わたしはかもめ2019年鴎の便り(10月)

便

10月6日

井口監督が佐々木、奥川、森下らビッグ3を高評価[ニッカン]

ロッテ井口監督が、松本球団本部長とドラフト戦略について4時間半、話し合った。この日初めて映像をチェックした大船渡・佐々木をはじめとした70人の候補の評価を確認。

「ピッチャーがずばぬけていて、そこが目立った」と、佐々木、星稜・奥川、明大・森下らのビッグ3を高評価した。今後も複数回話し合い最終的な評価を固めていく方針で、同本部長は「とりあえず、今日は見てもらって監督の評価を聞いた。これからそれをミックスしながら話していく。やはり評価の高い選手は、監督も評価していた」と話した。

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ロッテ、金田元監督死去に伴い7日黙祷と半旗決定[ニッカン]

ロッテは元監督の金田正一氏が亡くなったことを受けて、7日の秋季練習前に黙祷を行うことを決めた。

またZOZOマリンの球団旗も半旗にする予定。金田氏は73年から78年、90年から91年と2度監督を務めた。

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[プロ野球番記者コラム]ロッテ球団元取締役は豪放磊落な人柄/金田さん悼む[ニッカン]

あまり知られていないかもしれないが、金田正一さんは17年までロッテ球団の取締役を務めていた。同年、伊東監督が勇退を表明。後任探しのため、私は都内の自宅のチャイムを押した。インターホン越しに応対してくれたご家族が、趣旨を伝えてくれた。「父が『会うのはできないが、電話してくれ』と言っています。次の番号にかけて下さい」。思わぬ展開だった。

自宅前からかけると、すぐに本人が出てくれた。電話の前で待ってくれていたのだろう。第一声に、たじろいだ。「おお、どうした?」。え、面識あったかな…いや、ないはずだ…と少し頭が混乱した。気を取り直し、かくかくしかじかで後任は井口選手じゃないかと思うのですが…と振ったら、もっと度肝を抜かれた。「え、伊東、辞めるのか?知らんかったわ。すまんなあ。ガハハ」。後任はともかく、伊東監督が辞めるのを知らない訳がない。見ず知らずの記者にも気さくに応じてくれたが、返ってきた答えがこれ。おかしくなってしまった。取材の成果としては0でも、「カネやん」の人柄に触れたようで、嬉しかった。

2度、町中で見かけたことがある。1度目は、もう閉店してしまったが、サウナ東京ドーム。受付の人と世間話でもする気安さで話していた。2度目は帝国ホテルのトイレですれ違った。「金田さんだ」と背筋が伸びた。思わず会釈したら「おお」と声をかけてくれた。自宅にお邪魔する前。面識はなかった。

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愛甲猛氏、金田正一氏を悼む「この方だけは不死身だと思ってた」[サンスポ]

国鉄(現ヤクルト)、巨人のエースとして通算400勝、4490奪三振など数々のプロ野球記録を残し、1974年にはロッテ監督として日本一に輝いた金田正一(かねだ・まさいち)氏が6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため東京都内の病院で死去した。86歳。

金田氏が監督を務めた1990〜91年にロッテに在籍した愛甲猛氏が6日、ツイッターを更新。「ショックだ…この方だけは不死身だと思ってたのに。ロッテオリオンズ時代2年間本当にお世話になった監督さん。楽しい思い出しかない。ありがとうございました。心より御冥福を御祈り致します。合掌」と悼んだ。

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ロッテ、ドラフト候補チェック、井口監督、佐々木は「いい球を投げる」[スポニチ]

ロッテの井口監督、松本尚樹球団本部長、永野吉成チーフスカウトらが、ZOZOマリンでドラフト指名候補のチェックを行った。4時間半かけて70人分のビデオを見た指揮官は「投手ではずばぬけている選手が何人かいた。(大船渡・佐々木は)初めて見ましたけど、いい球を投げる」と語った。

星稜・奥川、明大・森下も合わせ「上位候補に差はない」と松本球団本部長。他球団の動向も見つつ、17日のドラフト会議直前に最終的な1位指名を決定する。

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元ロッテ愛甲猛さん、恩師・金田さん訃報にショック「この方だけは不死身だと思ってたのに」[スポニチ]

プロ野球の国鉄(現ヤクルト)、巨人で歴代唯一の通算400勝を達成し、ロッテ監督も務めた金田正一(かねだ・まさいち)さんが6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため、東京都内の病院で死去した。86歳だった。巨人が発表した。

豪快なキャラクターで「カネやん」の愛称でも親しまれた金田さんの突然の訃報に、ロッテ時代に指導を受けた愛甲猛さん(57)はツイッターにお悔やみの言葉を投稿した。

愛甲さんは「ショックだ…」と切り出すと「この方だけは不死身だと思ってたのに。ロッテオリオンズ時代2年間本当にお世話になった監督さん。楽しい思い出しかない。ありがとうございました。心より御冥福を御祈り致します。合掌」とつづった。

愛甲さんは1980年ドラフト1位で横浜高からロッテ入り。第2次金田政権1年目の1990年には自己最多の21本塁打を放つなど主力選手として活躍した。

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ロッテ・種市 今秋の課題はクイックの強化、球速アップに意欲[デイリー]

今季、石川と並ぶチームトップタイの8勝をマークしたロッテ・種市が6日、今秋の課題にクイックの強化を挙げた。「(クイックで)球速を上げることができれば」と意欲を見せた。

この日、秋季練習に参加した種市の、来季の目標は防御率の改善(今季3.24)などで「自分でできることにしっかりと取り組んでいきたい」と話した。

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金田正一さん死去、ロッテも追悼、74年に監督としてリーグ制覇&日本一[デイリー]

プロ野球の国鉄、巨人で通算400勝を挙げた金田正一さんが死去したことが6日、分かった。同日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため、都内の病院で亡くなった。86歳だった。巨人が発表した。

訃報を受け、金田さんが73年から78年、90年と91年に監督を務めたロッテも公式ホームページに追悼文を掲載した。

ロッテの追悼文は以下の通り。

「元国鉄、巨人軍投手で1973年にロッテの監督に就任し74年に日本一、78年限りで退任。その後、90年と91年にもロッテを率いた金田正一氏が10月6日(日)、お亡くなりになりました。(享年86歳)ここに故人のご冥福をお祈りし、謹んでお知らせ申し上げます。
金田氏は400勝を挙げ、その背番号34は読売巨人軍の永久欠番となっています。」

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