く綺麗なアーチはすっかり元に戻っていた。

「打撃の状態は100%。足も順調です。今は足首の負担を軽くするため、股関節やお尻を使ってしっかりと走る方法にも取り組んでいます」。

今は練習に明け暮れる毎日。その手には確かな手応えが宿る。プロ入りから、これまで憧れ、目標にし、教えを受けた大先輩のエールに応えるためにも、このままで終わる訳にはいかない。

「今の目標はどんな形でもいいので元気にユニホームを着て打席に立つ姿をこれまで応援をしていただいたファンの皆さまにお見せすること。登場曲が流れる中で打席に向かって、支えてくれた皆さまのために打ちたい」。

大松はあの日、大先輩が行動で示した無言のエールをしっかりと受け止めていた。あえて登場曲を自らのものから変更して伝えたかった「頑張れよ」の思いは確かにその胸の奥深くに届いていた。だから、いつも満員の観客が埋まる球場の中、打席に入る自分の姿をイメージしながら打撃練習を続ける。もう1度、あの舞台に戻る。今の大松には強い決意と自信がみなぎっている。戦いの日々はまだ終わらない。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)

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