日本ハムは2番手の杉浦がチェンジアップを有効に使って3回無失点と好投した。清宮がオープン戦初出場で安打をマーク。ロッテは途中出場のルーキー福田光が9回にソロを放った。小島は3回無失点だが、制球に課題を残した。
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北海道日本ハム | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
千葉ロッテ | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 |
ランチ後回しで猛烈始動!ロッテに入団した鳥谷敬内野手(38=阪神)が11日、チーム合流初日から早速打ち込んだ。ZOZOマリンで井口資仁監督(45)らに挨拶を済ませると、2軍のロッテ浦和球場に移動。背番号00の練習用シャツを着用し、志願する形でノック、マシン打撃など約2時間30分ほど汗を流した。「レギュラーを狙っていく」と宣言。引退危機を脱し、決意の再スタートを切った。
5ヶ月間の鬱憤を晴らすかのように、鳥谷はマスコットバットをボールにぶつけ続けた。球界の歴史でも異例といえる3月入団。「この時期に入って、それでもしっかりできるんだというところを見せるのが、1つの使命かなと感じています」。キャンプに参加できなかった影響を感じさせない動きを披露し「当然、野球をやる以上はレギュラーを狙っていきます」と言い切った。
入団発表翌日、午前8時30分に濃紺スーツ姿でZOZOマリンに登場。井口監督やナインに挨拶を済ませると、すぐさま浦和球場に移動した。午前11時30分頃からウエートトレーニングを開始。室内練習場では小坂2軍育成兼走塁コーチの手も借りながらダッシュ、キャッチボール、ノック、マシン打撃と休憩なしで動き続けた。全メニューを終え、食堂に入ったのは午後2時過ぎだった。
午前中、約14分間に渡る囲み会見では本音をさらけ出した。「シーズンが始まるまでにどこも(移籍先が)なければ引退でした」。現役引退危機にいた事実を明かした上で「あと何年できるか分からない。自分が納得した形で野球人生を終えられるように現役続行を選択した。やっていく中でそういうものを見つけていけたら」と力を込めた。パ・リーグで対戦したい投手には早大で1年先輩にあたるソフトバンク和田の名前をあげて気合十分。今後は内野全ポジションの準備を急ピッチで進めていく。
この日は新背番号00の練習用シャツを着用。プロ17年目で初めて1番以外の番号を背負い「どうかな?変?」と照れくさそうに笑った。12日からはユニホームを着て2軍で練習を続け、実戦出場へ状態を上げていく。「『0からのスタート』という話もいただいた。新たな気持ちで『00』を素敵な番号にしたい」。38歳がルーキーのように目を輝かせた。
ロッテ鳥谷敬内野手は11日、古巣阪神との対戦を待ちわびた。
すでに新型コロナウイルス感染拡大の影響でシーズン開幕延期が決まっているが、現状、交流戦開幕カードは5月26日からの敵地阪神3連戦。
「昨年1年間、阪神ファンや選手も含めて、たくさん勇気づけられた部分はある。今回交流戦は甲子園だと思うので、自分がそこでプレーしている姿を見せるのが、阪神ファンや(現役続行を)喜んでくれている選手への恩返しかなと思います」と力を込めた。
9歳当時に東日本大震災で被災したロッテ佐々木朗希投手(18=大船渡)は、9度目の「3・11」をプロ野球選手として迎えた。
「立場が変わって、これからもっと色々発信していかなきゃいけないなという思いです」と話した。
大津波で父と祖父母を亡くし、住む家も失った。「たくさんのものを失って、あらためて気付いたことがたくさんある」と、つらい出来事を乗り越えながら学びも得てきた。「今あるものが一瞬でなくなってしまう。後悔しないように生きていきたい」。努力を重ねたから今がある。
ZOZOマリンでのオープン戦では半旗が掲げられ、試合前には先輩達とともに黙祷を行った。10日は本拠地のブルペンにも入り、次回は変化球も交える予定。大舞台へと1歩ずつ進んでいる。「活躍しているところを見せたいです」。目を閉じて、天国の家族へ誓った。
日本野球機構(NPB)は、12日にJリーグとの第3回となる「新型コロナウイルス対策連絡会議」を行う。
専門家チームから9日に開幕延期を提言されているが、感染予防対策など最終的な意見書を受け、今後の対応に生かしていく。
日本野球機構(NPB)が、今季の日本シリーズを本拠地以外の球場で開催するケースを想定していることが11日、分かった。
新型コロナウイルスの感染拡大で3月20日からの開幕が延期。開幕がずれた分の日程確保へ、11月7〜15日の日本シリーズを同月末までの範囲で後ろ倒しすることで調整している。ただ神宮では同20〜25日まで明治神宮大会、東京ドームも同22日から12月3日まで都市対抗野球を予定。そのため本拠地が他のイベントで使用できない球団は別の球場で日本シリーズを開催することも検討している。
過去にも例はあるが、80年に近鉄が広島との日本シリーズで日生や藤井寺が収容人数、照明設備などの理由で大阪球場を利用したのが最後。CSの短縮や中止も検討されているが、143試合制の堅持とともに、ポストシーズンも現行制度で実施したい意向の球団が多い。
11日は12球団の営業担当者会議が行われ、12日の代表者会議に向けて土台案を準備した。4月10日の開幕が最短目標になる見込みだが、感染状況や予防態勢をにらみながら金曜日を起点に17、24日とずらしていく。また3月20日からの当初日程の大部分は練習試合になることが有力。NPBの井原敦事務局長は「感染状況とかを見ながらですので(12日の開幕日決定は)難しい」と話した。
ロッテに入団した鳥谷敬内野手(38=阪神)が11日、合流初日から早速背番号00を身にまとった。
午前中に本拠地のZOZOマリンで井口資仁監督(45)らに挨拶した後、2軍のロッテ浦和球場へ移動。初めて背番号00の練習用シャツを着用し、ダッシュからキャッチボール、ノック、ティー打撃、マシン打撃とじっくりメニューをこなしていった。
囲み会見では「(背番号)1番でずっとやってきましたけど、『0からのスタート』という話もいただいたので、新たな気持ちで『00』を素敵な番号にしたい」と話していた鳥谷。「背番号どう?」と新背番号に少し照れくさそうだった。
ロッテのドラフト5位福田光輝内野手(22=法大)が存在感を示した。オープン戦は10打数1安打と結果が出ていなかったが、久しぶりの安打が右翼席中段への豪快弾。
日本ハム1位河野からの一打に「すごく感触が良かった」と喜んだ。二塁、三塁、遊撃を狙う立場は、新加入のベテラン鳥谷と重なる。「経験では勝てない。自分のできることを1つ1つやるだけです」と謙虚に話した。
東日本大震災の発生から11日、丸9年となった。ZOZOマリンでのオープン戦開始直前の午後0時54分、両チームの選手がベンチ前に整列。場内アナウンスが響いた。
「本日3月11日。東日本大震災から9年。震災の犠牲になり、お亡くなりになった多くの方々へ、哀悼の意を表し、これより黙祷を行います。皆様、ご起立ご整列ください。黙祷」。
9歳当時、故郷の岩手・陸前高田市で被災したドラフト1位・佐々木朗希投手(18=大船渡)も先輩達とともに、目を閉じた。
ロッテへ入団した鳥谷敬内野手(38)が11日、本拠地のZOZOマリンを訪れ、井口資仁監督(45)らに挨拶した。
紺のスーツ、水色のネクタイ姿で8時34分に球場入り。その後、グラウンドに出て首脳陣や選手たちに挨拶し、握手も交わした。新天地の印象について「若い選手が多いので勢いがありますし、その中で自分が違う形で力になれれば」と話した。「チームが変われば環境も変わる。でも野球選手としてやれることは決まっている」とあらためて活躍を誓った。
報道陣に対応後は、今後しばらくの調整場所となる2軍のロッテ浦和球場へ移動。合流初日から体を動かす予定だ。
東日本大震災の発生から丸9年となった11日、ロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18=大船渡)が報道陣の取材に対応した。9歳当時、岩手・陸前高田市で被災している。
ロッテに入団した鳥谷敬内野手(38)が11日、井口資仁監督(45)らへの挨拶に訪れたZOZOマリンで、報道陣に対応した。約14分間、今の思いを話した。
鳥谷のコメントは以下の通り。
ロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18)=岩手・大船渡高=は東日本大震災で父・功太さん(享年37)と祖父母を亡くした。震災から9年を迎えた11日、ZOZOマリンスタジアムで取材に応じ、天国で見守る家族へ向けて「活躍しているところを見せたい」と誓った。
穏やかな陽気に包まれたZOZOマリンスタジアム。佐々木は日本ハムとの試合前、同僚選手らとベンチ前に整列。帽子を取り、黙祷の合図とともに静かに目を閉じた。
「今という時間を昔よりも大切にするようになった。たくさんのものを失って、改めて気付いたことがたくさんある」。
忘れもしない2011年3月11日。岩手・陸前高田市に住んでいた小学3年生の時に被災。父・功太さん(当時37歳)と祖父母を失った。自宅は津波で流され、老人ホームでの避難生活を余儀なくされた。高田小で始めたばかりの野球をすることもできない。平穏な日常が一瞬で奪われた。
「今あることが当たり前ではないと思った。今生きている身として、そういった人達の分も、一生懸命に生きていかないといけないと思う」。
小学4年生で母・陽子さんの親族がいる同県大船渡市へ転居。大船渡高では甲子園大会の出場こそかなわなかったが、最速163キロを誇る投手に成長。『令和の怪物』の異名を取って注目を集め、4球団競合の末、ドラフト1位でロッテへ入団。プロの世界へ飛び込んだ。
新たな立場で3・11を迎え「これから、色々と発信していかないといけない」と震災の記憶が風化するのを防ぐ役割を担う。もう1つ、大きな使命がある。
「活躍しているところを見せたい」。
スタート地点に立った佐々木。天国で見守る家族に雄姿を届ける。
佐々木は試合前にキャッチボールなどのメニューをこなした。前日10日は本拠地の施設で初の投球練習。捕手を座らせて投げ「前回(2月27日)よりも思うように投げられた。状態はいいと思う」。順調に行けば、13日からの中日3連戦(ナゴヤドーム)の試合前に初めて変化球を交えて投球練習を行う。
ロッテに新加入した前阪神の鳥谷敬内野手(38)が11日、ZOZOマリンスタジアムで入団会見を行い、5月26日から甲子園で行われる古巣との交流戦に向けて熱い思いを語った。会見後は2軍のロッテ浦和球場を訪問。室内練習場などで2時間半、早速体を動かした。
“練習の虫”の体がうずいた。午前中、ZOZOマリンスタジアムで井口監督らへの挨拶&入団会見を終えてから2時間後。鳥谷が現れたのは、西に約50キロ離れた2軍の本拠地・ロッテ浦和球場だった。
「(オフは)しっかり打つ、投げることはやっていた。当然、ピッチャーの球を見たりとか、打ったりっていうのはできないが、それ以外の、自分ができることはしっかりやってきた」。
スーツから背番号「00」がプリントされた練習用のシャツに着替えて30分のウエートトレーニングで体を温めると、室内練習場へ。キャッチボール、守備練習、さらにマシン相手に1時間の打撃練習。気づけば2時間半がたっていた。ロッテの2軍関係者も「今日は荷物整理を済ませて、軽く体を動かす程度と聞いていましたが…」と口をあんぐりだ。
阪神時代、ナイターの日も午前中に一番乗りで甲子園を訪れ、ウエートトレに励むのが日課だった。現役時代に鳥谷と自主トレを行った井口監督も「彼の練習量は現役選手の中で、おそらく1番だと思う」と感心していたが、そのスタイルはロッテでも変わらない。
そして、鳥谷の新たなモチベーションになっているのは、5月26日から3日間、甲子園で予定されている古巣との交流戦だ。
「昨年1年間、本当に阪神ファン、選手も含めて、たくさん勇気づけられた。今回(今年)は交流戦が甲子園で行われる。そこでプレーする姿を見せるのが、ファンや(移籍先が決まって)喜んでくれている選手への恩返しかなと思います」。
12日にロッテのユニホーム姿を初披露する。今岡2軍監督をはじめ、2軍首脳陣に打撃や守備のチェックをうけ、今後の実戦出場の時期などが決められる。
「当然、野球をやる以上はレギュラー狙っていきます」。
阪神の16年間で積み重ねた安打は「2085」。控えに甘んじるつもりはない。ロッテでさらに数字を刻んでいく。
D5位・福田光(法大)が1−3の9回、先頭で右翼席中段に1号ソロを放ち、開幕1軍へアピールした。新加入の鳥谷と同じ遊撃が本職で、「自分にないものをたくさん持っている。ライバルではあるけれど、たくさん聞いてみたい」と対話を待ち望んだ。遊撃の定位置を争う藤岡も2安打と、内野の争いが活性化。福田光は試合後、グラウンドでみっちりと打ち込んだ。
ロッテに新加入した前阪神の鳥谷敬内野手(38)が11日、ZOZOマリンに挨拶に訪れ、井口監督はじめロッテナインと対面した。
午前8時34分。球場正面入り口に紺のスーツ姿の鳥谷が姿を現すと、集まった約60人の報道陣から無数のフラッシュがたかれた。
「また野球ができるということでわくわくしてる。シーズンが始まるまでにどこからも(オファーが)なければ引退」。
「あと何年できるか分からないし、しっかり自分が納得した形で野球人生を終えられるように現役続行の選択をした」。
「一緒に戦おう」と激励された井口監督らに挨拶を終えると、ロッテの選手らが練習中のグラウンドに出て顔を合わせ、そのままロッテ浦和球場の2軍施設に移動。当初は予定になかったが、早速トレーニングウエアに着替えて2時間ほど汗を流すなど、新天地での強い決意が感じられた。
12日から2軍の練習に参加。「監督を胴上げできたら最高かなと思います」。ベテラン助っ人がいよいよ本格始動する。
先発ローテーション入りを目指すロッテの2年目の小島は、制球を乱す場面があったが3回を2安打無失点にまとめた。開幕が延期となり、先が見通せない状況にも「期間が少し空くので、やりたいことを試すなど、うまく調整していきたい」と前向きに話した。
埼玉・浦和学院高から早大を経て入団し、1年目の昨季は先発で3勝を挙げた。早大の大先輩である鳥谷がチームに加わり「一緒にプレーさせていただくことは光栄。色々と学ばせてもらいたい」と目を輝かせた。
ロッテに新加入した前阪神の鳥谷敬内野手(38)が11日、本拠地ZOZOマリンスタジアムに挨拶に訪れた。
ロッテの今岡2軍監督は11日、阪神から加入した鳥谷について、ロッテ浦和球場で「今は指導者からというより、選手間で学ぶことが多い。今のロッテは、若い子がどんどん出てきているとき。いまのタイミングにぴったりな存在」とプレーだけでなく、若手の“お手本”としても大きな期待を寄せた。
今岡2軍監督も2009年に阪神を自由契約となり、10年にロッテに入団。12年に引退後、阪神2軍コーチを経て、18年からロッテ2軍監督を務めている。
ロッテに新加入した前阪神の鳥谷敬内野手が11日、本拠地ZOZOマリンスタジアムに挨拶に訪れ「また野球ができる。あと何年できるか分からないし、先は長くない。納得した形で野球人生を終えられるように」と抱負を語った。
阪神でプレーした16年間で通算2085安打をマーク。昨季限りで球団から引退勧告を受けたが、現役続行を目指して退団。「シーズンが始まるまでに、どこからも(オファーが)なければ引退」と決意していた中での契約。「このチャンスを生かして、恩返しできたらいい。しっかりできるというのを見せるのも、自分の1つの使命」と言葉に力を込めた。
今後はさいたま市の2軍施設で調整する。「今の自分の現状を確認しながら、ベストの状態をつくりたい」と話した。
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて開幕を延期したプロ野球が、日本シリーズ日程の繰り下げを本格検討していることが11日に分かった。今年の日本シリーズは11月7〜15日を予定。同21〜29日の日程に繰り下げることで2週間の余裕が生まれ、オールスター戦やクライマックスシリーズを短縮・中止することなく、延期分の再編に充てる考えだ。
この日は12球団の営業担当者会議が行われ、12日の12球団代表者会議で議論する公式戦再編日程の土台が話し合われた。3月20日から延期された開幕日は、4月3、10、17、24日の同じ金曜日をベースにしたパターンが作成された。
日本野球機構(NPB)の井原敦事務局長は「コロナウイルスの感染状況を見ながらなので、それは難しい」と話し、代表者会議でも何日の開幕を目指す、と決めるのは難しい状況だ。時間的に余裕のない3日は困難で、最短で有力な10日、もしくは17日が現実的な選択肢になる。17日までに開幕できれば、11月7日からの日本シリーズを2週間ずらすことでCSやオールスター戦を短縮・中止することなく、全143試合行える試算である。
日本シリーズの日程変更は、巨人の本拠・東京ドームで都市対抗が11月22日から、ヤクルトの本拠・神宮では明治神宮大会が同20日から組まれるなど、使用球場の問題があった。ただ、球界関係者は「本拠地でやれることが第一だが、143試合、そしてCSもしっかりやることが大事」と話す。シリーズ進出チームの本拠地が使用できないときは、他球場での開催を模索し、最悪の場合には収容人数の多い地方球場も選択肢に挙がるという。11年に東日本大震災で開幕が延期された際も、日本シリーズの繰り下げでCSを含めた全日程を消化した。
全日程消化期限について、井原事務局長は「11月中に、ということで考えています」と明かし、参稼報酬期間外となり、選手会の同意が必要となる12月までずれることには否定的な見解を示した。仮に第7戦までもつれれば、11月29日決着は日本シリーズ史上最遅決着となる。感染状況をにらみながらの作業となるが、可能な限りの手を探り、事態の改善を待つ。
今、あることが当たり前じゃない−。2011年3月11日に起きた東日本大震災から9年。9歳の時に故郷・岩手県陸前高田市で被災したロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18=大船渡)が11日、父・功太さん(享年37)ら家族を失った悲しみと復興への思いを新たにした。プロ野球選手として初めて迎えた3・11。風化させないためにも、自らの言葉で発信していくことを誓った。
癒えない傷が刻まれた。9年前のあの日は決して佐々木朗の心から消えることはない。永遠に被災者として迎える3・11。それでも未来ある18歳の見せた前向きさは、せめてもの救いだった。
「今、あることが当たり前じゃないということを思った。たくさんのものを失って改めて気づいたことがたくさんある。これから後悔しないようにして生きたい」。
岩手県陸前高田市出身。野球を始めた高田小3年の時、学校で東日本大震災に遭った。迫り来る津波から必死に高台まで避難した。自身の命はつないだものの、父・功太さん、祖父母、そして自宅は津波が奪った。全てを失い、避難所での生活も味わった。翌年、母方の親族のいる大船渡市に引っ越した。9歳の少年にとって、あまりにも過酷に、残酷に人生が一変した。
功太さんは生前、野球を始めたばかりの朗希少年の投球を受け「朗希は凄いよ。将来はプロになれると思うよ」と将来の成功を確信していた。父の期待に応えるように、高校生史上最速の163キロを投げ「令和の怪物」と呼ばれるまでになった。その父、祖父母ら大切な人々への思いは尽きない。「今あるものが一瞬でなくなってしまう。今、生きている身として、そういう人の分も一生懸命生きていかないといけないと思う」。失った最愛の家族とここまで育ててくれた母へ。「活躍しているところを見せたいです」。天国に届くほどの活躍まで、絶対に佐々木朗の心は折れないはずだ。
父の言葉通りにプロ野球選手になって迎えた9度目の3・11。「今、こうやってプロ野球選手として初めて迎えた日。立場が変わってまたこれから色々発信していかないといけないなという思いです」。被災者として持つ心の傷。その痛みがあるからこそ、佐々木朗の言葉とプレーは、復興を目指す全ての人々の背中を押す、力になる。
ロッテ入りが決まった鳥谷敬内野手(38)が11日、ZOZOマリンを訪れ、新天地での決意を語った。
「また野球ができるということで、非常に感謝していますし、楽しみにしています」。
井口監督の現役時代には自主トレをともにした。その指揮官から「一緒に戦いましょう」と声をかけられ「監督の力になるというか、胴上げできたら最高」と恩返しを誓った。阪神退団後は「シーズンが始まるまでに、どこも(話が)なければ引退」と覚悟した。当初の日程で開幕10日前の所属決定も「野球をやる以上はレギュラーを狙う。この時期に入って、それでもしっかりできるというのを見せるのが1つの使命かな」と口にした。
今季、古巣・阪神との交流戦は甲子園で開催予定。「そこでプレーする姿を見せるのが阪神ファンだったり、喜んでくれている(阪神の)選手への恩返し」。挨拶を終えると、2軍のロッテ浦和球場に移動。「素敵な番号にしたい」という新たな背番号「00」の練習着で汗を流し、「ロッテ・鳥谷」のスタートを切った。
ロッテのドラフト5位・福田光(法大)が9回にオープン戦1号ソロを放った。途中出場し、日本ハムの1位・河野(JFE西日本)から右翼席中段まで運び「感触は凄くよかった」と振り返った。
練習試合では一発を放ったが、オープン戦は4日のオリックス戦以来の2安打目。鳥谷が加入し、内野の競争が激化。「経験では勝てないので自分のできることを1つずつやりたい」と生き残りへ意欲を燃やした。
昨年限りで阪神を退団し、ロッテ入団が決まった鳥谷敬内野手(38)が11日、本拠地ZOZOマリンを訪れた。
濃いブルーにストライプの入ったスーツに、薄い水色のネクタイ姿で現れた鳥谷は、井口資仁監督(45)に挨拶。「(監督には)“一緒に戦いましょう。あとはしっかり2軍の方で仕上げをやっていってくれ”という言葉だった。“力になれるように頑張りますので、よろしくお願いします”ということを言った」と振り返った。その後、グラウンドへ移動し、中堅奥でウォーミングアップ中だったナインのもとへ歩を進めて挨拶すると、拍手で迎えられた。
当初の開幕まで残り10日の時点での移籍先の決定。「シーズンが始まるまでにどこもなければ引退」と覚悟してつかんだ機会だが危機感は強い。「たくさんの人のおかげでこの瞬間まで待つという選択もできた。当然、野球をやる以上はレギュラーを狙っていく。ポジションは現状、空いたところに入ってチャンスをつかむって方法しかない」と話した。さらに強く感じていることがある。「この時期に入って、それでもしっかりできるんだというのを見せるというのが自分の1つの使命かなというのも感じる」とした。
古巣・阪神の選手らも祝福した移籍先決定。「昨年1年間、阪神ファンも含めてたくさん勇気づけられた部分がある。交流戦が甲子園なのでそこでプレーしている姿を見せるのが阪神ファンだったり、喜んでくれている選手への恩返しかなと思っている」。鳥谷は「ファン」の存在を忘れることなく、新天地での活躍を誓った。
ロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18)が11日、ZOZOマリンで、東日本大震災への思いを語った。岩手県陸前高田市に住んでいた小学3年生の時に被災。自宅は津波で流され、父・功太さん(享年37)と祖父母を亡くした。あの日から9年を迎えた「3・11」。プロ野球選手になった朗希は「一生懸命に生きる」と改めて決意した。
真っ直ぐな瞳は覚悟の表れだった。「今こうやってプロ野球選手として初めて迎えた日だけど、立場が変わってこれから色々と発信していかなきゃいけないという思い」。風化させてはならない、という強い自覚を言葉にした。
2011年3月11日。当時小学3年の朗希は陸前高田市にある高田小で津波を経験した。高台に避難したため無事だったものの、自宅は津波で一瞬にして流され「野球の楽しさを教えてくれた」という父・功太さんと祖父母を亡くした。同市の犠牲者は行方不明者含め1750人以上に上った。「(震災で)色んなことを思ったし、たくさんのものを失って改めて気付いたことがたくさんある。これから後悔しないように生きたいと思う」。9歳にして過酷な経験を乗り越えてきたその言葉には、説得力があった。
震災直後は母と兄弟、朗希の4人で、老人ホームでの避難所生活を余儀なくされた。小学校4年で母方の親族のいる大船渡に引っ越した。だが、大好きな野球を続け、朗希はぐんぐん成長した。大船渡高3年の夏には最速163キロをマークし、昨年ドラフト1位でロッテに入団。高校1年の冬に具体的に描き始めた「プロ野球選手」という夢をかなえた。
「今あることが当たり前じゃないと思ったので、今という時間を昔よりも大切にするようになった」。悔いのないように生きてきた。そして、その思いは、これからも。「今あるものが一瞬でなくなってしまうので、今生きている身としてそういった人達の分も一生懸命生きていかないといけない」。18歳の少年にとって背負うものが大きすぎるかもしれないが、朗希にはその覚悟がある。
プロになって3ヶ月。今月下旬に予定されている打撃投手での登板に向け、段階を踏んで調整している。次回のブルペンでは変化球を解禁する可能性もある。天国で見守る父と祖父母へ「活躍しているところを見せたいです」と活躍を誓った黄金ルーキー。勝利の白星を、夜空に輝く3つの星へと届ける。
新型コロナウイルスの感染拡大によるプロ野球の開幕延期に伴い、日本シリーズ(S)を本拠地以外の球場で実施する可能性が出てきた。12球団は日程確保のため日本Sの日程変更を軸にクライマックスシリーズ(CS)の中止を含めて検討中。日本Sを遅らせた場合は球団によって本拠地が使用できない可能性があるため、球界関係者は「本拠地開催にはこだわらない」と他球場開催も視野に入れる考えを示した。
この日の12球団営業担当者会議では、開幕日までの各球団の調整スケジュールについても話し合われた。12日の12球団代表者会議で最終決定するが、当初予定されていた対戦カードを中心に無観客で実戦を行う。公式戦日程では最大6連戦もあるが、試合数を減らして実施する見通し。NPBの井原事務局長は「練習試合として行う」と説明した。
ロッテに新加入した元阪神の鳥谷敬内野手(38)が11日、2軍施設のロッテ浦和で初練習を行った。
この日の朝、ZOZOマリンに訪れ、取材に応じた鳥谷は井口監督や選手、スタッフに挨拶した後、ロッテ浦和に移動。今岡2軍監督らに挨拶を終え、室内練習場で約2時間半汗を流した。新背番号「00」がプリントされたTシャツを身に纏い、キャッチボールやノック、マシンを使った打撃練習を行い、初練習を終えた。鳥谷は明日12日から2軍の練習に合流する予定。
ロッテに新加入した元・阪神の鳥谷敬内野手(38)が11日、新天地であるZOZOマリンに訪れ、心境を語った。
午前8時30分過ぎに球場入りした鳥谷はネイビーのスーツに水色のネクタイを締め登場。そのまま試合前のアップをしている選手がいるグラウンドに降り、井口監督やスタッフ、選手と挨拶を交わした。
新型コロナウイルスの影響で、通常行われている記者室での入団会見ではなく、広い空間で距離をとり、鳥谷を囲む形で取材が行われた。「また野球が出来るという状態に感謝していますし、楽しみです」と今の心境を語った鳥谷。ロッテの印象については「若い選手が多いので勢いがある」と話し「選手としてできることは決まっているのでできることをやっていきたい。やってる以上、レギュラーは狙っていきますし、空いてるところを狙っていきたい」とすでに魂を燃やしていた。球界の“レジェンド”がいよいよ新天地で再出発する。
ロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18)=大船渡=が東日本大震災から9年を迎えた11日、ZOZOマリンスタジアムで取材に応じ、現在の心境を語った。当時9歳だった右腕は津波を経験し、父・功太さん(享年37)、祖父母を失った。悲痛な思いを語り、プロで活躍して天国の家族に報告することを誓った。
佐々木朗は一点をじっと見つめ、言葉を選びながら心情を語った。「色んなことを学びました。たくさんのものを失って、改めて気づいたことがたくさんある」。家族を奪った東日本大震災から9年。今でも忘れることのできない悲しい記憶が、脳裏に刻まれている。
当時は小学3年生だった。岩手県陸前高田市出身。小学校で震災による津波に襲われ、高台に避難する経験をした。自宅は津波で流され、父・功太さんと祖父母が亡くなった。避難所の老人ホームで生活し、その後、小学4年生時に母方の親族がいる大船渡市に引っ越した。
父、祖父母、自宅。震災で多くのものを失った。9歳の少年にとっては、あまりにも残酷な現実だった。「今あるものが一瞬でなくなってしまう。そういった人達の分も、一生懸命生きていかないといけないと思います」。後悔のないように必死に生きていくと固く決意した。
人生の中でつらく、悲しかった出来事。あれから9年が経ち、心は成長した。「今あることが当たり前じゃないと思った。今という時間を、昔よりも大切にするようになったかなと思います」としみじみと語った。
地元を襲った悪夢を風化させたくない思いは強い。「今、こうやってプロ野球選手として初めて迎えた日。立場が変わって、これから色々発信していかなければいけない」との覚悟を示した。
1軍帯同中の最速163キロ右腕。10日にZOZOマリンのブルペンで捕手を座らせた投球練習をし、調整は順調に進んでいる。「活躍してるところを見せたいです」。豪腕を披露し、プロのマウンドで躍動する姿を天国の家族に届ける。
昨季限りで阪神を退団し、ロッテに新加入した鳥谷敬内野手(38)が11日、ZOZOマリンスタジアムに挨拶に訪れた。獲得してくれた球団や支えてくれた周囲への恩返しを誓い、古巣の阪神が初戦の相手となる交流戦出場に強い意欲を示した。
阪神時代は長かった髪を短く整えた鳥谷が、本拠地のZOZOマリンにスーツ姿で登場した。外野のグラウンドでナインに挨拶すると、盛大な拍手で迎えられた。井口監督から「一緒に戦いましょう」と激励され「力になれるように頑張ります」と力強く誓った。
阪神を昨季限りで退団。NPB球団での現役続行を熱望し、3月に入ってようやく移籍先が決まった。「シーズンが始まるまでにどこもなければ引退」と腹をくくった中、ロッテがチャンスを与えてくれた。
ベテランが強い覚悟を胸に挑む。「野球をやる以上、レギュラーは狙っていきます」と宣言し「ポジションは、空いたところに入ってチャンスをつかむという方法しかない」と決意。「自分が監督を胴上げできれば最高」と恩返しを誓った。
古巣との対決も熱望した。ロッテの交流戦開幕カードは、5月26日からの阪神3連戦(甲子園)。「昨年1年間、阪神ファン、(阪神の)選手も含めて、たくさん勇気づけられた。そこ(甲子園)で自分がプレーしている姿を見せるのが阪神ファン、喜んでくれている(阪神の)選手への恩返しかなと思います」と笑みを浮かべた。
「何年できるか分からないですし、先が長いという訳でもない。自分が納得した形で野球人生を終えられるように」と抱負を語ったレジェンド。たくさんの感謝の思いを込めて新天地で躍動する。
昨季限りで阪神を退団し、ロッテに新加入した鳥谷敬内野手(38)が11日、ZOZOマリンスタジアムに挨拶に訪れた。獲得してくれた球団や支えてくれた周囲への恩返しを誓い、古巣の阪神が初戦の相手となる交流戦出場に強い意欲を示した。
(囲み取材)