わたしはかもめ2019年鴎の便り(10月)

便

10月30日

ロッテ荻野が残留表明へ、今季は自身最多28盗塁[ニッカン]

ロッテ荻野貴司外野手(34)が、今季取得した国内FA権を行使せず残留する意思を固めたことが30日、分かった。

31日にも正式表明する。毎年ケガに泣いてきたが、今季はプロ10年目で初めて規定打席に到達。不動の1番打者として自己最多の125試合に出場し、打率3割1分5厘、10本塁打、46打点の成績を残し、34歳にしてキャリアハイの28盗塁を記録した。

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ロッテ安田がハードな打ち込み、11月から海外実戦[ニッカン]

ロッテはZOZOマリンでの秋季練習を打ち上げた。

宮崎でのフェニックス・リーグ参加後に合流した安田尚憲内野手も、ハードな打ち込みで追い込んだ。11月は秋季キャンプには参加せず、プエルトリコのウインターリーグに飛ぶ。「まずは打撃。速いストレートに対応できるように。去年よりボールも飛ぶし体力もついた」と、昨年に続く海外実戦での力試しを楽しみにした。

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ロッテ益田が残留、同期入団鈴木は「大きな存在」[ニッカン]

ロッテ益田直也投手(30)が30日、今季取得した国内FA権を行使せず、来季も残留すると表明した。この日の午後にZOZOマリンを訪れた。

球団とファンの熱意に胸を打たれた。「ファンの人からもSNSやそれ以外のところで、残って欲しいという声をたくさんいただいた。ロッテでこのメンバー、スタッフ、ファンのいるところで優勝したいと思った。井口監督を胴上げしたい」と明かした。

球団からは3年契約を提示され、引き留められた。一時は権利行使も検討した。「みんなが言う、他球団の評価を聞いてみたいという思いもあった。でもこの(これからの)3年間が、僕のプロ野球選手としてのパフォーマンスのピーク。この期間をどこでやるか。今までの8年間プラス、この3年間をかけて、ロッテでやりたいなと思った。もうずっとロッテでやりたいなって思いはあります。ここで残留するということは、僕の中でけじめでもあった」。生涯マリーンズの覚悟を決めた。

同い年で同期入団の鈴木大地内野手(30)はFA宣言をした。シーズン終了後、互いの思いを、腹を割って話し合った。「断食に行った時、4日間ずっと一緒にいてたくさん話した。同期は2人しか残ってない。FA権も1日違いで取れて、ロッテでずっと一緒に1軍でやってきた。一緒に残って優勝したい。出るなら一緒に同じチーム行こか、と思うくらい、僕にとっては大きな存在」。鈴木は宣言残留の可能性も残っており「出るかどうかもまだ分からない。残って欲しいとは思いますけど、大地の意見を尊重したい」と思いやった。

8年目の今季は60試合に登板し、4勝5敗27セーブ、防御率2.15をマーク。守護神としてチームを支えた。ここまで通算472試合で88セーブ。通算500試合登板と100セーブには来季届きそうだ。「(個人記録には)あんまり興味がない。そこは最低クリアしないとチームが勝てない。それ以上のものを」と話し、「今年は最後まで3位争いをした。マリンで(西武の)優勝を見た。もうあんな思いはしたくない。来年は3位じゃなくて優勝を争って、最後まで野球をしたい」。

最後は、決断の決め手の1つにもなったファンの存在について「僕を育ててくれている。僕1人ではこんな選手になれていない。家族くらい、好きなものですね」と感謝した。

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ロッテ育成本前「昌さんみたいに」50代現役も視野[ニッカン]

50代現役を視野に入れる。ロッテ育成1位北翔大の148キロ左腕、本前郁也(22)が30日、江別市内の同大で、指名挨拶を受けた。目指す投手像について「早く1軍に上がり、40歳過ぎても投げられるように。(50歳まで現役だった)山本昌さんみたいに、とにかく長く続けられる投手になりたい」と意気込んだ。

イメージは、ある。現役では同じ左腕のソフトバンク和田毅を手本にしており「年をとっても、その時のフィジカルを考えて投げられるように。理想と現実を常にすり合わせることが出来るようになりたい」と話した。

05年以来15年ぶりリーグ制覇へ、球団側は先発ローテーション入りを期待している。今季、左でローテを守れたのは昨年3位の小島和哉のみ。永野吉成チーフスカウト(52)は「左の先発が少ないので、1年目でもチャンスはある」と強い口調で話した。本前も「人一倍練習して、早く札幌ドームで投げて、支えてくれた人や家族に恩返しがしたい」と早期1軍登板を見据えた。

ドラフト後、札幌札苗中、札幌光星の先輩で、北海道教大岩見沢から17年の西武育成2位でプロ入りした斉藤誠からLINE(ライン)が届いた。「戦いはここから」。大卒育成指名の立場を、あらためて自覚させられた。昨年まで指導を受け、プロ入りを後押しされた北翔大の大西昌美前監督(62)からは「凡事徹底」の言葉を贈られた。「浮かれずストイックにやっていくだけ」。ひたむきな努力ではい上がり、故郷札幌への凱旋を目指す。

本前郁也
もとまえ・ふみや。1997年(平9)10月2日、札幌市生まれ。札幌札苗小3年時に、東ハリケーンで野球を始める。札幌札苗中では札幌白石リトルシニアに所属。札幌光星高では3年夏に南北海道大会出場も初戦敗退。北翔大では1年春からベンチ入りし、札幌6大学リーグ1部通算14勝。2年春、3年春秋に防御率1位で最優秀投手。家族は両親と兄2人。175センチ、76キロ。左投げ左打ち

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[野球手帳]佐々木朗希がマリンに立つ日、少年達の思い出も[ニッカン]

完全なる「後出しジャンケン」であることは重々承知の上ながら、大船渡・佐々木朗希投手(3年)がドラフト会議でロッテに指名されるのではないかと、7月から予感していた。運命があるならば−。

今夏の高校野球岩手大会、球場に駆けつけた大船渡ナインの保護者たちから何度も「リアスリーグ」という言葉を聞いていた。「みんなで千葉マリンに行ったのが1番の思い出だよね」と話す母親もいた。リアスリーグって何だろう。そう思いながら、炎天下での取材に忙殺され、すっかり存在を忘れていた。

詳細は、今日30日付の日刊スポーツ東京版1面で報じた。11年3月の東日本大震災で被災した岩手三陸沿岸の少年野球チームによる大会で、決勝戦をQVCマリン(現在のZOZOマリン)で行っていた。広告業を営む山田康生氏(56)が大会をプロデュースし、昨年で第6回を迎えた。三陸特有の複雑な海岸線からなる「リアス海岸」が、リアスリーグの由来だ。

佐々木が出場したのは、記念すべき第1回大会。大船渡、陸前高田、住田、釜石、大槌、山田の各市町から計25チームが参加した。佐々木がプレーした「猪川(いかわ)野球クラブ」(大船渡市)は4勝し、見事に千葉行きを決めた。

13年12月7日に行われたマリンスタジアムでの決勝戦で、佐々木は2番遊撃でフル出場した。当時は身長168センチだった。マウンドに立ったのは三上陽暉君。今夏は、大船渡高校でラッキーボーイ的な存在で決勝進出に大きく貢献した。マリンでの相手は、同じ大船渡の赤蛸野球スポーツ少年団。相手主将は千葉宗幸君。彼はこの夏、大船渡で主将を務めた。

パンフレットの選手名簿を眺めると、佐々木とともに甲子園を目指した大船渡のメンバー20人のほとんどが、リアスリーグに出場している。佐々木は「地元のメンバーでずっとやってきて、このメンバーでなら甲子園を狙えるんじゃないかと思いました」と話していた。ルーツの1つが、彼らにとって激動だった小学校生活の集大成となる、リアスリーグにあった。

震災で大切な人や家、町を失った子供達。グラウンドを失った野球少年達。佐々木も河川敷の橋脚に壁当てをして、放課後を過ごしていた時期がある。彼らと家族にとって、プロ野球の舞台はきらびやかなものだったからこそ「1番の思い出」として、今もなお鮮明に思い出せる。

佐々木は今後仮契約を経て、正式に入団となれば、そう遠くないうちに思い出のマウンドに立つことになるだろう。当時一緒にプレーした仲間達は今、それぞれの将来に向かって、残りの高校生活を過ごす。マウンドと応援席。居場所は別になっても、大人になった彼らが再びマリンに集う日は、感慨深いものになるだろう。

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ロッテ阿部和成が引退、2軍サブマネジャーに[ニッカン]

ロッテは阿部和成投手(30)が今季限りで現役を引退すると30日、発表した。今後は2軍のサブマネジャーに就き、チームスタッフとして11月1日から業務に携わる。

阿部は07年の高校生ドラフト4巡目でロッテに入団。1軍通算成績は52試合に登板(うち先発12試合)して3勝6敗、防御率4.92。今季は4試合を投げたのみで、シーズン終了後に戦力外通告を受けていた。

「熱い応援、本当にありがとうございました。1番の思い出はプロ初勝利(13年5月6日)を自分の地元である福岡で記録することができたことです。引退に関しては悩みましたが、最後は今後もマリーンズの仕事に関わっていたいと思い、決めました。これからは違う立場でしっかりとマリーンズと選手たちをサポートしていきたいと思います。12年間、本当にありがとうございました。応援してくださった方々、家族、そして支えてくださった皆さまに感謝の気持ちでいっぱいです」とコメントした。

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ロッテ・益田、FA行使せず残留表明、盟友・大地へ「一緒に残って」[サンスポ]

ロッテ・益田直也投手(30)が30日、ZOZOマリンスタジアムで今季取得した国内FA権を行使せず残留することを表明した。

「他球団の評価を聞いてみたい思いもあったけど、ここから3年間が1番ピークを持っていけると思う。他チームにいくのではなく、ロッテで優勝したいと思った」と説明した。SNSやネット上で残留を願うファンの声も、大きな後押しになったという。

市和歌山商高(現市和歌山高)から関西国際大を経て2012年にドラフト4位で入団。8年間で472試合に登板し、今季は抑えで4勝5敗27セーブ、防御率2.15だった。

28日にFA宣言した鈴木は同期入団で今月中旬に4日間、山形県内で断食合宿を行い、思いの丈を語り合った。「大地の意見を尊重したいけど、僕は一緒に残って優勝したい」と盟友の残留を願った。

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益田「ロッテで優勝したい」、残留を表明、国内FA権行使せず[サンスポ]

ロッテの益田直也投手(30)が30日、ZOZOマリンスタジアムで取材に応じ、今季取得した国内フリーエージェント(FA)権を行使せず残留すると発表した。「ロッテで優勝したいというのが決め手。会員制交流サイト(SNS)にも、ファンの方々から『残って欲しい』というメッセージをいただき、1つ1つ読ませていただいた」と決断理由を説明した。

市和歌山商高(現市和歌山高)から関西国際大を経て2012年にドラフト4位で入団した。1年目から救援陣を支え、プロ8年間で472試合に登板。今季は抑えで4勝5敗27セーブ、防御率2.15だった。

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ロッテ・益田、FA行使せず残留、『残って欲しい』ネットの声が心を動かした[サンスポ]

ロッテ・益田直也投手(30)が30日、ZOZOマリンスタジアムを訪れ、今季取得した国内フリーエージェント(FA)権を行使せず残留することを表明した。

「私ごとですが、FA宣言せずに残留することを決めました。球団に伝えたのは、日本シリーズが終わって2日くらいしてから。そんなに考えることはないと思っていたんですけど、オフになって色々考えて、色んな人に話しました」。

揺れる心を動かしたのは何と、残留を望むネット上のファンの声だった。「SNSとか、それ以外でも残って欲しいという声をたくさんいただいた。(ネット上の)記事にFAするかもしれないとか、他球団が調査しているとか出ていたときに、すごい数の反応がきていた。全部1つ1つ読ませていただいたんですけど、『残って欲しい』『必要だ』とみんなが書いてくれていたので嬉しかった」。8年間支えてくれたファンの熱い声に、心を打たれた。

人生最大の決断−。悩みに悩んだが「みんながいう、他球団の評価を聞いてみたいという思いも一野球選手としてあった。でも、プロ入ってから色々経験して、ここからの3年間がプロ野球選手として1番ピークを持っていけると思う。その3年間を他チームにいくのではなく、この3年間にかけてロッテで優勝したいと思った」と、入団以来1度も味わっていない歓喜のときを、愛着のあるチームで目指すことを選んだ。

今季は故障の内に代わり1年を通して守護神として、60試合に登板し27セーブを挙げた。「最後までいい試合ができた。ですが、来年は3位争いではなく優勝争いがしたい。今季はマリンで最後に、目の前でパ・リーグの優勝を見た。あんな思いはしたくないし、最後まで野球ができるように頑張りたい」と益田。“生涯ロッテ”を明言し、悲願の瞬間を目指して来季もマリンスタジアムのマウンドに上がる。

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ロッテ育成1位・本前、北翔大から初のプロ「早く支配下登録を目指します」[サンスポ]

ロッテの育成ドラフト1位で指名された本前郁也(もとまえ・ふみや、22)=北翔大=は30日、北海道・江別市内の同校にて、ロッテ・永野チーフスカウト、榎担当スカウトの指名挨拶を受けた。

「(1月の)新人合同自主トレまでにしっかりと身体をつくって、1日でも早く支配下登録を目指します」。

札幌光星高では甲子園出場はおろか、3年夏に南北海道大会出場も、初戦で駒大苫小牧に3−10の7回コールド負けを喫し敗退した。6回12安打10失点で高校野球を終えた本前だったが、北翔大で大きく成長。2年時からエース格へと成長すると、右打者へのクロスファイアと独特のチェンジアップを武器に、最速148キロ左腕へと成長した。

北翔大からのプロ野球選手は、本前が初めてとなる。「これまでお世話になった方々に、北海道で投げる姿を見てもらえるように頑張ります」と恩返しを誓った。

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[球界ここだけの話]ロッテD1位指名の佐々木に似合う背番号は16か17か…それとも[サンスポ]

ドラフト会議でロッテから1位指名された大船渡高・佐々木朗希投手の在籍する岩手の同校で29日、井口監督らが指名挨拶を行った。この後、契約が合意したことを示す仮契約、そして契約、入団発表へと進んでいく。

今回のドラフトで最も注目された選手で、ロッテファンならずとも次に話題となるのは、背番号が何番かだろう。

ロッテのエースナンバー『18』は、現在涌井が付けており、来季は『15』『16』『17』のどれかだという見方が一般的だろう。

理由としてあげれば、直球が常時160キロで現実的な『16』か、「最速で170キロも夢ではない」と夢を乗せた『17』で期待するかという考えも出てきていい。

日本のプロ野球ではエース番号は、中日が『20』で、その他『11』や『21』もあるが、『18』が多い。

空き番で『18』に近い所でという“慣例的”な選択ではなく、楽天・松井裕樹投手の『1』のような発想もあるだろうし、かつての西武・工藤公康投手のようなスタート時に付けた『47』がその後左腕の代表的な番号として各球団に広がっていくようなオリジナリティーがあってもいい。

ロッテには佐々木千隼投手がおり、表記も含め、強く朗希(ろうき)をイメージさせる『60』などで、「30年、いや50年に1人」の投手として、『○○二世』などのイメージが想像できない素材であり、球史に残る投手への将来を見据え、佐々木個人を強烈に目立たせていくものもあっていいだろう。

今回のドラフトで広島から1位指名の明大・森下暢仁投手やヤクルトから1位指名の星稜・奥川恭伸投手らの背番号確定より先か後かで、どんな選択に影響するかは分からないが、初めてユニホームに袖を通す日が楽しみなファンは多いだろう。

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ロッテ・阿部が現役引退、今後は2軍チームスタッフに[サンスポ]

ロッテは30日、阿部和成投手(30)が今季限りで現役を引退すると発表した。プロ12年目の今季は4試合に登板して防御率0.00で3日に戦力外通告を受けた。2軍チームスタッフとして球団に残る。

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ロッテ・益田、残留表明「野球生活のピークに持っていけるという自信がある。優勝したい」[スポニチ]

今季、国内FA権を取得したロッテ守護神の益田がZOZOマリンで会見を開き、権利を行使せず残留することを表明した。

スーツ姿で登場すると「これからの3年間でプロ野球生活のピークに持っていけるという自信がある。その時間をロッテでやって優勝したい」と残留を決めた理由を明かした。

さらに同期入団でFA権の行使を表明した鈴木にも言及。2人で話し合いもしたという益田は「ぜひ残っていただきたい。一緒に優勝したい。自分にとっても大事な選手」と呼びかけた。

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ロッテ・益田、FA宣言せずに残留「ロッテでやって優勝したい」、“宣言”鈴木に残留呼び掛けも[スポニチ]

今季、国内FA権を取得したロッテの守護神・益田直也投手(30)が、ZOZOマリンスタジアムで会見を開き、権利を行使せず残留することを表明した。

「この3年間がプロ野球生活のピークに持って行ける、という自信がある。その時間をロッテでやって優勝したい」と、残留を決めた理由を明かした。

同期入団でFA権の行使を表明した鈴木については「ぜひ残っていただきたい。一緒にやっていきたい。一緒に優勝したい思いがある」と呼びかけた。

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ロッテ育成指名ドラフト1位指名・本前、指名挨拶受け「1日でも早く支配下登録を」[スポニチ]

ロッテが、北海道江別市の北翔大で育成ドラフト1位指名の本前郁也投手(4年)に指名挨拶を行った。

球団からは永野吉成チーフスカウト、榎康弘担当スカウトが出席。最速148キロを誇る左腕の本前は「新人合同自主トレまでにしっかりと身体を作って、1日でも早く支配下登録を目指したい。これまでお世話になった方々に北海道で投げる姿を観てもらえるように頑張りたい」と、意欲を明かした。

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ロッテ・阿部和成が現役引退、2軍サブマネジャーに就任[スポニチ]

ロッテの阿部和成投手(30)が今季限りでの現役引退を表明した。今後は2軍サブマネジャーとして、球団業務に携わることになった。

阿部は福岡・大牟田高から07年高校生ドラフト4位でロッテに入団。プロ通算12年で52試合に登板し、3勝6敗2ホールド、防御率4.92。阿部は球団を通して「熱い応援、本当にありがとうございました。1番の思い出はプロ初勝利を自分の地元である福岡で記録することが出来たことです(13年5月6日)。引退に関しては悩みましたが、最後は今後もマリーンズの仕事に関わっていたいと思い、決めました。これからは違う立場でしっかりとマリーンズと選手たちをサポートしていきたいと思います」とコメントした。

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佐々木朗希の育て方、30ページマニュアル作成…大谷やダルの場合は?[報知]

ロッテがドラフト1位指名した大船渡高・佐々木朗希投手(17)専用の「育成マニュアル」を作成したことが30日、分かった。球団史上でも超異例の取り組み。同じ高卒ドラ1で体形が似ている、日本ハムで活躍したダルビッシュ有(現カブス)や大谷翔平(現エンゼルス)のケースを参考にしているという。最速163キロを誇る“令和の怪物”仕様のアイテムを駆使し、日本NO.1投手へ育て上げる。

球団の総力を結集した「朗希育成プロジェクト」第1弾が静かに動き始めた。ドラフト1位指名した佐々木独自の「育成マニュアル」が作成されていることが判明した。同じ高卒ドラ1で190センチ、85キロとサイズが似ていることもあり、ダルビッシュや大谷のモデルケースを参考にした“プロの歩み方”が、約30ページにわたり記されているという。

このマニュアルには2人の成績や成長過程で行ってきたトレーニング法などを事細かくデータ化したものも、グラフなどを用いて、分かりやすく掲載。さらに、球団でも3年目でチームトップタイの8勝を挙げた種市と5年目で5勝した岩下の高卒コンビのモデルもつづられている。身近な先輩のこれまでの歩みを参考にすることで、朗希に合った成長の道筋を照らし出す狙いがある。また、千葉・鴨川での秋季キャンプ中には投手・トレーニングの各担当コーチが集結し、佐々木の「育成法」について話し合う時間も設けられる予定だ。

高校3年時に195センチ、84キロだったダルビッシュは1年目の05年は14試合に登板し5勝5敗、防御率3.53をマーク。翌06年から6年連続で2ケタ勝利を挙げた。ウェートトレーニングと食トレで体重を10キロ以上増加させるなど努力を重ねてパワーアップ。11年オフにメジャー挑戦するための下地を作った。

一方、18歳時に193センチ、86キロだった大谷は投打二刀流の育成プランを基に、ルーキーイヤーの13年に投手として13試合で3勝0敗、防御率4.23をマーク。打者では77試合で打率2割3分8厘、3本塁打、20打点とインパクトを残し、翌14年からは3年連続で2ケタ勝利し、日本最速165キロを計測するまでに進化した。17年オフに海を渡る決断を下した際には体重も97キロを超えるほど、たくましい体つきになっていた。

将来の目標として「日本最速」と「メジャー挑戦」を胸に秘めている“令和の怪物”。球界の宝をピカピカのダイヤに磨き上げる準備はもう始まっている。

◇ロッテ近年の高卒投手育成

高卒投手は球団の方針により、1年目は実戦よりも体作りのためのメニューを中心にトレーニングを行う。2軍で指導経験もある川越投手コーチは「無理して投げさせない。実戦期間に入っても中6日とか中10日くらいの登板間隔を空ける」と育成行程を説明。故障防止を最優先に練習した上で「同い年の大卒投手が入ってくる4年後までに先発ローテに入ることを目標にして」育成するという。13年ドラフト6位の二木が2年目に1軍デビューを果たすと、3年目に7勝を挙げ、今季も3年目の種市がチームトップタイの8勝をマークするなど素質が開花している。

ダルビッシュ有の場合
1年目(05年)14試合5勝5敗[防]3.53
2年目(06年)24試合12勝5敗[防]2.89
3年目(07年)26試合15勝5敗[防]1.82
4年目(08年)25試合16勝4敗[防]1.88
5年目(09年)23試合15勝5敗[防]1.73
大谷翔平の場合
1年目(13年)13試合3勝0敗[防]4.23
2年目(14年)24試合11勝4敗[防]2.61
3年目(15年)22試合15勝5敗[防]2.24
4年目(16年)21試合10勝4敗[防]1.86
5年目(17年)5試合3勝2敗[防]3.20

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益田、残留決定「ロッテで優勝したい」ファンのSNS書き込みが後押し[報知]

ロッテ・益田直也投手(30)が30日、今季取得した国内フリーエジェント(FA)権を行使せずに来季も残留することを表明した。ZOZOマリンで対応した守護神は「ファンの方々から(インスタグラムなど)SNSで『残って欲しい』という声をたくさんいただいた。違うチームに行って優勝というのが想像できなかった。ロッテで優勝したい。このファンのいるところで優勝したいというのが決め手」と決断理由を明かした。

家族や入団同期で先日FA宣言した鈴木とも何度も話し合った。「他球団の評価を聞いてみたいという気持ちもあったけど、これからの3年間が自分のピーク。1番いいパフォーマンスができると思った。他のチームではなく、ここでプレーしたいと思った」と、“ロッテ愛”を叫んだ。

今季は60試合の登板で4勝5敗、27セーブ、防御率2.15と安定した成績をマーク。来季は通算500登板(残り28)と100セーブ(残り12)という節目の記録もかかる。「今年は最後の方まで3位争いでしたけど、良い試合ができた。ですが、来年は3位争いではなく、1番最後まで野球ができるように頑張りたい。個人記録はあまり興味ない。最低そこはクリアしないとチームが勝てない。もっと上を目指して頑張りたい」。生涯ロッテを決意した益田がどんなパフォーマンスを披露するのか、待ち遠しい。

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育成ドラ1・本前、故郷・北海道での凱旋登板誓う[報知]

ロッテの育成ドラフト1位指名、北翔大・本前郁也投手(22)が30日、北海道江別市の同校で永野チーフスカウト、榎担当スカウトから指名挨拶を受けた。

最速148キロのサウスポーは「新人合同自主トレまでにしっかりと身体を作って、1日でも早く支配下登録を目指します。そしてこれまでお世話になった方々に北海道で投げる姿を見てもらえるように頑張ります」と、故郷での凱旋登板を誓った。

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秋季練習打ち上げ、井口監督も手応え「体力がついたと思う」[報知]

ロッテが30日、ZOZOマリンでの秋季練習を打ち上げた。井口資仁監督(44)「メンバーは少なかったですけど、しっかり走り込みと打ち込みもできた。ランニングに関しても1時間半くらいアップを含めて走った。タイムテストもみんな速くなっていた。ここにいたメンバーは体力がついたと思う」と成長具合に目を細めた。

「1日から鴨川でキャンプが始まる。フェニックス組が合流して、来季に向けて今年足りなかったところを補いながらやっていきたい。鴨川でも個別練習が多くなる。個別で足りないところを重点的にやっていくメニューになる」と11月1日からの秋季鴨川キャンプの見通しを語った。

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阿部が現役引退、2軍サブマネジャー就任、「1番の思い出は地元・福岡で初勝利」[報知]

ロッテは30日、阿部和成投手(30)が今季限りで現役を引退すると発表した。今後は2軍サブマネジャーとなりチームをサポートする。

阿部は福岡・大牟田高から07年高校生ドラフト4巡目で入団。2013年5月6日のソフトバンク戦(ヤフオクD)で初勝利を挙げるなど通算3勝をマークした。明るいキャラクターとまじめな性格で周囲からは「阿部ちゃん」と呼ばれ、慕われた。

阿部は球団を通じ「熱い応援、本当にありがとうございました。1番の思い出はプロ初勝利を自分の地元である福岡で記録することが出来たことです。引退に関しては悩みましたが、最後は今後もマリーンズの仕事に関わっていたいと思い、決めました。これからは違う立場でしっかりとマリーンズと選手達をサポートしていきたいと思います。12年間、本当にありがとうございました。応援してくださった方々、家族、そして支えてくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです」とコメントした。

阿部和成(あべ・かずなり)
1989年5月19日、福岡県生まれ。30歳。大牟田高では07年のセンバツに出場も開幕戦で敗退。07年高校生ドラフト4巡目でロッテに入団。プロ通算52試合に登板し、3勝6敗、防御率4.92。183センチ、71キロ。右投右打。

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益田、FA権行使せず残留、決め手は球団の熱意と井口監督への思い[報知]

ロッテ・益田直也投手(30)が今季取得した国内フリーエジェント(FA)権を行使せず来季も残留することが30日、分かった。複数の球団が水面下で獲得調査を行っていたが、この日までに正式に球団側に残留する旨を伝えた。この日中に正式表明する。

最後は球団からの「熱意」が「移籍」に対する思いに勝った。投手陣の兄貴分が男気のある決断を下した。一時は「他球団の評価も聞いてみたい」とFA宣言することも考えたが、「あれだけ球団側から残ってくれと言われたら…」。必要とされているという思いに心打たれた。

球団側は宣言残留も認めつつ、同郷・和歌山の先輩でもある松本球団本部長が何度も粘り強く交渉に努めてきた。益田自身も「松本さんの気持ちが嬉しかった」と残留の一つの決め手となったことを明かした。

通算472登板のタフネス右腕はけがに強く、今季は60試合の登板で4勝5敗、27セーブ、防御率2.15と安定した成績をマーク。25日の自身の誕生日前夜には後輩達からサプライズパーティーを用意されるなど人望も厚い。

もう1つ決め手となったがのが「井口監督を胴上げする」という目標だ。2013年7月26日の楽天戦(Kスタ宮城)で当時現役だった井口監督が田中から本塁打を放ち、日米通算2000安打を達成した。2−1の9回に登板したのが益田だった。結果は嶋にサヨナラ打を浴び、記念の試合を白星で飾ることができなかった。「あの試合で勝てなかったことが申し訳なかった」と悔いた。18年に井口監督が就任。「優勝して井口監督を胴上げするまでは他のチームにはいけない」と心に決めていた。

球団からは3年契約とを打診されている。益田が「絶対的守護神」としてこれからもマリンのマウンドに仁王立ちする。

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ロッテ・益田FAせずに残留、決め手は残留願うファンの声[デイリー]

ロッテ・益田直也投手(30)が30日、今季取得した国内FA権を行使せずに残留することを発表した。

宣言すべきか、否か。球団とは複数回の交渉を重ねた。迷いに迷った。球団からも最大限の条件を提示されたもようで、家族にも相談した。決め手となったのはファンの「残留を願う」大多数の“声”だった。SNSなどの投稿を全て読み「とにかく残って欲しいと。たくさんいただいた。本当に嬉しい。感謝です」。

今の思いは「井口監督のもと、今いるメンバー、スタッフと一緒に優勝したい。ロッテでずっとやっていきたい」。今季60試合に登板し4勝5敗27S、防御率2.15。「スッキリしました」。晴れ晴れとした表情だった。

また、国内FA権を取得した荻野貴司外野手(34)も残留が確実となった。

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益田、ロッテ残留を表明国内FA権行使せず[デイリー]

ロッテの益田直也投手(30)が30日、ZOZOマリンスタジアムで取材に応じ、今季取得した国内フリーエージェント(FA)権を行使せず残留すると発表した。「ロッテで優勝したいというのが決め手。会員制交流サイト(SNS)にも、ファンの方々から『残って欲しい』というメッセージをいただき、1つ1つ読ませていただいた」と決断理由を説明した。

市和歌山商高(現市和歌山高)から関西国際大を経て2012年にドラフト4位で入団した。1年目から救援陣を支え、プロ8年間で472試合に登板。今季は抑えで4勝5敗27セーブ、防御率2.15だった。

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ロッテ・益田直也が国内FA権行使せず残留を発表「ずっとやっていきたい」[デイリー]

ロッテ・益田直也投手(30)が30日、今季取得した国内FA権を行使せずに残留することを発表した。

「FA宣言をせずに残留することにしました!」。ZOZOマリンスタジアム内で会見に臨んだ益田の表情は晴れ晴れとしていた。

宣言すべきか、それともやめるべきか。球団と複数回の交渉を重ねて迷いに迷った。球団も最大限の条件を提示したようだ。家族にも相談した。

だが、最終的に決め手となったのはロッテファンの「残留を願う」大多数の“声”だった。

SNSなどでの投稿を全て読み、「とにかく残って欲しいとたくさんいただいて、本当に嬉しかった。感謝です」という。

ファンの願いを受けて残るならば宣言せずにと傾いた。「井口監督のもと、今いるメンバー、スタッフと一緒に優勝したい。ロッテでずっとやっていきたい」。

同期入団の鈴木とは4日間、じっくりと話し合った。鈴木はすでにFA宣言したが「残って欲しい。一緒にやりたい」と話す一方で、「(鈴木の)野球人生です。意見を尊重したい」とも。

今季60試合に登板して4勝5敗27セーブ、防御率2.15。「(今後)3年間、ピークにもっていける」。右腕をフル回転させるつもりでいる。

「スッキリしました」。益田が心からの笑顔を浮かべた。

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ロッテ・育成ドラフト1位の本前に指名挨拶、目標は「北海道で投げる姿を」[デイリー]

ロッテから育成ドラフト1位指名を受けた本前郁也投手(22)=北翔大=が30日、北海道・江別市の同大学で永野吉成チーフスカウト、榎康弘担当スカウトから指名の挨拶を受けた。

札幌6大学1部リーグで2年春、3年春秋に防御率1位。計3度、最優秀投手を獲得した左腕。大学では先発、救援のどちらもこなしている。

本前は「新人合同自主トレまでにしっかりと身体を作って、1日でも早く支配下登録を目指します。そしてこれまでお世話になった方々に北海道で投げる姿を見てもらえるように頑張ります」と気持ちを込めながら話していた。

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ロッテが秋季練習を打ち上げ、安田「すごい濃い練習ができた」ウインターリーグへ意欲[デイリー]

5日からの秋季練習を打ち上げた。

少数の参加者による練習はハードだった。井口監督は「走り込み、振り込みができた」と話し、1日からの鴨川キャンプには「基本的には個人でやるメニューになると思う。シート(打撃)が1日入るくらい」とさらなる鍛錬を予告した。

宮崎でのフェニックス・リーグに参加して、21日から合流した安田は「すごい濃い練習ができたと思う。打ち込み、体力トレーニングがあり、自分でできるところまで追い込めた」と手応えをつかんだようだ。

11月中旬からプエルトリコで開催されるウインターリーグに派遣される。「まずは打撃、速い球に打ち負けないようにしたい。自分で考え、新たな発見をしていきたい」。

現在の体重は101キロ前後で「筋肉量が増えて脂肪分が減った。ベストな体重だと思う」。グッと引き締まった印象だ。

今季はイースタンで本塁打(19本)、打点(82)、安打数(116)の3部門でリーグ最多を記録した。

来季はプロ3年目。飛躍を期す。

「(プエルトリコには)枕を持っていこうかな。カップラーメンも。でも(現地の)食事も楽しみです」。武者修行が楽しみでならないようだった。

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ロッテ・阿部が引退、今後は2軍サブマネジャーに「違う立場でしっかりサポート」[デイリー]

ロッテは30日、阿部和成投手(30)が今季限りで現役を引退し、今後は2軍チームスタッフ(2軍サブマネージャー)として、11月1日から業務に携わる予定と発表した。

阿部は「熱い応援、本当にありがとうございました。1番の思い出はプロ初勝利を自分の地元である福岡で記録することができたことです(13年・5月6日)。引退に関しては悩みましたが、最後は今後もマリーンズの仕事に関わっていたいと思い、決めました。

これからは違う立場でしっかりとマリーンズと選手達をサポートしていきたいと思います。12年間、本当にありがとうございました。応援してくださった方々、家族、そして支えてくださった皆さまに感謝の気持ちでいっぱいです」と感慨深そうに話していた。

阿部は07年高校生ドラフト4巡目で大牟田高からロッテに入団。11年に1軍初登板し、19年まで通算52試合に登板し3勝6敗。通算防御率は4.92。

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