わたしはかもめ2019年鴎の便り(10月)

便

10月21日

ロッテ2位佐藤「トリプル3を」捕手での活躍第一に[ニッカン]

ロッテからドラフト2位で指名された東洋大・佐藤都志也捕手(21)が21日、埼玉・川越市内の同校で永野吉成チーフスカウト、福沢洋一担当スカウトから指名挨拶を受けた。

強打に加えて50メートル5秒9の俊足、二塁送球1.8秒台の強肩が売り。その攻撃力を生かすため、球団からは捕手とともに外野手の練習もしておいて欲しいと指示された。ただ現時点では捕手として活躍することを第一に考えており「他の人がやったことがないことをやりたい。捕手でトリプル3はないと思う。自分の足を生かしながらできるのではと思っている」とマスクをかぶりながら3割、30本塁打、30盗塁をマークすることを目標にかかげた。

今年8月の大学日本代表対高校日本代表の試合に「6番一塁」で出場。高校代表先発でロッテドラフト1位の大船渡・佐々木朗希投手と対戦できることを楽しみにしていた。佐々木が1回で降板したため対戦は実現しなかったが、その剛球を目に焼き付けた。「ベンチで見ていてすごく迫力のある球だった。今考えると(捕るのは)大丈夫かなと不安な気持ちもありますけど(笑)。より一層受けたいなという気持ちが出てきました」という。

これまで捕球した最速のボールは昨年までバッテリーを組んでいたソフトバンク甲斐野の158キロ。「甲斐野さんの球は捕るのに必死だった。140キロ台のフォークとかもあるので。でも163キロは受けたことがない。楽しみな部分はすごくあります」。永野チーフスカウトも「佐藤には『佐々木を頼んだぞ』と話をした。(優勝して)2人で抱き合うような姿を見たい」と将来の黄金バッテリーの誕生を思い描いていた。

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ロッテD2位指名の佐藤、捕手でトリプル3![サンスポ]

ロッテからD2位指名された佐藤(東洋大)が21日、永野チーフスカウトらの挨拶を受けた。二塁送球2秒を切る強肩に加え、50メートル5秒9の俊足、2年時に首位打者を獲得した打撃も魅力。能力を生かすために外野起用のプランもあるが、当面は本人も希望する捕手で起用される見込みで「捕手でトリプルスリーとか、誰も成し遂げていないことをやりたい」と高い目標を掲げた。

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ロッテD2佐藤、佐々木朗希の剛速球「すごく楽しみ」[サンスポ]

ロッテのドラフト2位で指名された佐藤都志也捕手(21)=東洋大=は21日、埼玉・川越市の同校野球部合宿所にてロッテ・永野チーフスカウト、福沢担当スカウトの指名挨拶を受けた。

「まだ実感はあまりない。4年前は指名漏れをして、気持ちを病んだこともあったが、それをバネにここまでやってこれた。この東洋大学で成長させてもらった。これから勝負だと思うので、それに向かって頑張るだけ」。

二塁送球2秒を切る強肩もさることながら、50メートル走5秒9の俊足、2年時に打率.483をマークし首位打者を獲得した巧みな打撃も光る三拍子そろった捕手として、高い評価を受けている。

“怪物”とのバッテリーも心待ちにした。同期として、ロッテには高校球界最速の163キロを誇る大船渡高の佐々木朗希投手も1位指名されている。今夏の高校日本代表の壮行試合で、佐藤は大学日本代表の「6番・一塁」で出場したが、佐々木が1回で降板したため直接対決は実現しなかった。

「2回は投げると聞いていたのですが…。でも、ベンチで見ていてもすごい迫力があった。今、考えると(自分が受けるとしたら)大丈夫かなと…。163キロは受けたことないので。自分の限界を超えちゃっているので、どうなるのかなと」。思わず弱音も出たが、そこは東洋大の正捕手として昨年、1学年上の甲斐野(ソフトバンク)、上茶谷(DeNA)、梅津(中日)の150キロを超えるボールを受け続けた男。「でも、逆にそれを見たことでより一層受けたいなという気持ちは増えました。楽しみな部分はすごくあります」と、最後は意欲を見せた。

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ロッテ、ドラ2佐藤都に指名挨拶「捕手と外野手の両方で頑張って」[スポニチ]

ロッテからドラフト2位で指名された東洋大の佐藤都志也捕手(4年)が20日、埼玉県川越市の同大硬式野球部合宿所で、永野吉成チーフスカウトらから指名挨拶を受けた。席上では、球団側から「捕手と外野手の両方で頑張って欲しい」との意向を伝えられた。

佐藤都は本塁から二塁まで1.8秒の送球タイムを誇る強肩で、50メートルを5秒9で駆け抜ける走力も魅力。2年春の首位打者を獲得したシュアな打撃が持ち味だが、リーグ戦通算8本塁打とパンチ力も兼ね備える。

大学日本代表では、一塁や外野も守ったが、小さい頃からの憧れは今季限りで現役を引退する巨人・阿部だった。ドラフト1位の大船渡・佐々木とのバッテリーも期待され、「打てる捕手としてレギュラーをとりたい。誰もやったことがないことをやりたい。捕手でトリプルスリーをやった人はいない」と大きな夢を掲げていた。

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ドラ2東洋大・佐藤都志也が本音ポロリ、佐々木朗希の163キロに「すごい迫力。大丈夫かな…」[報知]

ロッテがドラフト2位指名した東洋大・佐藤都志也捕手(21)が21日、埼玉・川越市内の野球部合宿所で指名挨拶を受け、同1位指名、大船渡高の163キロ右腕・佐々木朗希投手(17)の女房役に名乗りを挙げた。

8月に行われた侍ジャパン壮行試合「高校日本代表−大学日本代表」に「6番・一塁」で出場。“令和の怪物”が右手の負傷で1回降板したため、対戦は実現しなかったが、「ベンチで見ていてもすごい迫力があった。今、考えると(自分が受けるとしたら)大丈夫かな」と、衝撃を受けた。

昨年ソフトバンクに入団した1学年上の甲斐野の最速158キロを受けていた東都屈指の捕手だが、未知の球を投げる“令和の怪物”について「163キロの球は受けたことがないので、自分の限界を超えてしまってるので、そうなるのかな…」と不安な表情を浮かべつつも「受けたいなという気持ちは増えた。楽しみな部分はすごくあります」と、胸を躍らせた。

二塁送球1.8秒台の強肩と東都大学リーグでは2年春には首位打者を獲得し、通算8本塁打をマークした強打が売り。広角に打てるシュアな打撃が評価され、外野手との“二刀流”プランもある。「個人的には捕手でいきたいのが1番。将来的にはレギュラーとして1軍で出たい」と、捕手として勝負する構えだ。

4年前には指名漏れを経験。ハングリー精神を持ち合わせている未来の正捕手候補は「タイトルにはこだわりをもっていきたい。獲れるタイトルは全部獲りたい。他の選手でやったことをやってみたい。捕手でのトリプルスリーはいないと思う。自分の足を生かしながら狙えるのではないかなと思う」と、壮大な夢も描いた。

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[千葉魂]福浦、重なった21年前の光景、変わらぬファンの姿に感涙[千葉日報]

「ヤバいよ。泣きそうだよ」。福浦和也内野手は球場入りすると開口一番、そう口にした。9月23日。この日の北海道日本ハム戦で自身の引退試合が執り行われることになっていた。慣れ親しんだZOZOマリンスタジアムの駐車場に愛車を止め、いつもの導線でロッカーへと向かった大ベテランの目は早くも潤んでいた。

「運転をしているとまだ時間が早いにもかかわらず、たくさんのファンが歩いているのを見かけた。みんなオレのユニフォームを着てくれていた。駐車場の入り口にもたくさんのファンが自分を待っていてくれた。ウルッときたね」。

福浦が1番、驚いたのは関係者駐車場の入り口での出来事だった。そこには見慣れぬ光景が広がっていた。入口の両脇に多くのファンが福浦の入り待ちをしていたのだ。そして入ってくるのを確認するとドッと歓声が湧き起こった。「ありがとう 福浦」のメッセージを込めた特製横断幕を掲げ、同じく特製で作られた背番号「9」が書かれた大旗が振られた。想像をしていなかった光景が目の前に広がっていた。こみ上げるものがあった。

ふと、あの時の光景がよみがえった。それは1998年のシーズン。この年、福浦は近藤昭仁監督に大抜てきされる形で129試合に出場。打率2割8分4厘、3本塁打、57打点とプロでの活躍をするキッカケをつかんだ1年であった。

何よりもこのシーズンは福浦にとって、そしてマリーンズファンにとっても忘れられない出来事があった。18連敗である。マリーンズはこの年、日本プロ野球史上もっとも長い連敗を記録した。

「忘れられない。色々な事があったよ。勝ち越しても勝ち越しても逆転されたり。球場でお祓いをしたりとかね」。

その中でも1番、記憶に残っているのは連敗中に声援を送り続けてくれたファンのことだ。本拠地での試合に敗れ、肩を落とし帰宅するため選手駐車場に向かうと外にはファンが待っていた。罵声を浴びせられてもおかしくないと覚悟をしていた。

しかし、ファンは選手達を励まそうと帰るのを待ってくれていたのだ。そして歌ってくれた。うつむきながら球場を出る選手達に歌で励ましてくれた。用意されていた横断幕には「マリーンズ、オレ達がついているぜ」と書かれ、声を枯らしながら歌ってくれた。

福浦もその歌に勇気づけられた選手の1人だった。その時の光景と声は引退する今も決して色あせることはなく鮮明に覚えている。「あの時、駐車場で聞いたファンの歌声は今もしっかりと覚えている。あんなに負け続けていたのに誇りに思っていると歌ってくれた。そんなファンの皆さまに勝ってお返しをしたいと強く思った。自分にとってもマリーンズにとっても忘れられない年」。

だからこそ、その後の背番号「9」は勝利にこだわってきた。自分の成績よりもチームの勝利を喜び、どこまでもストイックに自己犠牲の気持ちを第一に勝ちを追い求めてきた。98年。それはここまで積み重ねてきたキャリアの中でターニングポイントとなる年だった。

月日は流れた。千葉マリンスタジアムはZOZOマリンスタジアムと名を変えた。あの年、若手だった選手はチームのレジェンドとなり本拠地で盛大に引退試合が行われた。チケットは発売すると同時にアッという間に売り切れ、多くのファンが引退を悲しみ惜しんだ。

球場入りする際の光景とあの時、歌を歌って励ましてくれたファンの光景が交差し、特別な感情がこみ上げてきた。マリーンズファンは勝っても負けても、いつもどんな時も応援し続けてくれた。誇りに思い続けてくれた。その想いに応えるため打席に立ち続けた。福浦はファンの熱き魂を思い返し、目を潤ませた。

ファンと共に戦った26年間だった。だからこそ誰よりもファンに愛された。これからは、ファンと共に戦い愛される選手達を育てていく。新しいチャレンジが始まる。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)

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