わたしはかもめ2019年鴎の便り(10月)

便

10月7日

井口監督らロッテが金田氏へ黙祷「パワフルな方」[ニッカン]

ロッテは7日、6日に元監督の金田正一氏が亡くなったことを受け、秋季練習前に黙祷をささげた。選手、コーチ、スタッフは左袖に喪章を付けて臨んだ。金田氏は73年から78年、90年から91年と2度監督を務めた。

井口監督は「今年もドームで1回お会いさせていただいて、色んな話をさせてもらった。まさかという感じです」と驚きを隠さず。「記録を見れば400勝。我々のイメージは74年にロッテが勝率1位で優勝した時の監督。気さくに色んな話をしていただいて、僕が監督になった時も監督がどういうものなのか教えていただいた」と監督としての先輩に感謝した。

金田氏との思い出を問われると「いつもマリンに来た時は(投手が練習中の)センターまで行って『ピッチャー陣もっと走れー!』というようなパワフルな方だった」と振り返り「74年に優勝して以来、我々は(勝率1位での)優勝をしてないので、74年以来の優勝を目指してやってきている。何とか少しでも追いつけるようにやっていきたい」と優勝を誓った。

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ロッテ重光前オーナー代行が金田氏悼む「残念です」[ニッカン]

ロッテの重光昭夫前オーナー代行(64)が7日、6日に亡くなった金田正一氏の自宅へ弔問に訪れた。

午前11時すぎから金田氏と対面し「安らかでした。監督をお辞めになった後も家族ぐるみでお付き合いさせていただきましたので、本当に残念です」としのんだ。

重光氏がロッテ球団社長代行に就任した91年に金田氏は監督を務め、同年オフに退任した。

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ロッテ、練習前に黙祷、井口監督「金田さんのように選手を引っ張っていけるような監督に」[サンスポ]

ロッテは7日、本拠地での秋季練習開始前に、1973年から78年と90、91年に監督を務めた金田正一氏に黙祷をささげた。球団旗を半旗とし、ビジョンには74年に日本一になったときの胴上げの写真が映し出された。井口監督は「74年以来、ロッテはシーズン勝率1位でリーグを制覇していない。来年は何とかその遺志を継いで、優勝できるように頑張りたい。本当にパワフルな方なので、金田さんのように選手を引っ張っていけるような監督になります」と誓った。

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ロッテ、金田元監督にささぐ黙祷、井口監督「遺志を継いで優勝できるように」[サンスポ]

ロッテは7日、1973年から78年と90年から91年に監督を務めた金田正一さん(享年86)が前日6日に急性胆管炎による敗血症のため死去したことを受けて、秋季練習開始前に約1分間、黙祷をささげた。

本拠地ZOZOマリンスタジアムでは球団旗を半旗とし、バックスクリーンには、74年に日本一となったときの胴上げの写真とともに、追悼のメッセージが映し出された。監督、コーチ、選手ら喪章を着用した。

井口監督は「今年も(東京)ドームでお会いして色々お話をさせていただいたので、まさかと。我々の中では監督というイメージしかない。74年に優勝して、日本一になって以来、ロッテはシーズン勝率1位でリーグを制覇していないですから、来年は何とかその遺志を継いで、優勝できるように頑張りたい。僕が監督になったときも、監督とはどういうものだと教えていただいた。本当にパワフルな方なので、金田さんのように選手を引っ張っていけるような監督になります」と誓った。

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ロッテ、井口監督“先輩”金田氏へ、46年ぶりV誓う[スポニチ]

ロッテは2期8年にわたり監督を務めた金田氏を悼み、ZOZOマリンでの秋季練習で井口監督らが1分間の黙祷。左腕に喪章をつけ、半旗をかかげて練習した。指揮官は「マリンに来られた時は(練習中)外野まで行かれ“ピッチャーもっと走れ!”と言われるパワフルな方」と思い出を語り「74年にリーグ優勝された監督。来年、その遺志を継いで優勝したい」と46年ぶりの勝率1位での優勝で供養することを誓った。

ロッテの重光昭夫前オーナー代行(64)が金田氏の自宅を弔問に訪れた。亡骸と対面した重光氏は「監督をお辞めになった以降も家族ぐるみの付き合いをさせていただきました。本当に残念。安らかなお顔でした」と別れをしのんだ。

また金田氏の長男で俳優の賢一(58)は「お別れの会」を「お世話になった野球界のシーズンオフに開きたい」と話すと「父との思い出を皆さん(新聞、テレビ)が思い出させてくれて嬉しい。1面なんて久しぶりです」と声を詰まらせた。

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ロッテ、元監督の金田氏に黙祷、秋季練習開始前、井口監督と選手ら全員[スポニチ]

ロッテは7日、6日に死去した金田正一元監督(享年86)=73〜78年、90〜91年=へZOZOマリンでの秋季練習開始前、井口資仁監督(44)やコーチ、選手、スタッフ全員で1分間の黙とうをささげた。

6月7日の巨人戦(東京ドーム)で会ったのが最後だったという井口監督は「今年もドームで色んな話をさせてもらった。まさかという感じでした」と沈痛な表情だった。

豪快なイメージそのままの思い出がある。指揮官は「自分が監督になったときも監督とはというお話をしていただいた。いつも、マリンに来た時にはセンターまで行かれて“ピッチャー陣もっと走れ!”と言うようなパワフルな方だった。こちらはボールが当たるから、危ない危ないという感じだった。それくらいパワフルな方。それくらいパワーがないと、チームは引っ張っていけないと思う」と振り返る。

勝率1位でのリーグ制覇は「金田監督」の74年以来遠ざかる。「(選手としての)記録を見れば400勝。我々のイメージは74年にリーグ優勝、日本一になった時の監督さん。来年その意志を継いで優勝したいと思います」と井口監督は46年ぶりの頂点で供養すると語った。

センターの球団旗は半旗になり、秋季練習組は全員が喪章を付け、練習した。宮崎フェニックス・リーグに参加しているメンバーも7日のオリックス戦(SOKKEN)前に黙祷する。

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井口監督、“カネやん魂”継承「来年、遺志を継いで優勝したい」[報知]

ロッテ・井口監督が“カネやん魂”の継承を誓った。

6日に亡くなったロッテ元監督の金田正一さんをしのんだ指揮官は「記録を見れば、400勝。でも、我々のイメージは監督のイメージしかない。74年にロッテが勝率第1位でリーグ優勝、日本一になった時の監督。パワフルな人だった。来年、その遺志を継いで優勝したい」と、46年ぶりとなるリーグ制覇と日本一をささげることを約束。自身が18年に新監督に就任した際にも助言をもらった恩人へ、結果で報いる。

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井口監督、金田氏悼む「意志を継いで優勝したい」74年以来の勝率1位でのリーグ制覇&日本一ささげる[報知]

ロッテは7日、元監督の金田正一氏(享年86)が前日6日に急性胆管炎で死去したことを受けて、秋季練習前に黙祷を行った。ZOZOマリンのバックスクリーンには74年の日本一達成時の胴上げの写真が映し出され、球団旗も半旗でで掲げられた。

井口監督は「今年も(6月の交流戦があった)東京ドームで色々と話をさせていただいた。(数々の)記録を見れば、400勝。でも、我々のイメージは監督のイメージしかない。74年にロッテが勝率第1位で優勝、日本一になった時の監督。来年、何とかその意志を継いで優勝したい」とリーグ制覇、日本一をささげることを誓った。

金田氏との思い出は数多くあるといい「気さくに話していただいた。僕が監督になった時も監督はこういうものだという話も教えていただいた。パワフルな方。僕も金田さんのように選手を引っ張っていけるよいうな監督になれたら」と明かし、故人をしのんだ。

「いつもマリンに来た時は、センターまで行かれて、投手陣に『もっと走れ!』と言うようなパワフルな方だった。僕らはボールが当たるから危ない!危ない!なんて言ってた感じですけど、それぐらいパワフルな方だった。それくらいパワーがないと、こういうチームも引っ張っていけない。74年以来の(勝率第1位での)優勝を目指して、少しでも追いつけるように頑張っていきたい」。“カネやん魂”を胸に刻み、指揮を執る。

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ロッテを日本一に金田さんに黙祷、井口監督「遺志を継いで優勝したい」[デイリー]

ロッテ・井口監督が7日、金田氏の死去を悼んだ。「記録的に見れば400勝だが、我々には監督のイメージしかない。74年にロッテが優勝、日本一になった時の監督。そういう意味でその遺志を継いで優勝したい」。

ZOZOマリンでの秋季練習前には黙祷を捧げ、球団旗が半旗で掲げられた。「本当にパワフルな方でした」と指揮官はしみじみとしのんでいた。

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前ロッテオーナー代行・重光昭夫氏、金田さんを弔問「家族ぐるみでお付き合い」[デイリー]

6日に死去した金田氏の都内自宅に7日、前ロッテオーナー代行の重光昭夫氏が弔問に訪れた。「監督をお辞めになった後も家族ぐるみでお付き合いさせていただいた。本当に残念です」と悔やんだ。

金田氏と親交が深かったタレントのブルゾンちえみも弔問に訪れ「会えて嬉しかった。亡くなった気がしなかった。『これからもよろしくお願いします』(と言った)」と言葉を詰まらせた。

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金田さんの意志を継ぐ…ロッテ・井口監督、来季こそ「優勝」誓う[デイリー]

ロッテ・井口資仁監督は7日、金田正一氏の死去を受けて「記録的に見れば400勝だが、我々には監督のイメージしかないし、74年にロッテが優勝(勝率第1位)、日本一になった時の監督。そういう意味ではその意志を継いで(来季は)優勝したい」と語った。

金田さんとの思い出はたくさんあるという。「本当に気さくな方だった。色々話をしていただいた。ボクが監督になった時も、監督とはどういうものか教えていただいた。本当にパワフルな方でした」と金田さんの人柄を偲んでいた。

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ロッテ重光前オーナー代行が金田さん弔問、家族ぐるみの付き合い、声詰まらせる[デイリー]

ロッテの重光昭夫前オーナー代行が7日、6日に亡くなった400勝投手の金田正一さんの都内の自宅を弔問に訪れた。

同前オーナー代行は「(ロッテの)監督をおやめになった後も家族ぐるみでお付き合いさせていただいた。本当に残念です」と神妙な表情を浮かべ、「(金田さんの顔は)安らかな…」と声を詰まらせた。金田氏の自宅には、ソフトバンク・王貞治球団会長から花が届いた。

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ロッテナイン、金田さん悼み喪章付け秋季練習、黙祷捧げ半旗[デイリー]

ロッテは金田正一氏の訃報を受けて6日の21時半、球団HPに次の追悼文を掲載した。

「元国鉄、巨人軍投手で1973年にロッテの監督に就任し74年に日本一、78年限りで退任。その後、90年と91年にもロッテを率いた金田正一氏が10月6日、お亡くなりになりました。(享年86歳)。
ここに故人のご冥福をお祈りし、謹んでお知らせ申し上げます。金田氏は400勝を挙げ、その背番号34は読売巨人軍の永久欠番となっています。」

7日、ZOZOマリンスタジアムでの秋季練習前に黙祷を行い、参加メンバーは喪章を付けて練習をし、ZOZOマリンスタジアムの正面ビジョン上の旗は半旗となっている。

宮崎フェニックスリーグでは7日のオリックス戦(SOKKEN、12時半試合開始)前に黙祷を行う。

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[千葉魂]残り10試合勝ち抜けるチームへ、悔しさ胸に、新たな一歩[千葉日報]

雲1つない空の下、練習が再開された。10月5日、ZOZOマリンスタジアム。クライマックスシリーズ・ファーストステージ第1戦が行われているその日に千葉ロッテマリーンズが新たな1年に向けたスタートを切った。選手達に各コーチからの指示があった後、井口資仁監督が口を開いた。

「今日は来年に向けたスタート。来年に向けて今日から一歩ずつ始めましょう。みんなが来年キャリアハイの成績を出して、最高の結果を出せるように頑張っていこう」。

この日、福岡ではホークス対イーグルス戦が大観衆の見守る中、華やかに行われていた。本来ならばマリーンズが、その場にいなくてはいけなかった。しかし現実は残酷だ。目の前に広がっているのは観客が誰もいないスタンド。そのグラウンドでマリーンズ選手たちは黙々と汗を流していた。練習メニューの指示を出しながら河野亮打撃コーチも続いた。

「本来ならこの時期、ここで練習をしていてはいけない。クライマックスシリーズ、日本シリーズで活躍しないといけない。このスタジアムを満員に埋め尽くし、そのど真ん中でファンに感動を提供していないといけない。そのために練習をしましょう」。熱く語り掛けた。

シーズン終盤、イーグルスと3位争いを繰り広げ、最後の最後で敗れ去った。2018年シーズンの借金22の5位から考えると大きく成長をしていると周囲は評価するが、指揮官の目は厳しかった。目指す頂はもっともっと上。チームスローガンに掲げた「マウエ↑」は順位を1つ上げることではなく文字通り、最も上。日本一を意味していた。それだけに歯がゆい思いが残った。

「3位争いで平常心を失っているようでは駄目。ウチは来年、そしてこれからずっと優勝争いをして勝ち抜くチームになっていかないといけないのにね。この試合を勝つか負けるかで優勝をするか、そうでないかが決まるような時に平常心で大胆に戦い抜けるような強いチームを作り上げたい」。

井口監督がそう言ってシーズン終盤の戦いを振り返った。3位がチラつきはじめた9月中盤。残り10試合という場面で3勝7敗と大きく負け越した。9月はそれまで7勝2敗1分けで3位。2位も視野に入れた位置につけていたが最後の最後で失速しイーグルスに抜き去られる結果となってしまった。ベンチにいた指揮官にとって歯がゆかったのは負けた事実よりも選手達が平常心を失ってしまった現実だった。

「最後の10試合で今のチームのメンタルが分かった。ミスにボーンヘッド。平常心を失っていた。最後の10試合で力になるのは自信。ここまでどれだけ練習をして努力をして準備をしてきたかという自信。でもマリーンズは違った。まだ自分を疑っている選手が多くいた」。

だからシーズン最終戦の試合後に行ったミーティングでは「勝ち抜くチームを作る」と宣言した。そして選手達には「これからはもっともっと高い目標を設定してもらう。自ずとこちらの要求も厳しくなる」と妥協なき鍛錬の日々を行う事を要求した。

ZOZOマリンスタジアムで10月から行っている秋季練習と11月1日から鴨川で始まる秋季キャンプでは全体メニューではなく個別メニューを重視し、それぞれに自分自身を追い込んでもらう。己に打ち勝ち必死に練習をした先にこそ成長があり、自信につながる。その自信が結集し1つのチームを形成し、最後の10試合を勝ち抜くチームとなる。

19年シーズン、ライオンズが連覇をした。マリーンズ打線との違いはなにかと問われると指揮官は迷うことなく答える。「ライオンズは初球をガンガン振ってくる。そのメンタル。ウチはみんな気が大人しいから初球から戦いにいっていない。まず1球目は見ようかとなる。ライオンズが初球からストライクゾーンに来たら見逃すもんかという気概を持って打席に入っているのは大いに見習わないといけないところ」。

獅子の戦う姿勢。そして最後の10試合という最終局面での戦いざま。野球人としての生きざま。苦しい戦いを支える自信と誇り。惜しかったと言われることの多い19年シーズンで見えた反省点を胸に井口マリーンズは新たな一歩を踏み出した。それは常勝軍団への確かな一歩となる。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)

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