ロッテ井口資仁監督(45)が2日、球団公式インスタグラムでのQ&Aコーナー「井口監督への質問箱」でファンから集まった質問への回答を披露した。企画開始2日目のこの日も、1日で280件以上の質問が寄せられた。
「現役時代に好きだった打順を教えてください」という質問には「3番です。自分のタイプ的にも3番だと思っていました。3番にプライドを持っていました」とキッパリ。
「前に走者がいる時は走者を進めたり、かえしたりという役割があり、いない場合は自分が打って出塁し、盗塁をすることで4番の前にチャンスを作るという役割も担う。役割に色々なバリエーションとシチュエーションがあることに、とてもやりがいを感じていました」と“3番愛”を語った。
また「殻を破って欲しい選手は?」という質問には石崎剛投手(29)岡大海外野手(28)の2人の名前を挙げた。
この他にも「現役時代に苦手だった投手」「印象に残っている外国人選手を教えてください」など全13の質問にインスタグラム上で回答した。「井口監督への質問箱」では、明日3日回答分の質問も募集されている。
ロッテは原点に戻り、走れるチームを目指す。井口監督が公式SNSでのファンからの盗塁についての質問に「今年、コーチ陣とは、試合数と同じ数は盗塁するという目標設定をしています」と回答した。
18年のシーズン124個から、19年は75個と約4割減った。今季はオープン戦9試合で9盗塁、練習試合では15試合で19盗塁と積極的な走塁が目立っている。
新型コロナウイルスの感染拡大で延期されているプロ野球公式戦の開幕が、4月24日から再延期されることが2日、確実になった。セ・リーグは2日に東京都内で各球団幹部による会合を開き、再延期した場合の開幕日や日程の再編案などを協議した。阪神・小幡竜平内野手(19)がこの日、球団4人目となるPCR検査を受診するなど危機的な状況が続き、早くても開幕は5月中旬以降とみられる。シーズン143試合の実施断念や日本シリーズの12月開催など、異例の事態も考えられる。
プロ野球の開幕が再び延期される。セ・リーグはこの日、6球団の理事による会合を開き、再延期した場合の日程の再編案などを協議。新たな開幕の目標は5月中旬以降になったとみられる。
パ・リーグは3月31日に6球団の社長がオンライン会議を開き、4月24日の開幕は困難との認識で一致した。セでも24日の強行を主張する球団はなく、杵渕和秀セ・リーグ統括は「(24日を)断念するとは決めていない」としながらも、「状況が刻々悪くなっていることは、理事の皆さんも理解している。雰囲気はパと変わらないと思う」と語った。
NPBはレギュラーシーズン143試合を消化し、クライマックスシリーズ(CS)を昨季までの形式で行った上で、日本シリーズを11月中に終了させることを目指している。日本シリーズ第1戦を同21日とした上で、開幕が5月に延びた場合の日程を1週間単位でシミュレーションしている。
しかし、5月中旬以降に開幕が延びた場合は、日程編成がさらに難しくなる。機械的に組めば、5月19日開幕までは、143試合は消化できる計算だが、球場の調整や最低限の予備日確保などの課題がある。新型コロナウイルスの感染者が急増している状況を踏まえると5月中旬までの開幕は極めて厳しい。
「5月まで延びると(日本シリーズまで)11月にすべて終わらせるのは無理」と断言する球界関係者もいる。レギュラーシーズンの短縮やCSの試合数の見直し、日本プロ野球選手会の了解を得た上で日本シリーズを12月開催にするなど、異例の事態も十分に考えられる状況となっている。
この日は阪神の高卒2年目内野手、小幡が球団4人目となるPCR検査を受けたことが判明。セの会合でも、報告された。感染者は東京都、大阪府など大都市圏を中心に増え続け、国内で3300人を超えた。都立校、府立校の休校がゴールデンウイーク最終日の5月6日まで延長されることも決まった。
会合では、開幕後の対策についても話し合われた。検温用のサーモメーター、消毒用アルコールなど観客を入れた場合に球場で必要な設備の調達状況、入場制限をどうするか、発売済みの入場券の払い戻し状況などの情報共有を行った。
NPBは3日、Jリーグと連携する「第5回新型コロナウイルス対策連絡会議」に続き、12球団代表者会議を開いて開幕日の再延期を正式に決める。球場にファンの歓声が響く日は、まだまだ遠い。
ロッテ・井口監督が2日、プロ入り8年目を迎える岡の今季の飛躍に期待した。チームがファンサービスの一環として行っている質問企画で、昨季95試合の出場で6本塁打、13盗塁をマークした28歳について「三拍子そろった選手。1年通して力を発揮すれば1億円プレーヤーになれる」とべた褒め。投手では昨季途中、阪神から加入した中継ぎの石崎を挙げ「常に150キロを出せるし、体力がすごい」と期待した。
日本野球機構(NPB)とJリーグは2日、連携して感染症の専門家から意見を聞く3日の「第5回新型コロナウイルス対策連絡会議」を、ウェブ会議システムで行うと発表した。
感染リスクが高い3つの『密』(密閉、密集、密接)を避けるためで、NPBからは斉藤惇コミッショナー、井原敦事務局長と一部職員だけが臨席。前回まで出席していた12球団の関係者は、ウェブでの参加となる。連絡会議としては初の試みに、井原事務局長は「感染防止について、できる限りのことをやらなければならない」と語った。
NPBはその後、現在目指している4月24日開幕の可否などを協議する。連絡会議、代表者会議ともに、記者会見もオンラインで行われる。
ロッテ・井口監督は今季3シーズン目を迎える。17年にリーグ最下位に沈んだチームを率い、就任1年目の18年は5位、そして昨季は4位と底上げに成功している。特に投手陣は、チーム順位をなぞるように防御率が17年4.22(リーグ6位)、18年4.04(同5位)、19年3.90(同4位)と年々アップ。今季はさらに上を目指したい。
それでも昨季は、規定投球回(143回)に到達した投手が0。50年の球団創設以降、規定投球回到達者が1人は18年涌井まで8度あったが、1人もいなかったのは球団史上初の不名誉だった。昨季の個人最多投球回は、二木の128回2/3。22試合全て先発登板を果たしたが、終盤の9月上旬に一時戦列を離れたのが響いた。
ただ、将来性豊かな先発投手が着実に育ちつつある。昨季のパ・リーグで25歳未満の先発勝利5勝以上は10人。うちロッテは種市8勝、二木7勝、岩下5勝と3人いて西武と並び最も多かった。中でも今季4年目、21歳の種市は先発で102回2/3を投げ、奪三振122。昨年、千賀(ソ)が奪三振率11.33のプロ野球新記録を達成したが、種市は規定投球回未満ながら10.69と高い数字を残した。
今季は楽天から美馬が加入。安定した投球術は若手投手のお手本になりそう。さらに高卒新人の佐々木朗も先発陣の活性化に大きな役割を果たすかもしれない。
種市にとって、自身初の2桁勝利は最低ノルマだ。背番号は今季から「16」に変更。昨季8勝をマークした4年目右腕は「16勝」という大きな数字を目標に掲げる。これを実現できれば、タイトル争いにも絡めると同時に、チームも優勝争いに加わることが可能となる。石垣島キャンプではフォーム固めに時間を割き、最速153キロを誇る自慢の直球に磨きをかけてきた。オープン戦は2試合で9回1失点の防御率1.00。開幕2戦目の登板が有力だ。
ロッテ・井口監督がマリーンズ球団公式インスタグラムで公募した質問に応じ、日本ハムから移籍3年目の岡、阪神から移籍2年目の石崎の2人のブレークを期待した。
明大時代に投手と野手の二刀流だった岡については「三拍子そろった選手。(昨季打率.227、6本塁打だが)力を1年間通して発揮すれば、すぐに1億円プレーヤーになれる」と指摘。昨季4試合登板に終わった変則右腕の石崎にも「持久力も、瞬発力も凄い。セットアッパーとして期待している」と話した。
ロッテは2日、マリーンズ球団公式インスタグラムで、井口監督への第2回質問を1日午後2時からこの日午後2時まで募集し、283件の質問が届いたと発表した。また、3日午後2時まで第3回の募集を開始する。
井口監督は「今回も選ぶのが難しかったですが、13問に回答をさせていただきます。5日まで毎日、回答をしますので今回、選ばれなかった方はまたの応募をお待ちしています。もちろん引き続きメディアの方からの質問もお待ちしています!」とPRした。
なお、第2回の回答は次の通り。
プロ野球は3日に12球団代表者会議を行い、日程の再々編に着手する。新型コロナウイルスの感染拡大で、目標に設定した4月24日の開幕を断念することは確実。5月下旬以降の開幕を目指すとみられ、最優先としてきた公式戦143試合の縮小まで踏み込んで協議する可能性が高い。その場合は交流戦の中止、クライマックスシリーズ(CS)の中止などが候補に挙がる。
3月に4回開かれた「新型コロナウイルス対策連絡会議」は専門家チームとNPB、Jリーグの関係者らが都内の会場に集まって行われていたが、3日の第5回会議は、各出席者をネット回線で結んだウェブ会議システムが導入される。連絡会議終了後の会見と同日午後のNPB12球団代表者会議後の会見も、記者を1ヶ所に集めず、同様のウェブ会議システムで実施される。
プロ野球は3日に12球団代表者会議を行い、日程の再々編に着手する。新型コロナウイルスの感染拡大で、目標に設定した4月24日の開幕を断念することは確実。5月下旬以降の開幕を目指すとみられ、最優先としてきた公式戦143試合の縮小まで踏み込んで協議する可能性が高い。その場合は交流戦の中止、クライマックスシリーズ(CS)の中止などが候補に挙がる。
セ・リーグはこの日、代表者会議に向け事前協議を行った。3月31日にはパ・リーグ6球団の社長が「4・24」は困難との意見で一致したが、セも同様で、3日の代表者会議で24日の開幕を断念することは確実。感染が急速に拡大している現状から、プロ野球は5月下旬以降の開幕を目指すとみられ、公式戦143試合の縮小が現実味を帯びてきた。
3日には専門家を交えた「新型コロナウイルス対策連絡会議」を踏まえ、代表者会議を開く。専門家からも早期開幕に消極的な意見が出ることが確実視される。6月開幕プランもあるが、この日の事前協議では5月開幕で複数の日程案をシミュレーションした。開幕が5月中旬を過ぎれば、レギュラーシーズン143試合の実施は絶望的。セの関係者は「開幕日によって(縮小は)ある」と話した。
その場合、選択肢として浮上するのが交流戦18試合の中止だ。同一リーグ5球団との25回戦、125試合なら公平性は担保される。当初の日程で交流戦開幕は5月26日。球場の調整は必要だが、交流戦を断念すれば同日以降、6月上旬などの開幕にも対応しやすい。
CSの中止、縮小案も再燃する可能性がある。五輪の延期で公式戦休止期間中の試合実施が可能となったこともあり、一時は開催の方向に傾いたが、最近の感染拡大で状況が変化。不測の事態が起きた場合に備え、予備日を多めに確保する必要が指摘され、交流戦中止に続く案として考えられる。開幕日によっては、交流戦とCS双方の中止など複合案も視野に入る。
選手会の同意が必要となるが、日本シリーズ(S)の12月開催の腹案もある。関係者は「開幕日が決まった時、(12月開催を)要請しないと日程が立ちゆかないような開幕日ならお願いすると思う」と説明。想定している11月21日の日本S開幕については、開幕日決定後に選手会に要請する可能性があるとした。
日本野球機構(NPB)の井原事務局長は、開幕日を再度設定するかを含め、「代表者会議で話し合う」とした。先行きが見通せない中、現状で開幕日を明確にするのは時期尚早で“無期限延期”を訴える意見もある。いずれにしても143試合の縮小に備え、最善策を検討していく必要がある。
ロッテは2日、ファンサービスの一環として球団公式インスタグラムで行った「井口監督への質問箱」第2弾に283件の質問が届いたと発表した。
井口監督は「本当にたくさんのコメントをいただき嬉しいです。今回も選ぶのが難しかったですが本日は13問に回答をさせていただきます。5日まで毎日、回答をしますので今回、選ばれなかった方はまたの応募をお待ちしています」とコメントした。
主な問答は次の通り。
第3弾の質問受付は2日の午後5時から3日の午後2時まで行う。
ロッテ・井口監督が2日、球団公式インスタグラムの「第2回井口監督への質問コーナー」でファンの質問に答えた。
「少年時代の練習法」の問いには「バドミントンのシャトルを壁に打ち返す練習をしていました。暗くても見えるし、音も出ない。シャトルは不規則な動きをするのでとてもよかった」と回答。コロナ禍の野球少年に自宅でできるトレーニング法を伝授した。
ロッテは2日、球団公式Instagram(インスタグラム)で井口監督への質問を1日14時から2日14時まで募集し、283件の質問が届いたと発表した。2日17時から3日14時まで第3回の募集を行う。
井口監督は「本当にたくさんのコメントをいただき嬉しいです。今回も選ぶのが難しかったですが本日は13問に回答をさせていただきます。5日まで毎日、回答をしますので今回、選ばれなかった方は、またの応募をお待ちしています。もちろん引き続きメディアの方からの質問もお待ちしています!」とコメントした。毎日15時に広報担当より、自宅待機中の井口監督に電話をし回答をもらっている。
なお第2回の主な回答は次の通り。
プロ野球選手としては初めて3月11日を迎えました。今まではあまり自分から震災の話を切り出すことはありませんでしたが、立場が大きく変わって、これからは自分の口から、色々なことを発信していかなくてはいけないと思っています。 東日本大震災があった日、私は岩手県陸前高田市の小学校にいました。3年生の時でした。校庭まで津波が押し寄せてきました。みんなで必死に高台まで逃げたのを覚えています。
母は別の場所で仕事をしていたので無事でしたが、津波で自宅が流され、父と祖父母を失いました。そして日常の全てを失いました。
避難所で水もなければ、お風呂にも入れない日々を過ごしました。その時に普通のことが普通ではないということを知りました。ご飯を食べること、お風呂に入ること、野球をすること。当たり前に思えたことの全てが当たり前でないことを痛感しました。今までの普通だった毎日がいかに幸せなことだったのかを知りました。
生まれ育った陸前高田の街は一変しました。自宅、自転車で1周をした街、山の中に作った秘密基地…。思い出の全てが流され、消えました。
老人ホームに作られた避難所での生活を余儀なくされましたが、4年生の時に母方の家族がいる岩手県大船渡市に引っ越しました。生まれ育った場所から転校するのはものすごくつらかったのを覚えています。
そんな中で支えとなったのが野球でした。避難所でもボールを見つけてキャッチボールをしました。グローブもなかったので、人から借りました。野球に没頭しました。
あの頃のことを思い返すと、こうしてプロ野球選手として野球ができる日々を本当に幸せに思います。ただ今あることは当たり前ではありません。だから毎日、目の前の時間を大切にするようにしています。生きている身として亡くなった人達の分も一生懸命に生きていかないといけないと思っています。
最後に日本全国、そして世界の人々に支えてもらったことへの感謝の気持ちを私は今後も忘れません。これからはプロの1軍の舞台で活躍することで支えてもらった方々に恩返しをして、東北の皆さまに明るい話題を提供できる存在になれるよう頑張ります。
(月1回程度随時掲載)