わたしはかもめ2020年鴎の便り(1月)

便

1月3日

ロッテ・レアード、千葉海上保安部ポスターに起用[ニッカン]

“スシボーイ”が、千葉の海の顔になる。ロッテのブランドン・レアード内野手(32)が海上保安庁・千葉海上保安部の20年のポスターに起用されることが決まった。県内で順次、約2000枚が掲出される。

キャッチフレーズは「海の安全、あなたの命(ハート)、がっちり握ります」。海上保安庁は00年から緊急通報用電話番号「118」を運用。千葉海上保安部では118番の周知活動として、例年、ロッテの選手をポスターに起用している。

オフを米アリゾナ州の自宅で過ごしているレアードは「スゴ〜イ。レアードさん、すし大好き、釣りも大好き、海大好きね!とても嬉しい。今年は海の安全を願いながら、去年以上のすしポーズをファンの皆様にお見せすることを約束するよ。目標は日本通算200本塁打だね」と球団を通じてコメントを寄せた。

また、ZOZOマリンの一、三塁側ベンチ上に設置されている水産会社「北辰水産」(千葉・柏市)の看板についても、レアード同様に2年契約で更新が決まった。

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井口監督「新年早々いい思い」母校の箱根V祝福[ニッカン]

ロッテ井口資仁監督(45)が3日、第95回箱根駅伝で母校・青学大が2年ぶり5度目の総合優勝を達成したことに「ぶっちぎりでしたね!新年早々、いい思いをさせていただきました」と喜んだ。

往路、復路ともテレビ観戦したという。同校陸上部の原晋監督(52)とは昨年12月6日に、2000本安打記念プレート除幕式でキャンパスを訪れたとき、偶然に出会った縁がある。

15年ぶりのリーグ優勝を目指すロッテの、今季チームスローガンは「突ッパ!」。井口監督は「彼らの走りを見て、我々もみんなで気持ちを1つにしながら限界を突破するような1年にしたいと強い刺激を受けました。たすきをつないで少しずつ差を広げ、最後には独走した青学のようにパ・リーグを突き抜けたいと思います」とコメントを寄せた。

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ロッテ・レアード、海上保安部ポスター起用[サンスポ]

ロッテのブランドン・レアード内野手(32)が千葉海上保安部のポスターに起用されたことが3日、分かった。昨年は藤原、一昨年は井口監督が務めたが、外国人選手は初起用。千葉県内の公共施設などに、約2000枚が掲出される。

起用理由について担当者は「千葉とおすし好きを公言され、積極的なファンサービスをみせてくれる。すしのネタ元である海の安全をみんなで願いたい」と明かした。

チーム1位の32本塁打を放った助っ人の活躍を受け、昨季途中から球団スポンサーとなった「北辰水産」も新たに2年契約を更新。レアードは米アリゾナ州の自宅から「今年は海の安全を願いながら、去年以上のすしポーズをお見せをすることを約束するよ」と喜びのコメントを寄せた。

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ロッテ・井口監督、母校・青学大の箱根駅伝Vに「青学のようにパ・リーグを突き抜けたい」[サンスポ]

ロッテ・井口資仁監督(45)は3日、第96回東京箱根間往復大学駅伝で、2年ぶり5度目の総合優勝を果たした母校・青学大に祝福のコメントを寄せた。

「昨日も今日もテレビで応援をさせていただきました。ぶっちぎりでしたね!新年早々いい思いをさせていただきました。チーム全員で昨年、優勝できなかった悔しさを胸に今年1年、練習に励み箱根を目指してきたことが伝わってくる走りでした。原監督とは昨年12月6日に青山学院大の相模原キャンパスにて行われた2000本安打記念プレート除幕式に出席させてもらった際にキャンパス内で偶然、お会いしました。お会いするのは初めてで、それもあり今年は特に注目をしていました。今年の千葉ロッテマリーンズのチームスローガンは『突ッパ』ですが、彼らの走りを見て我々もみんなで気持ちを1つにしながら限界を突破するような1年にしたいと強い刺激を受けました。たすきをつないで少しずつ差を広げ、最後には独走した青学のようにパ・リーグを突き抜けたいと思います。そのために全員で日々を大切にしながら一歩一歩、前へと進んでいきたいと思います。」

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ロッテ、「寿司ボーイ」レアード“海の安全”の顔に!寿司ネタも守る!?[スポニチ]

ロッテの「寿司ボーイ」ことレアードが、千葉海上保安部のポスターに起用される。海上保安庁は海難事故、密漁や密航・密輸などの通報先として、00年から緊急通報用電話番号「118番」の運用を開始。この番号の周知を強化し、海の安全・安心を確保するための「顔」となった。

レアードは「寿司、大好き、釣りも大好き、海、大好きね!今年は海の安全を願いながら去年以上の寿司ポーズをファンの皆さまにお見せすることを約束するよ」とコメント。自身の活躍を機にZOZOマリンに設置された北辰水産の寿司看板の契約の2年更新も決定し、「目標は日本通算200本塁打だね。そのためには37本塁打打たないとね。幕張の海、さいGO(最高とさあ、行こうの意味)」と意気込んだ。

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ドラ1佐々木朗希、初勝利から結婚、メジャーまで“計画”…「令和の怪物」インタビュー[報知]

今年のプロ野球で特に注目されるのが、ロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18)=大船渡高=だ。スポーツ報知では、最速163キロを誇る「令和の怪物」を大解剖した。インタビューでプロ入りへの心境や東日本大震災で亡くした父への思いを語り、自身の「未来予想図」も披露。体のサイズも“実測”した。

今回の佐々木へのインタビューでは、本紙が用意した「初勝利」「結婚」など様々なキーワードが書かれたプレートを、年齢順に並べてもらった。

まずはプロ1年目での初勝利を目指し、続いて「思い切って」と笑みを浮かべながら20歳で迎える2021年のWBCを見据え、侍ジャパン入りへ意欲を示した。

23歳になる5年目は、順調に成長していると想定した上で「沢村賞」と「170キロ」の“ダブル・クリア”を宣言。「まずはチームの日本一が目標」と強調しつつ、「個人としては沢村賞が投手の中で一番高い賞だと思う。そこを目指してやっていきたい」と誓った。気になる結婚の時期は?「だいたいこのぐらい」と25歳ごろを想定し、照れくさそうに頭をかいた。

将来的なメジャー挑戦の夢を持つ朗希。日本でNO.1の投手となって、ロッテの優勝に貢献することを大前提とした上で、メジャーで最も活躍した投手に贈られる「サイ・ヤング賞」の30歳での獲得を夢見た。最終的には「40歳まで現役」を続けるつもりだ。

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令和の怪物・佐々木朗希の未来予想図「活躍する姿を天国の父に見せたい」…インタビューで徹底解剖[報知]

今年のプロ野球で特に注目されるのが、ロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18)=大船渡高=だ。スポーツ報知では、最速163キロを誇る「令和の怪物」を大解剖した。インタビューでプロ入りへの心境や東日本大震災で亡くした父への思いを語り、自身の「未来予想図」も披露。体のサイズも“実測”した。

≫昨年4月に高校生最速の163キロをマーク[注1]。その存在が世間に一気に広まった。
佐々木
「その時は(スピードが)出るもんだなと。目標にしてやってきたので、あの時点で投げられたのは気が楽になったというか、よかったなと思いました。」
≫花巻東高時代の大谷が出した160キロ超えをいつから思い描いていた?
佐々木
「高校1年の冬にプロになると目標を決めた時に同時に決めました。部員達で(個人の目標を)紙に書いて壁に貼ってたんですけど(最後の)夏の大会が終わった後に多分(その紙を)捨てられました(笑)。」
≫163キロを出せた理由をどう分析している?
佐々木
「身長(190センチ)や腕の長さ(リーチ60センチ)など、手足の長さが1番大きかったと思います。」
≫大谷も肩回りが柔らかいことで知られる。
佐々木
「僕も一般的な選手よりは柔らかいですけど、あれぐらい柔らかいかって言われれたら…(笑)。」
≫柔軟性を保つためにやっていることは?
佐々木
「練習後のストレッチくらい。股割はできます。元々そんなに柔らかい訳じゃなかったんですけど、中2の3月に腰痛が出て(医師から)『体が硬いのが原因』と言われて。ケガをしてから柔らかくしようと思って3年間やり続けて今ではだいぶ柔らかくなりました。」
≫好影響があった?
佐々木
「可動域が広がるし、プレーに対する影響はよかったんじゃないかなと。」
≫高校時代の忘れられない思い出として昨夏岩手大会の決勝戦[注2]がある。
佐々木
「高校生の大部分が(甲子園大会を)目指しているものなので、やっている以上は(甲子園に)出たかったという気持ちはあります。」
≫決勝で登板できなかったことを振り返って。
佐々木
「自分自身(先発で)行くもんだと思っていたので(監督には)言わずにはいた。何がよかったのか分からないけど、あの時に出した答えが正解になるようにこれからプロ野球人生を歩んでいきたいです。」
≫心の整理はついた。
佐々木
「はい。みんなに納得してもらえるような結果をこれから残していきたいです。」
≫あの経験をどう今後に生かしたいか。
佐々木
「長く続けるために自分で自分の体を管理して、ケガの予防をできるだけしたい。」
≫野球以外のスポーツで興味あるのは?
佐々木
「バスケとか。みんな好きなので結構やったりしていた。ダンク?それはできないです(笑)。」
≫宮城・明成高出身の八村塁(21)ら年の近い選手が東京五輪にも出場する。
佐々木
「八村さんは野球をやっていた。身長もでかくてすごい。一ファンとして応援したいと思います。」
≫好きな芸能人や女性のタイプは?
佐々木
「サンドウィッチマン。あまり時間ないけど、小さい頃はお笑い全般が好きだったので動画は全部見てました。女性のタイプは特にないですけど…優しい人が好き。」
≫好きなテレビ番組は?
佐々木
「ドラマは好き。『今日から俺は』とか『あなたの番です』とか『3年A組』とかを見てました。」
≫WBCなど国際大会で侍ジャパン入りの期待もかかる。
佐々木
「いい選手達と一緒にプレーして、いい打者と対戦する。選ばれたらそこで1試合1試合成長しながら声援を糧にしながらやっていきたい。」
≫東日本大震災で亡くなった父・功太さん(享年37)と最後の家族旅行が東京ディズニーランドだった。
佐々木
「小3の冬だったと思います。小さい頃は絶叫系が嫌いで。今は好きですけど。『It's A Small World』に乗りました。『スプラッシュ・マウンテン』も乗せられました(笑)。」
≫今だからこそ伝えたい父への思いは?
佐々木
「小さい時にキャッチボールとか野球の楽しさを教えてもらったので本当に感謝してます。プロで活躍する姿を(天国の父に)見せたいなと思います。」
佐々木朗希(ささき・ろうき)
2001年11月3日、岩手・陸前高田市生まれ。18歳。小3で野球を始める。11年の東日本大震災で被災し、大船渡に移住。大船渡一中では軟式野球部。大船渡高に進学し、1年夏からベンチ入り。2年秋から背番号1。3年夏は岩手大会準V。19年ドラフト1位で4球団競合の末に契約金1億円+出来高5000万円、年俸1600万円でロッテ入団。右投右打。
[注1]
昨年4月6日、U−18ワールドカップ高校日本代表1次候補合宿の実戦形式練習で、日本の高校生史上最速の163キロを記録した。
[注2]
19年7月25日に行われた第101回全国高校野球選手権岩手大会決勝。大船渡は、エース佐々木が登板しないまま花巻東に敗れ、甲子園出場を逃した。佐々木は前日24日の準決勝・一関工戦で9回129球を投げていた。

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井口監督の母校・青山学院大が箱根駅伝優勝「我々もみんなで気持ちを1つに」[報知]

ロッテ・井口資仁監督(45)が3日、母校・青山学院大学が「第96回東京箱根間往復大学駅伝競走」で2年ぶり5度目の総合優勝を果たし、お祝いのコメントを寄せた。

「昨日も今日もテレビで応援をさせていただきました。ぶっちぎりでしたね!新年早々いい思いをさせていただきました。チーム全員で昨年、優勝できなかった悔しさを胸に今年1年、練習に励み箱根を目指してきたことが伝わってくる走りでした。原監督とは昨年12月6日に青山学院大の相模原キャンパスにて行われた2000本安打記念プレート除幕式に出席させてもらった際にキャンパス内で偶然、お会いしました。お会いするのは初めてで、それもあり今年は特に注目をしていました。今年の千葉ロッテマリーンズのチームスローガンは『突ッパ!』ですが、彼らの走りを見て我々もみんなで気持ちを1つにしながら限界を突破するような1年にしたいと強い刺激を受けました。タスキをつないで少しずつ差を広げ、最後には独走した青学のようにパ・リーグを突き抜けたいと思います。そのために全員で日々を大切にしながら一歩一歩、前へと進んでいきたいと思います。」

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ロッテ、レアード“海の顔”になる、千葉海上保安部のポスターに起用[デイリー]

ロッテは3日、ブランドン・レアード内野手(32)が千葉海上保安部の「118番周知活動」のポスターに起用されると発表した。外国人選手の起用は初。“海の顔”として、スシボーイが大抜てきされた。

同ポスターは19年に藤原、18年が井口監督、15〜17年は石川を起用。今年のキャッチフレーズは「海の安全、あなたの命(ハート)、がっちり握ります」となっている。

レアードは「スゴ〜イ。最高!レアードさん、寿司、大好き、釣りも大好き、海、大好きね!。今年は海の安全を願いながら、昨年以上の寿司ポーズをファンの皆さまにお見せすることを約束するよ」とエキサイト。「目標は日本通算200本塁打だね。そのためには37本塁打を打たないとね」と誓った。

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ロッテ佐々木朗希、理想像は「唯一無二」甲子園で“BIG4”対決したい![デイリー]

ロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18)=大船渡=が、デイリースポーツの新春インタビューに応じた。高校球界最速163キロの超逸材。プロでは背番号17に込められた夢の170キロに挑み、沢村賞を獲得して“日本一の投手”を目指すと誓った。また高校生活で実現できなかった甲子園登板に対する熱い思い、日本球界を志望した経緯、メジャーへの憧れなども明かした。

≫昨年4月の侍ジャパン高校代表候補の合宿で高校球界最速の163キロをマークした。
佐々木
「その時は無我夢中で合宿に参加していた。正直、自分がどうというよりも周りがすごかったな、という印象が1番強いです。」
≫球速へのこだわりは。
佐々木
「(高校で)球速の目標はあった。163(キロ)と書いた気がします。自分の1番の武器でもある。そこは自分の強みとして大切にしていました。」
≫日本最速は日本ハム時代の大谷翔平(現エンゼルス)がマークした165キロ。超えたい思いは。
佐々木
「スピードを超えることが1番の目標じゃないですけど、練習して体が強くなっていく中で上がる分にはマイナスではない。勝っていく中でスピードも上がっていけばいい。」
≫背番号17には、球団の170キロへの願いが込められている。
佐々木
「焦らず強く意識せず、やっていけば、自ずと結果はついてくる。日々の練習を頑張っていきたい。」
≫同学年にはヤクルトの奥川、阪神の西純と及川もいる。
佐々木
「1番のモチベーションでもあります。そういう存在は自分にとってプラス。自分のペースを保ちながらも、少し相手を意識しながら自分を高めていければいい。」
≫3人と連絡を取ることは。
佐々木
「及川君とは(侍ジャパン高校代表候補の)合宿の時に話をさせていただきました。西君と奥川君は、U18(W杯)が終わってからも何回か連絡をもらいました。練習の状況やプロ野球生活について(の話)です。」
≫将来的には“佐々木世代”と呼ばれたいか。
佐々木
「(自分は)大丈夫です(笑)。」
≫甲子園の印象は。
佐々木
「観客としても行ったことないので、想像もつかないですけど観客の数もすごく多いと思う。独特の雰囲気もあると思う。(マウンドに)立ってみたいという気持ちはあります。」
≫甲子園で阪神の西純、及川、井上の同学年3人と対決したい思いは。
佐々木
「同級生ですし対戦してみたいという気持ちはあります。」
≫日本のプロ野球に入る道を選んだ。
佐々木
「高校1年生の時に『プロに行きたい』と決めていた。どの世界に進んでも新しい道。分からないことが多い。最初に目標設定したプロ野球に入りたいという思いでした。」
≫希望の球団は。
佐々木
「しっかり1位で選ばれたいと思ってました。」
≫大学進学の選択肢はあったのか。
佐々木
「3年生の時点ではなかった。高校に入る時は大学に行こうと思っていた。野球を続けないで。そこからプロになると決めた。」
≫高校卒業後、直接メジャー入りする選択肢は。
佐々木
「プロ野球ですら分からないことが多かった。考えられなかったというか、そういう感じです。」
≫大リーグに抱くイメージは。
佐々木
「今のプロ野球選手もそうですし、色んな選手の夢だと思う。いつかそこに行けるように日々、努力していきたいと思います。」
≫同じ岩手県出身の投手では、大リーグ球団在籍の大谷、菊池雄星(マリナーズ)もいる。
佐々木
「岩手だけじゃなく日本を代表する選手。いつかそういう(日本を代表する)選手になりたい。」
≫岩手県の沿岸部は2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた。地元からの期待は大きい。
佐々木
「プロ野球選手にしかできないことがあると思う。自分にしかできない夢や希望を与える。そういう存在になって色んな形で地域に貢献したい。」
≫プロ1年目はどんな年にしたいか。
佐々木
「体作りがメインになると思う。焦らず地道にトレーニングを続けて、その中で1軍で投げられる機会があったら投げたいという思いがあります。」
≫取り組みたいことは。
佐々木
「プロ野球選手として、全体的に足りない部分が多いと思う。全体的に体を強くしたい。」
≫身長はいつから大きくなったのか。
佐々木
「元々大きい方だった。」
≫今でも背は伸びている。
佐々木
「止まってはないです。」
≫プロ野球選手として究極の理想像は。
佐々木
「他の選手も当然、リスペクトしているんですけど、理想は過去にもいないようなピッチャー。唯一無二というか。『1番』と言われるピッチャーになりたいです。」
≫ロッテでの夢。
佐々木
「優勝に貢献できるようになりたい。それを続けて常勝軍団になれるように。」
≫個人成績の目標。
佐々木
「沢村賞が日本で1番いい投手だと評価される賞だと思うので目指していきたい。」
≫将来、日本代表のユニホームを着たい思いは。
佐々木
「日の丸を背負っていく、ぐらいの選手になりたい。U18では優勝できなかったので、世界一を成し遂げたい気持ちはあります。」

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ロッテ、佐々木朗希「あの時」の判断が正しかったと証明するために[デイリー]

ロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18)=大船渡=が、デイリースポーツの新春インタビューに応じた。プロでは背番号17に込められた夢の170キロに挑み、沢村賞を獲得して“日本一の投手”を目指すと誓った。また高校生活で実現できなかった甲子園登板に対する熱い思い、日本球界を志望した経緯、メジャーへの憧れなども明かした。佐々木とのインタビューを終え担当記者が感じたことを語った。

とても18歳とは思えない落ち着きぶりだった。インタビュー中、佐々木朗は記者の目をしっかりと見て言葉を選びながら、慎重に受け答えしていた。

“令和の怪物”も高校生活は思い出がたくさん詰まっている。「野球部として活動している時。移動中もそうですし。試合中も宿舎でも」。ともに汗を流した仲間達に対しては特別な感情がある。

温和そうな右腕が内に秘めた闘志を見せた瞬間があった。昨年7月の岩手大会決勝で、自身は出場せず大船渡が敗退したことについて聞いた時だ。一呼吸置き、一点をジッと見つめて切り出した。「これからプロ野球に入って活躍して。あの時の判断が正しかったって、みんなが納得するような活躍をしていければ、それが1番」。故障を防ぐためだったが甲子園出場を逃し、エースの“登板回避”は物議を醸した。

自らの豪腕で結果も答えも出し、周囲を黙らせる−。その決意表明だと感じた。

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ロッテ・井口監督、母校・青学大の箱根V「我々も限界を突破する1年に」[デイリー]

青学大が2年ぶり5度目の総合優勝を果たした。ロッテ・井口資仁監督が母校の覇権奪回を祝福するコメントを寄せた。

「昨日も今日もテレビで応援をさせていただきました。ぶっちぎりでしたね!新年早々、いい思いをさせていただきました。チーム全員で昨年、優勝できなかった悔しさを胸に今年1年、練習に励み箱根を目指してきたことが伝わってくる走りでした。
原監督とは昨年12月6日に青山学院大の相模原キャンパスにて行われた2000安打記念プレート除幕式に出席させてもらった際にキャンパス内で偶然、お会いしました。お会いするのは初めてで、それもあり今年は特に注目をしていました。
今年のロッテのチームスローガンは『突ッパ!』ですが、彼らの走りを見て、我々もみんなで気持ちを1つにしながら限界を突破するような1年にしたいと強い刺激を受けました。襷をつないで少しずつ差を広げ、最後には独走した青学のようにパ・リーグを突き抜けたいと思います。
そのために全員で日々を大切にしながら一歩一歩、前へと進んでいきたいと思います。」

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