わたしはかもめ2018年鴎の便り(9月)

便

9月26日

ロッテ大隣が引退会見「今も鮮明」難病からの復帰戦[ニッカン]

今季限りでの引退を決めたロッテ大隣憲司投手が26日、本拠地ZOZOマリンで引退会見を行った。

「ほっとしている部分もありますし、やり切った気持ちもあるので、複雑といえば複雑ですけど、悔いなく終われたと思います」と話した。

春季キャンプでのテストを経て今季ロッテに加入。1軍での登板機会は5月2日の古巣ソフトバンク戦1試合(1回2/3、7失点降板)に終わった。「もうそろそろやめ時なのかなと思いながらこの1年やっていた。チームの力になれなかったのだけが心残りです」という。

通算140試合で52勝49敗、防御率3.36。最も印象に残っている試合はソフトバンク時代14年7月27日のオリックス戦。13年に発症した黄色靱帯骨化症からの復帰戦で勝利を挙げた。「あの時の試合はいまだに鮮明に覚えている。勇気をもらえましたとか、元気をもらえましたとかコメントももらいましたし、直接言われることも多かった。今まで応援してもらった分もファンの方々や病気を患っている方々に恩返ししようと思って投げてました」と振り返った。

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ロッテ福浦「ため息しか」同年齢の松井稼頭央引退に[ニッカン]

今季限りで引退することが明らかになった西武松井稼頭央外野手について、同じ42歳として球界を牽引してきたロッテ福浦和也内野手がコメントした。

「本人が決断したことですから何も言えないですけど一緒に切磋琢磨してやってきた中で、やっぱり寂しいよね。ため息しかでないです。でも、もう1回(10月4日西武戦で)会えるんで。まだ(惜別の言葉は)早いよ」。

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ロッテ岡田が引退会見、福浦から花束「びっくり」[ニッカン]

今季限りでの引退を表明したロッテ岡田幸文外野手が26日、本拠地ZOZOマリンで会見に臨んだ。「悔いはなく、充実した野球人生だったと思う」と振り返り、他球団などでの現役続行の可能性については「10年前、千葉ロッテマリーンズに育成(選手)として拾っていただいて、ここまで10年間という長い間、現役生活を続けさせていただいた。他でやるという考えは正直なかった」と説明した。

引退を決断したのは今月に入ってから。チームの戦力になれていないことを実感。「守備についていても以前だったら追いついていた打球に追いつけなかったり。盗塁にしてもスタートがちょっと自分の意識と違ったり。ましてや2年連続でヒットが打ててないので、そこが全てです」と話した。

1番の思い出は日本一に輝いた10年日本シリーズ。第7戦で中日浅尾から延長12回に右中間へ決勝の適時三塁打を放った。「延長を戦い抜いた時の決勝タイムリーは今でも鮮明に覚えています」。

全足利クラブから08年育成ドラフト6位で入団。通算成績は25日現在で909試合に出場し、打率2割5分4厘、0本塁打、119打点。ここ2年間安打がなく、通算ホームランもゼロだが「攻撃だけじゃないので、守備ってすごく大事な仕事だと思っています」と、持ち味だった守備力へのプライドをのぞかせた。

今後については未定とした上で「いつか恩返ししたいですし、ロッテのために何かできることがあればやりたいと強く思います」。将来的にロッテのユニホームを着て戻ってくることを希望した。

会見後、10年間背中を追いかけてきた福浦から花束を渡されると「びっくりだなあ。何で福浦さんなんすか、やばい。ありがとうございます」と目頭を熱くした。

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ロッテ・岡田、大隣と引退会見「色々な人のおかげ」[サンスポ]

今季限りでの引退を発表したロッテの岡田と大隣が26日、会見。育成出身の岡田は「本塁打が打てなくても、クラブチーム出身でもプロになれるということを教えられたと思う。10年間やれたのはファン、球団、色々な人のおかげ」と感謝を口にした。またソフトバンクを退団後、今季テスト入団した大隣は「後悔はない。野球しか知らない人間なので、何か貢献できれば」と今後に目を向けた。

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ロッテ・安田、本拠地デビューはお預け「仕方ない。次で頑張る」[サンスポ]

ロッテのドラフト1位ルーキー安田は雨天中止で本拠地デビューがお預けとなった。8月に初昇格した際は出場した6試合が全て敵地だった。千葉でのプレーを楽しみにしていただけに「仕方ない。次で頑張る」とすぐに室内練習場へ向かった。

23日に再昇格してからは6打数3安打4打点と当たっている。「前に上がってきた時よりもいいスイングができていて、ファウルになっていた球が前に飛んでくれている感じ」と明るい表情だった。

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ロッテ・大隣の思い出は復帰登板「ここまで投げられるのかと自信が戻り…」[サンスポ]

今季限りでの引退を発表したロッテ・大隣憲司投手(33)は26日、ZOZOマリンで会見に臨み「ホッとしている部分も、やりきった気持ちもあり複雑だが、悔いなく終われた」と12年間のプロ生活を振り返った。

2012年に2桁勝利を挙げたが、翌年に国指定の難病「黄色靱帯骨化症」と診断され手術。14年に1軍復帰を果たし、7月27日のオリックス戦での勝利を「ここまで投げられるのかと自信が戻り、想像以上の力を出せた」と1番の思い出と語った。

昨年、ソフトバンクを戦力外となったが、今回は「体が言うことをきかなくなっているところもある。でも悩み抜いた2ヶ月があったから、いい決断ができた」と今回は自らの意思でマウンドをおりる決断を下した。

ロッテにはテスト入団し、登板はわずか1度。「拾ってもらって感謝している。力になれなかったことだけが残念、ファンには申し訳ない」と率直な気持ちも明かした。

今後は未定だが「野球しか知らない人間。何か貢献できれば。指導者もやってみたい」と将来の希望を口にした。

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引退のロッテ・岡田「市民クラブからでもプロになれると教えられた」[サンスポ]

今季限りでの引退を発表したロッテ・岡田幸文外野手(34)は26日、ZOZOマリンで会見に臨み「悔いはない。充実した野球人生だった」と10年間のプロ生活を振り返った。

育成2009年にクラブチームの全足利クラブから育成で入団(同年3月に支配下登録)した岡田は「育成で拾っていただいて、10年間続けさせていただいた。他で(野球を)やる考えはなかった。感謝しかない」と球団への思いを口にした。今季は開幕を1軍で迎えたものの、シーズン途中で降格。「9月に入って戦力になれていない」という思いから引退を決意。家族にも伝え「子供からは“選手じゃなくてパパはパパ”と言ってもらえた」と明かした。

最も思い出深い試合には延長12回にサヨナラ打を放った2010年の中日との日本シリーズ第7戦を挙げ、「今でも鮮明に覚えている」という。

守備のスペシャリストして11、12年には2年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。守備とは−と問われ「欠かせないもの。大事な仕事」という岡田。一方で野手として2496打席本塁打なしではあったが、「本塁打が打てなくても、足や守備を生かせる場があるということ、市民クラブ出身者でもプロになれるということをプレーで教えられたと思う」と胸を張った。今後は未定だが、「後輩たちに野球を伝えたい」と指導者にも意欲を示した。

終始笑顔だったが、会見の最後に「野球に対する準備、姿勢は常に意識していた」と尊敬する福浦から花束を手渡される、思わず涙があふれた。

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ロッテ福浦、習志野市から市民栄誉賞[スポニチ]

千葉県習志野市は26日、今月22日の西武戦(ZOZOマリン)で史上52人目の通算2000安打を達成した同市出身のロッテ・福浦和也内野手(42)に市民栄誉賞を贈ることを発表した。

習志野高校から93年ドラフト7位で入団し、今季で25年目。千葉のフランチャイズプレーヤーとしてロッテ一筋で活躍した。同賞は過去ソウル五輪男子100メートル背泳ぎ金メダリストの鈴木大地氏(現スポーツ庁長官)ら2個人1チームが受賞している。

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ロッテ福浦が1軍練習に合流、岡田、松井の引退に「さみしさが倍増するよ」[スポニチ]

22日の西武戦(ZOZOマリン)で通算2000安打を達成後、首痛のために出場選手登録を抹消されたロッテ・福浦和也内野手(42)が26日、1軍練習に合流した。

今後は帯同しつつ、首のリハビリを行う予定。この日も打撃練習は行わず、年下の選手への指導に終始したが「トレーニングはやります」とランニングや筋力トレーニングは継続していく考えだ。

この日、弟のように可愛がっていた岡田の引退会見で花束贈呈し、同学年の西武・松井の現役引退が発表され「さみしさが倍増するよ」と複雑な表情だった。

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ロッテ引退会見、大隣「悔いなく終われた」岡田は“師匠”登場に号泣[スポニチ]

今季限りでの引退を発表したロッテの岡田と大隣が本拠地ZOZOマリンで引退会見を行った。

岡田は会見場に自主トレの師匠・福浦が現れるサプライズに「え?何で福浦さんなんですかぁ」と号泣。「まだ(泣くのは)早いよ」と福浦に肩を叩かれた。57打席連続無安打中で南海・桜井輝秀の野手としてのプロ野球記録58打席連続無安打に王手をかけている。引退試合が行われれば、不名誉な記録を破る2年ぶりの安打を狙う。また、大隣は13年に国指定の難病・黄色靱帯骨化症の手術を受けたが「悔いなく終われた」と話した。

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ロッテ・大隣、肉体は限界だった…野球人生に悔いなし「12年間やりきれた」[スポニチ]

ロッテ・大隣憲司投手(33)は25日、ZOZOマリンで引退会見を行った。

「12年間やりきれた気持ちもある。ほっとしているし、悔いなく終われたと思う」。

ソフトバンクでは12年に12勝したがWBCにも出場した13年に国指定の難病・黄色靱帯骨化症の手術など、波瀾万丈の野球人生。1番、印象に残る場面には手術から復帰白星を挙げた14年7月27日のオリックス戦を挙げて「手術明けの試合は鮮明に覚えています。思っているより、緊張しなくて、チームの雰囲気がすごくよかった。想像した以上の力が出せたと思います」と振り返った。

ただ、17年オフに戦力外となり、テスト入団したロッテでは1軍は1試合先発しただけだった。「力になれず、申し訳ない気持ちです。もっともっと続けたかったけど、正直、体が言うことを聞かなかった」と大隣。黄色靱帯骨化症は現在も年1度の経過観察中で「(影響は)少なからずあったと思う。ただ、それを言い訳にして野球をやりたくはないと思った。色々、考えたけど、最後まで(打開策は)見つからなかった」と肉体は限界だったと明かした。

今後については「未定」としながら「野球に何かしら貢献できればと思う」と恩返しに力を注いでいく。

ロッテ一筋10年の岡田は「本当に幸せな野球人生でした。育成で拾ってもらい、ここまで野球をやらせていただいた。悔いはありません」。大隣も「順風満帆なプロ野球人生ではありませんでしたが、色々な方々に支えられてここまでやることができました。心より感謝しております」とコメントした。

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ロッテ・岡田、引退会見で号泣、サプライズで福浦から花束「泣いてすみません」[スポニチ]

ロッテ・岡田幸文外野手(34)は26日、ZOZOマリンで引退会見し、サプライズの花束贈呈に涙した。

「え?なんで福浦さんなんですか!やばいなぁ」。

会見終了後、花束贈呈に現れたのは福浦だった。22日に通算2000安打を達成したベテランとは合同自主トレも行い、師と仰ぐ存在だ。「泣いてすみません」と号泣する岡田に福浦が「まだ(泣くのは)早いよ」と優しく耳打ちする場面もあった。

育成入団の岡田は球界屈指の守備範囲を誇り、11、12年にはゴールデングラブ賞。10年の日本シリーズ第7戦では延長12回に日本一を決める三塁打を放った。「あの決勝タイムリーは鮮明に覚えています」。一方、プロ入り以来2496打席本塁打なしのプロ野球記録も持つ。「ホームランを打てなくとも足や守備で生きる道はある。そういう選手たちも自信を持って頑張ってもらいたい」と同タイプの選手や子供達へエールを伝えた。

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井口監督、岡田&大隣へ惜別の思い明かす[報知]

ロッテ・井口資仁監督(43)が現役引退を表明した岡田幸文外野手(34)と大隣憲司投手(33)へ惜別の思いを語った。

メジャーから日本球界に復帰した09年から共にプレーもした岡田については「岡田と言えば、(2010年日本シリーズの)優勝を決める三塁打だったり、守備も含めてチームに貢献してきてくれた選手。一緒にやっていたメンバーなので寂しい気持ちはありますけど、これからの野球人生の方が長い。後輩、若い選手を教えてくれるようになってくれれば」とコメント。指導者として第2の人生を送って欲しいとの思いを明かした。

大隣は2月の石垣島キャンプにテスト生として参加させ、獲得を決めた。「チームのプラスになればと思い来てもらいました。結果は出なかったですけど、ファームでは若手と一緒に声を出してしっかりやっているというのを今岡(2軍)監督からも聞いていた。そういう意味ではいい見本になってくれたんじゃないかなと思います」と話した。

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難病を乗り越えた大隣が引退「現実と自分の動きが離れていた」[報知]

ロッテの大隣憲司投手(33)と岡田幸文外野手(34)が26日、ZOZOマリンで引退会見を行った。

グレーのスーツに身を包み会見に臨んだ大隣は「(引退を決断して)ホッとしている部分もありますし、やりきった気持ちもある。でも、複雑と言えば複雑です」と心境を明かした。

ソフトバンク時代の12年に自己最多12勝を挙げるなど先発として活躍。しかし、13年に国指定の難病「黄色靱帯骨化症」を発症した。その影響から下半身の一部には今もマヒが残る。「体も言うことがきかなくなってきた。もう1回マウンドに戻るという気持ちを持って常にやってきましたけど、現実と自分の動きが離れているところもあった」。自分の思い描く理想のフォームでボールが投げられなくなったことが大きな決断の理由だった。

1番の思い出には14年7月27日のオリックス戦(ヤフオクD)で7回1失点の好投。422日ぶりに勝った復帰後初白星の登板を挙げた。「あれだけの投球ができて自信が戻った」という試合。国指定の難病を乗り越え勝利を手にしたのはプロ野球史上初めてだった。

その後は17年にソフトバンクを戦力外となり18年にロッテにテスト入団した。今季は5月2日のソフトバンク戦(ZOZO)で登板したが、2回途中7失点で敗戦投手となった。「獲っていただいたけど、力になれずに本当に申し訳ありませんでした、の一言。ホークスを倒すために自分自身もその気持ちでマウンドに上がったけど、全然期待に応えられなかった」とファンへの謝罪も口にした。

チームメートの南が8月に自身と同じ「黄色靱帯骨化症」を発症した。浦和のグラウンドで言葉を交わし、色々と助言も送ったという。ロッテに入団し、1年という短い時間だったが、若手投手からも慕われた心優しき左腕。今後については未定だが、「野球しか知らないので、野球界に貢献できれば」と球界への恩返しを誓い、静かにグラブを置いた。

大隣憲司(おおとなり・けんじ)
1984年11月19日、京都市南区生まれの33歳。京都学園高から近大に進み、2006年大学・社会人ドラフト希望入団枠でソフトバンク入り。17年に戦力外通告を受け18年にロッテにテスト入団。通算成績は140試合に登板し52勝49敗、防御率3.36。

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岡田引退の理由は「以前は追いついていた打球に追いつけなくなった」[報知]

ロッテの岡田幸文外野手(34)と大隣憲司投手(33)が26日、ZOZOマリンで引退会見を行った。

紺色のスーツとネクタイで登場した岡田は「悔いはなくて充実した野球人生だった」と晴れやかな表情。続けて「育成として拾っていただいて、10年間長い間、現役を続けさせていただいた。他でやる考えはなかった」と球団への感謝を述べた。

2008年育成ドラフト6位で入団し09年に支配下登録。11年には俊足と幅広い守備範囲を武器に全144試合に出場し41盗塁をマーク。11、12年と2年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞し「育成の星」と呼ばれた。

しかし、近年は成績が下降。今季は9月に入り「1軍の戦力になれていない」と感じるようになったといい、「守備に就いていても以前だったら追いついていた打球にも追いつけなかったり、盗塁にしてもスタートがちょっと自分の意識とは違ったりとか。まして、2年間ヒットも打てていなかった。そこが全てですね」と決断理由を明かした。

会見後には尊敬する福浦から花束を渡されると、思わず涙があふれた。23日に通算2000安打を達成した先輩からは「お疲れさん」と声をかけてもらった。当日もZOZOマリンに足を運び観戦したことにも触れ、「嬉しかったですね。本当に幸せでした」と自分のことのように喜んだ。

今後は未定で「ゆっくり考えたい」としだが、「恩返ししたいですけど、ロッテのために何かできることがあれば」と将来的には指導者としてマリーンズのユニホームを着る夢を思い描いた。

岡田幸文(おかだ・よしふみ)
1984年7月6日、栃木県生まれ、34歳。作新学院高では3年夏に県4回戦敗退。2004年3月から全足利クラブでプレーし、08年育成6位でロッテ入団。09年3月に支配下選手登録された。通算成績は2496試合で打率2割5分4厘、0本塁打、119打点。177センチ、70キロ。左投左打。年俸3140万円。

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“育成の星”岡田と大隣が引退発表…26日に会見[報知]

ロッテは25日、岡田幸文外野手(34)と大隣憲司投手(33)の今季限りでの現役引退を発表した。26日にZOZOで会見を行う。

岡田は俊足と幅広い守備範囲を武器に2011、12年と2年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞するなど活躍。近年は打撃不振に陥り、16年途中から57打席連続無安打中。通算2496打席連続本塁打なしは日本記録だ。

岡田は球団を通じて「本当に幸せな野球人生でした。育成で拾ってもらって、ここまで野球をやらせていただいたことを今後の人生においてプラスにしていきたいと」とコメントした。

大隣はソフトバンク時代の12年に自己最多となる12勝を挙げるなど、先発として活躍。しかし、13年に国指定の難病「黄色靱帯骨化症」を発症。手術を受け、14年は日本一に貢献したが、17年に戦力外となり18年ロッテにテスト入団し、今季は1試合に登板(1敗)しただけだった。

岡田幸文(おかだ・よしふみ)
1984年7月6日、栃木県生まれ。34歳。作新学院高から全足利クラブに進み、08年育成6位でロッテ入団。09年3月に支配下選手登録。通算成績は909試合で打率2割5分4厘、0本塁打、119打点、141盗塁。177センチ、70キロ。左投左打。年俸3140万円。
大隣憲司(おおとなり・けんじ)
1984年11月19日、京都市南区生まれ。33歳。京都学園高から近大に進み、2006年大学・社会人ドラフト希望入団枠でソフトバンク入り。17年に戦力外通告を受け18年にロッテにテスト入団。通算成績は140試合に登板し52勝49敗、防御率3.36。年俸1000万円。

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ロッテ・岡田&大隣が完全燃焼、ZOZOマリンで引退会見[デイリー]

ロッテ・岡田幸文外野手(34)、大隣憲司投手(33)が26日、ZOZOマリンスタジアム内で引退会見を開いた。08年度育成ドラフト6位で入団した岡田は、主に守備の人として活躍。10年、中日との日本シリーズで決勝三塁打を放ったが、近年は打撃不振に陥っていた。現在も連続打席無安打は57。2496打席本塁打0。それでも自分と同タイプの選手に「本塁打はなくても足、守備を生かせる道はある。自信を持って」と呼びかけた。憧れの福浦から花束を渡されて涙ぐんだ。

昨オフ、テスト入団した大隣は「今年が勝負」と臨んだが、5月2日の古巣・ソフトバンク戦で1回2/3、7失点。その後、1軍登板はなかった。難病の黄色じん帯骨化症に悩まされたが「(影響は)少なからずあったと思う。それを言い訳にはしたくなかった」と語った。

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ロッテ安田、雨天中止で本拠地スタメンデビュー流れる「もう1度集中してやり直したい」[デイリー]

16時半に雨天中止。この恨みの雨を眺めていたのがドラ・1の安田だ。

9月23日に1軍に復帰すると、24日のオリックス戦でDH以外となる「6番・三塁」で先発出場。適時二塁打を含む3打数2安打4打点の活躍。初V打でヒーローインタビューに呼ばれた。

この勢いを駆って、本拠地でのデビューをスタメンで飾る予定だった。

「流れましたね。仕方ありません。もう1度集中してやり直したい。頑張りたい」。

8月の1軍昇格時。8月12日のオリックス戦(京セラD)で待望のプロ初安打、初打点を挙げた。

だが、14日からの日本ハム3連戦で5三振を喫するなど精彩を欠いた。8試合で打率.050。再びファームに落ちたが、たくましさが増してしっかりと帰ってきた。

「この前の1軍の時よりはいい感じです。これを継続させたい」。

コンパクトに打つことを意識してバットを振り続けてきた。

「チームの勝利に貢献できるようにしたい」と話すと、バットを手に室内練習場に向かった。

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ロッテ大隣が引退会見「ホッとしている。やりきった」[デイリー]

25日に現役引退を発表したロッテ・大隣憲司投手(33)が26日、ZOZOマリンスタジアム内で引退記者会見を開いた。

大隣は「まずホッとしている。やりきった気持ちもある」と話し始め、さらに「正直、あまり体の方もだんだんいうことをきかなくなっている。現実と自分の動きがかけ離れるようになった」と振り返った。引退を決めたのはここ1週間だったという。

昨オフ、ソフトバンクを自由契約になり、テスト入団。「今年が勝負」と臨んだが、5月2日の初先発(ソフトバンク)では1回2/3を被安打7で7失点。「チャンスで結果を出せなかった」と翌日にはファーム落ち。以後、1軍には戻って来なかった。

13年には難病の黄色じん帯骨化症を発症したが、14年7月27日のオリックス戦で先発して422日ぶりの勝利を挙げた。「鮮明に覚えています」。この年、ソフトバンクの日本一に貢献した。

自身の難病については「(影響は)少なからずあったと思う。でも、それを言い訳にはしたくなかった」と話した。今後については「未定」としながらも、「野球に(対して)なにかしら貢献したい」と希望を述べた。

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ロッテの岡田「充実の野球人生」、守備の名手、今季限りで引退[デイリー]

今季限りで現役引退するロッテの岡田幸文外野手(34)が26日、ZOZOマリンスタジアムで記者会見し「攻撃で貢献できない分、点を防ぐ一心だった。ロッテに育成で拾ってもらい長くやれた。充実した野球人生だった」と晴れ晴れした表情で語った。

全足利クラブから2009年に育成ドラフト6位で入団。11、12年にゴールデングラブ賞を受賞。11年に外野手のシーズン359守備機会連続無失策のパ・リーグ記録。打撃では、デビューから2496打席本塁打なしがプロ野球記録。引退理由を「以前は取れていた飛球に追いつけなかったり、盗塁でスタートを切るのが怖くなったりした」と語った。

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引退のロッテ大隣「やりきった」[デイリー]

13年WBC日本代表今季限りでの引退を発表したロッテの大隣憲司投手(33)が26日、ZOZOマリンスタジアムで記者会見し「体が思うように動かなくなり、そろそろかなと思った。やりきったと思う」とすっきりした表情で語った。

ソフトバンクを自由契約となり、今季テスト入団したロッテでの登板は5月2日のソフトバンク戦の1試合だった。先発して2回途中7失点で黒星を喫し「古巣を倒すために上がったのに期待に応えられず情けなかったし、申し訳なかった」と振り返った。今後については「何かしら野球に貢献したい」と話した。

13年には日本代表でワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場した。

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ロッテ・岡田幸文、2000本安打福浦から花束でねぎらわれ涙目[デイリー]

25日に現役引退を発表したロッテ・岡田幸文外野手(34)が26日、ZOZOマリンスタジアム内で引退記者会見を開いた。

プロ10年間を振り返った会見が終わると、姿を見せたのは先日2000本安打を達成した福浦だった。

このサプライズに岡田はビックリ。花束を手渡されると、その両目が赤くなった。

「泣くのはまだ早いよ」と言われて、岡田は素直にこっくりと頭を下げた。

福浦からは「お疲れさん」と声を掛けられていた。「嬉しかった」と言い、福浦の現役続行には「さすがだなと思った。みんな憧れの先輩選手ですから」と拍手を送った。

9月に入って戦力になっていないことを実感した。家族と相談して潔くユニホームを脱ぐ決意をした。

「10年間は財産です。素晴らしい監督、スタッフらと同じ目線で野球をやらせてもらって感謝です」。

作新学院(栃木)−日大(中退)−全足利クラブを経て08年の育成ドラフト6位で入団した。俊足を生かした守備範囲の広さには定評があった。

11、12年にはゴールデングラブ賞を2年連続で獲得している。

10年、中日との日本シリーズ。第7戦の延長12回、日本一を決める決勝の三塁打を放った。「今でも鮮明に覚えている」。

一方、ここ数年は打撃不振に陥っていた。今季も13打席無安打で連続打席無安打は57。また、2496打席本塁打は0だ。

育成から羽ばたいてのプロ10年間。自分と同タイプの若い選手に「本塁打はなくても足、守備を生かせる道はある。自信を持って頑張ってもらいたい」とエールを送った。

今後は未定だが「(ロッテに)恩返ししたい」と締めくくった。

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岡田「充実した野球人生」、大隣、難病克服「やり切った」[千葉日報]

千葉ロッテの岡田幸文外野手(34)と大隣憲司投手(33)が26日、ZOZOマリンスタジアムで引退会見を行った。

岡田は栃木・全足利クラブから2008年の育成ドラフト6位でロッテに入団。10年の日本シリーズ第7戦では日本一を決める決勝打を放ち、11、12年にはゴールデングラブ賞を獲得するなど活躍した。だが、16年10月から現在まで57打席連続無安打中など近年は不調だった。通算成績は909試合で打率2割5分4厘、0本塁打、119打点、141盗塁。

大隣は近大から06年ドラフト希望枠でソフトバンクに入団。17年に同球団を自由契約となった後、18年に入団テストを経てロッテに加わったが、1試合の登板に終わっていた。通算成績は140試合で52勝49敗、防御率3.36。

◇俊足生かした守備で魅了、岡田

「育成で拾ってもらって長い現役生活を続けさせてくれた。他の球団でやるという考えはなかった」。

24歳で千葉ロッテに育成ドラフト6位で指名されてから、10年。引退会見に臨む岡田の表情に曇りはなかった。「悔いはない。充実した野球人生だった」と感慨深げに振り返った。 「僕はホームランは打てない。得点につなげられないので、とにかく失点を防ぐという一心で守っていた」。

デビューから2496打席連続無本塁打はプロ野球記録。その分、俊足を生かした守備でファンを魅了した。11年にはパ・リーグ新の外野手シーズン359守備機会連続無失策をマークした。

引退を決意したのは「9月に入って戦力になれていないことを実感したから」。ここ2年の安打数はゼロ。出場機会が急減していた。武器の守備でも「以前なら追い付いていた打球が追い付かなくなった」。ユニホームを脱ぐことを決めた。

会見終了後にサプライズがあった。自主トレを共に行い、「大先輩」と話す福浦から花束が手渡された。それまでの晴れやかな表情から一転、目に涙があふれた岡田は「幸せです」と語った。

◇大隣、奮闘の12年

12年間の現役生活に別れを告げた千葉ロッテの大隣は「体が段々言うことが聞かなくなった」と心境を明かした。

最も思い出深い登板はソフトバンク時代の2014年7月27日のオリックス戦。難病の黄色靱帯骨化症の手術から復帰後、初勝利を飾った。「今でも鮮明に覚えている」と話した。

「やり切ったという気持ちもある」と選手生活を振り返った中で、数少ない心残りは今季から加入したロッテで白星を挙げられなかったこと。「力になれず申し訳なかった」とファンに語った。

◇岡田一問一答、「皆さんに感謝」

≫相談した相手は。
岡田
「家族に最初に相談した。まず妻に現役を引退していいかと相談した。子供達が『野球選手でなくても、パパはパパだから』と言ってくれた時はほっとした。」
≫感謝を伝えたい相手は。
岡田
「皆さんですね。感謝してもしきれない。」
≫ファンへの思いは。
岡田
「12球団最強のファンの前でプレーできたことは幸せ。勝てない時も熱い声援を下さったことは印象に残っている。」
≫現役生活の中で印象に残っているシーンは。
岡田
「2010年の日本シリーズですね。(日本一を決めた第7戦で放った決勝打の)タイムリーは鮮明に覚えている。」
≫後輩に自分が培ってきたものを伝えていきたいか。
岡田
「強く思う。(ロッテの指導者として)恩返ししたいし、ロッテのために何かできることがあればやりたいと思う。」
≫今後は。
岡田
「まだ未定なのでゆっくり考えたい。」

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