わたしはかもめ2016年鴎の便り(12月)

便

12月25日

ロッテ平沢大河“独”眼竜の前で“独”り立ち宣言[ニッカン]

郷里の英雄に来季の飛躍を誓った。宮城に帰省中のロッテ平沢大河内野手(19)が25日、仙台・青葉城跡を訪問。独眼竜こと伊達政宗の銅像を前に、2年目の目標に「独」としたためた。プロとして独り立ちし、資格が残る新人王争いでも独走する意気込みだ。

平沢は初めて青葉城跡を訪れた。馬上の政宗像をしげしげと眺めた。「テレビでよく見ます。有名ですよね」。郷里の英雄を前に、来季の目標を考えた。1分、2分。じっくり時間をかけた末に「独」と、力強く記した。独眼竜を前に、思いを明かした。

平沢
「プロとして独り立ちしたいという意味もあるし、来年で20歳になる。1人の人間として独立したいです。新人王争いも独走できればいいですね。」

宮城に帰省した前日24日に19歳になった。ドラフト1位ルーキーの1年目は23試合にとどまり、打率1割4分9厘。直球に差し込まれる場面もあり、プロの厳しさを味わった。「来年は今年より多く試合に出たい」と正直に言った。

19歳は、独眼竜に刺激を受けた。その政宗は、同じ19歳の時には既に家督を継いでおり、周辺勢力との争いに乗り出していた。そのことを知った平沢は「だいぶ早いですね」と目を丸くした。「もし10年早く生まれていたら天下を取ったかも、という話は聞いたことあります。僕も(政宗のように)なれるように頑張ります」と、仙台の町を見渡しながら言った。

手応えはある。11月末から、台湾のウインターリーグにイースタン選抜として参加。「他の人は練習している中、自分は試合が出来た。(秋季)キャンプからやっていることを試せたので、経験をつなげられたら」。生きた球でフォームやタイミングの取り方をいろいろと試した。18試合で打率2割8分、2本塁打、13打点。ウエスタン選抜のオリックス斎藤からは右翼席上段へ特大アーチを放った。「1年前より良くなってます」と成長を実感した。

年末年始は実家で過ごし、年明けから浦和で自主トレを行う。「仙台、落ち着きますね」。故郷の空の下、しばしの休息。来年は、天下に名をとどろかせる。

平沢の1年目
2月の石垣島キャンプは1軍スタートも、オープン戦で結果を出せず3月中旬に2軍降格。5月11日に初昇格したが、10打席無安打で10日後に降格。7月30日に再昇格すると、8月17日の楽天戦で通算24打席目でプロ初安打を放った。9月1日に再び降格。最終成績は、23試合、47打数7安打、打率1割4分9厘、0本塁打、3打点。
伊達政宗
奥州に名をはせた戦国大名。1567年に米沢城で生まれる。幼少時にかかった天然痘で右目を失明し、後に「独眼竜」と呼ばれる。13歳で初陣。父輝宗を継ぎ、17歳で家督相続。関白・豊臣秀吉の惣無事令(そうぶじれい=私戦禁止令)を無視し、現在の福島、山形、宮城、岩手に勢力を広げた。秀吉の小田原攻めに参陣し服属。関ケ原の戦いでは徳川方に属し、仙台藩の藩祖となった。家来の支倉常長を欧州に派遣(慶長遣欧使節)したことも有名。1636年、68歳で死去。

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ロッテ2位の酒居、大体大の先輩村田、松葉から刺激[ニッカン]

ロッテ・ドラフト2位の大阪ガス・酒居知史投手(23)が2人の先輩から刺激を受けた。

25日、母校大体大で日本ハム村田、オリックス松葉とともに野球教室に参加。「現役でやっている先輩と一緒の時間を過ごせたのは良かった」。現在は大阪ガスでトレーニングを積んでおり「自主トレに向けて体力を落とさないようにしたい」と話した。

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[プロ野球番記者コラム]ロッテ育成1位安江の“ダッシュ”に成り上がる決意[ニッカン]

ロッテの新人のちょっとした行動が気になった。13日に都内のロッテ本社で新入団会見が行われた。それに先立ち、9人はZOZOマリンを見学。ベンチ前に整列し、マリンの名ウグイス嬢、谷保さんのアナウンスでマウンドに向かう体験を味わった。

ドラフト1位の佐々木から順番に呼ばれていった。8番目は、育成1位のBC・石川・安江嘉純投手(24)。「マリーンズのピッチャー、安江嘉純!」と谷保さん。すると、スーツ姿の安江は一目散にマウンドへ駆けだした。他の選手たちが歩いて向かったのとは対照的だった。

真意を聞いた。「立場的に、僕は全てがアピールだと思っています」。まずは支配下選手にならないといけない。しかも、24歳という年齢を考えると、時間の余裕はない。小さなことかも知れないが、少しでも目立ってやろうという気持ちからだった。

もっとも「周りの反応がいまいちで。滑りました」と苦笑いで付け足した。記者が「僕には伝わったよ」と言うと、「ありがたいです」と喜んでいた。理想の投手はオリックス金子。目標には「下克上」と書いた。育成から成り上がる。マウンドへと駆けたのは、そんな思いの表れでもあった。

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ロッテ平沢が宮城に帰省、伊達政宗像とパシャリ[ニッカン]

ロッテ平沢大河内野手(19)が宮城に帰省した。

19歳の誕生日だった24日は、高校時代のチームメートたちと仙台市内で食事をした。「野球をやっている人も、やめた人もいる。色んな道がある。お互い頑張っている姿を見せられたら」と話した。

25日は、仙台市内を散策。初めて青葉城を訪れた。

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ロッテ・平沢、「来季のプロ初アーチ」“独眼竜”政宗公に誓った![サンスポ]

ロッテ・平沢大河内野手(19)が25日、故郷・仙台の青葉山公園を訪問。「伊達政宗公騎馬像」に「来季のプロ初アーチ」を誓った。

前日24日に誕生日を迎えた平沢は、仙台市内で仙台育英高時代の野球部仲間らと会食。「すごく懐かしい感じがした」と笑顔をみせる一方、早くも2年目の来季に向け戦闘モードに入った。

「技術、体力面ともにまだまだ。『プロ初本塁打』を打てなかったことも悔いとして残る。そのためにはまず、今年よりも多く試合出ること。達成したい目標です」。

政宗は17歳で父・輝宗から家督を継ぎ、奥州に一大勢力を築いた戦国大名。5歳で右目を失明して「独眼竜」とも呼ばれ、平沢は決意の一文字に『独』と記した。

「独立、独創、独自…。色々な意味で一本立ちしなければいけない。そういう思いです」。

今季は23試合に出場し打率.149。来年も新人王の資格は残る。「大河ドラマ」の第二章は、政宗とのコラボからスタートした。

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独眼竜正宗に誓った、平沢プロ1号!独り立ち→新人王獲りだ[スポニチ]

故郷・宮城に帰省中のロッテ・平沢が仙台市内にある青葉城跡を訪問。そびえ立つ伊達政宗騎馬像の前で、プロ2年目を迎える来季の「初本塁打」を誓った。「狙うわけではないが、安打を狙う中で本塁打が出ればいい。そのためにも1軍で試合に出ることが大前提」と表情を引き締めた。

11月下旬から台湾で行われたウインターリーグに参加。「打ち方やタイミングの取り方を練習から意識してやっていた」と振り返るように、18試合で打率.280、2本塁打、18打点と手応えをつかんで1ヶ月弱の武者修行を終えた。また同級生ですでに1軍の舞台でアーチを描いたオコエ(楽天)や広岡(ヤクルト)と時間をともにして「刺激になった。広岡はポジションも同じだし負けたくない」とライバル心もかき立てられた。

24日に19歳になったばかり。戦国武将の伊達政宗は「独眼竜」と呼ばれた奥州の雄だが、平沢は来季の漢字1文字を「独」としたためた。「20歳になるし、プロ野球選手としても独り立ちしないといけない」。2年目の飛躍を遂げれば、資格の残る新人王レースの「独」走も夢ではない。

伊達政宗
古くから出羽・陸奥の国を支配していた伊達氏の第17代当主で、幼名梵天丸。18歳で家督を継いだ。幼少期に患った天然痘により右目の視力を失い、後年に「独眼竜」と呼ばれる。関ケ原の戦いでは徳川家康率いる東軍に属 し、1601年に仙台城の築城を始めて仙台藩の初代藩主となった。87年のNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」では渡辺謙、今年の「真田丸」では長谷川朝晴が伊達政宗を演じた。

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平沢、伊達政宗に来季の活躍誓う!独眼竜にちなみ「“独り立ち”の年にしたい」[報知]

ロッテ・平沢大河内野手(19)が25日、仙台市の青葉山公園(仙台城址)を訪れ、宮城の英雄である伊達政宗公に来季の活躍を誓った。

19歳の誕生日だった24日、宮城・多賀城市の実家に帰省。一夜明け、初めて仙台城址にある政宗公の騎馬像を見た。誓いの一文字として色紙に“独眼竜”の「独」を記した。

「野球選手としても個人としても“独り立ち”の年にしたい」。新人だった今季は23試合に出場し、打率1割4分9厘(47打数7安打)、0本塁打、3打点。「今年より多く試合に出て、数字を残す」と目標を口にした。

11月はイースタン選抜の一員としてアジアウィンターリーグ(台湾)に参加。「同級生が多かったし内野手も何人かいて、刺激を受けた。特に広岡(大志=ヤクルト)は同じ遊撃手だし1軍で本塁打を打ってるので負けたくない。僕も来季はヒットを狙う中で本塁打を打てれば…」。まだ資格が残っている新人王を目指し“独走”する。

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ロッテ平沢 独眼竜に誓う「独」来年20歳で目標の一字…独立・独特・独走[デイリー]

ロッテ・平沢大河内野手(19)が25日、独眼竜政宗像前で来季の飛躍を誓い、来季目標の一字として「独」を掲げた。

平沢は19歳の誕生日を迎えた24日に多賀城市の実家に帰省。友人達と食事をして再会を楽しんだ。一夜明けて足を運んだのは、仙台市・青葉山公園内にある伊達政宗公騎馬像前だった。

政宗は弱冠17歳で伊達家の家督を継ぎ、その才覚で奥州最大の勢力を築いた。「独眼竜」と呼ばれ、全国の戦国ファンの間では人気が高い。

「僕もしっかりと成績を残して、(政宗のように)なりたいですね」と平沢。そして来季の目標を表現する一字に「独」を選んだ。

「来年は20歳になるし、独立したい。(野球選手として)独特のものを持ちたい。そして(新人王へ)独走したい」。

プロ1年目の今季は23試合で7安打3打点、2二塁打、1三塁打と持ち味は出したが、体力不足に泣いた。「(来季は)試合に数多く出てヒットを打ち、率を残します」。若武者は改めて大暴れを誓った。

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ロッテ・平沢、伊達政宗公に来季の飛躍を誓う[デイリー]

ロッテ・平沢大河内野手(19)が25日、宮城県仙台市・青葉山公園の伊達政宗公騎馬像前で、2017年への飛躍を誓った。

平沢は19歳の誕生日となる24日に浦和寮から多賀城市の実家に帰省した。1年間、故郷を離れただけだが、「すごく懐かしい感じがした」という。その日は友人達と食事をして再会を楽しんだ。

プロ1年目の今シーズンは23試合で7安打3打点、2二塁打、3三塁打と持ち味を出したものの、夏場に体重が減り、体力不足を思い知らされた。

「来年は今年以上に多く試合に出たい。ヒットを打って率を残したい。ホームランはヒットを狙っている中で打てればいい」。

飛躍を誓った場は仙台市の青葉山公園、「伊達政宗公騎馬像前」だった。政宗は17歳で伊達家の家督を次ぎ、奥州の雄として最大の勢力を築き、「独眼竜」と呼ばれ、戦国通のファンの間では人気が高い。「ボクもしっかりと成績を残して、(政宗のように)なりたいですね」と目を輝かせた。

11月下旬から台湾での「アジアウインター ベースボールリーグ」にNPBイースタン選抜として参加した。「秋季キャンプでやってきたことを試してきました」と振り返るように、打撃フォームのチェックからタイミングの取り方などで、「すごくいい感じだった。1年前よりも良くなっている」と手応えをつかんだ様子だ。

来年1月10日前後には「浦和寮」に戻るが、それまでは故郷でたっぷりと英気を養う。

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